「…で、何でお前がそんな泣いてんだよ。」
 自分でも、何でこんなに泣いているのだろうかとそう思う。諏訪の言い分は、もっともだ。同じチームでもなければ、私は諏訪の彼女という立ち位置でもない。ただ、同じボーダーの隊員としてよく面倒を見てもらっている先輩という、それだけの関係だ。
 きっかけは本当に些細な事だった。C級の訓練生が訓練室で諏訪の話をしているのを、聞いてしまった。特別悪意があって言った訳ではなく、ただの世間話くらいだったのだろうと思う。けれど、何故かその言葉を私は聞き流すことができなかった。せめて、私の聞こえないところで言って欲しかった。
 それは、大規模侵攻の時に彼が真っ先に敵の手に落ちた事から、ランク戦でもこれといって功績を残していないから大した事がないのではないかというものだった。
「だって、諏訪さんの事悪く言うから。」
「だからって手出すか、普通。」
「ムカついて。諏訪さんの事、何にも分かってない。」
「愛されてんな、俺。」
 そこまで喧嘩っ早い性格ではない筈だったけれど、カッと頭に血が上ったのか私は食ってかかってしまった。完全にタチのわるい先輩と思われただろうと思う。諏訪への暴言に対して腹を立てていた私は、その当の本人である諏訪に宥められ、その場を何とか事なきに収めた。というか、彼が収めた。
「俺の事でお前がそんな一喜一憂する事ねえだろ。体力の無駄遣いすんな。」
 そう言って、私を宥める。諏訪は、ずるいと思う。見かけによらず人当たりがよくて、誰とでも打ち解ける分勘違いされやすいところがある。本当は誰よりも思慮深くて、頭のキレる人間なのに、それを積極的に表に出そうとしない。
「ピーピー泣くな。体力削られるぞ。」
「諏訪さんは、何でそうやって皆んなに優しいですか。ムカつかないんですか。」
「いちいちムカついてたら体力あっても足んねえだろ。」
 未だ泣き止まない私を前に、彼は落ち着いたようにそう言う。こうして体力を削り落としている私の面倒を見るのも、諏訪にとっては体力の削れる事に違いないが、ただ只管静かに私を宥めてくる。私はなぜこうも腹を立て、泣いているのだろうか。十九にもなったのに、自分の感情をコントロールできずに恥ずかしい。
「諏訪さんも言い返したらいいのに。」
「お前、それくそだせえだろ。キューブ化したのだって事実だし、ランク戦で燻ってんのも嘘じゃねえ。」
 きちんと事実を受け入れて、それを否定しないところが私と違って、彼が大人だと思わざるを得ない点だろう。歳の差はそこまで大きい筈ではない筈なのに、自分が子供染みているからこそ、諏訪がどうしようもなく大人に見えて仕方ない。
「お前が気に病むことじゃねえよ。言いたい奴には言わせときゃいい。」
 未だに涙の引かない私に、しゃがみ込んでわしゃわしゃと髪を揺らす。女の扱いに慣れている訳ではないだろうけれど、きっと後輩の扱いに長けているのだろう。今日諏訪を悪くいった人間がいる中でも、ボーダー内で諏訪を慕うものは多い。それは、それだけ諏訪の人望が厚いと言うことを裏付けている。
「あんな奴らB級に上がったら諏訪さんにズタズタに緊急脱出させられたらいい。」
「お前見た目によらず結構考え方がえげつないな。」
「諏訪さんが戦略家で強いって事知らないのが悪い。」
「よく言うぜ。お前、俺よりランク上だろうが。」
 個人戦で言えば、確かに私は彼よりもランクが上だ。けれど、諏訪を格下に見られるのは何故だか嫌だった。私云々ではなく、諏訪自身を否定されたように感じるからだ。自分でも何故そう思ってしまうのかはわからない。ただ単に、許せなかった。
「お前がそう思ってくれてんなら、俺はそんでいい。」
 こうして冷静に対処するのも、やっぱり彼が私よりも年上で、そして大人の男だからなのだろうか。的確に私が欲しかった言葉で私を射抜く。諏訪は、いつだって私が心の底で望む事を易々と叶えてしまう。ずるいと思う。もはや遠隔に操作されているようにも思えるくらい、私が何を望んでいるのかを見抜いているのだから。
