高校を卒業して、大学生になった。大学に入ってからも既に一年近くが経っていて、間も無く大学二年生になる。色々順を追って話す必要があるが、つい最近彼氏が出来た。生まれて初めての彼氏だ。
「は?まじで言ってる?」
「割とまじ。」
「だったら羨ましすぎる!てか死ぬほど羨ましい!」
 彼女の言葉は正しい。私が彼女の立場でもきっとそう思うだろう。
 整ったかんばせ、モデルのように長い手足と背丈、そして何よりバスケ界では名の通った有名人なのだから誰がどこから見ても自慢の彼氏でしかない。文句のつけようがないとはこういう事を言うのかもしれない。
 思った事がフィルターを通さずダイレクトに出てくるのは玉に瑕かもしれない。しかしながら、それも裏を返せばとても誠実とも言える。彼の言葉には嘘がなくて、そして直接的な分だけ私を安心させてくれる。
「アンタ三井さんに告って何人振られたか分かってんの?」
 まだ肌寒い日が続く三月、三井さんは私の彼氏になった。付き合うまでには色々とあったし、それなりの時間もかかった。最終的に付き合うことになったのは、彼の懐の大きさと心の広さだったのかもしれない。
 三井さんからの告白はこの半年に渡って計十二回にも渡った。つまり、月に二回は断り続けてきたという過去が存在している。それでもめげる事なく、まるで初めてのように告白してくれる三井さんに首を縦に振ったのがちょうど一ヶ月前の事だ。


 冬の選抜で初めて話をしてから半年もしない内に三井さんは卒業した。もちろん卒業以降会う事はなかったけれど、卒業するまでのその僅かな数ヶ月で三井さんは私との接点を随分持っていたように思う。
 校舎で会えば当然のように「よう!」と声をかけてくるし、時間があれば頼んでもないのにジュースを奢ってくれた。
 普通に考えれば随分とおかしな話だと我ながらそう思っている。元々の知り合いという訳でもないのに、随分と良くしてもらった自覚があるからだ。もしかするとリョータに好意を持ちながらも報われない私に慈悲の心を持っていたのかもしれない。それくらいに思っていた。
「なんの下心もなく俺が親切にしてたとでも思ったか?」
「……急に下心の話します?」
「下心あるに決まってんだろ、てか俺はそんな性格出来ちゃねんだよ。」
 どうしようもなく好きだと言われているのか、はたまた違うのか……よくわからない開き直りに正直私もよく理解出来ないでいた。もちろんよく分からないので、お断り申し上げる。一度目の告白(?)の時のことだ。
 そもそも三井さんと再会するきっかけを話しておかないといけないのかもしれない。
 大学入学後に出来た友人がバスケサークルに入っていたのが最初のきっかけだ。インターカレッジのサークルに所属している事もあり、たまたまバスケ部と合同の練習をうちの大学でする事があったのだ。
 完全に意図せぬ再会で、私も三井さんも目を丸くして驚いた。そして、そこからすぐに猛アプローチが開始されたという流れだ。何故自分なのか?まるで思い当たる節はなかった。
「なんで私なんですか?」
「あ?」
「三井さんの事好きって言ってる子、私何人も知ってます。選ぶ権利も手段もあるのになんで私?」
 純粋な疑問だった。高校卒業間際少し交流があったと言っても、所詮それくらいの関係性だ。どこかへ一緒に出かけた事もないし、想ってもらえるきっかけすら思い浮かばない。
「そりゃお前、好きだからだろ。」
「あの……私から言うのもなんですけど恥ずかしいとか無いんですか?」
「伝えなきゃ伝わんないだろ。」
 そんな言葉に、私は言葉を失う。その通りだと私自身がそう思ったからだ。三井さんの言葉が、時々こうして鋭利な刃物のように私に突き刺さる。どこまでも鋭い人だと、そう思う。防御の準備をしていない部分に、ずぶりと矢を突き刺してくるのだ。
 まるで、リョータに気持ちを伝える事なく終わってしまった私の三年間を彷彿とさせるようなそんな言葉だ。これが本当のラストチャンスだと自分に言い聞かせて挑んだ最後の賭けにも、私は負けたのだ。
