私と彼の関係性は、一体どこから何を間違えてこうなったのだろうか。
 昔はこうじゃなかった。昔といっても、私たちはまだ付き合って半年くらいしか経っていないけれど、少なくとも最初からこうだった訳じゃない。きっと、私がこうしてしまった。彼をこうさせてしまったのは、私だ。


 彼からの好意が、恋慕を含んだとそれであると気付いたのは結構前のことだった。後輩の面倒見もよく、先輩からの信頼も厚い彼は、私の後輩だ。彼が私に向けていた好意なんて、ほんの些細な事がきっかけだったのだろう。そこに一時の気の迷いという誤った感情がなければ、彼のように人として出来た男が私の事を好きになる訳がない。それくらいは分かるし、私はそこまで自分を驕ってもいない。
 当時既に大学生になっていた私が少し大人に見えたとか、多分そんな簡単な理由だろう。年齢以上に落ち着いて、大人びた考えを持つ彼だからこそ、自分よりも年上の女が少しだけ良く見えたのだろうと思う。彼に姉がいるのも、その要因の一つだったのかもしれない。
 そういう意味で言えば私はラッキーなのかもしれないし、彼を正しい道から踏み外してしまった悪い女なのかもしれない。けれど彼と付き合ったのは、間違いなく私自身が彼を好きと思う気持ちをしっかりと持っていたからだ。後輩としても気が利いて、彼氏としても完璧にエスコートしてくれる彼を私も好きだったし、私にとって自慢の彼氏だった。きっかけこそ彼が作ってくれたけれど、人として正しく、そして完璧な彼氏である彼を、私は誇りに思っていた。
さんは、どこ行きたいとかありますか。」
「うーん、どうかな?どうせ三門から出れないし、遼と一緒ならどこでもいいや。」
「俺とはずっと一緒にいるでしょう。もっと、欲深くなって欲しいけど。」
「遼が私を存分に甘やかすから、もう欲全部満たされちゃってるのかも。」
 そう言えば、私の背後から腕を回して彼は私をしっかりと包み込む。こうして、彼は私をとても大切にしてくれる。大切にしすぎと口を出してしまうくらいに、過剰に、ずっと私を一心に思ってくれている。溢れ出て消化不良を起こしそうな愛情表現も、腕を引いてしっかりと抱きとめてしてくれるキスも、何もかもドラマのヒロインが憧れそうな、私にはすぎた幸せだ。
 彼は、いつだって私に問いかける。私が何を求めて、何を望むかを第一優先に考えて、自分のことなんて二の次にして、これ以上ないほどに私を大切にしてくれる。その優しさを純粋に幸せと捉えて、喜べていたのは、どれくらい前の事だろうか。まだ付き合って然程長くない筈なのに、そんな過去が遠く遠くいつだったか思い出せないほどに昔のように思えた。
「俺はもっとさんに甘えて欲しいんです。」
「これ以上甘えたら、溶けて消えちゃうよ。」
「物理的にそれが見えた方が、俺としては安心だな。」
「遼は、欲深いね。」
 欲深いと、大事にされているのは同じようで、少し違う。どうしようもなく大切にされていると自覚しながらも、どこか私は彼の欲深さに動きを制限されている。言葉にしてそれを放ってこない分、よりそれを肌で感じるのかもしれない。彼が欲深いと気付いたのは、付き合った後の事だった。
 大学生と高校生とは年齢的な部分で見ればそこまで大きな違いはないけれど、実際にできることはかなり変わってくるものだ。お酒一つにしてもそうだけれど、大人はある程度自分の裁量を持っていて、良心に従って行動を求められる。自由が多くなるその分だけ、その代償が全て自分に跳ね返ってくる。それが、私にとって彼の存在そのものだったのかもしれない。
「こんなに甘えられるのは、遼の前だけだよ。」
さんは強いけど、普段は隙だらけだから。酔った時は、特に。」
「うん。自覚あるから、最近は飲んでないよ?」
 少し前に二十歳になって、ボーダーの成人組から祝ってもらった酒宴で、私は大層酔っ払った。体に馴染みのない酒は私を酔わせたし、何より楽しくさせた。別に何かをやらかす程に泥酔した訳ではなかったけれど、彼の前でその話をしてしまったの迂闊でしかなかったと私は後悔をし続ける。
 悪気なんて、微塵にもなかった。酒を飲むのは楽しくて、飲みの場はそれ以上に楽しいと思ったという些細な感想でしかなかった私のその言葉は、彼を恐らくは傷つけた。酒を飲めない未成年の彼にとって、彼のいない場所を楽しいと表現するのは私の配慮が足りなかったのだとその後思いしって、反省した。彼の態度が変わったのは、それからだ。
