三井サンと生活をするようになってわかった事がある。ひとつや、ふたつじゃない。他の面子に比べたら一緒にバスケをした時間は短かったかもしれないけど、それでも卒業ギリギリまで部活に残って(冬の選抜が終わっても引退しなかった)ほぼ丸一年は一緒に毎日顔を合わせていた訳で、もっと俺は三井サンのことわかっていると思っていた。

 本人から聞いたことはないけど、何となく三井サンって実家が太そうでボンボンなイメージがあったから、金銭感覚のズレとかはあるんじゃないかと想定はしてたけど、論点はそこじゃなかった。意外と金銭感覚に関してはまともと言っていいレベルの範疇だ。
 俺が卒業をしたのを待って、一緒に住まないかと言われたのは正直嬉しかったし、それに越したことはないとすぐに賛成した。
 三井サンは大学入学と同時に一人暮らしを始めていたのを知っていたから、一通りのことをきちんと出来ていると思っていたし、そう仮定していた。むしろ俺もこれから親元を出て自立する訳だからしっかりしないといけないなんて気を引き締めていたら、待っていたのは想像の斜め上をいく三井サンの不器用さと気の回らなさだった。

   三井サン、今どこ?
   
   雨降りそうなんで諸々お願いしますね。
   了解

 大抵三井サンからの連絡は一文字か二文字で終わる。業務的とかそんなレベルじゃない。会話じゃなくて返ってくるのは単語だけだ。たまにミツイヒサシってAIと会話してるんじゃないかと錯覚する。不器用というか、イメージ通りと言うか。
 大学の講義を終えて、原付の中に入れていた雨具を身に纏って急いで家に帰る。ちょうど冷蔵庫も空っぽだったし、雨が酷くなる前に買い物にも行ってしまいたい。それに雨が降っている日は雨の日サービスで野菜は十パーセントオフになるし、この時間なら惣菜にも値引きのシールが貼られている筈だ。考えようによっては、雨の日でも細やかな楽しみはあるもんだ。家を出るようになってここ最近気づいた、俺の密かな楽しみだ。

 雨が酷くなる前に駆け込みで間に合ったスーパーで、値引きシールのついた惣菜と、十パーセントオフになっていた野菜を買い込んで家へと急ぐ。些か機嫌が良かったので、浮いた金で三井サンが食べたがってた刺身も買って帰った。
「三井サンわりい、助かったわ。」
「お?お〜、お前めちゃくちゃ買い物してきたな。」
「うん、雨の日あのスーパー安くなるから。」
「お前にそんな主婦力があったとはな。」
 これだから富裕層のボンボンは、と思う。しかしまあ、きちんとやる事さえやってくれたら問題はない。三井サンはキッチンで昨日の晩飯の皿を洗っている。頭にタオルを巻いてご丁寧にエプロンまでつけてるけど、絶対にいらないと思う。
 洗濯物を取り込んで、皿洗いまでしてるんだからまずまずの合格点だ。皿の一枚割るくらいは多めに見てもいいかもしれない。
「ね〜、取込んだ洗濯物どこ?もう畳んだ?」
「あ?洗濯物?んなもん触ってねえぞ。」
「は?俺連絡したじゃん、雨降るからって!」
「おう、だから皿洗っといたぞ。」
「それ雨と何の関係があんだよ!」
 この人の頭の中に家事って皿洗いしかないんだろうか。でもよくよく考えたら、皿洗い以外やってるところを見た事がない気がする。風呂に入るタイミングで俺がついでに洗濯機のボタンを押して、髪のセットとか諸々朝の準備が終わったタイミングで無意識に俺が干してたけど、この人もしかして洗濯機のまわし方は愚か、干すという行為を知らないのか?
「雨ん中濡れて帰ってきて家事すんの嫌だろ?」
「それ以前の問題でしょ!服どうでもいいの?」
「お前今日洗濯機回してたじゃねえか。」
「知ってるんだったら尚更取込んでくださいよ。」
「いや、洗濯機回したら普通乾いてるだろ?」
 一緒に住むようになって一ヶ月。いろんな価値観の違いだったり、性格の違いを沢山感じてきたけど、これが一番びっくりしたと思う。多分これは、実家が太いならではの思考なのかもしれない。俺の推測の域を出ないけど、多分三井サンの実家は乾燥まで全自動でしてくれる最新型のドラム式を使ってるんだろう。
「アンタさ、それいくらするか知ってる?」
「知らねえけど今時全部乾燥まで付いてるだろ。」
「ついてねえの!これ見ろ!」
 スマホで家電の価格を比較しているページを調べてそれを三井サンに見せると、ゼロの数を数えて一、十、百、千、万、十万………と言ってから、お〜!と驚いていた。俺が想像していたよりも十秒くらい反応が遅い。ある程度知ってはいたけど、この人本当にバスケ以外は全然駄目だ。
「俺らがこんな贅沢品買える訳ないだろ!干してんの!毎日俺が!学校行く前に!」
「え、そうだったのか…?」
「そうなんだよふざけんな!」
 この人ベランダにでた事ないんだろうか。俺より早く大学から帰ってきてる事も多いけど、一体どういう目してるんだ。もし見えてないんだとしたらバスケを続けていい視力じゃないので、今すぐに辞めて欲しい。本当にムカつく。
 そもそも俺と三井サンが付き合ってるこの状況だって、当時の俺らからしたらかなり想定外の出来事だ。意味の分からない因縁をつけられてお互い病院送り、その後は廃部寸前の騒動を起こしたかと思えば頭を丸めてバスケ部に復帰した。情緒の忙しい人だ。
 でも、そのバスケセンスは間違いなく本物で、本人は中学の頃の財産でバスケしてるなんて言ってたけど確実に全国でも通用する名プレイヤーだ。そんな三井サンのバスケが好きなのはもちろんだけど、それ以外も多分俺は結構惹かれてたんだと思う。一緒にいて気を使わない関係性だったり、一緒にいて飽きなかったり、無意識ながらに俺の事で怒ってくれたり。なんか、そういうところが憎めない。
「アンタ今まで洗濯どうしてたの?」
「大学の部室のコインランドリーとか実家とか。」
「実家?何の為にアンタ一人暮らししてんだよ。」
「親から今日飯いるかって連絡入るからな〜。」
「どうりで何もできない訳だ……」
 初めて三井サンの家に遊びに来た時、やけに何にもない家だと思ったけどそういう事だったのか。母子家庭でそれなりの家事は出来る事もあって、当たり前のように気づいた時にやってたけど多分この人米も炊けないんだろうな。
「…怒ってんのか?」
「たりめ〜でしょ。どうすんの、洗濯物。」
「コインランドリー行ってくるからよ……」
「とりあえず早く行ってください。」
 洗濯籠にずぶ濡れになった洗濯物を取り込んで、三井サンは出て行った。多分一時間は帰ってこないだろう。本当に腹が立つ。けど、これは仕方がない。育ってきた環境が違うのだから仕方ない。きっとこれで洗濯機が全自動ではない事はわかってくれた筈だし、これからは一つずつ教えていこうと思う。
 洗面台に行って、顔を洗う。
 少し言いすぎたかもしれない。けど、本当に人は育ってきた環境でこうも変わるものなんだと不思議に思う。俺がそう思うってことは、三井サンも何か思うことがあるのかもしれない。後で聞いてみようと思う。
 脱衣所には謎にちょっと洒落た入浴剤がいくつか転がっていて、たまに俺が部活から帰ってくると白濁したお湯が溜まっていたりする。女子かよと言えば、冬は肌が荒れるんだよと返された。多分これも実家で当たり前のように用意されてた習慣なんだろうな。こんなもん持ってたら他に女がいるんじゃないかって疑われるなんて、多分あの人は想像もしてないと思う。
 そんだけスキンケアに拘っている一方で、シャンプーはリンスインの一本しか置かれていないし、四角い固形石鹸がセットされている。ボディーソープ買わないの?と聞いたら、「あんなもん贅沢品だろ」と言われた。基準がまじで分からない。色々バグってるのに、その本人が自分のそれに気づいてないから同棲して最初の一週間は大変だった。

