一週間の中で一番好きな曜日はいつだろうか。土曜日と日曜日が頭の中をチラチラして、そしてすぐに消えていく。金曜日の一人勝ちだからだ。社会に出て働く人間として休日は代え難い褒美に違いないが、その休日がこれから始まる金曜日はそれ以上に代え難い。
 華の金曜日という言葉があるくらいだ、そんな日くらい羽を伸ばしても良いという事だ。尚これは私による私の為の解釈である。
「お前三次会いく?」
「電車の時間的に微妙だけどちょっと行きたい、三井さんは?」
「そりゃお前行くだろ、金曜日なんだしよ。」
 三次会いく?という言葉の凡その意味は三次会行くよな?というほぼほぼ決定事項のようなものだ。学生時代から気心の知れている三井さんが行くというのであれば、それはより私にとって行かざるを得ないものになっていく。
「じゃあ私も行こっかな。」
「……お前、あいつ平気なのか?」
「あ〜、うんまあ今日は。」
「あいつこういうの煩いからな。」
「遠征で帰ってくるの明日って言ってたし?」
「お前飲み会の事言ってんの?」
「うん、一応言っときましたけど。」
 会社の同じ部署の先輩である三井さんを含めても八人はいるだろうか。駅に向かう訳でもなく、外の道路に面したスペースで思い思いに皆話しているよく分からない時間が繰り広げられている。大体こういうケースは誰かが三次会に行こうと声をかけてくれるのを皆待っていたりするものだ。
「んで、反応は?」
「ふうううん?って言ってましたね。」
「全然納得してねえだろそれ。」
 アメリカと日本という遠距離でずっと過ごしていた彼が数ヶ月前、日本に戻ってきた。それからというものの、こうした飲み会の類には随分と口を出してくるし言葉を選ばずに言えばとても煩い。会社の飲み会で逆に何を心配しているのだろうか。
「三次会行く奴はあっちに移動するぞ〜?」
 結局三井さんが発端となって、まだらになって後ろから数人がぞろぞろと付いてくる。女性何名かはぺこりと頭を下げて、逆方向にある駅へと向かって歩いていった。私はというと、結局三井さんの一番近くで一緒に歩みを進めている。
 たまには三次会……時間を気にしないで飲んでもバチは当たらないだろう。平日そこそこ一生懸命に仕事をしているので徳は積んでいるはずだ。なんとかなる──、筈だった。
 深夜にあまり耳にしないドッドッドッと大きなエンジン音が響いている。どこかで聞いた事のある音だ、と言うかものすごく聞き覚えのある音だ。
 まさかと思い肝を冷やしていると見覚えしかない車体が私の体を横切っていく。随分といかつい風貌をしたお兄さんが乗っているではないか。私たちの集団よりも少し先に車を止めると、その車から人影が降りてくる……というか向かってくる。
「ナマエ!」
 そんな大きな声で呼んで頂かなくてもちゃんと認識しているので本当にやめて欲しい。車体が大きすぎるジープから降りてきたその男は、米軍基地から出てきた兵隊のような出立ちで私の方へとずんずん進んでくる。
 いかついジープ、表情の分からないサングラス(怒っている)、刈り上がっている上にしっかりと後ろに流されている髪、服の上からでも鍛え上げられた筋肉の目立つ上半身、その首元にキラリと煌めくごっついネックレス……今私に声をかけないでください。
「え、なに……ミョウジさんのお知り合い?」
「お知り合いというか……」
「めっちゃこっち向かってきてるけど、」
「…………」
 男性はスーツ、女性もオフィスカジュアルというどちらかと言えばフォーマルな出立ちをした集団に、それとはまるで正反対のような男が向かってきていて周りは騒めいている。当たり前だ。こんな時間にそんな風貌をしたイレギュラーでしかないそんな男は普通に考えて恐怖の対象だろうから。
「なんだよ、お前結局宮城来てんじゃねえか。」
 予感がまるでなかった訳じゃなかった。
 普段から飲み会の度に九時には帰ってくるように言う彼が、今回は珍しくおとなしかった事に妙な違和感は元々あったのだ。というか九時って何?それは高校生の門限か何かでしょうか。
 月に何度か定期的に開催されている会社の飲み会の度に私のスマートフォンはぴこぴことよく通知を鳴らす。彼曰く私の生存確認という事らしいのだが、そんな分単位で生存確認をしてくれなくとも日本は今の所平和です。
 ここ最近飲み会に集中しきれないのもあり、強い彼からの圧力に屈して一次会で帰っていた事もあって今日は気が緩んでいたのもまた事実だ。完全にその隙を突かれる形で突撃で彼はやってきた。
「どこ行くつもり?」
「えっと……三次会行こうかなとか思ったり?」
「今何時か知ってる?」
「……まだ寝るには少し早い時間ですね。」
「出歩くには遅い時間でもあるけど?」
 しっかりと私の腕を掴んでいるので、最早それは選択権の有無を問われている訳ではないことは分かっている。悲しいかな、酔いというものは簡単に覚めるものらしい。どの角度から見ても鍛え上げられまくっている彼に力で勝負を挑む事は体力の無駄遣いでしかない。
「ミョウジさん……もしかして、」
