まぐわいを終えた後の彼は、いつだって優しかった。もちろん普段が優しくない訳ではないけれど、普段以上に彼は優しい。男を彼しか知らないほど私もうぶではないけれど、終わった後の二人の空気感をここまで大切にする男は、私の記憶の限りでは迅以外にいない。 「迅さんってさ。」 「ん、なに。」 終わった後に、女が甘えたい気持ちをよく理解して、そして私がそうしやすいように環境を創り上げる。ゆっくりと私の髪を掻き上げて、優しく毛の流れに沿って撫でてくれるのがとても心地よくて、私はそのまま身を委ねる。抱かれ終わっても尚、抱かれていると錯覚するような高揚感があるのだから不思議でならない。そんな彼の好意に私は存分に甘えきっていて、ここぞとばかりにこの時だけは迅を独り占めにする。 「…やっぱ、なんでもない。」 「なんだよ、出し惜しみ?」 「男なんだよなあと思って。普通このタイミング、賢者ってるでしょ。」 「はは、ムードのない質問だな。」 我ながらその通りだと呆れる。言っていることと、やっている事は整合性が取れていない。私はこんな事を聞きながらも、独占欲を丸出しにしながら迅の首筋に腕を絡めて目一杯存在感を醸し出す。それに応えるよう、彼の左手が私を抱き寄せるように忍んでくる。 「そりゃあ俺だって男だし、なんなら今絶賛賢者。」 「え、そうなの?全然見えない。」 「甘えたい盛りのを甘やかす使命があるからね。」 私たちの関係を表現するのは少し難しい。セフレというにはセックスに寄りすぎた関係という訳でもないし、もちろん恋人という訳でもない。精神的な部分では恋人に近い関係性なのかもしれないけれど、別に付き合っている訳でもない。セフレ以上恋人未満と言えば聞こえはまだ良いのかもしれないが、セフレ以上ってどういう事だろうと考えると、結局それはただのセフレと同じだと気づいて、少し落ち込む。 迅が私を抱くタイミングは、いつも決まって私が弱っている時だ。精神的に落ちているタイミングで、彼は私を抱きにやってくる。 最初の内はそんな規則性にも気付きもしないで、もしかしたら私は彼の彼女にしてもらえるのではないかと浅はかな事を考えたりもしたけれど、何回か抱かれている内にその規則性に気がついて、そしてそんな淡い期待を持たなくなった。結局、私が弱っているのをこの男はその“目“で見ているのだろう。なんて哀れな、私。 迅は人より抱えているものが多い分、あまり物事を明言しない節がある。自分自身の言葉一つで、相手の人生を変えてしまう可能性があるからだろうと思う。全てぼかした状態で、柔らかくして確約はくれない。 「迅さん、お願いあるんだけど。」 「なんだろう。ドキドキするするな、その言い方。」 「見えてるくせに、白々しい。」 「辛辣だな。俺だって全てが見える訳じゃない。」 望めば彼女にしてくれるのかもしれない。口に出して言ってみた事はないし、望みが皆無という訳ではないと思う。彼が私を抱くその理由が一種の慈善活動だったとしても、心底嫌いな女を態々抱く事もないだろう。それでは迅にとってのメリットは微塵にもない。嫌われていないのは、きっと事実だ。 けれどそれは同時に、私の気持ちになんとなく気づきながらも彼女にしてくれない理由でもあるのだ。手だけは出しておきながらなんと狡い男だろうか。彼にこの瞬間だけは一時的に癒やされる私ではあるけれど、よくよく考えればこの男こそがその元凶でなんとむごい事をするのだろうかと憎らしくもあるのだから複雑だ。 「ずっと傍にいてなんて言わない。だから、私が目を覚ました時も隣にいて。」 「がどれくらい眠るかにもよるんじゃないか?」 「じゃあ同じ時間だけ迅さんも眠ってよ。たまにはゆっくりすればいいじゃん。」 目を覚ました時、隣にいて欲しいという小さな願いくらい聞いてくれればいいのに、決まって私が目覚める頃には迅の姿はない。これだけ何度も彼に抱かれながらも、一度たりともだ。私は迅が眠っているところに遭遇したことがない。一体いつ寝ているのか不思議に思うほどだ。私よりも後に眠り、そして先に起きているのか、はたまた私が眠りについてそのまま姿をくらましているのだろうか。いずれにしても、こちらとしてはただただ寂しい。 「相変わらずはこういう時存分にわがままだな。」 