「叶うといいなって、三井さん言いましたよね?」
「あれは……でも嘘じゃねえよ。」
 私がリョータの事を好きだと見破って、そしてそれが叶うといいと言ったのは紛れもない三井さん本人だ。あの時の事を、私はとてもよく覚えている。リョータへの気持ちを見抜いたのは、後にも先にも彼だけだから。
「あの時は本当にそう思ってたけど……お前が全然笑わないから。」
「……私が?」
「お前のせいとかそういうんじゃなくて……笑ったらもっと可愛いのになって、ずっとそう思ってた。」
 三井さんももしかすると不器用な人なのかもしれない。最初からそう言ってくれたらいいものを、十二回目の告白を断った後に突然こんな話をし始めた。好きだから付き合ってくれ、いつもその言葉以外ほとんど聞いた事がなかったから。何故私なのか?その全貌がまるで見えなかったのだ。
「お前ってさ、可愛いだろ?」
「……なんでそんな答えにくい質問ばっかりするんですか。」
「俺が可愛いと思ってんだからしょうがねえだろ。」
 中々自分の感情を言語化できない私と違って、三井さんはこちらが困ってしまうくらいストレートに愛情を表現してくれる。それもなんの恥ずかしげもなく。
「思っちまったんだよ……ずっと笑顔にならないお前見てさ、俺がそうさせられたらいいのになって。」
 三井さんの周りには私なんかよりもよっぽど魅力的な人が沢山いるだろう。そんな中でも私を選んでくれる事ですら信じがたい事なのに、その理由を聞いて驚いた。
 どこまで人がいいのだろうか。自分に想いを寄せて気持ちを伝えてきた女の子を何人も振っている筈なのに、どうして私をそこまで想ってくれるのだろう。感謝の気持ちを抱きながらも、私には罪悪感が付きまとう。
「三井さんさ、」
「なんだよ。」
「少し残酷な事言ってもいいですか?」
「聞いてる時点で言う気しかないだろ。」
 分かっていないように見えて、実はとても分かっているところ。三井さんの優しさが目に見えて分かるところ。結局私は彼の優しさに甘えているだけなのかもしれない。追う恋よりも、追われる恋の方が幸せだと聞いた事があるけれど、本当のところそうなのかもしれない。
「多分私まだリョータの事が好きです。」
「多分?」
「多分、絶対。」
 そんなにすぐに蹴りをつけられていたら苦労はしていない。
 最初の進路希望の紙をもらった時、本当に沖縄へ帰る事を考えていた。そうする事が最善だと確信していたからだ。けれど、リョータからのたった一言で私はまた希望を持ってしまったのだ。もう何度となく、期待や希望を持っても自分が苦しくなるだけだと言い聞かせていたのに。
 結局、何も変わる事なく卒業の日を迎えたのが結末だ。沖縄に帰るという選択肢を捨ててこちらに残った理由も、何の役にも立たなかった。卒業式を終えて、校門をくぐった後自分と約束したのを覚えている。
 もうリョータの事は忘れよう。
 その為に、大学に近い訳でもない東京の端っこで生活することを決めた。弱い心がリョータを前にする事で何度も負けていたから。ならば物理的に会う事の難しい場所に行けばいい。安易な考えながらも、一番確実な方法。
「それは多分って言わねんだよ。」
 今回も断る方向に会話を持っていこうとしていた時だ。まさか私がリョータを今も想い続けている事を認める言葉が出るとは思っても見なかった。それを見越した上で、私を好きだと言ってくれているのだろうか。この時初めて、そんな彼の思想に辿り着いた。
「今すぐじゃなくていい。後一年…五年、いや十年でもいい。いつかお前が俺の事好きになってくれたらそれでいいと思ってる。」
 他の男が好きだと言っている女に、こうまで情熱的な言葉をかけてくれる人が世の中に一体何人いるだろうか。少なくとも私は三井寿という男以外に、他を知らない。
「……好きにならなかったらどうするの?」
