二十数年間の人生を歩んできて、これ程までに自分の選択が果たして正しかったのかを迷ったのはきっと初めてだった。今がすべてで、過去なんて関係がないと割り切れるくらいの性格だった方がよかったのに。どうしても流れ込んでくる過去に、今の私は少しばかりの否定を感じてしまう。誰が、悪いわけでもないのに。
 宇髄と付き合ったのはまだ大学生の頃の話だ。ありがたい事に今まで別れの危機を一度も感じることもなく過ごしてきたし、付き合いも長い。社会人になっても変らずうまくやっている私達は既に互いの両親にも顔を合わせていて、特に私の母親は彼を気に入っているようだった。顔の趣味とは遺伝的なものらしい。
 なんとなく、結婚を意識した。私も彼もそこそこいい年齢で、適齢期と呼ばれる時期だ。彼からの求婚の言葉はどんなものだろうかと、なんとなく考える。そろそろ結婚する?というさり気ない日常の一こまにはめ込んだものなのか、派手な演出をしてこてこてなプロポーズをするのか。そのどちらにしても私の答えは、同じだ。私は、宇髄しか知らない。初めて付き合ったのが、彼だった。
 大学に入学してばかりの頃彼と知り合い、すぐに付き合うことになった。いかんせん派手なルックスとその美貌から誤解を招くことも多かったようで、友人から本当に遊ばれていないのか、騙されていないのかを丁寧に確認されたものだ。そんな友人たちの心配を他所に、私は宇髄と今も一緒にいるのだからそれはただの取り越し苦労だったという事になる。
「なあ、。俺らそろそろ結婚する?」
「めちゃ普通のテンション。」
「何、もっと派手にこってこてなプロポーズの方が好みだったか。」
「ううん、そんな事ない。ちょっと拍子抜けただけ。」
 私の人生は、きっと彼と共にあって、進んでいくものだと信じて疑わなかった。彼と結婚しないで一体誰と結婚するというのか、私には彼しかいない。本当に心の底から彼と一緒になりたいと思った今の気持ちに何も疑念はなかった。
 結婚ともなると、式はどうするのか、新婚旅行はどうするのか、子供はどうするのか等私には考える事が沢山あった。具体的にいつ結婚するかなんていう話も出ていないのに、目先の幸せに粛々と考えが先走りしていた。
「式も旅行も別に好きにすればいいけど。それよりまだ返事聞いてない。」
 私から否定の言葉が出るはずもないのだから、あえて返事をする事すら忘れてしまっていたのだと彼の言葉で理解した。私は彼と生涯を共にするのだ、彼以外にその道は考えられないのだから。本当に、誰よりも大切だった。
「返事聞かないと不安になるなんて天元らしくもない。」
「形式ってもんがあるだろ。」
 普段甘えることの出来ない性分だからこそ、私も彼に答えるように勢いよくソファで隣に座る大きな体を目掛けて飛び掛った。感情を言葉で表すのがこんなにも難しいこととは思わなかった。
「…好き。ずっと一緒にいる。」
 好き、というその言葉すら安っぽいもののような気がして、私のこの気持ちが正しく伝わるには彼になんと言えばいいのだろうかと思い悩みもしたけれど、すぐに彼の大きな右腕に包まれて、そんな思考も消えてなくなっていった。



 私たちの結婚の日取りが無事に決まった。婚約後の両家の顔合わせも済んだ。あとはやってくるであろう半年後の入籍を待つばかりだ。私が楽しみにしているように、きっと彼も楽しみにしてくれているのだろうと思った。
 まずは一緒にに住む物件を探した。探している時はあーでもないこーでもないと、お互いの理想や希望をぶつけて少し不穏な空気にはなったけれど、それだけお互い二人の将来に対して真剣だという事だ。私が寝室は分けたいと言ったのだけは、最後まで彼の理解を得ることが出来なかったけれどお互いどこかを妥協しなければ共同生活もできないのだと最終的に私が折れた。せめて自分の部屋が欲しいという要望を飲んでくれたのだから、それ以上を言うべきではないと思った。
 土日を利用して何度も内覧を繰り返し、ようやく気に入る物件を見つけて契約をする。あと数週間もすれば私は彼とここで新しい生活を始めるのかと思うと、実感が沸かないという気持ちと共に未来に馳せる幸せな気持ちがあった。私は間違いなく、結構な幸せ者だろう。
