二宮と付き合うことは一種のステータスなのかもしれない。人と付き合ったり別れたりすることをステータスで押しはかるのは如何なものだろうか。答えは簡単で、それは紛れもなく最低な人間がする事だ。そしてここで特筆すべきなのは、その最低な人間が私だという事実である。

 今に思えば、小さい頃から承認欲求が強い子どもだったと思う。恐らくそれは私の生まれ育った環境が大きく関係している。三人兄妹の末っ子として育った私は、親が手塩にかけて育ててくれたからなのか、他人の視線の先に映るのは常に私であって欲しいという願望があったし、それがどこか当たり前だと思っていたのかもしれない。同じ血を引いたとは思えない程に兄と姉は文武両道に優秀で、それに対する劣等感が環境をより加速化させたのだろうと思う。
 ボーダーという選択肢を見つけたのは、高校三年生の夏の事だ。まさに私の存在に付加価値をつけるにはもってこいの場所だと思った。一目惚れをしたかのように体に稲妻が走った気がした。
 自分勝手な都合でしかない邪な感情を抱きつつも、母が先の大規模進行以降、生活の拠点を三門から切り離した方がいいのではないかと時折父に相談するようになっていたのを私は知っていた。邪な感情と抱き合わせに、純粋に母を安心させたかったという本音が隠れている。その先にある“母に必要とされたい、認められたい”という承認欲求があった事は否定しない。

 二宮と出会ったのはボーダーに入ってからのことで、私たちは同じ時期に入隊した所謂“同期”という関係だ。口数の少ない二宮はボーダー内はおろか、同期の中でも取り分け異質な存在だった。その少ない口数が発せられる時、それはものすごい威力をつけて飛んでくる。短く、そして語弊を生む端的な言葉は信じられない程にぶっきらぼうで、生意気だった。いくら同期と言っても年は皆バラバラで、二宮を快く思わない連中も多くいた。私はその中でも、同学年だったことが幸いしたのかもしれない。
 二宮に文句を言っていた連中がその口がスッと閉ざすしか無くなったのは、本当に一瞬の事だったのを今も鮮明に覚えている。桁外れのトリオン量、弾を扱う繊細な動き、勝ちにこだわった戦略、全てにおいてレベルが頭三つ分は違っていたと思う。兎に角、何もかもが規格外だ。連中が口を閉ざした後、すぐに二宮は正隊員へと駆け上っていった。同期で、誰も二宮に追いつける人間なんていなかった。
 いつからか、自分が目指す高みが二宮のいる場所だと思うようになっていた。目標とするにはあまりに高い壁だが、目標は低いよりも高い方がいいに決まっている。二宮のようにと、他の連中よりもよっぽど高みを見つめ、目指した私が案の定二宮を除いては訓練生からの一抜けとなった。そして、話はようやく冒頭へと戻る。
 二宮とは、私にとってのステータスで、そのバロメーターを測る指標になっていたのかもしれない。既にボーダー内でも確固たる地位を築いていた二宮の隣にいる事ができる自分を、恐らくは自分で容認したかったのだと思う。二宮とは、思っていたよりもすんなりと自然に付き合う事ができた。
「二宮は可愛いとか似合うとか言ってくれないよね。」
「なんだ、それは言えという要望か。」
「ただの感想。それとも私への関心ゼロ?」
「茶番に付き合うほど暇じゃないのは確かだ。」
 別に文句という文句がある訳じゃない。ただ少し欲を言えば、いくら口数が少ないとは言え彼女の変化や努力にはそれ相応のリアクションが欲しい。私にとっては優先度の高い案件だ。二宮からの愛情をしっかりと感じたかったのかもしれない。結果的に二宮の方から告白してもらう流れに持っていったのは私だったけれど、目に見えたり言語化されている“確証”に近いものが欲しかった。
「爪、割れてるぞ。」
 自販機で買ったジュースのプルタブを勢いよく開けた時、そう言えば引っ掛けて少しヒビが入ってしまった。新調したネイルの事には何も触れてくれないけれど、それは気づいている上であえて言っていないという事なのだろうか。
