またやってしまった。
 心の声に留まらず、それは私の口から既に出ていたらしい。呆れたように隣に座っている友人がこちらをみて、察したように「またなの?」と声をかけてきた。私もそう思います、またやりました。
 一時間目に使う現代文の教科書の話をしている。私の鞄の中には今日も現代文の教科書だけが入っていない。私はこの展開をよく知っている。昨日も全く同じことをしでかしているからだ。
「ほんと懲りないよねアンタ。」
 昨日の夕方までは明日も現代文の授業があるから鞄に入れてから寝ようと心に決めていたのに、今朝の私はしっかりとそれを忘れているのだからしょうがない。
 朝食のパンを三口ほど齧った頃、母の「あ、公延くんもう家出てるわよ」その言葉に私はパンを口に押し込んで慌てて鞄を持ってその背中を追いかける。
「公延!」
「………ちゃんと食べてから来いよ。」
「だって公延歩いてるの見えたから。」
「十八にもなって一緒に登校する必要ないだろ。」
「幼稚園の時からずっとそうだから何となくさ、」
 彼は私と一緒にいるとよくため息をつく。しかも重めのやつ。つまり彼は物心ついた頃から日常的にため息をついているという事になる。一番古い自分の記憶の中にも彼は存在していて、幼稚園から高校までずっと同じ時を過ごしている近所の幼馴染だ。
「今日は忘れ物ないだろうな?」
「わかんないけどないんじゃないかな?」
「……全然分かってないだろ、それ。」
 ため息とセットになっているのはとても蔑むような白い目、アンハッピーセットだ。彼がため息とそして白い目のアンハッピーをセットにしてしまう自分の間抜けとズボラさには一定の理解を示しているが、それにしても“私”と“私以外”に対して彼の対応はあまりに違う。
 何をしたら怒るんだろう?そう思うほどに穏やかで、それでいて気さくで人を選ばない物腰の柔らかさを持つ私の幼馴染は、私にだけは随分とぞんざいな扱いをする。もちろん私がそうさせている、という自覚はある。
「そんなんだと大学入ってから困るだろ?」
「そう?同じ大学いくし平気でしょ。」
「………なんで大学まで同じにするんだよ。」
「なんでって……高校もそうだったじゃん。普通でしょ。」
 物心ついた頃から一緒にいるのが当たり前すぎて、当然のように同じ大学へ行くつもりでいた私に公延の心底深いため息が出た。
 何度かそれとなくどこの大学へ進路希望を出しているのか聞いてみたことがあったけど、どれも「進路くらい自分で選べよ」というちょっと辛辣な言葉でかき消されてきた。本人が教えてくれないのであれば、知っている人を捕まえるのが早い。教科書は忘れるけど、そういう知恵は我ながらよく働く。
「◯◯大でしょ?」
「……なんで知ってるんだ。」
「赤木くんに聞いた。」
 再び深いため息が聞こえてきた。爽やかな朝に二回も深いため息を出させてしまった。けれどこれは私たちにとってはある意味で通常通りの日常でしかないので然程も気にならない。
「この間の進路希望私も第一希望で出しといた。」
「無謀な挑戦だな。」
「うん、担任にも考え直した方がいいって言われた。」
 言葉では随分と厳しいことを言ってくるくせに、私の歩幅に合わせてスピードを落としてくれるところが結局優しさを隠しきれていない。本人はそれに気づいていないようだけど。優しくて、そしてなんだかんだ言っても面倒見がいい。
 一緒にいて心地がいい。その一言に尽きる。それは彼が私の幼馴染だからなのか、それとも公延だからなのか。私にとって幼馴染と呼べる存在は彼しかいないので、それを比較することはできない。
「あ、ちょっと待って!」
 小田急線の改札で定期券を見つけられず鞄の中を漁っていたら、目の前から一本電車が通り過ぎて三回目のため息が響いていた。ため息は聞こえたけど、その電車を見送って私を待ってくれている彼は今日もとても優しい。
 ……という数十分前の回想だ。
 これから私が取る行動は一つしかなくて、静かに鞄を机の脇に引っ掛けると立ち上がって隣のクラスへ向かう。同じクラスにならなかった事に少々の不満を感じたものの、こういう時ばかりは都合が良いものだ。
「公延〜ッ!」
 昨日も全く同じ事をしているので、この後どんな言葉が返ってくるかはなんとなく……というか絶対に分かっているけど私は同じ日常を繰り返す。日常というのは、そういう事だろうから。