 幸せの絶頂にいた時に、今まで感じたことのない感情に苛まれた。それは夢として放っておくにはかなりリアリティのある内容で、信じがたくもあったけれどこれは私の前世の記憶なのではないだろうかと確信した。
 二十数年生きてきて、こんな記憶が流れ込んできたのは初めてのことだった。内容から鑑みて、何も今このタイミングで流し込んでこなくてもいいだろうと思うようなそんな内容だ。時に夢とは、現実以上に残酷で悩ましいものだ。それがあったからと言って何も変らないといえばそれまでだが、あまりにも衝撃的な内容で少し戸惑わずにはいられなかった。
 私の前世は、大正時代を生きた女だった。鬼殺隊という今では考えられないような組織に身を置き、常に死と隣り合わせのような今の私とは似ても似つかない仕事だ。何故私がそこに入隊したのかという理由までは分からなかったけれど、取りあえず令和の世以上に大正時代というのは物騒な世の中だったという事だ。
「ねえ天元。この間の物件なんだけどさ、本当に契約する?」
「二人で見てここしかないってなっただろ。何か不満でもあったのか。」
「ううん。そういう訳じゃない。天元も気に入ったかなと思って。」
 過去の記憶が流れてきてから、本当にこの結婚はこのまま進めていっていいものなのか不安に陥って、そんな言葉を口にしてしまった。今更彼と別れようと思っているなんて事は微塵にもないけれど、何かを確認したかったのかもしれない。探りながら、言葉を選んだ。
 ついこの間まで新居に引っ越すことへの喜びをを前面に出していた私からこんな言葉が出てくるとは思っていなかったのだろう。いつだって余裕のある彼にしては珍しく、酷く慌てた様子で私に問いかける。
「何が気に入らない。言えよ。」
「別に気に入らないなんて事ない。ただ聞いただけだよ。」
「この間まで浮かれてた奴が突然そんな事言わないだろ。」
 久しく彼が怒っているところを見た気がする。私は過去に二度、彼にきつく怒られたことがあった。一度は、付き合ってばかりの頃珍しく深酒をして泥酔してしまった時の事だ。その時は友人が彼に連絡をしてくれて特別大事になる事もなく済んだが、翌日アルコールの抜けていない朦朧としている頭を抱えながら彼に怒られ全力で謝罪したという今から思うと可愛らしいものだ。
 もうひとつは、社会人になってからの話だ。それも、去年の事。
 私と宇髄は大学で出会い、付き合ったが、大学時代の友人として上げられるのは不死川と冨岡の二人だ。常に四人で一緒にいた気がする。宇髄と付き合ってはいながらも、彼ら二人のどちらかと私が二人でいても宇髄は何も言うこともなかった。害がないと思っていたのだろう。私自身二人に特別な感情を抱く事もなかったのだから、特に意識することもなかった。
 たまたま仕事帰りの電車で冨岡に遭遇する機会があった時の事だ。彼は口下手ながらも四年間ずっと一緒に同じ釜の飯を食った友人だ、話は盛り上がった。夕食がてら少し飲みに行かないかと誘ったのは私の方で、断る理由のない彼も了承して二人で飲みに行った。その日は結局盛り上がり、平日ながらも終電まで時を過ごしていた。
 次の週末に会ったとき、何気なく冨岡と偶然出会い飲みに行った話しをした。私からしたらただ単に楽しかったという振り返りでしかないのだかが、思いのほか宇髄は怒りを露に私に詰め寄ってきた。
    何故言わない。なんで二人で飲みに行った。
    だって冨岡だよ?偶然あったら飲みに行くくらい普通じゃん。
    今までの事はもういい。お前は冨岡ともう飲みに行くな。
 この時は宇髄が何に対して腹を立てているのか皆目検討もつかなかった。何故今までずっと一緒にいる事を許されてきた冨岡に対してそこまで執着するのだろうか、私には意図が汲み取れなかった。
 宇髄の言いつけを守って大学時代の友人とも会うことなく日々を過ごしていれば彼は穏やかだった。たった一度、取り乱したようにしたあの時が例外だったのだと思うほどにだ。そもそも大学を卒業してから彼らと約束をして会うこともないのだから、そうそう彼の機嫌を損ねることもやってはこない。
 そして、話は戻る。宇髄は、確実に私の事を疑念の眼差しで見ている。私も、以前とは違う眼差しで彼を見る。
「夢を、見た。生まれる前の事を。」