 周りからの視線が突き刺さるように私に集中しているのが分かる。視線が痛いってどういう事かと思ってたけど、これは確かに痛い。人生でこんなにも視線を集めて注目の的になったことはないかもしれない。
「こいつプロの宮城だぞ?」
「……宮城ってあのバスケ選手の?」
「そ〜そ〜、んでついでにこいつの彼氏。」
「ついでじゃねえし!」
「彼女に対して煩え男なんだわ、悪いな。」
「……なんでアンタが言うの?」
 しっかりと日本でも存在を認知されている有名人である彼は、他己紹介された事によって色々と状況が変わったのかサングラスを取っ払ってバツが悪そうに本当はふわふわと猫のように柔らかい髪を触りながらぺこりと頭を下げている。
「……いつもナマエがお世話になってます。」
「おう、世話してるぞ。」
「だからアンタは世話すんな絶対にすんな!」
「あ?」
 いかつすぎる風貌で現れたかと思えば、急にコントが始まる。時刻は二十三時になる少し前、明日の私は胃もたれする事がこの時点でほとんど確定している。この数分でのカロリー摂取が多すぎる。消化不良だ。
「リョータもう帰るから、ね?もう行こ?」
「え?…あ、うん、」
 流石にこんな状況で三次会に出ようという気持ちはない。寧ろ早く帰らせて欲しい。月曜日に会社での話題を全て掻っ攫うという事実は多分覆すことができないだろうから。せめて今だけでもそれから解放されたい。
「じゃあな〜?」
 何故か少し先から三井さんの声が聞こえてきて振り返ると、主のいないジープに乗り込んで窓から顔を出しながらこの場にいる人間に手を振っているではないか。
 彼女の会社の飲み会帰りに突撃でやってくるリョータもどうかしているけれど、この三井寿という男も大概どうかしている……知ってたけど。三次会を主催した張本人のように思えた彼は、ジープの後部座席で当たり前のように手を振っている。
「ちょっと!」
「ん?なんだよ。」
「ん?じゃないんだわ、何で乗ってんスか?」
「そりゃ楽だからだろ。」
「アンタのタクシーじゃねえんだよこの車。」
「そうか?」
「そうなの!」
 結局なんと言ったところで降りる気配のない三井さんに観念したのか、リョータはあからさまにイラっと効果音がつきそうな程の怒りを抱えたまま運転席へと乗り込んだ。シートベルトをつけて、ミラーを合わせる。
「何でど真ん中座ってんの?」
「あ?普通そうだろ。」
 ミラーにはしっかりと三井さんがほぼ一面に映り込んでいる。これで後ろが見えずに事故を起こしたら彼を訴訟してもいいだろうか。運転するのは私じゃないけれど普通に邪魔でしかない。
「まだ死にたくないならどっちかに寄ってって。」
 やれやれと言った様子で三井さんは後部座席の右側に寄って、そして窓の先を眺めるようにして肘をついている。本当に黙っていたら絵に描いたような様になる人なんだけれど。
「ん、」
「ん?」
「手ここ置いてよ。」
「いやあのさ……」
「いいから早く!」
 置いてと言いつつ、結局私の行動を待つ事なく彼の左手が私の右手を迎えにくる。真ん中に手を持ってくると、当然のように指の隙間を埋めるように手を奪い取られた。車に乗る時はいつもこれがデフォルトではあるものの、一応仮にも会社の先輩がいる時までやって頂かなくても結構ですが。
「んじゃ、皆さんも気をつけて。」
「じゃあな〜飲みすぎんなよ?」
「アンタが言うな!」
 リョータは運転席の窓を開けてぺこりと私の職場の人間に一礼して、世間体のためにそれっぽい言葉を紡いだ。結局その後すぐにコントが再開されていたので台無しだ。本当に事故を起こさず家まで無事帰れるだろうか、不安になってきた。
 左手で私の手を握りしめながら、器用に右手をくるくる回しながらハンドルを切って車は進んでいく。
 私はチラチラと気づかれないように彼の機嫌を伺っている訳だけれど、どうやらそんな視線一つすらリョータには気に食わないらしい。一体いつからこんなに感情をストレートに表現する人になったのだろうか。
「俺が日本に居ない間こんな事頻繁にしてたんだ?」
「……こんな事って社会人としての勤めじゃん。」
「めちゃくちゃ男沢山居たけど。」
「そりゃ会社なのでね……男の人くらいいますよ。」
 リョータとは高校時代からの付き合いだ。知り合ってからも付き合ってからも随分長い。その大半を遠距離で過ごしていたという事実が一定彼の独占欲を掻き立てる要因になったとて、それがあまりにも著しくて正直驚いている。
 何度か一時帰国したり、私がアメリカに遊びに行った時には気づかなかった。久しぶりに会うからスキンシップが少し過剰なのかもしれないと思ったくらいで、こうして一緒に住むようになっても継続されるとは夢にも思わない。
 高校時代のリョータは中々自分の感情をストレートにぶつける事の出来ない少年で、けれど分かりやすくそういう時は口を尖らせる可愛い癖を持っていたけれど、今隣で運転をするのは可愛い要素をまるで持たない“雄”全開の成人男性しか見当たらない。
 胸筋にシートベルトまで食い込ませて……どう過ごしていたらそんなに筋肉が発育するのですか?