「何度も同じことを言わせるな。」
「え〜、だって君は公延くんでしょ?」
「名字で呼べって言ってるんだ。」
 隣にいる赤木くんはもう慣れっこなのか、一度だけ私たちのそんなやり取りに目をやったけどすぐに教科書に視線を戻した。授業前に予習をするなんて随分と勤勉だ。
「現代文の教科書貸してくれますか?」
「……忘れ物はないんじゃなかったか?」
「以後気をつけますので。」
「昨日と同じ事を言ってる奴の言葉ほど信用できないものはないな。」
 あまりに辛辣すぎて、そして事実すぎるそんなやり取りに何故だか赤木くんの方が気にしているようだ。本来気にするのは私であるべきなんだろうけど。
 見かねて現代文の教科書を机の中から引っ張り出してきた赤木くんは、それを大きな手で私の方へと差し出してくれている。彼も中学時代から私の事をよく知っている人物の一人だ。実は彼もこの出立ちで面倒見がよく、そしてとても優しい。
「いいよ赤木、あんまり甘やかすなって。」
「……随分と厳しいんだな。」
「あ、やっぱり赤木くんもそう思う?」
「……話を逸らすなよ!」
 このやり取りが発生する時ばかりは、クラスメイトがこちらに注目してざわついている……私のクラスメイトじゃないから構わないけど。普段釈迦か何かと思われている公延がこんなに感情的で、そして攻撃的な言葉を発しているのだから。私にとっては日常でも、私以外の人間にとってそれは非日常でしかないようだ。
「明日は絶対に忘れるなよ?」
 そう言って、トレードマークになっている眼鏡をクイっと上げ直すと、公延の手から現代文の教科書が差し出された。念を押すように、少しだけ声を低くして。それがまるで意味を成さないと、きっと知っている筈なのに。
「明日は現代文ないからあるとすれば明後日かな。」
「…あ、おいッ!」
 私はそう言って逃げるように教科書だけを奪い去って足早に教室を出ていく。ちょうどタイミングを見計らったように予鈴が鳴り響いて、それ以上の追求を逃れる事に成功した。教室の扉越しに見えたのは、白い目で私を見ている公延と赤木くんの姿だった。
 自分の席に戻ってきて、現代文の教科書を机の上に置いた。
「アンタそれワザとしてたり?」
「……まさか、普通に忘れただけだよ。」
「どうだか。」
 わざわざ意図的に忘れる事に何のメリットもないのだから、そんな事はする必要がない。隣のクラスまで出向いて、そして目一杯ぞんざいを浴びる工程をまさか自ら望んでいる訳がない。
「わざわざ怒られに行くほど変な趣味持ってない。」
「私には変な趣味持ってるように見えるけど。」
「……まあ私が悪いけど、私にだけあたりキツいからさ。」
 もうちょっと態度と言葉も優しくしてくれてもいいのにとそう呟くように付け足すと、肘をつきながらこちらを見ていた友人は目を丸くさせている。何かおかしな事でも言ってしまっただろうか?
「アンタそれ何でか気づいてないの?」
「ん?なにが?」
 口をあんぐりと開いてから「……呆れた、そりゃ木暮も怒りたくもなるわ」そう聞こえてきた気がする。まるで意味が分からない。これだけ長く彼の側にいて彼をよく知っている人間は私以外にいないと自負しているつもりだけど、私の理解の及ばない話をしているんだろうか。
「“特別”だからに決まってるでしょ?」
「……へ?」
 自分では考えもしなかったそんな聞き馴染みのない言葉に、一度改めて考えてみた。
 考えれば考えるほど思考回路が乱れるような気がして、そして何だか居た堪れない気持ちになった。この十八年間、一度も考えたことがない私にとっては非日常的な感情だ。
 今日も彼の家で美味しい手作りクッキーを食べて、彼の部屋にある漫画を適当に見繕いながら先回りして帰りを待とうと思っていた私は、少しだけ今までの自分の行動に違和感を抱いた。
 どうしたものだろうか。つい数分前までの自分に戻れる気がしなくて、急に脈を持ち始めたように体内がどくどくと揺れている感じがした。





 さて、この辺りで最近の私の話をしておこう。
 あれから何年が経っただろうか。今にして思い返してみると、随分と私は世間知らずで能天気な女だったと痛感する。とは言っても、別に今もしっかりと真面な人生を送っているのかと問われたら答えを紡ぐ口どりは重いだろう。結局は、大人になったところで人は然程変わらないという事なのかもしれない。

 同じ大学に行く!
