午後、三時。おやつの時間になると、彼は現れる。
 午前十時にシャッターを開けるものの、客は来ない。それは何も今日に限ったことではなく、ここ数年続いている日常である。私は煙草屋を営んでいる。歳はもうすぐで二十。両親は、三年前に死んだ。殺された、という表現の方が正しいだろうか。そう、私は-みなしご-だ。
 三時一分、彼はふらふらとしながら私の前に現れた。私が声をかける訳でもなく、彼から声をかけてくる訳でもなく、彼は慣れた手つきで小銭を数枚ジャラリと投げるように並べた。
 何をすべきなのかは、分かっていた。彼が煙草屋に来て小銭を出したのなら、私がすべきことはたった一つだ。彼の愛煙している煙草を、その小銭と引き換えに渡すだけだ。彼は此処に煙草を買いに来ている。用事は、それ以外に他ないのだ。なんとなく、意地悪をしてみたくなったのだ。
「おい。早くマヨボロ出さねえか。」
「何しに来たのかと思いまして。」
「煙草屋に来てんだ。煙草買う以外に他ねえだろうが。」
 想像通りの彼の言葉に、私は少しムっとしながらも、仕方なくマヨボロを棚の奥から取り出して、彼に手渡した。店を開けていても彼以外に客はなく、おかげで私の店は、煙草屋と名乗っていながらも置いている煙草は一種類。彼の愛煙している、マヨボロだけだ。
「火、貸してくれ。」
 店の小脇にある喫煙スペースで、彼はいつものように煙草を吸い始めた。本当は立派なジッポライターを持っているくせに、あえて私に火を求めてくる。彼は上手いことバレていないと思っているかもしれないが、私には分かっていた。それが、彼の優しさであるのだと。
「あの立派なジッポライターどうしたんですか。」
「忘れたんだよ。」
「毎日忘れてくるなんて、土方さんってば結構頭イってる。」
「殺されたいか。」
「新選組がそんな事言っていいんですか。」
 火を借りることで、私に話すきっかけを与えてくれているのだと、分かっていた。本当は胸の内ポケットに、立派なジッポライターが挟まっているのを知っていながらも、私も気づいていないふりをしながら話を続ける。局長に付き合って一度行った花街で女からもらったというそのジッポライターを、彼は私に気遣ってあえて見せないようにしていた。
「どうだ。今日は商売繁盛してんのか。」
「それ、嫌味以外の何でもないですね。」
「マヨボロ好きがごっそり買っていくかもしれねえだろ。」
「そんなもの好き土方さんくらいしかいませんよ。」
 彼がこんな廃れた煙草屋に顔を出すようになって、もう三年が経つ。フラっと現れては、フラっと立ち去っていく。一言、二言、愛の篭った皮肉を投げかけるくらいで、特に何があるという訳ではない。それが、欠かされる事なく三年間、毎日続いているというだけの話だ。
「土方さんも、本当にもの好きですよね。」
「マヨボロしか置いてねえ煙草屋の店主には敵わねえよ。」
「だったらこんな廃れた所じゃなくてコンビニいけばいいのに。」
「騒がしいのは御免だ。ここは騒がしさの欠片もないしな。」
「どうせ繁盛してませんよ。」
 土方十四郎というもの好きがいなければ、こんな廃れた煙草屋はとっくに潰れているのだ。彼がコンビニや自販機に頼らず、ここで煙草を買ってくれているからこそ、私の店はギリギリ存在している。他の隊員の分、と時折馬鹿みたいにまとめ買いをしていくけれど、たまたま通りがかった隊員の話では、土方の部屋には未開封のマヨボロの箱が山のようになっているのだと聞いたことがある。どこまで私に優しくすれば、この男は気が済むのだろうか。
「ねえ土方さん。私ね、お店閉めようと思ってます。」
「経営不振なら今に始まった事じゃねえだろ。」
「そうじゃない。そうじゃないんです。そんな事じゃなくて。」
 二十の誕生日を迎えたら、この店を閉じようと、そう決めたのだ。確かに彼の言うとおり経営は破綻していたけれど、毎日毎日煙草を買いに来てくれる彼がいたから食いっぱぐれる事はなかった。
「今日でこのお店はおしまい。今日いっぱいで閉店です。」
 彼は言葉を失ったように、何も言わなかった。引き止める言葉を待っている訳でもなく、私もそれ以上は何も言わなかった。彼は未だ何も話そうとはしなかったけれど、新しい煙草に火をつけた。私が店を閉じると言ったことに余程驚いたのか、胸元のポケットからジッポライターを取り出して、火をつけていた。
「理由、知りたくないんですか。」
「知ってどうなる。」
「冷たいなあ。馴染みの店がなくなったら、土方さんだって寂しいでしょ?私は、寂しいですよ。土方さんに会う口実、なくなるし。」
 彼は当然のように、だったら辞めなきゃいいだろ、そう言った。けれど、私が欲しかったのは、そんな言葉ではなかった。そして、きっと、私がそんな言葉が欲しかった訳ではないと、彼も知っているのだ。だから彼はずるい。三年前、この店に来るようになったその日から、ずっと。
 三年前、私は煙草屋を営む両親の元、決して裕福とは言えないけれど細々とそれなりに生活していた。そんな中、両親が突然殺された。私の知らない間に、両親は薬の密売をしていたのだ。そうする事でしか生活が出来ないからという、苦肉の策だった。しかし、いくら生活の為とはいえ、良心が痛み取引から手を引くと申し出て、殺されてしまった。新選組が到着する前に、母と父は無残な形で死んでいった。その負い目こそが、彼がここに毎日通うたった一つの理由だ。
「土方さんが此処に来てるの、私に会うためでも煙草買う為でもないから。」
「何の話だ。」
「私に会う為に来てくれてるんだったらよかったのになあ。」
「現に会いに来てんだろ。わざわざ出向いて、毎日来てんだろ。」
「それは私に会いに来てるんじゃない。私に負い目を感じてるだけ。」
 両親の事など、もうどうでもよかった。死んだ者は生き返らない。昔の楽しかった思い出だけで、今は十分だ。けれど、彼は違う。私は、それを口実にすることでしか彼に会うことが出来ないのだと思うと、やってられなかった。純粋に私に会いに来て欲しい、いつしかそんな事ばかりを考えるようになっていた。
「優しすぎるのも罪ですよ、土方さん。」
 罪滅ぼしの為に毎日買ってくれた煙草も、私の恋心に気遣ってあえてジッポライターを使わないでいてくれた事も、どうしようもない皮肉も、全部が全部、優しすぎて私には残酷だった。彼の優しさが堪らなく私を夢中にさせておきながら、一番に私を苦しめた。
「俺をニコチン中毒で殺す気か。」
「煙草なんてどこにでも売ってるじゃないですか。知らないの?」
「生憎俺はここ以外の煙草屋は知らないんでね。」
 そう言って、まるで私の言葉なんて聞いてはいなかったように、何事もなく火種を消して、彼は屯所の方角へと足を進めていく。私がなんて言えばいいのか考えていると、そんな雑念を払うような、彼の低く重い声が私の鼓膜に届いた。
「俺にニコチン中毒で死なれたくねえなら明日も開けておけ。」
 そんな事言われたら、私がどうするかなんて分かりきっている癖に。やっぱり、彼はずるい。

( 2013/03/14 )