 一言そう言えば、なぜか宇髄はすべてを察したように凜としていた。私が見た夢の内容を伝えれば、私は異常者だと虐げられても仕方がないと思っていたけれど、彼は何故か覚悟したように冷静だった。
「…どこまで思い出した。」
「鬼殺隊にいて天元と一緒に戦っていたのは全部思い出した。」
 私の記憶が間違っていなければという前置きは入るが、宇髄や冨岡、不死川も私の仲間だった。こうして世代を超えて現代でも全員が集まるのも何かの縁なのだろうか。自分自身が鬼を狩るという今では想像にすらつかない仕事をしていた点を含めても、思い返せば全てがしっくりくるように記憶に馴染んだ。
「天元も、記憶があるの?」
「二年くらい前からだ。突然夢に見た。」
 彼も私と同じ洗礼を受けていたのかと思った。きっと、辛かっただろう。そして、突然冨岡とのみに行くなと珍しく感情を示した彼には、それ以降の話も記憶として流れ込んできていたのかもしれない。
「前世の私、義勇が好きだったんだね。思いもしなかった。」
 今の私が宇髄の事を好きなのだからそれで問題はなかった筈なのに、本当かも分からない記憶が突如流れ込んできて私の感情を乱していく。冨岡と同期で入隊した私は、確かに彼の事が好きだった。最後の戦いで痣を出して早々に死んでいった彼を、ずっと思っていた。そんな私の欠いた精神を埋めてくれたのは宇髄だった。彼は、今も昔も優しい。けれど、それは恋をする相手ではなかった。
「突然前世の記憶が入ってきた。冨岡の事も、その時知った。」
「……だったら言えばいいのに。どうして言わないの。」
「今と過去は違う。だが、過去は今に続いている、そうなった時を失うと思った。」
 過去の記憶が戻った時どうしたものかと思った。事実を知ったところで、何も変ることはないのだ。今という時代で私が一番に好きなのは宇髄に違いないし、過去に私がどれだけ冨岡の事を思っていたとしてもそれは過去の話だ。今の私には関係のない話だ。
 けれど、全てがうまくまかり通っていた事に対して、本当にそれでよかったのだろうかと思ってしまうのだ。
 今誰が好きなのかと問われたら間違いなく即答で宇髄の名前を出すことが出来る。本当に、彼の事が好きだ。私が冨岡を好きであったという過去があっても、それは揺るぎのない今の真実だ。
「今あるものが無くなるかもしれないと思いたくなかった。」
 確かに以前の私は冨岡の事が好きだったのだろう。死にいく時に、次は彼と結ばれるようにと願っていたのだからその当時でいえば間違いのない事実だ。過去の記憶とは言えど、自分が生きていく上ではかなり大きな判断だ。だからこそ、対象者とそれに関わる人間がどう思うのかは神経を研ぎ澄ませて聞く必要がある。
 珍しく、すがる様に私を抱きしめた。どうしたのとは言わない。彼が不安に思う気持ちが、誰よりも私が理解出来るからだ。
「…ごめんなさい。」
 いつだって強気な宇髄が、少しばかり動揺しているのだ。それだけでも彼の誠実な私への気持ちが分かる。私は彼を困らせたくなければ、平穏に過ごしたい。
 私自身過去の記憶で惑わされた部分はあった。冨岡が好きだった事実、それを鑑みてもやはり私には今の方が大切で、今の時代では宇髄が必要なのだ。どうすれば彼にそれが伝わるだろうかと考えながら、時が過ぎる。少し迷っただけで、私も同じ心持でいることを伝えるのは難しく、今後の課題に残る。
「天元が一番大事。」
 私よりも二年も前に前世の記憶を取り戻した彼の二年間はきっと辛いものだっただろう。知らず知らず付き合っていた女が自分の前世で関わりのある人間で、強いては自分の友人がその想い人なのだと分かってしまったのだから。
 何故あの時私を束縛したのだろうかと、少し疑問に思っていた。けれど、それはどうしようもなく私に対する感情が齎すものに違いがない。
「私がどれだけ天元の事好きなのか分かってないなあ。」
 そう言えば、安心したように彼の大きな体が私へと覆いかぶさってきた。私が今好きなのは、宇髄天元という男一人に限定されるのだ。他は、何もいらない。過去ではなく、今と未来を生きたいとと思った。
「罰の悪い夢を見てた。」
 夢は夢でしかない、一緒にその夢から覚めればいいとそう思った。

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( 2020.07,02 )