 そう宣言したまでは良かったが、その結末は恐らくある意味で期待を裏切らない想像通りの結果に終わった。あの時の担任の助言は正しかった事が皮肉にも証明された事にになる。記念受験という言葉もあるので、人生はそんな感じだ。
 物心ついた頃から、それも私の最古の記憶の中でさえ存在している彼とは湘北高校を卒業後、生まれて初めて違う進学先へと進み、彼のいない学園生活がスタートした。
 二十三区の都市部を少し飛び越えた東京の西側にある大学へ入学した私は、通学時間に一時間以上かかる苦行と、朝早く起きることが苦手という合わせ技により大学一年の夏に地元の藤沢を離れて一人で生活をし始めた。
 自分の部屋の窓からすぐに様子が伺える距離にいた彼は、物理的に少しだけ遠い人になった。
 彼の居ない生活を経験した事がない私にとってそれは当初大きな不安となったが、人間は適応能力というものを少なからず持っている。結局一人暮らし先での慌ただしい生活をこなしているうちに、それが当たり前になったのもあるのかもしれない。
 大学四年に入ってから内定を貰った東京の会社に入社して早数年が経つ。
 東京は随分と特殊な街だと、そう思う。一見華やかなように見えて、それでいながら何かに追われ、急ぎ、殺伐とした空気を隠せない街だ。
 もしかするとそう見えているのは私だけなのかもしれない。けれど、“そう見えてしまっている”時点で私も何かに追われ、そしてゴールの見えない目的地へ急ぐ日々を強いられていたのだろうと思う。
「公延〜ちょっと聞いてってば!」
 そんな私の今の日常は一周回って、原点回帰している。
 東海道本線・藤沢駅から北口改札を降りて徒歩七分ほど。老舗デパートと大型家電量販店の間を通り抜けると地銀の看板ととびきり大きいサイズのゴリラの置物が横並びになっている。突き当たって歩道橋を降りるとすぐ先に深夜まで営業しているスーパーがあって、その先を五分ほど進むと、彼の家がある。
「……何度も言わせるなよ。」
「なにが?」
「なにが?じゃないだろ、お前の家じゃないんだからせめてインターホンくらい鳴らせって。」
「え〜合鍵まで持ってるのに?」
 何故東京で働いている私がこうして藤沢にある彼の部屋を豪快(勝手)に開けているのか。先に述べておくと、その理由は大きく分けて二つある。
 まず一つ目、それは藤沢という街について。
 藤沢は私の地元でもあり、意外と知られていないが都内へのアクセスが非常に良く利便性と電車の選択肢の多い街だ。
 大学は東京の奥地にあったので結果的に地元を離れたけれど、藤沢〜東京間は電車の時刻によっては五十分を切る、一駅毎の走行距離がとても長いスピード感のある電車だ。特に戸塚〜横浜間は十分以上開かずの扉だ。
 何が言いたいのかと言うと、藤沢駅の周辺であれば都内への通勤も難儀しないという訳だ。藤沢駅から出ている小田急線を使えばすぐ近くに実家もある、私にとっては一石二鳥でしかない。
 では二つ目、それは幼馴染について。
 家を出てからも三ヶ月に一度のペースで実家に帰っていたものの、社会人になってからは公延と会うこともほとんどなくなっていた。帰省中に母親と何げない世間話をしていた時に上がった彼の話題。
 彼の住むマンションに一部屋中々埋まらない部屋があるという。困った大家が誰か部屋を探している人を知らないかと声をかけてきたらしく、彼が実家に帰った時にそんな話になったらしい。それがうちの母に伝聞され、そして私の耳に入ったという流れだ。
「今日はカレーか〜、中辛?甘口がいいな。」
「……お前基準に作ってる訳ないだろ。」
「公延見かけによらず辛いの好きだもんね?」
「どんな見かけだよ。」
 彼の家の合鍵を持っている私は、特に彼女という訳ではない。今も昔も変わらず幼馴染というその一言で全てを語れる関係性だ。それ以上でもそれ以下でもない。
「そもそもなんで食べる前提なんだ?」
「だってカレーって少なくとも十皿分でしょ?私の一皿分があったっていいじゃん。」
 職場の最寄りである東京駅から五十分ほど電車にゆらゆら揺られて、私はこの街に帰ってくる。そして、この街には公延がいる。合鍵はお互い何かがあった時の緊急用で交換しているだけで、深い意味はない。
「……ちゃんと手洗ってからな。」
「うん。」
 時刻は八時過ぎ。公務員として藤沢市役所に勤める公延には少し遅い夕食だ。それが何故なのか聞く事はしないけど、平日の夜はこうして彼と一緒に彼の作った手料理を食べる日常が私の人生に加わった。
「なんだ、甘口と中辛半々で作ったんだ?」
「誰かさんがこの間カゴにこっそり甘口ルー入れてくれたからな。」
「油断しなきゃいいだけじゃん。」
「普段油断しかしてないお前にだけは言われたくないよ。」
 童心に帰った悪戯をした私に非が無いとまでは言わないにしても、嫌なら入れなければいい。とても簡単なことだ。そんなカレーが出来上がっているのは、先週も彼の作ったカレーが甘口と中辛の半々だったからで、半分ずつ余っていたからなのだろう。
