時として長い休暇は人を馬鹿にさせる。結局暇という暇に慣れていない私たちは適当な暇つぶしを知らない。こちら都合で取った休みではないのだから余計にだ。
 チュンと二度三度小鳥が鳴く時間まで一緒にいたのが太刀川だったのも何も狙った事じゃない。単なる偶然だ。或いは、誰かの仕組んだ陰謀だ。詳細が気になるのであればシフトを組んでいる上層部に確認してみるといい。知らなくていい事まで知る羽目になるのでお勧めはしない。
「太刀川寝ないの?」
「そりゃお前、三十年目とか一番面白いっしょ。」
 昨日シフトを受け取って任務を終えてから私の部屋では桃鉄パーティーが繰り広げられている。パーティーというには些かもの寂しいかもしれない。私と太刀川とコンピューターA・スワサン(21)とコンピュータB・無愛想二宮(20)のラインナップだ。この四人で今ちょうど三十期を迎え旅をしている訳だがバレたら盛大に怒鳴られるラインナップでもある。バーチャルの世界はある程度のことが許容されている。
 深夜のコンビニで大量のジュースとポテチを買うそれは、とてもじゃないがついこの間特級戦功と一級戦功をあげ国を守った人間には見えないだろう。戦士も普通に人間なので休息は必要だ。
「太刀川経営とか興味なさそ〜。」
「ないない。」
「じゃあ何がそんなに太刀川を突き動かす?」
「ま、そこにゴールがあるからだな。」
「単純明快でいいね。徹夜明けの頭には優しい。」
 本来こういうものは酒を飲みながらワイワイ大人数でやるものだろうと思う。少なくとも防衛任務後に二人徹夜でやる事ではない。
 ゲームをしないかと誘ったのは私からだった。誰も小鳥が囀る時間までやるとは思わない。ほんの軽い気持ちで誘ったつもりだったが、太刀川にコントローラーを渡していた私が完全に迂闊だったと今は反省している。あろうことかこの男は最初から年数を百年に設定して、ケロっとした顔でゲームを始めてしまったのだ。A級トップ攻撃手ともなるとここまで判断が潔いのかと感心し、そしてその後すぐ「普通確認しない?」と小言を放った。この男潔いのは事実だが、単純に何も考えてないだけでもある。特に行動に根拠はなくその時々の判断という事だそうだ。
「流石に腹は減ったな。」
「高カロリーだけどポテチじゃ半日持たないね。」
「食堂いくか?」
「朝六時だよ?オバちゃん過労で死んじゃうでしょ。」
「あ〜、それもそうか。」
 徹夜した脳みそは判断力が鈍るものだ。私も幾分かふわふわと朦朧している気はするが、朝の六時から食堂でオバちゃんが食事を提供してくれる二十四時間営業のファミレスのような状況がない事くらいはまだ理解できる。太刀川よりはマシそうだ。
「コンビニいく?どうせポテチ足りないし。」
「ポテチ欲すごいなお前。」
「ポテチ以外も買うよ?チョコ買うし、唐揚げも買う。」
「お〜育ち盛りいいね。」
 ボーダー本部寮組の私と太刀川はふわぁ、と一度両手を突き上げて伸びるとのそのそ廊下へと出た。これから山にクワガタを取りに行くわんぱく小僧のような短パンTシャツの太刀川と、テーブルに転がっていたピンク色のゴムで前髪を縛っている私。特級だの一級だの以前の問題で、ただのだらしが無い大学生だ。ボーダー隊員という肩書きがなければ割とただのクズでしかない。ボーダーに入っていてよかったと思う要素の一つにもなっているが、実にくだらない話で情けない。
「シフト受け取った時の諏訪さん、アレはウケた。」
「ゲッて言葉に出ちゃってたもんね。」
「あいつら本当に休みで旅行行ったりして。」
「いや〜ないない、そんなの世も末でしょ。」
 ボーダー内でも一番過酷な勤務を強いられるのは必然的に大学生の私達になる。同じ学生とは言っても未成年の学生へ頻繁に夜勤をやらせる訳にもいかない。現場監督としての意味も含め、大学生面子が夜勤に入ることが多い。シフト制の上ただでさえ少ない休みを合わせるのは至難の技だが、年に二回突然意図しない所でまとまった休暇が入ってくる。中高生が休みに入る夏休みと冬休みだ。