「なんだ〜嫉妬か〜?ミニクイゾ〜。」
「アンタはマジで黙ってろ。」
 そもそも私の職場に三井さんがいる事自体とても気に食わないらしい。就職活動の時に中々どこからも内定が出ずに苦労していた時に助け舟を出してくれたのが三井さんだ。こんなんだけど結構恩人だったりするので無碍には出来ない。
「遠征先確か遠かったよね?」
「練習終わってんのにもう一泊とか意味ないから帰ってきた。」
「……チームで動いてるんだしよくないでしょ。」
「は?ナマエは一分一秒でも長く一緒にいたくないの?」
「あのさあ……一緒に住んでませんでしたっけ?」
「それとこれとは別。」
 筋肉と拗らせを肥大させてアメリカから帰ってきたリョータは愛情表現が驚く程過剰だ。自分が名も顔も知れた有名人であることをまるで気にすることなく、外でも手を繋ぐのはもちろんピッタリと肩を寄せるように密着して歩く。
 ごく稀に休日が重なって出かけるとそんな感じだ。この間は横浜中華街で食べ歩きをしていた時にあまりの美味しさに「美味しい!」と自然と溢れた満面の笑みを見たリョータにキスをされた訳だけれど……所構わず自分の感情で行動するのは本当にやめて欲しい。
「他の男と一緒にいられるの普通に嫌なんだけど。」
「……仕事が出来ないね?」
「あと後ろに座ってる人どうにかなんねえの?」
「まあ一応あれでも私の恩人ですから……」
 車が走り始めて三分も経っていないが、三井さんの声が聞こえない。リョータの言葉に反応しそうなものだけどどうしたものだろうか。ミラーを覗き込んでみると、既に健やかな顔をしてすうすうと眠っているようだ。随分とお気楽な人だ。
「俺三日も遠征でてたんだけど?」
「うん、そうだね。」
「……平気なの?」
「平気って……何年遠距離してたと思ってるの?」
「だからでしょ?」
 何を言っているのだろうか。私の右手を握っているリョータの左手がギュッと更なる力を加えて絡みついてくる。すり寄せるようしたかと思えば、指と指の隙間をなぞる様に触っている。こんなゴツい車を運転するゴツいネックレスをつけた上半身バキバキのゴツい男が、まさかこんな子供のように可愛いことをしているとはきっと誰も思うまい。
「何年我慢して生きてきたと思ってんだよ?」
「だから一緒にいるし一緒に住んでるじゃん。」
「……足りる事なんて一生ないから。」
 ならばどうすればリョータの気は治るのだろうか。彼の要求と要望を飲んでいたら少なくとも私は仕事は愚かコンビニやスーパーに行く事すらままならない事に成りかねない。独占欲の塊を人の形にしたようなものだ。
「全然足りない。」
「………」
 ほとんどは駄々を捏ねているただの少年のくせに、時々こうして私が驚いてしまうほど色気を張り付けた顔でこちらを見てくるものだから思わず息を呑んでしまう。
 高校を卒業してからすぐにアメリカへと渡ったリョータと私は、ずっと長く恋人の関係を続けてきたけれど一緒に大人になったのかと言えばそうじゃない。年に数回しか会えないし、時差の関係もあって頻繁に電話ができる訳でもない。
 とてもとても長く付き合っているのに、大人になったリョータの一面は私の知らない事も多い。女顔負けの色気を漂わせたこのかんばせも、その一つだ。何年付き合っても心拍数が上がる時は上がるものらしい。
「足りなくて死にそう。」
 一度チラっとミラーを確認するように動かしたリョータの視線がこちらへと向いた。多分彼も三井さんがしっかりと夢の世界へと旅立っている事を確認したのだろうと思う。
 時速四十キロで進んでいる車は、少し先で黄色信号が点ってスピードを落としていく。赤信号によって止まった信号待ちでサイドブレーキを引いたリョータは、そのまま流れるように私の首筋へと腕をかけて自分の方へと引き寄せるように唇を重ねた。
「……俺も飲みたくなってきた。」
「ばか。」
 私の舌にしっかりと残っているアルコールを絡めとるように、もう一度リョータの唇が降りてくる。信号が変わるまではあとどれくらいの時間があるのだろうか。一瞬で青になりそうな名残惜しさがあって、私も身を乗り出すように彼の首筋へと手を回してより交わりを深くした。
 存外、まだ私の酔いも抜けきっていないのかもしれない。



二十三時、車内にて
( 2023’06’25 )