 なんだかんだ言って、公延は結局私に優しい。
「それで?聞いて欲しい事ってなに?」
「あ、………なんだっけ?」
「忘れるくらいだから大した事ないって事だろ。」
「そんな殺生な。」
 ぞんざいと優しさという本来共存しない筈の二つを掛け合わせると、公延になる……というよりは“私に対する公延”になる。
 公務員として市役所に勤める彼の評判を地元の友人に聞くと、お年寄りに対してもとても親身になって対応していて優しさに溢れているともっぱら評判だ。結局彼のぞんざいが発揮されるのは私の前だけらしい。
 それがないとなんだかしっくり来なくて、つい自らぞんざいを回収しに行っている感は否定しきれない。それが物心ついた頃から私の中で一つの文化としてすくすくと一緒に成長してしまったからなのだろう。
「逆に公延は悩みとかないの?」
「あったとしても相談相手は選ぶ。」
「それ悪口?」
「……捉え方次第だ。」
 私が一方的に悩みにも分類されないレベルの低い戯言を吐き出す一方で、彼からの悩みや相談を持ちかけられたことは一度もない。一度もだ。私の戯言に対して、イエスかノーかぞんざいの三択が返ってくるだけだ。
「浮ついた話の一つや二つくらいないの?」
「お前みたいに浮ついてない。」
「ねえ、会話ってどうやってするか知ってる?」
「お前の質問の質が悪過ぎるんだろ。」
「ん〜、辛辣だ。」
 十八になるまでほとんど同じ時間を共有してきたが、それ以降私の知らない彼の数年について詳しく話を聞いた事はない。大学時代に恋はしたのか、彼女はいたのか、どんな女性がタイプなのか、私はその全てを知らない。
 ただ一つ分かっているのは、少なくとも今現時点で彼女らしき存在は居ないであろうということ。ただそれだけだ。そうでなければ流石に合鍵は手に入らない。
「大学の時は?」
「主語。」
「彼女。」
 もう何もかもが許される程子どもではないし、どこからどう見ても私たちはただの大人だ。流石にその間なにもないという事は考えにくい。けれどその一方で好みのタイプすら把握できていない公延の彼女を想像する事もまた難しい。
「……まあ、普通に。」
「ふうん?そっか、全然公延の彼女とか想像できない。」
「別に頼んでない。」
 自分でもそこまで掘り下げて聞きたい訳でも知りたい訳でもないので、もう一度「ふうん」とそう告げてぼんやりと考える。付き合ったらどんな感じなんだろう。人生そこそこ生きてきたけど公延の恋愛事情について考えたことは一度もない。一度もだ。
 偶然にもあの頃と変わらない環境と境遇が私の目の前に広がっているだけで、私たちの関係がこのままずっと平行線に続いていくとは限らないのだと改めてそんな事を思う。
 私にも公延にも恋人ができる事もあるだろうし、その延長で結婚もするかもしれない。事実、ここ最近ちらほら結婚する同級生が現れ始めている。焦っている訳じゃないけど、自分がマイノリティーになる事への恐怖は存在する。
「そう言えば昔結婚の約束しなかったっけ?」
「……は?」
「小学生の時にさ、」
「いつの話だよ……もう時効だろ。」
 きっと私が思いつきで言ったことなので、特別な意味はなかったんだろうと思う。恐らくはドラマでそんな台詞が耳に入ってきたとかそんなレベル感だろう。じっくり思考してというよりは、考える前に言葉が出ている事の多い私にはよくある事だ。だから今の今まで忘れていたのかもしれない。
「三十歳でお互い独身なら結婚する?って。」
 きっと三十まで結婚していないそんな未来をその頃は想像していなかったんだろう。当たり前のように結婚をして、子供を産んで、家族と家庭を持つそんな未来。私が子どもの頃はそれが当然という世の中の風潮がまだ強かった。
「……小学生じゃなくて中三の時だろ。」
「なんだ、覚えてるじゃん。」
 公延と結婚する未来が見えていた訳じゃない。けれど、家族同然の近い環境で育ってきた公延がいない自分の日常が思い描けなかったから。きっとそれは物心ついた頃から今に至るまで変わっていない事実なのかもしれない。
 この感情を、この唯一無二の関係性をどう位置付けるのかはとても難しい。
「あと何年かな?ひ〜ふ〜み〜、」
「数えるな。」
 もしかすると私は、あの頃の私を裏切ってしまっているのかもしれない。本当に最終手段として三十までに結婚していなかったら、なんて思っていたけど今の所結婚する予定も予兆も予感もない。そもそも論、結婚をしたいのかと言えば結構微妙なところだ。
「結婚する事自体は当たり前っていうか……義務教育くらい当たり前の感覚だったけど随分世の中変わったしなあ、」
「お前にしては珍しく世論を語るんだな。」
「まあこれでも一応社会人だし、ちょっと前までは結構な社畜でしたから。」
