私にとって、一番になること、それは最終的な目的ではなかった。一番になろうと思えば、その可能性だって無に等しいという訳ではなかった。けれど私はあえて、一番になろうと手を伸ばす事はしない。今のこのポジションに、いつしか甘んじていたのだ。私は彼の幼馴染の一人で十分だった。



 十年前のあの夏、めんまが死んだ。それは十年経った今尚、私達の中では大きな出来ごととして心の片隅に生き続けている。めんまの存在は大きく、私なんかでは決して補えるものではない程に超平和バスターズには必要な存在だった。けれど、彼女はあの夏に、逝ってしまった。彼女の死に、新たな傷が生まれ、皆苦しんだ。めんまが居ない事によって、自分が仁太の一番になれるかもしれないと微かな喜びを見出した自分に苦しむアナルに、幼心ながらも恋をした初恋の相手を忘れられずに引きずっているゆきあつと、皆多かれ少なかれ、その事での傷を持っていた。
「仁太。いるんでしょ?」
 私が仁太に抱く感情は、アナルが彼に抱く感情と同じで、そして、つるこがゆきあつを想う感情と似ている。私は、アナルのように、仁太にとっての一番でありたいとは思わなかった。
「…別に毎日毎日来なくていいって。面倒だろうし。」
「アンタ私に会わなきゃ、一日中おじさん以外と会わないじゃん。そういうの引きこもりって言うんだよ。」
「そこまでハッキリとよく言ったもんだな。」
 ただの引きこもりにそこまでする事はないと思いながらも、私の足は毎日違う事無く仁太の家の方角へと、向かっていく。適当に見つくろったプリントを数枚差し出し、「それじゃあ。明日は学校きなよ。」そう捨て台詞を吐いてガラガラと戸を閉める。毎日変わらない風景だ。
 私にはそれだけで十分だったのだ。別に今更思いを伝えたい訳でもなく、ましてや付き合いたいと思う訳でもなく、ただ単に、今の関係を継続出来ればそれでよかった。彼が引きこもり、外の世界との交流を遮断しているのは私にとって不謹慎ながらも喜ばしい事だったのかもしれない。彼がその状態でいる限りは、私が彼に会いに行く口実が出来るからだ。毎日毎日違う事無く吐く捨て台詞に、大した意味なんてなかった。
「あと、その髪、そろそろ切れば?」
 珍しく付けたした言葉に、仁太が確かめるように髪を触る。そんなどうでもいい動作が、無性にうれしかった。そして痛感したのだ。やはり私は、彼の一番でなくていいと。一番である必要は、どこにもなかった。今のこの状況が、私にとっての、一番の幸せだと思ったから。
「ほっといてくれ。」
 そう言いながらも、肩まで伸びた髪を気にするように触っている彼を見ているだけで、なんだか可笑しい程に私は満足してしまっていた。



