土曜日の深夜二十六時を過ぎた頃、つまり日曜日に日付が変わってから数時間経った夜更けの時間だ。そんな時間に私とリョータはバキバキになった体をソファーから起こして、そしてついたままになっていたテレビ画面をぼんやりと見ている。
「水飲む?」
「ん〜、飲む。リョータは?」
「……俺も飲む。」
 リョータは寝起きでまだふわふわとしているのかやや不安定気味な足取りで冷蔵庫へと向かう。開いて、一番奥に数本ストックされている五百ミリのペットボトルを取り出して、再びふわふわとした足取りで私の待つソファーへと戻ってきた。
「ん、先い〜よ。」
「……ありがと。」
 若干テンションが芳しくないのは、何も私たちの関係性が悪いからという訳ではない。時間を六時間ほど前に巻き戻してみると、腹が捩れるんじゃないかという程に大声でギャハギャハ騒いでいたので間違いなく仲はいいと思う。
 ここ最近オフシーズンに入ったリョータと、久しぶりにゆっくりと完全なる休みが重なったのが今日だったというだけの事。
 楽しくなって二人でレシピを探しながら手当たり次第に出来そうな料理を用意していくと、せっかくだから贅沢に昼から飲んでしまおうと大人の休日の特権を行使して楽しんだ後の記憶は所々薄くなっていて、そして今に至る。
「体平気?」
「まあ、鍛えてますから。」
「そっか、私はバキバキ。」
「…うそ俺も。」
 私は空っぽになった酎ハイの缶を手に握りしめながらリョータの分厚い胸板で眠っていたようだ。リョータの筋肉というちょっと硬めのクッションがあった私の方が彼よりも幾分かは軽減されているであろう事を考慮しても、リョータの体の疲労度は相当なんだろうと思う。
「頭の方は?」
「……言い方おかしくね?頭おかしい奴みたいじゃん。」
「わかるでしょ、ギリ。」
「うんまあ……なんつうか、ギリギリってとこ。」
「同じく。」
 三分の一を飲み切ったところで、蓋を閉めずにそのままリョータに手渡すと、私よりも肺活量が多いからなのか倍くらいのスピードで落ちていった水はすぐに空っぽになっていた。
 高校生の頃、まだ私にとって彼がリョータではなく宮城くんだった時、同じような事をしたのを思い出した。意図せず私の言った言葉がツボに入ったのか、食べていた焼きそばパンを喉に詰まらせた時、今と同じように飲みかけのペットボトルを渡した事があったのだ。
「でもなんか腹減らね?」
「めちゃくちゃ減った。」
「だよな〜、なんかこういう時程ジャンクなもの食いたい。」
「わかる、ラーメン食べようよ?」
「いいじゃん。」
 あの頃と違ってこうして何の制限もなく好きな事を自由にできる大人になったんだなあ、とそんな事を思う。渡した飲みかけのペットボトルで明らかに動揺して顔を赤くしていたリョータとは違う訳だ。
 仕事とか、会社とか、必要最低限の人間関係とか、お金とか……学生の頃よりも考えなくてはいけない事は確かに増えたのかもしれない。けれど、その分プライベートな時間は誰に遮られる訳でもなく、私の自由であって、そして私とリョータの自由なんだから悪くない。
「ん〜、この匂いでまた飲みたくなっちゃう。」
「強くないくせに。」
「リョータだって今日寝落ちしたくせに。」
「お前が俺の上で寝るからじゃん。」
「え〜、私のせい?」
 深さのある鍋に几帳面に水をカップで測って沸騰させると、私がストックしておいた袋麺を二つ取り出して中身を入れていく。袋の四隅に溜まっている小さな欠片もパラパラと降り翳して余す事なく煮詰めていく。
「リョータ、」
「ん、なに。今火使ってるから危ない。」
「ねえさあ。」
「だから何だよ?」
 少しだけ私よりも高い位置にあるリョータの広い肩に顎を乗せて、未完成のラーメンを眺めてみる。そして、先ほどこっそりと冷蔵庫の中から取り出していたものをリョータの頬に貼り付けるように当ててみた。