 藤沢に戻ってきたのがちょうど三ヶ月ほど前。ブルーライトを浴びながらいつ終わるかも分からない仕事にコンビニご飯を食べるそんな日々は、知らない間に私の心を蝕んでいった。今日だけだからが今週だけだからになって、今月だけだからになってそれが慢性化して結局その間に心身ともに健康を崩した。
「結局自然体でいる事が大事なんだよ、多分。」
「お前にしては真面な話だな。」
「……全然褒められてないね?」
「何を褒められると思ったんだよ……」
 市役所といえば不思議と中高年のイメージをしてしまうけど、多分新卒の子もいれば色んな人がいる。公務員がその年だけ枯渇しているなんて考えにくいので、きっと毎年彼のいる藤沢市役所にも新入社員が入っているのだろう。
「新卒の子でお眼鏡に叶う子はいなかった?」
「お前と違って邪な目で見てない。」
「え〜?私も筋肉の有無見るくらいで邪な気持ちないけど。」
「……十分邪だろ。」
「直近だとスポーツニュースで見た宮城くんの筋肉が一番理想的だったな。」
「……煩悩しかないんだな、お前は。」
 中高と背の高かった赤木くんと一緒にいた公延と私も一緒にいたからこそ、気づかなかったのかもしれない。
 百七十八センチ、日本の成人男性の身長より五センチも高い。きちんと朝に起きて夜に寝る、そして健康的な食事をする公延がまさか世間から見た時にとてもとてもとても優良物件だとは……考えても見なかった。
「公延ってさ〜、」
「……なんだよ。」
「背も高いし、優しいし、結構顔整ってるし、経済力あるし……なんで世の中の女子が放っておくのかな。」
 どう考えても優良物件なんじゃないだろうか。公務員、二十代、ギャンブル癖なし、趣味は読書と料理。藤沢駅南口の商業施設内で開催されているお料理教室(初心者)に通っているが、この時点で不安要素は一つもない。
「お前がそう思ってるだけだろ。」
「私、公延の事優良物件って思ってたのか。」
「……反応しづらい。」
「え、そう?」
 考えたこともなかったけど、でも考えてみれば公延と結婚する人はきっと幸せになるだろうなと、そう思った。
 人の良し悪しは仕事だけで決める事はできないけど、それでも安定した職業は結婚を求める世間の女子達からは評価が高い。だからと言って、公務員全般がいい人という訳じゃないけれど。
「なんかさ、世間は分かってないって思うじゃん?」
「……なんだよそれ。」
「私は幼馴染で身内みたいなもんだからアレだけどさ、普通に考えたら公延と付き合ったら幸せだと思うんだよね。」
 体裁を気にする人であれば公務員という肩書きで事足りてしまうし、多分思いやりや優しさは相当あると思う。誰に言われる訳でもなくお料理教室(初心者)に通っている二十代男性(穏やか)なので間違いなく同世代はこぞって手を伸ばしたくなる条件だろう。
「相手がそう思わなきゃ意味ないだろ?」
「まあそれはそうか。」
「だから結婚とか、誰かと一緒に暮らすのって難しいんじゃないか?」
「う〜ん、確かになあ。」
 固定概念とか、義務感とか、周りに合わせないといけない無言の圧力とか、そんなものに囚われる必要なんてあるんだろうか。結婚というと響きはめでたいけど、必ずしもそこに幸せが待っているとは限らない。
 だったら結婚しなくても、こうして気のおける幼馴染と程よい距離感を保ちながら近い環境で暮らして、一緒にご飯を食べて、時々愚痴を聞いてもらうそんな生活のほうがよっぽど健康的で、そして幸せなんじゃないだろうか。
「私と公延みたいな関係の人たちが結婚すればきっと楽しいし楽なのにね?」
「………お前の問いかけは答えにくい。」
「そう?」
「自覚を持てよ。」
「え〜、」
「え〜、じゃなくて。」
 この生活が続くのであれば別に結婚という二文字に縛られる必要なんてないのかもしれない。見ず知らずの人と結婚をして生活を共にするより、公延との程よい距離感のある今の生活がよっぽど楽しいと思うから。
 未来や将来の事なんて不安だらけで何一つ可視化できていないのに、そこだけは私の中でブレる事なく一本筋が通ったように奥の奥まで見えるような気がした。
「ねえ、アイスないの?」
「……お前なあ、」
「だって絶対冷蔵庫にあるんでしょ。」
「遠慮って言葉を知らないのか?」
「ある物は消費しないと!」
 私が幼い頃から好きだったバニラアイスが今日も彼の家の冷蔵庫から出てくるのを私は知っている。呆れた背中を見せながら冷蔵庫に向かう公延を見て、私は最後の一口になっていたカレーをスプーンいっぱいにかき集めて口に運んだ。
 ここ最近、甘口と中辛が混ざったカレーがちょうど舌に馴染むようなそんな気がしていた。





 目覚ましをセットしない限り自主的に目覚める事のない私の体は、朝との親和性がとても低い。あと五分と切に願う心の叫びと、遠慮のない眠気と、そして社会人としてのモラルを辛うじて持っている三つの私が毎朝対戦を始める。まさしく、朝は戦争だ。
 そんな私にとって休みは起きる時間を気にしなくていい至福の日だ。
