前世の記憶を持つ者は、ある一定数存在するとされている。
 まさか自分がそんなものに該当するとは思っていなかったし、基本的に目で捉えられる事以外は信じないタイプだ。死後の世界とか、神様だとか、それは所詮人間が苦し紛れに心の拠り所を作り上げただけの偽りの架空空間だ。
 初めて俺に記憶が流れ込んで来たのは、十五の時だった。
 突如、同じ夢を見るようになった。それはうんざりするくらいに何度も何度も同じ夢を見るものだから、物語の最初から最後までを朗読でも出来るレベルだ。読み聞かせるには、かなり不向きなグロテスクな夢だ。
 その後も状況は変わらなかった。この夢が何を伝えているのかは、よく分からない。けれど、夢の中に出てくるその女に意味があるのであれば、それは現世でも存在するのだろうかと考えるようになった。けれど、それらしき女は現れない。   これが映画だったら、俺の目の前にその女が登場してド派手に恋にでも落ちるところだろ。
 色々と新しい出会いのある春が来る毎に、柄にもなくその女が現れるんじゃないかと探したが、やはり現れない。
 高校を卒業して、なんとなく大学に進学した。教師なんて柄でもないと思ったが、なんとなく教師になった。人に教えることは苦手ではなかったし、自分が好きな絵を描いてある程度の金がもらえるのであればそれでいいと思った。
 社会人になってからは、夢の中に出てくる女のこともいつしか気にしなくなっていた。思っていた以上に教師という仕事は楽ではなく、けれど、それがちょうどよくその夢を霞めてくれていた。
 夢の中に出てくるその女に似た奴が入学してきたのは、ちょうどその頃だった。


 ◆
 が入学してきてから、あの夢の中の女の事を考えた。
 以前よりも夢の記憶は確実に薄くなっていた。もうあの夢を見ることもほとんどなくなっていたからだ。取り付かれたかのようにみたあの夢も、ここ数年は確実に見ていない。
 入学生一覧の名簿を目に通して、その女の名を知った。他人の空似という言葉があるくらいだし、この世には自分に似た人間が三人は存在するという話もある。もちろんそんな事を信じていた訳でもないし、どうでもいいと思っていたが、その名を見て一つ思い出したことがあった。
 夢の最後で俺が女を呼ぶ名が、合致していたからだ。
 これが万が一にも必然と言うのであれば、あいつは美術部に入るのだろうか。そんな事を思ったが、ストーリーというのはシナリオ通りに進む訳でもなく、現実にはならなかった。週に一度か二度、授業で関わるくらいだった。それもその筈だ、には壊滅的に芸術センスがない。それはもう、絵を描かせたら右に出る者が居ないほどに壊滅的だ。
 夢に何度も出てきたが、このという女で、生まれ変わりなのだろうか。姿や声は酷く似ていたけれど、何せ俺はの事をあまり知らない。いつだって見る夢は、同じシーンばかりを繰り返すからだ。性格も知らなければ、何が好きで、どんな女だったのかも分からなかった。
 それは“今”のにも同じ事だった。