「お前の事だ、また引っ掛けるから整えとけ。」
「…うん。」
 なんだか複雑な気分だ。気遣いには違いないけれど、私が言及して欲しいのはそっちじゃない。ネイルは、二宮と付き合うようになってから初めてやるようになった事だ。初回のネイルはベーシックなデザインだった事もあって気付かれていないのかもしれないとそれ以降少しずつデザインを変えてみたが、二宮の反応は今日に至るまで特別変わった様子は見られない。私の爪に対して言及してきたという点においては今日が初めてだ。
「慈善事業じゃないんだ、関心がない訳じゃない。」
 それが二宮なりには最大限私への愛を言語化したものなのかもしれない。嬉しくない訳じゃない。でも、興味がゼロという訳じゃない事なんて既に分かってる。だからこそ、そのリターンを求めてしまう私はやっぱり傲慢なのだろうか。二宮から大切にされているという確証が欲しかった。
「それ“好き”って集約した方が早くない?」
「表現方法まで束縛される覚えはない。」
「……もうちょっと言い方あるでしょ。」
 関心がない訳じゃない。なら、私のどこに関心があるのだろうか。言葉にしなくても通じ合える類の人間は実際には存在していると思う。けれど、私と二宮にそれは出来ない。私たちは性格も、考え方も、何もかもが違うからだ。表情筋の凝りを解せば二宮にも感情の四季が生まれるだろうか。二宮のその整ったかんばせが映し出すのは、どんな時でも“無”だ。私のように一喜一憂している気配は些か感じられない。
「今日の夜は空けておけ。」
 二宮は飲み掛けのコーヒーを上品に飲み干すと、腰掛けていたベンチから立ち上がって、ぶっきら棒に言葉少なげに端的な用件だけを言い残す。
「…いつも突然。」
「任務が入っていないのは確認してある。」
「用事はあるかもしれないじゃん。」
「あるなら言ってみろ、一応聞いてやる。」
 いつだって主導権は二宮にある。ある程度それは仕方のない事だと割り切ってはいる。二宮は東さんのチームでA級の中でもトップクラス争いをしていて、流石の私でさえも多忙を極める二宮にその文句を直接いう事はない。けれど、そんな二宮に合わせて私がいつでも“フリー”でいる状態が当たり前と思われては困る。私が一方的に二宮を追いかけ、そして好きと言っているような気がして無駄なプライドが邪魔をする。好きと一言で集約した方がよっぽど可愛いし、簡単なのにそれが出来ないのは私も二宮と一緒だ。
「……一話目は凄く面白かったけど二話目以降迷走してる年の差社内恋愛のドラマ放送日なんだ。」
 結局どうしようもなく碌でもないとって付けたような理由に、二宮は吐息で感情を表現した。我ながらよくも飽きずに付き合ってくれているなと呆れる。年頃の自分達の周りにいる普通の恋人たちを見る度に、同じように二宮と普通の恋人らしい事が出来ないものだろうかと、私もため息が止まらない。
「聞くが、それは俺をおちょくっているのか。」
 そんな事はないという否定の言葉も、気づいちゃった?という茶目っ気満載に肯定する言葉もどちらも出なかった。少々強引とは言え、多忙を極める中でも私との時間をとってくれているのは普通に考えて嬉しい事だからだ。皮肉だけを言う程、現状にとんでもない不満を抱えている訳ではない。
 二宮と付き合ってまだ日が浅い頃は、歩く先が花畑絨毯に見えるような錯覚を覚える程幸せだと思った。付き合いたてのカップルが幸せの絶頂を分かち合うように好きの安売りをする時期にも、二宮は私に好きのワゴンセールを実施してくれなかった。受注生産でさえも先程のように交わされてしまった。けれど安売りしなかったからこそ、そんな無口な二宮を愛おしく感じたのかもしれない。
 ボーダー内で、同じチームでもないのにいつも二宮の隣について歩くのは大層気分が良く、鼻が高かった。ボーダー内でも一目置かれている存在である二宮の彼女になった自分に酔っていたんだと思う。そして、その酔いが覚めた状態が現在軸だ。
