夏はアイスが美味しい季節で、それ以外にメリットのない季節でもある。
 年々夏が暑くなっているような気がしてならないが、今年は格別に蝉の声が耳につく。夏の風物詩と言えば聞こえはいいが、実際の所あまりそれを歓迎する人はいない。集中力を遮るその独特な鳴き声は不思議なもので、より夏が暑いものだと声を大にして言っているような気さえして正直腹立たしい。
「……ていう事があったんだけどさ。」
「あ〜、うん……」
「堀田くんはどう思う?」
「そこ俺の意見いる?」
 不思議な光景で、そして違和感しかない光景だろうとも思う。
 百八十四センチある三っちゃんよりもまだ更に体の大きい堀田くんと、私はアイスを半分こにしながら校舎の木陰で話をしている。その内容は、一般的にアイスを食べながらするような愉快な話ではない。ちなみにアイスは三っちゃんから貰ったものだ。
「……さんは、」
「この間まで呼び捨てだったのに急に?」
「だってさ、そりゃ三っちゃんの……」
「三っちゃんってそんなに怖いの?」
「いや怖いっていうか、」
 堀田くんの会話はとても歯切れが悪く、要領を得ない。詰まるところ、私が欲しい言葉じゃないという事だ。なんて我が儘な女なのか、私自身もそう思う。けれど誰かに聞いてもらわない限り、私のこのイライラも収まらない。
 悪いけれど堀田くんにはその捌け口になってもらっている、そういう状況だ。全てを夏のせいと自分を誤魔化せる程私は寛容じゃない。
「だってさ、一年生の子にも宮城くんにもボコボコにされてたし堀田くんの方が普通に喧嘩強いでしょ?」
 私の怒りの矛先はこのアイス私にくれた彼に向いているもので、しかし憎しみがあったとてアイスの味は変わらない。言いたい事をおおかた言い切った私はチュウチュウと中身のアイスを吸い上げる。暑い夏にはこれが一番美味しい。
「あのさ……そういうのは聞かないでくれる?」
「なんで。」
「答えに困るの分かるだろ……」
 一方で堀田くんはまるで味がしないような、そんな絶望的な顔をしながら既に液状化が始まっているアイスを私の様子を伺いながらようやく吸い上げた。
「だって普通に三っちゃんが悪くない?」
「ま、まあ、落ち着けって……」
 歯切れの悪いまま何の解決も齎さないこの生産性のない会話。それにもまた腹が立っている訳だけど、堀田くんもいい迷惑だろう。三っちゃんの事で怒りをぶつけられても堀田くんにどうする事も出来ないのは最初から分かってる。
「なんで三っちゃんも分かんないかな?」
「三っちゃん真っ直ぐだから仕方ないんじゃ……」
「彼女いるなら普通もっと警戒しても良くない?」
「だから落ち着けって……」
 三っちゃんとよりを戻してからちょうど三ヶ月ほどが経過して、私たちの関係も徐々に皆の知るところになった。学校にすらまともに顔を出していなかった三っちゃんは、バスケ部に復帰してから急に知名度を上げて一気にクラスの人気者だ。
 でもそれは想定していた範囲内の事で、武石中出身の私は今以上に三っちゃんが鬼のようにモテていた事実を知っている。
 それに人間は、特に女子はギャップに弱い生き物だ。学校にろくに顔も出さず得体の知れなかったロン毛が、髪を切って学校にくるだけで簡単に見え方は変わる。それに加えて男らしい端正な顔立ち、抜群のスタイル、おまけに復帰早々三ポイントの名選手と来たらそれはモテる。
「でもがそんなに怒ってるのはさ、」
「……なに、」
「三っちゃんの事すごい好きだからだろ?」
 堀田くんに何を言われるかなんて概ね想像も見当もついていたのに、その言葉はあまりにも想定外で思わずアイスをぽとりとアスファルトの上に落として唖然としてしまった。突然守りから攻めに転じるのはやめて欲しい。
「……今してる話と関係なくない?」
「ないっちゃないけどあるっちゃあるっていうか……」
「ないなら話さないでくれます?」
「ご、ごめんって。」
 今日は珍しく部活がないと言う三っちゃんと一緒に帰る約束をしていたのが全ての発端だった。本来であれば今頃私は三っちゃんと帰路についていた頃だろう。しかし実際はどうだろうか?隣にいるのは彼ではなく、彼の友人の大男だ。大男は案外気が弱いらしい。