「諏訪さんは、ずるい。」
「あ?」
「粗悪な感じなのにいい人だし、見た目によらず協調性も高くて、」
「……お前、貶してんのか褒めてんか微妙だぞそれ。」
 初対面は、苦手な人だと思った。口調も荒いし、ガサツな感じが見た目から漂っていた。風紀を乱す隊員がいるとすれば、それは彼だろうとそう思った。出来るだけ関わりたくないと思っていたけれど、気づいた時には私は諏訪に手を焼いてもらう後輩になっていた。荒い口調も、ガサツな見た目も、それはフェイクのように彼は気遣いができて几帳面な男だった。
「万人に受け入れられるよりも、分かってる奴にだけ分かってもらえるのも大事ってこった。」
 こういうところが、諏訪が人を惹きつける魅力なのだろう。ざっくばらんな彼の言葉は、私に刺さる。つい先ほどまであれ程に腹を立て、感情を荒ぶらせて泣いていたのに、その言葉が私を黙らせる。やっぱり、こんな事をいう諏訪は、ずるい。
「お前にそう思われてるだけでも大したもんだろ。俺はそんでいい、だからお前が気を病む必要はねえんだよ。」
 殺し文句のようなその言葉に、私は今まで気づかなかったある一つの結論に辿り着く。今まであくまで先輩として慕っていた諏訪に、もしかすると恋心を抱いていたのではないだろうかと。そんな筈はないと否定する自分がいる中でも、格下の隊員に手をあげたり、感情をむき出しにして泣いたりしている事を考えると、その方が自然に思える。
 本当は、ずっと気づいていた。気づかないふりをしていただけだった。きっと、私は諏訪が好きなのだろう。それは先輩だからという正しい感情ではなく、よこしまな感情だ。そうでなければ、今の自分を私は証明できない。
「ま、取り敢えずお前の愛は存分に感じたわ。」
「それが愛だなんて、私言ってないですよ。」
「愛以外の何物でもないだろ。モテすぎてで困るわ。」
 そうやって、場の雰囲気を和ませるのも諏訪にとってはお手の物なのだろう。結局、私はこの男には敵わない。個人ランク戦でいくら私が上手にいるからと言っても、本質的なところで諏訪には敵わないのだ。認めるのは少し悔しいけれど、認めざるを得ないだろう。
「じゃあ、私はモテモテな諏訪さんに嫉妬しなきゃいけないですね。」
 敵は多い。なんせ、ボーダーで諏訪を慕うものは私以外にも大勢いるのだから、それを独占しようもんなら、他が黙っていないだろう。そして、私はその多くの人間にずっと嫉妬を強いられるのだろうと思う。
「俺も罪な男だな。」
「柄じゃないですよ。調子乗らないでください。」
「口が悪いところ、どうにかしろ。」
 私が一通り平常心を取り戻したところで、彼は私に背を向ける。今までであれば絶対にあり得ない展開にしたのは私で、そう仕掛けたのは諏訪だ。今まで不確かで認めがたったその感情を隠す事なく、私は細長く伸びた背中に突撃をかます。
「諏訪さんは、ずるいです。」
「お前も充分ずるいだろ。」
「そんな事ない。だってこうさせたのは、諏訪さんだもん。責任とってよ。」
 ぎゅっと両手で捕まえると、彼は大人しく私の罠にかかってくれる。煙草の匂いが染み込んだその隊服が、愛おしい。この温かい背中に、私は今まで何度となく救われてきた。認めないと意地を張っていた自分の心を、今解き放とうとそう思った。
「俺にどう責任取らせるつもりだ、お前。」
「分かってるくせに、白々しい。」
「可愛くねえやつ。」
 言葉とは裏腹に、諏訪は優しい。私の方へと向き直った彼は、どうしようもなく優しいそのかんばせで、私を包んでくれる。明確に言葉にして何かをもらった訳ではなかったけれど、私にはこれで充分だ。寧ろ、贅沢なのかもしれない。
「こんなに好きにさせた諏訪さんが、悪い。」
 これから私は嫉妬と共存しながら生きていくのだ。それが、ボーダー内でも慕われている諏訪を好きになった、私の業だ。それくらいは目を瞑ってもいいかと、この幸せな環境にそんな事を思った。
 羊の皮を被った本当の諏訪の姿を知っているのは、私だけでいいという私の独占欲だ。

羊の皮
( 2021'12'19 )