「それは安心しろい。絶対に好きにさせるから覚悟しとけ。」
 その力強い言葉に、少しだけ心が揺れ動いた。もうこんなに辛い恋は終わりにしたいと、ずっとそう思ってきた。けれども辞められないのは何故なのか?結局それはリョータ以外に目を向けていなかったからだ。
「大事にするって言葉では簡単だけど実際どうするのがの正解かなんて分かんねえけどさ、俺が思う百二十パーセントで大事にするからよ。」
 それが最後の一押しをしてくれたのかもしれない。この人なら、リョータを忘れられるくらいに夢中になれるかもしれない。なれたら、いいなと思ってしまった。想うばかりだけで疲弊していた心を、癒してくれるのかもしれないと。
「だから俺にしとけって。」
 ずっと私の前では同じ表情だった三井さんは、この後私が頷いた後に初めて見せる表情を私に見せてくれた。とても実直で、そして少しだけ不器用な人。この人なら、きっと私は好きになれると思わせてくれた、たった一人の、唯一の人。




 とても満たされている。
 人から求められることの心地よさと、安心感を初めて知ったような気がする。彼と付き合うことで私は心の安定を手に入れていた。女は愛されてなんぼ、そんな言葉が身に沁みる。
「三井さんってさ、」
「……なんだよ。」
「本当に私の事好きなんだな〜って思っただけ。」
「あ?」
 素肌を重ねる事がこんなにも幸福度の高い事だとは思ってもみなかった。そう思えるのも、付き合ってからもすぐに手を出さず、大切に時間をかけてくれたからこそそう思うのかもしれない。
「んな当たり前の事聞いてどうすんだ?」
「欲張りだから聞きたくなった。」
「別に欲張りでもなんでもねえし、何回だって言ってやるよ。」
 ずっと心に物足りなさを感じていた。リョータが沖縄を出てから、ずっと。湘北に転校してからはもっと心の満たされなさを感じていた。だからこそ、自分が求めていたものがなんだったのか、今はっきりと自覚する。
「つか流石にもう三井さんはないだろ。」
「三井さんは三井さんじゃん。」
「それじゃあ色々と色気がねえだろ……」
 一緒に遊んだ日は必ず私の家まで送ってくれる癖に、お茶でも飲んでいかないかという私の誘いに乗ることは一度もなかった。私が彼を信頼するに至った要因の一つでもある。とても誠実で、そして冷静に自分の立場を判断できる人なんだと、そう思った。
「なんかいけない事してるみたいでそういうスリルは確かにあったかもしんねえけど……」
「そんな事思ってたの?」
「お前が考えるよりも男はすけべな生き物なんだよ。」
 そうは言いながらも、どこまでも紳士的な彼に安心する。一方通行ではなく、しっかりとこちらにも矢印が向いている事を実感できるから。それが誰でもよかった訳じゃない。でも、それをリョータ以外に望んだ事は今までなかった。一度たりとも。
「私も好き。」
「お?」
「デレの前借り。」
「量産しろよ。」
「無理、柄じゃない。」
 柄ではないから沢山はできない。でも、言葉も表情も素直な彼のかんばせが綻んでいるのは正直相当幸せを感じられる瞬間でもある。彼が私を喜ばせたいと思ってくれるように、私の中にも同じような感情が芽生えていた。これが人を好きになるという事なんだろうか。
「……寿さんみたいには出来ないから。」
 精一杯の私の努力に、彼は気づいてくれただろうか。人に甘える事が極端に下手な私にしては、随分と果敢な挑戦だ。でも彼なら、きっとそれを分かってくれると確信しているから。だから言えたのかもしれない。
「お前がされたい事は全部俺が叶えるんだから、覚悟しとけよ。」
 私は列記とした幸せを手に入れたのだ。きっとこうして幸せに浸っている内にリョータの事も忘れられる。仲の良かった幼馴染として、いつか普通に顔を合わせることができるようになると、本気でそんな事を思っていた。
「……忙しそうだ。」
 ようやく自分の居場所と幸せを見つけたのだと、そう思っていた。