「大層下らないドラマとやらが見たいなら好きにしろ。」
 そうやって少し突き放そうもんなら、すぐに謝罪の気持ちが湧いてきて「二宮、嘘だよ。」と私の口は唱え始める。どうしようもない私のどうしようもない部分まで付き合ってくれる二宮に、結局私は敵わない。
「…ていうかツッコむ所でしょ。」
「生憎ツッコミ文化には精通していない。」
「ツッコミ待ちのボケ結構しんどいよ?」
 どこかへと向かってボーダー本部内で歩き始めた二宮の後を至近距離で、私も付き添い歩く。ねえねえと、今日はどこのお店に連れていってくれるのかと訊けばぶっきら棒にいつもの通い慣れた焼肉屋の店名が飛んできた。けして、煩いとか離れろとかそういう事を二宮は言わない。それが唯一、私が二宮から煙たがられず彼女としてそこそこ大事にされている指標になっていた。
 二宮と付き合ってから、もうあの焼肉屋に行くのは何度目だろうか。塵も積もれば山となるという言葉の存在を、この時の私はまだ考える程追い詰められてはいなかった。何かが爆発する時なんて、全てそれはチリツモなのだ。



 暇な訳じゃないのに、二宮を見ていると自分がものすごく暇なように思えた。報奨金が入ったこともあって、その金は自分を磨くために使った。地元近くの美容室ではなく、ネイルやまつ毛パーマができる複合型の美容室に珍しく電車で少し遠出をした。二宮の隣にいる事に恥じないでいいように、自分に投資したのだ。二宮の為に、なんて恩着せがましい言い訳をつけてみたものの、結局は自分が認められたかっただけなのかもしれない。
さん、前髪切りました?」
 とぼとぼと暇を持て余して訓練室ロビーを歩いていた時、真正面から突然自分を呼ぶ声が聞こえて思わず歩みを止める。顔を上げると、そこには最近正隊員へと上がってきた犬飼という後輩の顔があった。嵐山隊が行う入隊後の研修フォローに入った時、少しだけ会話を交わしたくらいの関係性で特別仲がいいという訳でもない。どこかですれ違う度に手を振って話しかけてくる礼儀正しい子だな、というくらいの印象しかない。本部基地では隊員同士でもそうそう毎日偶然顔を合わせる事はないが、そういえばここ最近彼とはよく遭遇する気がする。偶然にしては、かなり頻繁だ。
「…よく気づいたね?」
「普通に見れば分かるし、似合ってますよ。」
 やっぱり二宮が普通ではないのだろうかと、そう思って自分の行為を正当化したくなる。私は二宮に認められるため、こんなに努力しているのに二宮だけがそれを評価してくれないと勝手な被害妄想を植え付けて。二宮に否定された訳でもないのに、犬飼が気づいてくれた事で思考がそっちへ引っ張られて、引き戻すのに必死だった。
「犬飼くん、モテるでしょ?」
 多分、二宮よりも犬飼の方が母数で言えばモテるだろうと思った。二宮に憧れている女子はいるだろうけれど、憧れていたとしても私というボーダーでは公になっている彼女がいる上、コミュニケーションを気軽に図ることのできない男だ。だからこそ、私は爆発せずに二宮と付き合っていれているのだろうと思う。二宮と犬飼の最大の違いはそこで、親しみやすさと、こちらに合わせてくれるところだろう。やきもきしなくても、駆け引きしなくても、犬飼ならずっと付き合いたての時のような言葉をかけてくれそうな気がした。
「それは俺が決めることじゃないし、もしそうならそれは嬉しいですけど。」
 多分、駆け引きが上手いのだろう。好きになるまでの過程で言えば、こういう男を好きになった方がスリルや独特の焦ったさが感じられるのかもしれない。私が二宮にして欲しいと願う事、全て犬飼なら叶えてくれそうだとそんな事を思ってしまっていらない罪悪感を感じてしまった。彼に恋をした女の結末を考えると、なんだか気の毒な気がした。
「余裕あるんだね、犬飼くんは。」
「そう見えてるならいいんですけど。」
「大丈夫、そうにしか見えない。」