 ◆◆
 梅雨入りしたとニュースで発表された。よく、雨が降る。珍しく早く終わった仕事にキリをつけて、駐車場へと向かう。教師としては早く帰れるという時間でも、生徒はほとんど歩いてはいない。
 傘もささずに、代わりに鞄を頭上に翳して猛ダッシュを決めている女が自分の学校の生徒である事に気がついて、よくよく見てみるとだった。
、お前何やってんだ。」
「あ、宇髄先生。傘、忘れちゃって。」
「お前梅雨入りしたの知らないのか。」
 呆れたと言わんばかりにそう言えば、罰が悪そうにしていた。鞄の下にある制服は見事なまでにずぶ濡れだったのだから、教師としては仕方がないと車へ乗せた。
「…拭けば?」
「あ、はい。」
 乗せたはいいが、はてどうしたものか。の家は知らないし、俺の家に連れ込んでも可笑しい。こんな所を見られでもしたら、変態ロリコン美術教師なんてゾッとするような二つ名がつく事が想像できた。ド派手なタイトルだが、出来ればそれは御免こうむりたい。
 家を聞けば、大層遠方から通っているというの事で、ここから高速で飛ばしても間違いなく三十分以上はかかりそうな場所だった。それに、全身ずぶ濡れになっている女を放置しておくのも気が引けた。
「勘違いするなよ。服着替えたらすぐ帰れ。」
「輩先生顔いいけど、そんな勘違いしませんよ。」
「輩言うな。宇髄せんせ、だろ。」
 少し車を走らせれば、あっという間に家へついた。変態ロリコン美術教師というふたつ名が現実にならないよう、車を止めた時も、マンションの入り口を通るときも、入念に人影がない事を確認してから家のドアを開けて、を部屋へと入れた。
 女物の着替えなど持ち合わせていないなと考えた所で、昔の女がパジャマと称して何枚か服を残していた事を思い出したが、それを渡すのも気が引けた。学生の口なんてペラペラに軽いものだ。別に彼女がいようといまいと自由だが、それが元で面倒な事に巻き込まれるのもやはり御免こうむりたい。
 少し迷って、自分の部屋着を一枚渡して着替えさせた。
「先生料理とかするんだ。意外。」
「あんま大人なめんなよ、高校生。」
「褒めてるのに。」
「“意外”って言葉に悪意しか感じないけどな。」
 腹でも空かしているのだろうか。壁にかかった時計を見上げるとそれなりにいい時間で、飯くらい食わせてやるかと台所へと向かった。
「うどんか蕎麦ならどっち派。」
「うどん!」
「…子ども。」
「うどんに失礼ですよ。」
 うどんを一玉と、そばを一玉ビニールから剥がして熱湯にそれぞれ入れる。鍋を二つ用意する手間はあったが、俺は蕎麦が食べたい気分だった。選択肢なんて与えずに、勝手に蕎麦にすればよかったなと少し後悔した。
 出汁を作り終えて、ふとリビングの方を見るとはテレビを見ていた。
「ねえ宇髄先生、チャンネル変えてもいい?」
 普段あまりテレビを見ないが、生徒と二人きりの自宅の時間というのもあまり居心地がいいものではなく、仕方なくテレビをつけたものの、普段からニュース番組くらいしか見ないからガキにはつまらないのだろう。
 リモコンでピッピと慣れた手つきでチャンネルを変えて、いくつか切り替えた先で、がやがやとした賑やかなバラエティー番組での手が止まった。やっぱり子どもだな、と思う。
「美味しそう。」
「これ食ったら帰れよ。」
 二人でずるずると、麺を啜る。目の前にいるが生徒と思えばやはり変な気持ちだったけれど、生徒である事を忘れるように努めてみれば案外居心地は悪くない。俺もついにロリコンの世界への道を開いたのだろうか。
「先生ってたまに私の事不思議そうに見ますよね。」
「は、自惚れるなよ。」
「いやそうじゃなくって。なんか、私に似てる知人とかいるのかなって。」
 意図はしていなかったけれど、言われてみて初めて気づかされる。確かに無意識のうちに、俺はを視界に留めて、あの夢の中の女と見比べていたのだろう。あまりにも瓜二つなのだから、嫌でも見比べてしまう。
 何故あの夢ばかり見たのだろうか。前後のストーリー性がよく分からない夢だった。俺とは一体どういう関係性だったのだろうか。
って前世の夢みた事あるか。」
「突然のスピリチュアル?前世の夢なんて見る訳ないじゃないですか。先生は、見た事ある?」
 俺が言いそうにもない事を言ったからか、大層おかしなものを見るような目で一度こちらを向いてから、今度は可笑しそうにしている。それもその筈だ、からしたらただの突拍子もない質問だっただろう。変なことを口走ってしまった事に、心底後悔した。
「ある訳ないだろ。」
 本当はずっと、待っていた。
 あれだけ執拗に見てこさせられた夢には何かの意味があるのだろうと思っていたからだ。現世でを見つけ出す事で、その意味が分かるかもしれないと考えていた。
 けれど、十五の時も、二十になってもは現れなかった。二十五を過ぎて初めて一回り近く年の離れたに出会った時には苦い笑みが出た。別に恋人探しをしていた訳ではなかったが、複雑な気持ちに陥ったものだ。
 あの夢の記憶があるのは俺だけで、にはないようだった。もちろん何も答えを持ち合わせなどいないから、現世でを見つけ出した所で、その意味をついには理解することは出来なかったのだ。
「先生ありがとう。帰ります。また明日、学校で。」
 傘を渡すと、はあっさりとお礼を述べて帰っていった。
 が帰った後、色々と考えた。俺が見ていた夢は、ただ俺が俺自身で作り上げた想像で、何も意味はなかったのではないだろうか。もし仮にそうだとしたら随分なシナリオだったけれど、それでもそう思わざるを得なかった。きっと意味など、なかった。
 考えている内に気がついたら寝ていた。久しぶりにあの夢を、見た。
 あの夢であって、いつもと違う場面の夢を。   夢が、繋がった。