「……わっ?なに、冷た!」
「へへ、もう一本だけ一緒に飲もうよ。」
「マジでしょうがねえ奴。」
「いいじゃん今日くらい、明日も休みだし?」
 しゃあねえな?と言いながら、リョータは私から酎ハイを受け取るとプルタブを起こしてカンと鈍い音で私の酎ハイを弾いてから中身を喉に通していく。まじまじと見た事なんてなかったけれど、男の人って喉を鳴らすたびにこうして喉仏が上下に動くんだなあと他人事のように見てみる。
「目の覚める酸っぱさ。」
「目が覚めたらまた飲めちゃうね?」
「勝手に永久機関にするなって。」
 一流のプロ選手として活躍するリョータは普段の食生活にもかなり気を配っていて、あまりこうして一緒に飲む機会もない。中々生活のサイクルも合わないので一緒に住みたいと何度か提案された事もあるけれど、こうしてオフシーズンになると半同棲みたいな生活をするのも実は楽しかったりする。
「ねえ、卵入れようよ。」
「最高じゃん。」
「あ、でも卵一個しかないや。」
 リョータがお椀を二つ用意していたけれど、私は強引に鍋の中に卵を一つ割り入れた。「あ!」とそう言ったリョータにも気にせず、壁に掛かっている鍋つかみを右手にはめてその鍋ごとリビングの方へと運んでいく。
「リョータはお酒とあと鍋敷持ってきて。」
 早く!と急かすとリョータが鍋敷を持って、ガラス張りのローテーブルに置いてくれたのでその上にそのまま鍋をドカンと置いた。卵がいい塩梅になるまで少しだけ蓋をして、その間に酎ハイを流し込んでいく。
「鍋ごとラーメン食べる女子とか聞いた事ない。」
「うん、実は私も鍋ごとラーメン処女。」
「全然可愛げない響きで吃驚するんだけど。」
「全部リョータと一緒の時だね?」
「……そのテンションで言うのどうなの?」
 リョータの何だか腑に落ちていないようなそんな顔を見ていたらちょうどセットしていたアラームが鳴って、卵の仕上がりを教えてくれる。蓋を開いてみると、そこには綺麗に程よく白身が色をつけてふわふわと浮かんでいる。成功だ。
「背徳グルメ最高!」
「明日一緒にロードワークする?」
「やだやだ、昼まで寝る。」
 箸を持って鍋の中の麺を数本掬い上げてふうふうと息をかけてからズルズルと食べる深夜のラーメン、まさに背徳の味わいだ。
「どうですかい、お味は。」
「んもう最高。」
 私の安直な感想を聞き終えるとリョータも同じく箸に麺を掬ってふうふうと息を吹きかけると、私よりも力強くその小麦を吸い取っていく。見ているだけでお酒が進む光景だ。これぞ至福の贅沢でしかない。
 二人で夢中になりながら小麦を吸い上げていると、どうやら同じ麺を啜っていたらしくピンと糸を張ったようにつながって思わず笑い出して切ってしまったその麺をリョータが飲み込んで、数時間前のようにまた二人で腹を抱えながら爆笑をする。お酒が入ると人生は愉快になる。
「そろそろ卵割る?」
「うん、割る割る。」
 箸で割るとトロォっと黄身が溶け出してくるのが何とも言えなくて、黄身に絡ませるようにしてもう一口流し込む。味が変わって何度でも楽しめる……と思っている間に少しだけ満腹中枢が仕事をし始めて、箸をおいた。箸は止まっても、酒は進むので心底不思議でしかない。
「あ、通販始まった。」
「なんで夜中ってこぞって通販番組やるんだろうな?」
「誰も見てないからじゃない?」
「いや、それじゃあ商売になんねえじゃん。」
「ああ、そっか。」
 私は空になった空き缶を持って冷蔵庫に向かうと当然のように二本目の酎ハイを手に持っている。もうリョータもここまで来ると止める気はないらしく、「俺も一本ちょうだい、次梅のやつ。」と調子を上げている。