 最後に仁太に会ってから、一週間ほどが経っていた。毎日通っていた道とは違う方向へと進んでいく私の足取りは重い。テスト週間という事もあり、私は気乗りしないまま、自宅の勉強机に向かっていた。
 何かいい憂さ晴らしでもないだろうかと、携帯に手を伸ばしたのとほぼ同時にバイブが手のひらで振動していた。ディスプレイに表示されていた名前に、一度は放置しようと思ったけれど、本当に勉強以外の何かで気を紛らわせたいと思っていた私には通話ボタンを押す事しか出来なかった。
「…鳴子。どうかした?」
『何処捜しても古文のプリントが一枚だけないの。アンタなら、持ってるでしょ?』
「人に物を頼む態度の割には随分と上からなんですね。」
『もう!ほんとマジで頼むってば!次赤点でも取ったら家居られなくなる。』
 鳴子の言葉に、私は適当に返事をしながら、彼女の欲しがるプリントの一枚をファイルから取りだした。どうしても今すぐ欲しいのだとせがんでくる鳴子に、仕方なく私達は互いの家から見て丁度中間地点にあたるコンビニで待ち合わせをする事になった。
 家を出ると、もう既に外は暗い。プリントを渡すだけだからと、特別化粧もしなければ、部屋着のままの、本当に田舎くささ丸出しの格好のままの私は、着実に目的地へと進んでいく。
!」
 鳴子の声に、私は目的地が近い事を確認する。一度強い風が吹き荒れ、私の手元にあったプリントが離れていく。すぐに吹きやんだ風がまた吹かぬうちにと、私は車通りのあまりない車道へと、手を伸ばす。
 私には、その後の記憶がない。
 次に私の記憶が戻るまでに、一体どれだけの時間が過ぎさったのかは、いまいちよく分からない。久しぶりに目を覚ました私は、何故か家の中ではなく、仁太の家の前に居た。
「仁太。いるんでしょ?」
 取りあえず、いつものように仁太の部屋めがけて声をかけてみたけれど、今日は返事がない。仁太が家に居ないなんて、そんな事もあるのかと、少しばかり驚きながらも仕方なくその場を離れた。
 通り過ぎていくご近所さんに、軽く会釈をしてみたが、向こうはこちらを見向きもしない。いつも会えばお節介を焼いてくれていたのが嘘のように、まるで、私が見えていないかのような、そんな対応だった。不思議に思いながらも、私は取りあえず自分の家へと足を進めていく。自分の家の方角からは、黒い服に纏われた人々がこちらに向かってくる。その中には、鳴子と、そして、仁太の姿があった。
 急いで、家へと向かうと、喪服に身を包んでいる家族と、沢田青葉という私の名前の上に、故、と書かれた標識が聳え立っていた。どうやら私は、死んでしまっているらしい。



 死んでしまったのはいいとして、何故私は未だこの世にいるのだろうか。これは所謂、成仏が出来ていないという状況なのだろうか。私に未練なんて、ないはずなのに。
 私にとって、ついこの間まで当たり前にあったあの生活は、別にいつ無くなってもいいものだと思っていた。大して楽しい事もなく、どちらかと言えば叶わなく、理不尽な事ばかりの世の中に不満の方が多かったくらいだった。死ぬのは怖いけれど、その死を最早体現してしまった私にとって、怖いものは何もない。ならば何故、成仏できないのだろうか。それとも、死んだ人間は皆が皆こうも浮遊しているものなのだろうか。一度、ぐるりと辺りを見渡してみたが、それらしき現象はなく、私の脳裏からその考えが抜けだした。
「あれ??」
 久しく聞いていない、懐かしい声に振り返ると、そこには十年前に死んだめんまの姿があった。
「嗚呼、やっぱり私、死んじゃったんだ。」
 そう、改めて実感に至った。死んでしまった事への恐怖はなく、落ちつき放っている自分に対して逆に驚いた。十年前に死んだめんまが私の目に見えるという事は、確実にやはり私は死んだということなのだろう。
 めんまに会ったら話したかった事、沢山あった筈だった。けれど、今は、それが言葉としては出てこない。めんまもそんな私を見て、何も言わずに、見ているだけだった。
「ねえめんま、どうしてめんまは、成仏していないの?」
 ふいに口をついた言葉は、純粋な私の疑問だった。自分が何故成仏していないのか分からない私が尋ねるのも可笑しな話だけれど、めんまが成仏出来ていない理由が純粋に気になっていた。やはりそれは、現世にやり残したことがあったからなのだろうか。もしくは、あの日一緒にいて、その後も普通に生活してきた私達への恨みが、彼女を成仏させていないのだろうか。
「叶えたい事があったのに、それを叶えられなかった人はね、成仏できないんだよ。知ってた?」
「…じゃあめんまの願いって、一体なんだった?」
 私は恐る恐る尋ねてみる。めんまの口から、真実を聞くのが少し、怖かった。けれど今も尚、十年も経ってこの世に留まり続けるめんまが望む願いが一体何であるのかが、どうしても気になったのだ。
「めんまね、知ってたよ。」
 彼女の口から出る言葉が、私の核心をつくんじゃないかって。
がね、めんまに遠慮してじんたんを好きだっていう気持ち、抑え込もうとしてた事。」
 まさかそんな言葉が、めんまの口から出るとは夢にも思っていなかった。めんまは、気づいている筈がないと思っていたのだ。何処かふわふわとしていて、私が押し殺して表に出さないようにしていたその感情を、まさか彼女が知っているとは思いもしなかった。めんまが、そこまで感の鋭い子であるとは思っていなかったのだ。それとも、私の態度が、それを隠し切れていなかったのだろうか。
「めんまは、に我慢して欲しくなかった。めんまもじんたんが好きだけど、しかもそれはお嫁さんになりたい好きだけど、それでもに自分の気持ち抑えて欲しくなかった。」
 めんまが成仏できない理由に、私は何も言えなくなった。そして気づいた。本当はめんまのようになりたかった事、鳴子のように、もっと素直に一番になりたいと思えるようになりたかった事、一番になれなくていいなんて甘んじている自分に本当はどうしようもなく苛立っていた事、私は、心の奥底では、いつだって仁太の一番を望んでいた事を。
「だからね、。めんまのお願い、叶えて欲しいの。」