 ◆◆◆
 が入学してから丸三年が経っていた。
 柄にもなく俺はスーツを着込んで、学校へ向かっていた。スーツというものはあまり好きではない。窮屈そのものだ。正装でお願いしますと念を押されたのだから仕方がなかった。
 この三年で、あの夢を見たのはただの一回だけだった。それに加えて、最近はあまり夢の内容を思い出せなくなっていた。無理に思い出さずとも勝手に脳裏に浮かんでいたのに、本当に不思議と徐々に記憶が薄れていく。今は、がどんな声で、どんな姿であったのか、おぼろげにしか思い出す事が出来ない。それが今のと似ているのかさえ、よく分からなかった。
「あ、輩先生スーツじゃん!」
「お前らが俺のスーツ姿に期待してるだろうから、リクエストに答えてな。」
「えー、別にリクエストしてないし。」
 卒業式が終われば、あちらもこちらも騒がしい。毎年の事だ。たいした事もない会話を、生徒と交わす。涙が出る事はもちろんなかったけれど、三年も学校で顔を合わせていた人間が突然いなくなるのかと思うと感慨深いものがあった。
 卒業するまでが教師の役目であり、基本的に卒業したあとに再度出会う事などない。卒業したら、それきり。そんな事は当たり前の事だ。
 校門の方へと歩いていくと、を見つけた。俺の不思議な夢に出てきていた女だ。俺に残る記憶は、それだけだ。それがどんな夢だったのかはほとんど覚えていない。変な夢をよく見ていた事、という事象としてしか記憶に留まっては居ない。
「あ、宇髄先生!ちょうどよかった写真撮ろ、写真。」
「おう、撮るか。」
 がよく一緒にいた奴ら何人かと一列に並んだ。特別な意味はなかったが、なんとなくの隣を陣取って、Vサインを作った。もうとも、きっと会うことはないだろう。二度と。
「レア品だからちゃんと部屋にでも飾っとけよ。額に入れて。」
 今となってはよく分からない“あの夢”からようやく解放されるのかもしれない。なんだか酷く、すっきりと爽快な気分だった。何かがすぅっと解けて消えていくような、夢の断片が消えかけていくように霞んでいく。
「じゃあね、先生。」
「おう、達者でな。」
 解放と共に、ようやく真っ白なベースが作られていく。


 ◆◆◆◆
 俺の目の前で、女が一人死んだ。
 死に場所にはあまりにも相応しいとさえ感じる、桜が舞い散る頃の事だ。目の前にいる女は今にも息絶えそうなほどに、微かにしか呼吸をしておらず、顔も蒼白色になってまさに死相が現れていた。
「あほか。避けろよ、あれくらい。どんくさいなは。」
「そう、私どんくさいからさ。」
 いつもの軽口を叩くような言葉だったが、それが冗談ではないのだからやはり笑う事は出来ない。がどう足掻いた所で助からないのは一目瞭然だったけれど、それでもどうしたらを救えるかをずっと考えていた。その方法がどこにもないと分かっていても、人間窮地に立たされると冷静な判断能力を失うものらしい。
 胡蝶を呼びにいけば、もしかしたら、もしかするかもしれない。すぐに呼んでくると言う俺を止めたのは、他の誰でもないだった。
「これから死にいく人間を一人ぼっちにするとか、残酷すぎない?」
「…死なねえ為に呼びに行くんじゃねえか。」
 笑えない状態でも、ハハハと冗談めいたようにそう言うに、俺も足を止めて、地面に座り込んだ。あとどれくらいの間、一緒に居ることが出来るだろうか。あと何回、会話を交わせるだろうか。残酷にも、そういう時ほど時は短く感じるものだ。
「柱とかさ、鬼殺隊とか、そんなの関係なく純粋に恋に生きる女の子がいいな。次は。」
「今でも叶えられそうなくだらねえ夢だなあ、お前の夢。」
「そうかな?私からしたら結構壮大な夢なんだけどなあ…。」
 それを叶えたい相手は居たのだろうか、そしてそれは誰であったのだろうか。夢を見ているだけの俺にはそれは分からない。は、その言葉に誰を浮かべていたのだろうか。
 の命を縮めていく行為という自覚はあったが、それでも俺は一言ずつと会話を交わした。
 最初のうちはきちんとした接続詞で繋がった言葉が出てきていたが、次第に接続詞はなくなり、単語だけになった。一問一答のように、酷く簡易的なやり取りだった。
 終りが間近に迫った頃には俺の問いかけに首をこくりと縦に振ることで答えていたからも、返答は終になくなった。

    その夢って、それ、確実に俺だろ。
 その言葉に返事がない代わりか、ビュウっと強く風が吹いて、桜が舞った。
 今まで特に気にもしていなかった桜にも、独特な甘い匂いがあるのだと思った。

 夢が、ようやく繋がった。


 ◆◆◆◆◆
 卒業したのはの方だが、俺もきっと何かから卒業が出来たのだろう。少しずつ遠くなっていく教え子であるの背をぼうっと眺める。もう二度と会うことがないと思えば、その後姿も随分と感慨深いものに思えてくる。
 ピュウと強く風が吹いて、桜が舞った。
 今まで特に気にもしていなかった桜にも、独特な甘い匂いがあるのだと思った。なんだか、懐かしいような気持ちに襲われる。それが何故なのかは分からないし、それはどうでもいい事なのかもしれない。
 少し先にあったの後姿は歩みを止めて、突然前触れもなく勢いを付けたように俺に向かって振り向いた。
    先生、
 何かを思い出したかのように、目を丸くしてこちらを振り向いたが何を思ったのかは、俺にはわからない。人の心を読むエスパーみたいな能力は残念ながら持ち合わせてはいない。だから断言は出来ないが、かすむ真白な記憶の中で、同じものを共有しているような気がした。
 思い過ごしでなければの話だ。それが思い過ごしではないと思いたい、柄にもなくそう思った。


かすむ真白な記憶
( 2020'05'30 )