 そう言えば犬飼は元々の笑みを更に加速したように、目を細めた。それが罠のような気がしつつも、彼の彼女になったら女は幸せだろうなと他人事のようにそう思う。でもこれは、あくまで二宮に私が求めていることで、彼に求めているわけではない。だから、こうしてサラッと世間話をするくらいでとどめておいた方がいいと思った。
さんがそう言ってくれるなら俺は自惚れてもいいのかな。」
「あくまで私一個人の意見だから鵜呑みにしないでね。」
「そこまで馬鹿じゃないし、それを糧に邁進することはできる。」
 随分と向上心のある男なんだなと思う。この時初めて、少し犬飼に対してのバリアを貼った。それは彼が私に対して何かを仕掛けてきそうだというそんな奢った感情ではなくて、自分自身を戒めないといけないと思う気持ちだ。私が二宮に欲している事を全て持ち合わせる犬飼を、これ以上考えたくなかった。私は、二宮にそうされたいと思っただけで犬飼に同じことをされたい訳じゃないのだから。
「今回のネイルも、可愛い。」
 恐らくは二宮も気づいていたであろうネイルだけでなく前髪を整えた両方に気づいてくれた犬飼に、不覚にも少しだけドキッと胸が高鳴った。こういう男を世の中では、生粋のモテ男というのだろうと思ったし、私はそれに嵌まる女ではないのだともう一度だけ言い聞かせた。
「これ以上言うとセクハラで二宮さんに怒られるかな?」
 そうやって挑発的な言葉をあえて投げかけてくる犬飼に、磁石のプラスとマイナスが合致しそうになるのを必死になって反対の磁力で対抗する。彼はこんな駆け引きを私以外の人間にもしているのだろうか。そんな事を考えてしまった時点で、私の勝敗はついていたのかもしれない。
「そんな事二宮が言ったらもっと好きになるなぁ。」
「うわ〜、それって普通に惚気。」
 私が口に乗せた言葉は、嘘偽りのない真実だ。今でも私は二宮の事が誰よりも好きだし、他の男が付け入る必要なんて微塵にも必要はない。もし犬飼の事が少しでも良く見えたのだとすれば、それはただのない物ねだりのはずだ。私は、二宮が好きなんだから。
「でもそれって、俺が今のままなら付け入る隙があるって事ですよね?」
 彼のその問いに対して明確な答えを言わなかった私は、無駄に心拍数が上がっていてそれを忘れようと努めた。そんな事考える必要がないと思ったからだ。
 けれど、二宮を好きと思う純粋な気持ちの一方で、二宮と付き合っている自分に多少なりともステータスを感じていた私は、本当に二宮の事が好きなのだろうかと少しだけ自問してしまった。そんな事考える必要もなければ、私はしっかりと二宮のことが好きなのだからこんなジャブ打ちにいちいち反応はしていられない。そもそも、これは犬飼のタチの悪い遊びでしかないはずだ。
「……想像にお任せするよ。」
「あんまり責任ない事言うと困るのさんですよ?」
 この時の私は、まだ犬飼の言うその言葉の意味を良く理解できていなかったのだろうと思う。彼は満足したのか、満ち満ちたかんばせでヒラヒラと手を振って私のもとを去っていった。訓練生から最近正隊員になったとは思えないくらい、余裕な笑みを浮かべて。最近B級になってばかりのくせにと言えば論破されそうで、出かかった言葉を一旦止めた。
 A級一位に上り詰めた東隊が解散したのはそのすぐ後で、狙い撃ちをしたように犬飼が二宮隊に入ったのは割とそのすぐ後のことだった。その真相は怖くて、私は二宮に尋ねる事ができなかった。



 珍しくその晩、私は二宮に電話をかける。目的は決まっていた。私は二宮の事が好きで、それが揺るぎない事だと信じるためだ。他意はない。だって、私は二宮が好きなのだから。それはステータスじゃなくて、何があっても揺るがないものだと思いたかった。五コール目にようやく聞こえた恋人の声に、私の声が逆に震えてしまった。
 脈絡もなくかかってくる私の電話にでた二宮は、いつも「言いたいことはそれだけか。」と聞いて終わらせるけれど、普段からお喋りな私が自分からかけた電話で大して話もしない事を不思議に思ったのか、沈黙が続く電話を切らずにいてくれた。


Case2