 落ち着いたところでコーヒーを淹れて、それに口をつける。とりあえず帰ってきたら言いすぎた事を謝ろうと思う。あの人のことだからある程度は気にしてるだろう。コインランドリーに向かう時の背中を思い出して、少しだけ面白くなって笑ってしまった。
「宮城機嫌治ったか〜?」
「……治ってたけどその一言で戻ったわ。」
「え、まじ?悪い。謝るからよ。」
「謝ればいいってもんじゃないでしょうが。」
 三井サンは洗濯籠を俺に渡して、ソファーに腰掛けた。窓の外を見てみると横殴りの雨。三井サンの上着も濡れていて、おもむろに脱ぎ出して籠の中から乾きたてのパーカーを選んで袖を通している。
「お前もちょっと濡れてんな。着替えろよ。」
「……うん。」
 三井サンから柔軟剤の香りがする。普段使っている柔軟剤の香りよりも、とても濃い。天日干しじゃなく乾燥機で乾かしたからっていうのもあるのかもしれないし、三井サンの事だから分量もわからず適当にジャバジャバいれたような気もする。とりあえずいい匂いだから、ギリ許せる。
「なんか甘え匂いすんな〜。」
「アンタどうせ柔軟剤入れすぎたんでしょ。」
「いいだろ、イイ匂いなんだから。」
「なんか一緒の匂いだからこそばゆい。」
「そりゃ同じ家住んでんだから当然だろ。」
 当たり前のことだけど、三井サンはたまにとんでもなく恥ずかしい事を真顔で言ったりするから反応に困る。いつも平気なふりをするのも結構大変だ。もっと厄介なのは、俺が突っ込むと自分が恥ずかしい事を言ったのだと自覚して変に赤くなるところ。だから、極力何も言わないようにしている。
「あ、お詫びっちゃなんだがお前が好きなの買ってきたぞ。」
「…え?」
 俺が好きなのってなんだろう。最近なんか言ったかな。それが何かはわからないけど、結局お互い考えることは同じなのかもしれないと思う。だから怒ったり怒鳴ったりする事があっても、なんだかんだこの生活にはそれなりに満足している。
「お前この間ウナギ食いたいって言ってたろ?」
 どうだ!嬉しいか!とドヤ顔で言ってるけど、この人にムードってもんはきっとないし、求めるのがそもそもの筋違いなのかもしれない。教育するところから始めないといけない訳だけど、まじでこの人どうかしてる。
「来週の食費分使ってアンタ何やってんの?」
「え、そうなの?」
 機嫌を直すための行いが、また次の地雷を踏んでくるので三井サンと暮らしてる限りは一生はなしのネタに困ることはないだろうと思う。



smelling
( 2023’03’05 )