 昼を過ぎて起きる事になんの抵抗もない。ただそこに、重たいため息と白眼差し、あとはぞんざいな公延がいるというだけの事。ノーダメージだ。公延とぞんざいはセットのようなものだから。
 そんな私が目覚ましをかけた訳でもなく、むくりと体を起こしたのは午前十時半の事。決して早くはない朝だが、私にとってはほぼ奇跡的な出来事に近い。
 最低限の身支度を終えると、私は玄関で鍵を持ってくるりと人差し指で一周まわす。公延の家の合鍵だ。土曜日のこの時間は、確かお料理教室で不在。昼まで帰ってこない筈だ。
 合鍵で入った公延の部屋は今日も整頓されてとても綺麗だ。自分と同じ間取りなのに、こうも広々と感じるのだから不思議なものだ。
 自分の家から持ってきた玉ねぎをまな板の上に置く。木暮家の冷凍庫を開いて、綺麗に小分けされている冷凍ご飯を二つ取り出す。卵もちょうど四つあったので拝借することにする。いつ返すかは今のところ未定だ。
「……うわっ、」
「おかえり、結構終わるの早いんだね?」
「当然のように話かけるなよ。」
「え〜、そんな冷え切った関係じゃないでしょ?私たち。」
「だからなんでいるんだよ!」
 もう毎度の事なのに、逆にそんなに驚かないで欲しい。合鍵を持っているのでそこまで驚く必要もないだろうに。毎回新鮮な反応だ。今の所まだ私の家に合鍵を使って公延が入った事はないので(私の記憶のある限りでは)、自分が同じ立場だったらどうかは分からない。
「なにその紙袋。」
「……今晩赤木と三井が来るんだ。」
「へえ?じゃあ私も予定空けとくね。」
「呼んでない。」
「え〜?」
「え〜、じゃない。」
 茶色い大きな紙袋の中に沢山食材が入っているようだけど、一体どこのスーパーで買い物したらそんなお洒落な事になるんだろうか。どこの国かは分からないけど、紙袋いっぱいに入ったオレンジを持った外国人が持っているアレに似ている。
「随分お洒落な所で買い物したんだね?」
「ああ、サヤエンドウが普通のスーパーになくて、」
「なにに使うの?」
「今日教室で肉じゃが教わったからそれを。」
「……講師の先生、随分と家庭的な料理教えるね?」
 ご年配の先生なんだろうか。料理教室ってもっとこう、写真映えするようなものとか皆が羨むようなお洒落な感じの横文字料理をする場所だと思ってた。偏見もいいとこだろうけど。
 クッキングスタジオではなく、お料理教室(初心者)というのがポイントなのかもしれない。一体どんな面子が揃っている教室なんだろう。少しばかり興味はある。仲良くなれる気はしないけど。
「別にサヤエンドウなくても作れるけどなあ。」
「……お前には関係ないだろ。」
「公延そういうのレシピ通りにやりたいタイプだもんね。」
 私は目分量で素材や手順もアレンジし放題の調理スタイルだ。一方で公延は私の真逆で、秤に、計量カップに、匙スプーンに、キッチンタイマーに……見ているだけでいつも疲れて台所を離れてしまう。
「で、なんでお前が台所立ってるんだ。」
「たまには料理でもしてみようかなあって?」
「なら自分の家でやればいいだろ。」
「ん〜、辛辣だ。」
 辛辣はスパイスのような物なので特に支障はない。調味料とほぼ同じだ。それがあって私たちの会話が完成形へとより近づく。
 平日は帰ってくるのが遅いこともあり、ここ最近はあまり料理をしていない。そもそも藤沢に帰ってくるとマンションのフロアから美味しい匂いが漏れて、私はいつも鼻をすんすんと動かしながら合鍵を使って公延の部屋に入る。そして、当然のように怒られる。毎度の事だ。おかえりの挨拶のような物だと思っている。
 つまり私が料理をする必要がそもそもない環境が整っている訳だ。
 目覚ましもなく真人間が起きる時間(甘く見積もって)に起きたのも何かの意味があったのかもしれない、その理由を作るために私は包丁をまな板に打ち付けて玉ねぎを刻んでいく。
「人ん家で勝手に料理するなよ。」
「いいじゃん?減るもんじゃないしさ。」
「お前が料理すると減るどころか片付けの手間が増える。」
「……上手い事言うね?」
「誰が片付けると思ってるんだ。」
 都合が悪くなったので、あえてそれに返事はしないでおく。人には得手、不得手というものが存在して、私は片付けるのが苦手だ。片付けが嫌いが故に料理をしないというのが凡その理由として成立する。
 遠い記憶を遡ってみると、いつも片付けをしていたのは公延だった。遊んでいても、おやつを食べても、忘れたように次の事を始める私に一言小言を言いつけて、そして自分の分と私の分をまとめて片付ける。
 育ってきた環境というものは想像以上に生きていく上での軸になるもので、あえて言葉にしないけどきっと私の片付け嫌いは公延が作り上げたと言っても過言ではないだろう。きっかけは私自身にあっても、それを結果的に甘やかし続けたのは公延だ。
「公延も食べるでしょ?オムライス。」
 彼が“食べない”と言えないものをチョイスしたのは私の戦略だ。こういう時、幼馴染は便利なアイテムになる。幼い頃から変わらない好物を知っているからだ。子供の時に好きだったものは、大概大人になっても変わらない。