 普段リョータは私がお酒を飲むのをあまり好まない。理由は元々、人との距離感が近い上に、アルコールが入るとそれが如実になるから……らしい。つまりは独占欲が強く、嫉妬深いという事だ。それも尋常じゃないくらいに。
 こうして二人きりの空間であれば多少は飲ませてくれるので、今日のリョータはいつも以上に機嫌がいいという事が窺い知れる。
「そうだ、今年は脱毛サロンに行かないと。」
「……は?聞いてないんだけど。」
「逆に脱毛サロン行くのにお伺いが必要なの?」
「てか行かなくていいじゃん。」
 最初は何を言っているのかしばし考えたけれど、すぐに当たりがついた。リョータの考えそうな事だ。きっと言葉にはしないけれど、人前で肌を晒すなという主張なんだろう。施術中に何かが始まるかもしれないと不安になっているのであれば、それは企画モノの見過ぎです。
「これでいいじゃん。」
「ヤダよ、自分でやると面倒くさいし。」
「じゃあ俺がやるから!」
「それこそ面倒くさいよ。」
「俺がいいならいいでしょ?」
 絶対にサロン通いした方が楽で綺麗になる筈なので断固拒否しているのに、リョータは時折融通が効かない程頑固な一面を見せる。特に自分の事ではなく、私の事になると意地でも譲らない節がある。
 付き合って間もない間柄でもなければ、高校時代からの知り合いでもあるのに、よくもこれだけ私に対して執着していられるものだなと自分の事ながら驚いてしまう。それだけ大切にされている証拠だと言われたら、その一言で片付いてしまうそんな幸せしかない訳だけど。
「だって今時脱毛サロンも手軽で安いしさ。」
「いいじゃん、俺がこれ買うから。」
「いやほんと買わなくていいよ普通に高いし。」
「いいから!」
 意見を変える気がまるでない様子のリョータはスマホでポチポチと検索をしているようなので、阻止するようにスマホを取り上げようとしても、ひょいと交わされてソファーの下に逃げ込んでしまった。
「絶対めんどくさくなるからサロン行く。」
「宮城サロン開くからそれで良くない?」
「よくない!」
 結局リョータは今テレビでまさに紹介しているその商品を注文し終えたのかニカっと悪い顔で笑っている。リョータはこうしてたまに勝手に物を買ってくる。全部独占欲のなせる技だ。その独占欲の強さは思えば出会った高校生の頃から変わらないのかもしれない。
「ご〜いんだよね、ほんと。」
「男らしいっしょ?」
「独占欲強いだけじゃん。」
 反発してくるかと思いきや、「うん、そう」とどうしようもなく素直に認めたリョータが再びソファの上に戻ってくる。釈然としていない私と視線を合わせるように体勢を低くする。そして、少しの間を置いて包み込むように私の背中に腕を一周回して距離を詰めた。
「俺の彼氏だし?」
 付き合いが長すぎて時々仲のいい友達のように錯覚する瞬間もあるけれど、やっぱりリョータはそれ以上の特別なんだと思い知らされる。こうして、定期的にリョータがそれを思い出させてくれる。
「じゃあもうちょっとお酒飲ませてよ。」
「……なに、急に。」
 たまには自分から甘えてみるのも良いのかもしれない。そんな事を柄にもなく思った。その為にはまだもう少しのアルコールと、そして酔いが必要だろうから。
「だって私リョータの彼女だし?」
 その意味をまだ理解していないリョータはきょとんとした顔をしているけれど、冷蔵庫から新しい酎ハイを二本手に持って再び私の隣に座り込んだ。
 もう既に伸びきっている鍋の中身を眺めながら、幸せな時間が過ぎるのはとても早いのだとそう思った。まだ酔っていない筈なのに、自らリョータに一歩近づいてもたれかかってから、酎ハイのプルタブを引き上げた。



午前三時のララバイ
( 2023’07’21 )