「二宮はともかく諏訪さんは気の毒だね。」
 大学生はいくつかのブロックに分けられ、休みを言い渡される。夏休み初日となる本日から明後日までの休暇が私と太刀川、その次のブロックが諏訪さんと二宮だった。二宮は誰と当たろうと大差ないだろうし、それでも不服そうにしていたの事には思わず突っ込みそうになった。諏訪さんは同級生組と酒を飲むか、太刀川含めた麻雀組と同じブロックを希望していたのだろう。去年も一昨年も諏訪さんはおんなじような感じだったと記憶している。そういう性分だ。性分は変えられない。
 そう言えば去年も私は太刀川と同じブロックで休暇をもらった気がする。これは運がいいのか悪いのかはよく分からない。別に誰と休みが一緒になってもそこそこ上手くやっていけるだろうし、そもそも休みが同じだからと言って一緒にいる規則なんてものはない。
「諏訪さんの無念はバーチャル上で晴らすとして。」
「ま、今ボンビー諏訪さんに付いてるけどな。」
 気安く無念を晴らすなんて言って見たものの、今まさにボンビーに取り憑かれている諏訪さんの駒を皆が避けて通っている。諏訪さんはゲームに限らずリアルでもこういう損な役周りが多いことを思い返すと同情してしまって、モニターに一度軽く会釈した。
「コンビニ若干だるいな。」
「でもポテチはほしい。チョコも唐揚げも欲しい。」
「ならトリオン体に換装してグラスホッパー使うか?」
「……シュールすぎるでしょ、本気?」
「割と本気だった。」
「……冷静に考えて自転車とかじゃない?」
 この男に人の目を気にするという言葉は存在しないのだろうか。一度考えて、きっとないだろうと思い改まって聞くのはやめておいた。太刀川なら「実家までグラスホッパー使えばすぐに帰れる。」と戯言を言ってくるような気がしてあえて触れることはやめにした。それは私が想像の中で作りあげた虚構であって欲しい。だから聞かない。
「チャリなんて俺持ってないぞ。」
「太刀川確か免許もないし……実家帰る時は?」
 ついうっかり無意識で聞いてしまったと思った時には、太刀川の口元がグラスホッパーの“グ”を模っていたので「やっぱいいや、今聞いた質問の事は忘れて。」そう言うと、特に続くようにして“ラスホッパーで”と言う言葉は聞こえなかった。
「散歩がてら歩いて行きますか。」
「あるもんは使おうぜ。俺が漕ぐし。」
「免許合宿落ちた人の運転で?」
「俺が落ちたのは筆記だ。」
「筆記だろうと実技だろうと怖いわ。」
 特別反論する訳でも、もちろん怒る訳でもなく太刀川は私から鍵をもぎ取ると錆びついた鍵穴を何度かガチャガチャと揺らしながらガッシャンとストッパーを解いた。ぼうっと他人事のように見ていると、一度顎髭を掻いてからちょいちょいと右手を数回上下にさせて私を誘き寄せる。
「二人乗りとかした事ないし抵抗しかない。」
「それ青春した事ないって言ってるようなもんだろ。」
「青春を自転車ひとつに集約はしたくないかな。」
「いいから乗っとけ、減るもんじゃない。」
 太刀川がサドルを調整して自転車にまたがる。身長差を考えれば仕方がないが腹が立つ。サドルを高くしても地面までは余裕を残している長い足が腹立たしい。減るもんじゃないが気持ちの部分で擦り切れているような気がしてならない。なんだか納得しきれないまま、結局私は後ろの荷台にまたがる。両足を引っ掛けて準備が整ってから太刀川に報告した。
「両股開く感じか?横向きに座らないんだな。」
「安全第一だけど言い方には気を付けてもらえます?」
 悪気がないからいいというものではない。太刀川にはこういう所がある。逆に言えばそれだけざっくばらんな太刀川だからこそ一緒にいて苦にはならないのも事実だが、対異性への発言であることは意識して欲しいものだ。たまに一緒にいるくらいの私でそう感じるのだから、国近ちゃんはもしかするとレベルの高いセクハラを受けているのかもしれない。
「揺れた時はちゃんと掴まれよ〜。」
「揺らさない努力をして。」
「お前のリアクション他の女と違って面白いよな〜。」