「……材料を無駄にするのも勿体無いからな。」
「オムライス好きだよね、ほんと。」
「勝手に解釈するなよ。」
「オムライス皆好きだから別に恥ずかしくないよ?」
「……だから勝手に解釈するなって。」
 散々台所を好き勝手使って出来上がったオムライスは渾身の出来で、上々だ。私の分は半熟卵を、公延の方にはしっかりと火を入れた卵を巻いて完成だ。
 面倒だからと先にスプーンをお皿の中に添えてテーブルに運ぶと、随分白い目で見られたけど気にしない。結局食べてしまえば全部一緒だ。それが少し早いか遅いかだけの違いでしかない。嘗てそれを「合理的でしょ?」と言ったら、今以上に白い目をされたのをよく覚えているので流石に今回は言い止まった。
「いいから早く食べよ?」
「……いいのはお前だけだろ。」
「細かい事は気にしないでさ。」
「お前は少しくらい気にしたらどうだ?」
 そうは言っても、出来立てが一番美味しい事を知っているお料理教室に通う彼は一度律儀に手を合わせて頂きますと述べてからスプーンを通す。しっかりと火の通った卵に包まったケチャップライスを上手に掬い上げると、ぱくりと口に運んだ。
「どう、美味しい?」
「………お前昔から料理だけは上手いよな。」
「一言も二言も余計です。」
「味は褒めてる。」
 無言のまま食べ進めた公延はご馳走様と手を合わせると早々に皿を手に持って台所へと向かう。そして早速スポンジに水を浸したかと思えば洗剤を泡立てて皿を洗っていく。
「そんな急いでやらなくても。」
「誰かさんが台所を随分汚してくれたからな。」
 一旦聞かなかった事にして、私はまだ半分残っているオムライスにスプーンを通す。きっと私がオムライスを食べ終える頃には食器も、台所もピカピカになっているに違いない。私の役割は、それをじいっと待つ事。以上だ。
「食べ終わったんなら出してくれ、洗うから。」
「はあい。」
 母と娘の会話のようであって、けれど私と公延の会話だなあとやっぱりつくづくそう思う。藤沢に戻ってきてから三ヶ月、私たちの日常が徐々に構築されていく。毎日、日毎に少しずつ。あまりにもしっくりするこの日常は、もう何年も前から継続されているようなそんな気持ちになる。
 湘南は、藤沢は、このマンションの一室は、とても穏やかな時間が流れる。自分を取り戻すことのできる、そんな空間が私の日常を満たしているのかもしれない。
 あまり賢くはない私を、唯一自分で褒めるとしたらその決断に至った事だろう。
「赤木くん達何時〜?」
「十七時には来るからお前それまでに帰れよ。」
「え〜、絶対やだ。」
「ここは俺の部屋でお前に拒否権はない。」
「いいじゃん普通に見ず知らずの人って訳じゃないし、」
「お前がいると三井とお前が喋って終わるだろ。」
「あ〜、不思議となんかそんな感じはするね?」
 妙なリアルさを感じながらも、特別予定のない土曜日の午後は暇そのものだ。大抵はこの部屋でテレビを見ながらそれぞれ思い思いに過ごす事が多いけど、その空間がなければ私の土曜日は暇でしかない。
 先週も高校時代の面子とバーベキューに行くと不在にしていたので、流石に二週連続というのは私の土曜日があまりに不憫すぎる。
「じゃあ料理とかのお手伝い要員として、」
「イメージが出来ない。」
「もうちょっとイメージしてよ。」
 おもむろに部屋の辺りを見渡すようにキョロキョロすると、台所の隅っこみ置かれたままになっていた茶色い紙袋を見つける。立ち上がって中身をごそごそ取り出すと奥底からサヤエンドウのパックが出てきて、私はそれを持って再びテーブルへと戻る。
「なにするつもりだよ……」
「知らないの?サヤエンドウはヘタとスジ取らないと。」
「今日習ったから知ってるけどよく知ってるな。」
「お母さんが昔やってたなあって思い出した。」
 洗い終えた皿を一つ適当に選んで、そこにサヤエンドウのヘタとスジを入れていく。昔母親がやっていたのを見よう見真似なのでこれが合っているのかは分からない。公延が何も口を出してこないところを見ると、きっとお料理教室で習ったやり方と概ね同じなんだろう。
「料理できるのはおばさんの影響か?」
「うん、結構ああ見えて厳しくて料理沢山手伝ってたな〜。何となくだけど料理できるのは感謝だよね。」
 男の人は手料理というものに憧れのある生き物らしい。大学生の時に初めて付き合った人もそうだった。大した取り柄もないのに、料理がそこそこ出来るだけで想像以上に喜ばれてこちらが驚いたのを覚えている。
 でも結局長続きしないで恋は終わる。もしかしたら恋に恋をしていたのかもしれない。少し時間が経って、不意に冷静になると相手に気を遣っている自分を感じたり、素の自分でいられないその環境に居心地の悪さを感じたり……結局付き合っても、いつも同じ事を思って、そして終わらせてしまう。
「半分貸してくれ、俺もやる。」