 私は、通い慣れた道をひた走る。いつだって片手にプリントを持っていた私は、何も持たずにその場に立ち止まった。彼の家に、何の口実もなく、素直な気持ちのまま訪れる事が出来たのは一体いつ以来の事だっただろうか。
「仁太。いるんでしょ?」
 聞こえる筈がないと思いながらも、私は、いつもよりも少し、声を張り上げて言葉を紡ぐ。駄目でもともとではあったが、バタバタと階段を急いで下って来る音を聞いて、私の鼓動が高鳴った。その鼓動に、自分の真の感情を改めて理解する。
「………。」
 めんま以外に誰も見えてはいなかった私に、彼は名を呼んでくれた。目を丸めて、仁太にしては珍しく、大きなリアクションで。
「お化けでも出たような顔だよ、それ。まあ、お化けには違いないんだけどね。」
 皮肉めいた顔で笑っても、仁太はいつものように、くすりとも笑わない。ただ、目の前にいる私を信じられないとでも言ったように、ただ立ちつくしていた。
「仁太。私ね、成仏しにきたんだ。」
 言って、ようやく私に恐怖が生まれた。死んだ所で恐怖どころか、落ちつき放っていた私が、成仏する事への恐怖をはじめて感じたのだ。自分の気持ちに嘘をつかない事、それがきっと私を成仏させる条件なのだろう。そして、同時に、めんまも。
「馬鹿か、お前。」
 立ちつくしてばかり居た仁太が、ようやく、一歩前へと動き出した。
「……お前まで居なくなってどうすんだよ。」
 私が待ち望んだ、私を必要としてくれるその言葉が、どうしようもなく心を暖かくさせた。
「居なくなんなよ、馬鹿野郎。」
 どうしようもない幸せに包まれた時、めんまが笑っているのを私は見た。徐々にそんなめんまの姿が薄く、消えていく様を見ながら、私も徐々に記憶を失っていった。



 成仏した筈だった私は、何故か再び光を見た。ぼんやりと霞む視界の中で、白い天井が徐々にはっきりと見えてきた。重い体を横たわらせると、今にも泣き出しそうな仁太の顔がそこにはあった。目を開いた私に驚いた仁太は立ちあがった。本当は傍に居てほしいのに、と、そんな本音を紡ぐ事すらままならない。体が、いうことを聞いてくれない。
 私の意志を汲み取ってくれたのか、はたまた今にも私が息途絶えそうだったのか、仁太は椅子に腰かけて、私の隣に居てくれた。私が心の底でいつだって占領したいと願っていた願望が、そこにはあったのだ。でも、もう、言葉は出ない。本当の事、言いたかったのに。
。」
 幼いころの仁太の声が響いた所で、私の意識は今度こそ本当に途絶え、暗闇へと意識を手放した。

( 20110719 )