 どんなリアクションをする女と付き合ってきたんだろうか。そもそも太刀川のタイプがよく分からない。太刀川にはほぼタブーというものが存在しない。だから見えてこないのだ。誰と付き合っているイメージもできるし、その逆も然りだ。
 免許を持っているとは言ったが所詮まだ初心者マークの外れない私は、あまり太刀川のことを言えたものじゃない。かつて友人を後ろに乗せて自転車を漕いだ時、私は盛大にバランスを崩して友人諸共地面に突っ伏した。その点で言えば太刀川の自転車走行はとても安定して、ちょうどよい。眠気が強く青春を感じるほどの何かはなかったが、ぼやっとそんな事を考えている間に目的地に着いていた。
 これは少し前のデジャヴだ。コンビニに入って籠を手に持つ。目に入った欲しいものをセレブのようにガンガン入れていき、会計へと向かう。今まさに私は籠を持って入り口に一番近いアイスコーナーに差し掛かっている所だ。
「さっきの三大カロリー食品以外も買うのか?」
「この暑さじゃアイス食べないと死んじゃう。」
「食い意地すごいんだな。」
「太刀川が小食すぎるんだよ。」
 太刀川はあまり食べない。けれど、沢山食べる人間を見ているのは嫌いじゃないようだ。私がポテチをぼりぼりと食べ進めるのを楽しげに見ていたのを思い出す。変わった男だ。人が食べていても自分の食欲は満たせないので、私には太刀川の思考は分からない。
 私たちは籠いっぱいに食べ物と飲み物を詰め込んで会計をする。いつかのデジャヴの回想と同じく全て太刀川が奢ってくれた。二千八百円、金銭的に余裕があってもありがたい金額だ。
「そういや何で食べ物三つも買った?」
「そりゃお前、休みがあと二日あるからだろ。」
「休み丸々私のところいるつもり?」
「じゃなきゃ百年設定にしない。」
 なんの考えもなしにノリで桃鉄の設定を百年という超廃人モードにしたのかと思いきや、一応太刀川なりの考えがあっての事だと知り意外だった。自分の休みをどう有意義に使うか、そしてその為には人をどう動かすべきなのかよく分かっている。確実に今回の件に関しては太刀川に主導権を握られてしまった。ゲームをしようと切っ掛けを作った私に、もはやそれを拒む権利はない。
 時刻は六時半。自転車に乗っていた私と太刀川の耳にはここ久しく聞いていなかった懐かしいメロディーが飛び込んでくる。思わずどちらからともなくそれについて言及したくなるような、そんな音だった。
「ラジオ体操ってこんな朝早かったっけ?」
 夏の茹だる様な暑さにもめげずラジオ体操に出向いていたのはどれくらい前の事だろうか。随分と記憶の引き出しが古い。義務付けられている訳でもないがほぼ強制的なラジオ体操がこんな早朝から開始されていた事に改めて驚いてしまった。これを夏休み中ほぼ毎日やっているのだから子供は元気な生き物だと思う。
「お前ラジオ体操第二できるか?」
「どうだろ、曲聞けばなんとなくできる気はする。」
「へえ〜、そうか。」
「大して興味ないなら聞かないでもらえる?」
「お前の事だから興味はあるぞ。」
 太刀川は時々ドキッとする発言を顔色ひとつ変えずにしてくることがある。単純そうな頭の作りに見せかけておいて、ただの策士なんじゃないかと時折思ってしまう。人間である以上損得感情はあるし、親しい中でも駆け引きというものはある。太刀川にとっての駆け引きがそれなのか、それとも無意識的にただ本当に思ったことを口にしているだけなのか。まるで読めない。
「アイス溶けるから早く漕いで!」
「へいへい〜。」
 太刀川に振り回されるなんて、そんなの私のプライドが許さない。振り回すことはあっても振り回されることなんてあってはいけないのだ。競走馬に鞭打つようにペチペチと二度背中を叩いて、その場をやり過ごした。
 これは徹夜をした事による眠気が齎した幻覚に違いないし、そうでないと困る。
 太刀川相手に心音が早くなるのは認めがたい。