「そういうのは嫌い?」 「いや、むしろ好きかな。女の子はわがまま言う時が一番可愛い。」 まるで誰にでも言っていそうと取れるような言い方をするのも卑怯だと思う。あくまでも、私に確信的な希望を持たせないだけのメッセージがそこには込められているのだ。言葉の一つで、こんなにもメッセージ性が変わるのかと、そのメッセージを読み解けてしまう自分が悲しい。“女の子“を自分自身に転換できない私は、自分の勘の良さが憎らしく、そしてこの時ばかりは鈍感に憧れる。 「迅さんはペテン師みたいだね。」 「ペテン?酷い言い様だなそれ、心外心外。」 「質問には答えないし、ギリギリ嘘にならないような嘘をつくから。」 「それはの考えすぎだ。」 どこまで踏み込んでいいかをきちんと噛み砕いた上でしか行動もしなければ言葉にもしない、そんな迅の方がよっぽど私よりも考えすぎている。意識とは別に受動的に受信してしまうのだから、考えすぎて仕方がないのだとはわかりつつも、自分がその領域に踏み込めない事が酷く悲しかった。 彼にそんな能力がなければ、私は彼女になれないまでも今よりも苦しくない立ち位置にいれたのだろうか。そう考えても見たけれど、そんな彼の能力がなければそもそも始まってもないだろう。私の認識がずれていなければ、きっと彼が私を抱くのは慈善活動の一つに過ぎないからだ。そこに愛情はあっても、愛はない。愛情があるから私を抱くけれど、それは愛じゃない。 結局私の細やかなお願いに対しても、彼はオーケーともノーとも明言しない。私でなければ気づかない程度の自然さで、話題をすり替えていくのだ。いつだって明確な答えを私に握らせてはくれない。そんなやり取りを心底楽しんでいるような悪い男であれば、簡単に嫌いになれるのに迅は狡い。 「俺だって人間だし、普通に年頃の男だよ。感情や意思くらいあるさ。」 突き放したと思えば、曖昧にぼかしながらもすぐに引き寄せる。それが彼の本心でもあって、悪意はないと分かっているからこそ私も次の言葉に少し閊える。迅なりの優しさを表現するには、こうするしか無いのだろうと思う。 「なら撤回して、狡い男っていう肩書きに変更するよ。」 「大して変わんないな、その肩書き。」 「肩書きが気に入らないなら狡い男卒業できるように善処してください。」 「俺十分優しい男じゃない?なんなら、超がつく。」 「自分で言っちゃうあたり、もう既に違うでしょ。」 この視線が、今だけは私に向いている事は分かっているし、セフレとは言えど彼が他の女と同時進行をしているとも思わない。それなりに私は大切にされている筈だ。それが私の読み違いでなければのはなしだが、迅は自分の欲を満たすために私を抱いている訳ではないからだ。あくまでも私を気遣ってなのだから、それだけの愛情を私に持ってくれているという意味だと都合の良いように考えてみる。 「私が起きた時、迅さんいたらすぐに肩書変えるよ。」 彼のその愛情が恋愛へと方向性を変えないのは私の魅力不足か、或いは彼自身の問題で私の問題ではないのか。そもそも人の潜在的な部分を自分の意思とは関係なく触れてしまう彼の気苦労を考えたら、後者も全くのあり得ない話ではないだろう。だとすれば、私はどうすればこの得体のしれた感情を弄ばずに済むのだろうか。 多分、その答えは迅だけが知っていて、そして一生私が知ることはないのだろう。 「こういう時、潮らしくする事を俺はおすすめする。」 都合の悪い言葉を紡ぐ私を強制的に黙らせるキスに悔しながらも負けたと思ってしまう私は、自分の欲にさえも打ち負けて、質問に対する答えをくれない彼の返事を問いただす事なく再び恋へと溺れていく。 「迅さん、強引。」 「そういうのは、嫌いか?」 私たちは結末の見えきったゲームをしているのかもしれない。これはセフレというよりも、恋人ごっこという方が相応しいだろう。どの未来に転んでも、私たちがごっこ遊びではなく本当の恋人になることはきっとない。 「…寧ろ好き、かな。」 次に私が目覚めた時に迅の姿は間違いなく消えているだろう。それもその筈だ、私のお願いに対しての回答は未だ得ることはできず、賢者を終えた都合の良い彼にきっと私はもう一度抱かれるのだから。 きっと地獄一丁目に行っても、私は迅の彼女にはなれない。
憧れの地獄一丁目 |