「別にそんなに心配しなくたって、何にもないから。遼は心配しすぎ。」
「俺が早くあなたを手に入れただけで、誰が狙ってるか分からない。」
「ないない。ボーダー内で、私たちの事を知ってて手出してくる物好きなんていない。」
 あれ以来、彼は私を見えない何かで束縛する。具体的に何かを言われて行動を制限されている訳ではないけれど、それは言葉よりも拘束力が強く、私を縛り付ける。存在し得ない敵を見据えて、私を離すまいと私を独占する。
「…少なくとも私が知ってる限りでは、いないよ。」
 彼と付き合うより前、私はボーダー内で他の男と付き合っていたという過去を持つ。けれど、それは今の私と彼の付き合いのように公にはしておらず、知るものは少なく限定的な人間に限られる。多分知っているのは、諏訪さんやレイジさんくらいのごく一部だ。別に隠していた訳でもないけれど、おおっ広げに言う事でもなく言わなかっただけだ。
さんは油断ならないから。その点はあまり信用できない。」
「うそ?彼女なんだから信用してよ。」
 最大限、私は彼女である今の身分を活用して、ベタベタと彼に甘える。自分でもこんなベタに甘えられる女であった事に対して驚きを隠せないし、甘えようと思えば甘えられる女だったのかと自分のことながら不思議に思う。前に付き合った時、少なくとも私はこんな事ができる女ではなかったはずだからだ。
「こんなに甘えてるのにわかってくれないんだったら、それはただの意地悪。」
「知らないんですか?男って、好きな人ほど虐めたくなるもんですよ。」
「小学生の男の子じゃあるまいし。遼は、私なんかよりも大人でしょ。」
 あの頃の私は、早く大人になりたいとよく思ったものだ。彼と対等になれる大人の女になりたいと、随分と背伸びをして付き合っていたし、いつだって自分が子どもである事を自覚して、そんな自分に嫌悪感を抱く事だってあった。手をどれだけ伸ばして、私が成長しても、掴める位置に彼はいないような錯覚に陥っていた。だから、上手くいかなかったし、私が一方的にそう思うことで、破綻してしまった関係だったのかもしれない。
「男は女性よりも子どもって言うし、俺はさんよりも年下だから。」
「…じゃあ、早く大人になってよ。」
 あの時初めて飲んだ酒は、楽しいという感情と共に、私の中で恐怖の感情を作り上げた。もう忘れかけていたあの頃の感情を見事再現して、あの時の私に戻してしまった。意識的ではなかったにせよ、完全な無意識だった訳ではない。簡単に私を引き戻す力のある酒は、心底怖いと思ったし、何かが始まる訳でも再開する訳でもないのに背徳感を得たようにどきどきした。
 その日以降、突然彼は私と付き合っている事を隠す事なく、公言するようになった。別に付き合いを隠そうとしていた訳ではなく、前と同じく公にする意味も特にないと思って言っていなかっただけだったけれど、逆に何か公にすることに不都合はあるのかと言質を取ろうとしてきた彼に、私は肯定せざるを得なかった。
「大人じゃない俺は、嫌いですか。」
 まるで一昔前の自分を彼に見ているようで、心が痛む。遼は、以前の私と似ている。だからこそ、私は彼の事を一番に理解できるし、彼をそうさせてしまった私は彼を心の底から理解してあげないといけないのだろう。
「答えが分かってて聞くんだから、質が悪い。」
「自覚してますよ。俺は、さんに対しては質悪いですし。」
 あの日以来、私は遼の彼女としての自分に振り切って、全てを捨ててきた。成人してこれからあったであろう楽しい飲み会も、オフの日に大学の友人と遊ぶ事も、何もかも。私情を挟みまくっていると周りから呆れられても、遼と同じシフトにして任務の日だって彼に合わせた。
「ほんと、質が悪い。」
 あの時できなかった甘えるという行為も、遼にだったら躊躇う事なく出来る。キスをねだることだって、私以外を見ないでという甘ったるいを超えてうざいその言葉だって、造作もない事だ。だから、早く私を迎えにきてほしい。
「好きって言わせるゲーム、私の連敗だなぁ。」
 年上である私を、少し大人に見えて一時的に好きなだけではないと、早く証明してくれないだろうか。私のために全てをかなぐり捨てて全力で愛情を注いでくれる彼に、私も多くのものを捨ててきたのだから。早く大人になって、一時の感情の過ちではないと証明して、早く私を迎えにきて   
 囚われているのは遼ではなく、もうすでに私の方なのだから。 

不可視も積もれば
( 2022’02’23 )