 部屋に戻った時には既にすっかり日が照っていて夏の朝を体現している。暑い。さっき買ってもらったアイスクリームは口に入れた瞬間、ボトリと熱気を持って床へと落ちていった。そんな私を見かねたのか、はたまた元々そうする予定だったのか、太刀川はパキっと両手を逆方向へと翳して一方を私に手渡した。
「嫌いか、パピコ。」
「ううん。残念だけど好き。」
「何で残念なんだ?」
 不思議そうにしながらも太刀川は特別追求もしてこない。こういう性格が私にはちょうどいい温度感だ。太刀川の距離感は他の誰とも似ていなくて、そして説明しがたいものがある。付かず離れずのようであって、けれどその距離感が時折何かを不意に感じさせるのだ。思わせぶりな事をしているという自覚はないのだろうか。釣った魚に餌を与えるだけ与えて、その後は自由に私を泳がせる。これを意図的にやっていないというならそれは天然者のタラシだろう。
「なんか太刀川ってよく分かんない。」
「そうか?そうでもないだろ。」
「単純すぎて逆に難解に見えるのかな。」
「お前の言葉の方がよっぽど難解だ。」
 誰よりも思考が単純である筈の太刀川が難解な時点で、私の睡眠不足も限界を迎えているという事なのだろうか。普通に眠い。きっと一眠りすれば元に戻っているに違いない。
 鼻がツンとしてくしゃみをすれば、面白そいにこちらを見てくる。
「寒いのか?夏なのに。」
「寒くはないよ。私この時期花粉症だから。」
「なんだそれ、可愛いな。」
「太刀川の感性まじで分かんない。」
 そうか?とやっぱり聞き返してくる割に、私からの答えを待っている気配もない。パピコを歯で咥えながら再び太刀川はゲームのコントローラーを手に持っている。この男の体力は無尽蔵なんだろうか。目がシパシパと限界を知らせている私と違って、太刀川はまだゲームに興じようとしているのだから驚きだ。
「眠いから寝る。」
「え、まじか。じゃあ俺も寝るか。」
 ピンク色のゴムを前髪から抜き取って、私はベッドへと転がる。もうこのまますぐに夢の中へと落ちて行くことができそうな疲労感だ。夏休み初日の疲労感がまさかゲームによって齎されるとは夢にも思わなかった。まだ桃鉄は三分の一すら進んではいない。私たちの夏休みは後二日半、残っている。
 当たり前のようにベッドに寄ってきた太刀川は、私を壁側に追いやるようにスペースを作り始める。まるで犬が自分の寝床を探すようにベッドに上がって、どっしりと腰を据えて転がった。
「寝るなら自分の部屋帰りなよ。隣じゃん。」
「まだ続きがあるから帰らない。」
 その含みのある言い方に、私の眠気を覚ますのが太刀川の目的だとすれば彼は天才だろう。今にも意識を手放しそうだった筈の私はもちろん寝れる筈もない。幾分かアイスで冷やした体に、妙な熱が生まれたような気がしたからだ。
 去年の夏休みも私は太刀川と同じブロックだったが、来年も再来年もやっぱり同じ夏休みを過ごすのだろうか。諏訪さんが毎年不遇な夏休みを過ごすのが鉄板のように、私と太刀川の夏も鉄板になるのだろうか。
「今のうちに慣れておいた方がいいぞ。多分来年の夏も、今年のデジャヴになる。」
 忍田本部長を言いくるめて私と夏を過ごす計画を練っているのも、この男の夏のデジャヴなんだろうか。だとすればきっと諏訪さんに優遇された夏休みは一生来ないだろうと思う。剥き出しになっていた私のおでこに、パピコのひんやりさが残る感触が重なった。
 ゲームの設定を百年にしたのも、毎年偶然のように被る夏休みも、全部が全部この男の陰謀で戦略だったら末恐ろしい。でももしそうなら、後は全てをこの男に委ねてしまえばそれは簡単な事だ。
「夏の悪夢かな。」
「寝て起きてから確認してみるといい。」
 次に私が目を覚ました時、恐らくは愉快な夏物語が始まるらしい。喜劇か悲劇かは分からないし、そのどちらでもないのかもしれない。今年の夏は、寝不足が続きそうだ。夏物語を始める前に、あと七十年分の桃鉄をクリアしないと私たちの夏は始まらない。


♩Hollaback Girl / GWEN STEFANI
( 2022’07’05 )