「三っちゃんなりの誠意っていうか……の事大事に思ってるからこそって気がするんだけどな。」
 私が三っちゃんの彼女である事がしっかり浸透したこの今の状況で、ついさっきそれは私の目の前で起きた。相談に乗って欲しいんだけど、そんな言葉を添えてだ。
 そもそも考えてみて欲しいものだが、実質二年近く学校に来ていなかった元不良という悪い太鼓判のついている彼に一体なんの相談があるのだろうか。逆に相談できる事なんてないと思うのだけれど。
「どうだか、三っちゃん頭空っぽだからな。」
「それは流石に言い過ぎだろ。」
「……バスケの事以外はね。」
 これから帰ろうと私が鞄に教科書を詰め込んでいた頃、茹だるような暑さに負けた三っちゃんは購買でアイスを買って教室に戻ってきた。そして、すぐにその光景が広がったという流れだ。
 相談女という類の女がいることを三っちゃんはまず知らないだろう。逆に知ってたらびっくりする。相談があると異性に声をかけ、次第に親密な関係を気づいていく手口を得意としている女を世間ではそう呼ぶらしい。まさしくその典型的なパターンだ。
「なんで私堀田くんとアイス食べてるのかな。」
「俺にあたっといてそれはあんまりじゃ…」
「それはそう。ごめん。」
「いやそれは全然……三っちゃんの彼女だし。」
「不良は義理堅いねえ。」
 どうしてそんなに堀田くんが三っちゃんに入れ込んでいるのは正直よく分からないけど、きっと彼の存在も三っちゃんには必要だったんだろうと思う。堀田くんの言葉がなければきっとバスケ部には戻っていなかっただろうから。
「あ?なんで徳男と一緒にいんだ、お前。」
「浮気。」
「え、何言ってんの?」
「はあ?浮気だあ?」
 “ご相談”の用事を終えたのか、三っちゃんが後ろから私たちを見つけて木陰に入ってくる。怒ってはいるので、適当な事を言ってとりあえず様子を見てみる。多分今日の堀田くんの占いは最下位だったに違いない。踏んだり蹴ったりとはこういう事だ。
「で、“相談”は終わったんですか?」
「あ〜なんか男に付き纏われて困ってるから助けてほしいって言われて、そういう相談なら力になれないって、」
「だから言ったじゃん!そういう手法なんだって。」
「相談したいってんだからまずは聞くだろ普通。」
 いい意味でも悪い意味でも三っちゃんはどこまでもひたすら真っ直ぐで、相手の言葉に疑いを持たないところがある。自分の彼氏なのに、何故かモテる事を認めたくない(鼻が高くない訳ではない)私はよりを戻してからもどこか落ち着かない。思えば、中学の時からそうだった。
「好きだから近寄ろうとしてるの見え見えじゃん。」
「だったら逆に簡単じゃねえか。」
「は?」
「俺お前の彼氏やめるつもりないし。」
 時々こうして真面目な顔をして恥ずかしい事をしれっと言ったりするので心臓に悪い。当たり前の事と言えばそれまでだけど、結局三っちゃんのこういうところに私は滅法弱い。
「逆にそんなんで気がわりする訳ないだろ?じゃなきゃ相談なんて聞かねえよ。」
 トドメを指すように追撃されて言葉が出なくて、面と向かってそんな事を言われるだけでも心臓が持ちそうにない。そこに加えて隣には私と三っちゃんを交互に見ている堀田くんの存在。体が大きい分、チラチラと視界に入ってとても気が散る。申し訳ないけれど。
「だからお前も徳男はやめとけ。」
「……うん、分かった。」
「じゃあ帰ろうぜ、帰り途中アイス買うか。」
 結局今も昔も私は終始三っちゃんには敵わない。バスケの事以外頭が空っぽと思いつつも、いつも私を安心させるだけの材料をしっかりと与えてくれる道筋は見えているからだ。一度自分の手を離れたからこそ、三っちゃんの存在の大きさが今はよりリアルに感じられる。
「こういうの俺がいないとこでやってくれない?」
 堀田くんも三っちゃんとの長い付き合いでどんな言葉が返ってくるかなんて想像できていた筈なのに……不良といっても色んなパターンの人間がいるらしい。その不憫さに、三っちゃんを超える大きな体が少しだけ小さく見えた気がした。
 校門を出て少ししたところで差し出された三っちゃんの大きな手のひらを握り返すと、甘え下手な私に代わって頭上に控えめな感触と音が響いていた。



39℃の鳴き声
( 2023’08’03 )