「あ、うん。」
 殻入れにしている皿を正面に座った公延との間に置き直して、私たちは無心でサヤエンドウのヘタとスジに向き合っている。何ともシュールな昼下がりだ。
「なんかさ〜、」
「なんだよ。」
「私って付き合ってもいつも長続きしなくてさ?」
「……唐突に始まるんだな、お前の話は。」
 言われてみて、確かになんの脈絡もなく突然話が始まっている事に気付かされる。さっきまであの話をしてたから次はこの話をしよう、他の人の前ではそれくらいの思考能力くらいは持ち得ているのに公延を前にすると思ったことがそのままダイレクトに口から滑り落ちていく。
「料理の話してたら思い出した。」
「よく料理作ってたのか?」
「う〜ん、頼まれたらごく稀にって感じかな。」
 付き合ってきた人たちは結構いい人だったと思う。少なくとも私が知る限りで浮気をされた事はないし、週に一度は予定を合わせて会おうと言ってくれる人たちだった。そこそこ彼女として大切にされていたと思う。
「なんかしっくりこないっていうか、あ〜今相手に気つかってるなとか思うと居心地悪くって。」
 公延は一度下がっていた眼鏡をクイっと上げて、不思議そうに私を見ている。
 私だって誰にでもこんな感じという訳じゃない。社会に出て働いてもいるし、対人スキルだって悪くないと思う。心を許せる相手が自分でも想像以上に少ないのかもしれない。たった今そんな思考に辿り着いた。
「公延と一緒にいた方がしっくり来るんだよね。」
「いつまで俺に面倒見させる気だよ。」
「そんなペットの犬みたいな感覚で言わないでくれる?」
「ペットにしては随分躾がなってないけどな。」
「愛嬌はあるでしょ?」
「ありがた迷惑だ。」
「辛辣〜。」
 こう言ったらどう思われるだろうか、一歩外に出ると言葉を発する前に一度その言葉を自分自身で咀嚼する。咀嚼して噛み切れたものだけを言葉に乗せるようにしている自分がいて、何も考えずに本心や本音を言える相手は大人になる程どんどんと少なくなっていくものらしい。
「公延といる方がいいじゃんって思うと付き合ってる必要ないな〜ってなるんだよね、いつも。」
 私のことをよく分かっている理解者と、自分を着飾ることなく素でいられる境遇は本当にここだけなのかもしれない。物心ついた時からの付き合いともなれば、今更恥ずかしがるような事もあまりない。結局、公延の隣が一番しっくりきて、本来の自分でいることができる。
「……だから、」
「ん?」
「お前の問いかけは答えにくい……」
「え?そうかな。」
 最後のサヤエンドウのヘタ取りを終えた私は勢いよく立ち上がって、まだ半分は残っていたであろう烏龍茶の入ったグラスを倒して溢した。
 黒いシャツを着ていたのでシミにはならなかったのが不幸中の幸いで、見るからにずぶ濡れ状態だ。慌てて台拭きで拭き取ってから公延を見ると、見慣れた白い目がそこにある。概ね想像通りだ。
「二軍のでいいからシャツ貸してよ。」
「……汚すなよ。」
「そんな赤ちゃんじゃないんだから。」
「やってる事はほとんど一緒だろ。」
 小言を一言吐き出すと公延はクローゼットのカラーボックスから一枚シャツを取り出して、私に手渡した。普段あまり黒いシャツを着ているイメージのない公延にしては珍しい色合いだ。確実に私がまた何かを溢しても目立たない色を選んだに違いない。
 リビングから少し離れた所で服を着替えると、インターホンの呼び出し音が鳴っている。宅急便でも届いたのだろうかといそいそとドアを開くと、そこには見慣れた顔が二つ。
「……?」
「お前は勝手に人の家の呼び出しに出るなって!」
「鳴ったから出たのに。」
「頼んでないだろ。」
 赤木くんと三井くんだ。二人とも困惑しているようだし、後ろから慌てて出てきた公延も困惑しているようだ。つまり私以外全員が困惑している変な空間が出来上がっているが、一体これはどうするのが最善だろうか。
「昼前に連絡入れたんだが………取り込み中だったらその、出直す事にする。」
 私が明らかにオーバーサイズなシャツを着ているからだろうか。赤木くんは私と公延を交互に見遣ってとても気まずそうにそんな事を言い出したので、ようやく状況を理解した。
「勘違いだ赤木!連絡も普通に気づかなかっただけだから。」
「なんだ、お前らついに付き合ったのか。」
 気を使いすぎる赤木くんと、まるで気を使わない三井くんがあまりにも対照的すぎてどうしてこの人達は大人になっても仲良くしているのか少し不思議だ。タイプが違いすぎる。
「三井くんまで今更何を?」
「今更?なんだよ、もう結婚しちまったのか?」
「ん〜、もしかしたら数年後にしてるかも。」
「おい!適当言うなって!」
「だってそういう約束だったし。」
 未来の事なんて分からない。どうなるかなんて分からないし、分からないからこそきっと人生は楽しい。少なくとも公延が隣にいる今の人生は、とてもとてもハッピーだ。



( からっぽの歌 )
木暮公延