二宮は、いつもタイミングが悪い。
 二宮は、私の同期にあたる男だ。とは言っても、C級時代に一緒にいたのはほんの数日程度の話で、彼は入隊当初から私よりも得点を持っていて、駆け抜けていくようにB級へと昇級していった。別にそこに対しての劣等感や、悔しさは感じない。ただただ、次元の違う人間が同期に一人いるなというくらいのことで、私にとってはどうでもいい事だった。
 今に思えば、態度が大きく勘違いされやすい二宮のことを理解している同期は私一人かもしれない。態度が大きい上に、さらに困るのが彼は異様に口数が少ない。たまに紡がれる言葉が態度のでかいものなのだから、誰も寄り付かない。同期の中でも格別できる彼は、その態度も相まってとても浮いた存在だった。きっと、ボーダーの中で友達と呼べる人間は私くらいだろうと思う。
「あまり食べてないな、緊張してんのか。」
「人を食欲お化けみたいに言わないでくれる?」
「違うのか。」
 昨日食べた焼き肉が少しばかり胸焼けを起こしていて、あまり食欲はない。ヤケを起こしたように、がむしゃらに肉を口に運んでいた昨日の自分が恨めしい。自分の誕生日に焼き肉多量摂取で胸焼けを起こしているなんて、二十歳の誕生日としては残念な記憶だろう。そうだ、私は二十歳になったのか。今になって思い出した。二十歳の誕生日は、憧れの東さんと一緒に過ごして、そして間接的に振られた記念日となってしまった。間接的というのは、私が直接告白をした訳でも、東さんが私を直接振った訳でもなくて、彼に彼女がいたという事実を知ったからだ。そんな受け入れ難い事実に、肉をやけ食いする事で消化しようとして、見事私は失敗した。
「ここって一ヶ月の予約待ちってもっぱらの噂だけど、よく取れたね。」
 大人ぶって赤提灯の灯る庶民的な居酒屋に行きたいと東にねだってはみたけれど、私が本当に行きたかったのは二宮が選んでくれたこの店だった。二宮にここへ行きたいという前情報を与えていた訳でもないのに、読心術でもあるのだろうかと思う程、私の理想をピンポイントでついてくる。
「一ヶ月前に取ったからな。噂じゃなく、事実だ。」
「え?私、誘われたの昨日だけど。」
「それがどうした。」
「いやいや、普通もっと前もって声かけない?予定入ってたらどうするの。」
「シフトは確認しておいたし、現にお前暇だったろ。」
「喧嘩売ってますか?」
 二宮から食事の誘いを受けたのは、ちょうど私が馬鹿の一つ覚えのように、焼く、食べるを繰り返していた焼肉の途中の事だった。明日なんて来なければいいのにと、そんな絶望に駆られているタイミングで“予約しておいた、十九時に現地集合“という私が断る隙を与えない、簡潔にまとまったほぼ強制的な誘いだった。二宮は、昔からタイミングが悪い。
「なんだ、具合でも悪いか。」
 二宮の事は尊敬している。同期として誇らしくも思うし、単純にすごい。圧倒的なトリオン量を保有しているという事もあるけれど、しっかりと自分の長所を生かした戦法を日々研究している努力家だと思う。そんな二宮だったからこそ、彼は東さんに選ばれて東隊に入ったのだろうと思う。まだC級で燻っていた私を置いて、私が入りたかった東隊に彼は入った。どこか羨ましいと思う気持ちがありながらも、少しだけ要領のいい二宮が憎かった。
「昨日肉食べ過ぎた。」
「己の限界を弁えろ。」
「そういう日だってあるじゃん。そういう気分だったんだよ。」
「抽象的すぎて理解に苦しい。」
 私が欲しいと思うもの、二宮は全てもっていた。そんな彼が、私には羨ましい。二宮ほど恵まれていなくてもいいから、少しだけでも私も二宮になれたらいいのにとたまに思う。東さんに振られた今となっては、もうそんな事もどうでもいいけれど。
 二宮とはきっと、馬が合うんだと思う。周りのみんなは若干腫れ物に触るように二宮を扱うけれど、私にとって彼は気さくに話せる友人だ。別に怖いとは思わないし、愛想はないけれどこれで結構面倒見が良かったりする。東さんと話す時みたいに、自分を良く魅せるために言葉を選んだりする必要も、二宮にはない。彼の前では、私は飾らない自分でいられた。
「ほんとはね、ここに来たかったんだ。ずっと、憧れてた。」
 東さんには言えなかったその言葉も、二宮の前では簡単に言えてしまう。自分が子供じみてるなとか、本音を素直にいうのは恥ずかしいとか、そんな損得感情なく話せるのは精神衛生上とても健康だ。だとすれば、自ら志願して東隊に入った私は、そこからずっと精神衛生上不健康だったのかもしれない。まさに自分の首を絞めていたのは、自分だったのだと気づく。
「東さんと、か。」
「相変わらずストレートだね。まだ傷心中だから、そこらへん労って。」
「遠回りに聞いたところで結局は同じだろ。」
 東さんの事を他言した事はなかったけれど、二宮がそれを知っていた事に関しては今更驚きはしなかった。私がずっと憧れていたこの店を前情報なしで予約したこの男になら、そんな読心術くらい朝飯前だろう。二宮はきっと誰よりも私の事を知っている。もしかしたらそれは、私以上に。
 あえて誕生日の翌日に私を誘ったのも、そしてこの店を選んだのも、私の行動パターンを熟知しての事だと呆れるほどに感心してしまう。きっと聞いても二宮が答えることはないだろうけれど、何の考えもなく彼が動くはずはない。誕生日当日は東さんを誘うであろう私を読んで、そして焼肉が二連続にならないよう私が好きそうなイタリアンを予約したというのが大まかな真相だろう。本当に、抜け目がない。
「東さんはやめとけ。」
「わかってるよ。あんまり傷抉らないでってば。」
 二宮は、最初から東さんに彼女がいる事を知っていたのだろうか。だとすれば、どんな人か知っているかもしれない。私は自分の首を自分で締め付けるのが好きなのかもしれない。必要のない情報を得ようとして、あえて自分を苦しめようとする。
「ねえ、東さんの彼女ってどんな人?」
 きっと素敵な人なんだろうなという事だけはぼんやりと想像できた。寧ろそうでなくては、諦めがつかない。そうであって欲しいと願った。結局のところ、二宮がなんと言おうと何も事実は変わらない。私が東さんと付き合える世界線はないのだから、その言葉に意味や効力はない。
「自分で抉ってどうする。」
「別に、どうも。強いて言えば自分に言い聞かせようと思って。」
「…馬鹿馬鹿しい。」
 本当に、馬鹿馬鹿しい。何もかもが嫌になって、また自棄になる。昨日居酒屋でファーストオーダーを聞かれて頼み損ねたビールを飲めば、少しでも気は紛れるだろうか。それとも二宮も、東さんと同じようにビールを頼む私を止めるだろうか。
「二宮はジンジャエール?私、ビール頼むよ。」
「そうか。なら俺もビールにする。」
 この男のこういう気遣いが有り難くもあって、やっぱり少し憎らしい。私はこの二宮匡貴という男に、何一つ勝つことはできない。もし何か一つだけでも勝っている部分を捻り出すとすれば、完璧なこの男がもう随分と前から私を好きでいてくれている事だ。
 多分二宮は、私が東さんに持っていたのと似たような感情を持ってくれているのだろうと思う。そう言われた訳じゃなかったけれど、自分以外の事になれば割と落ち着いて物事が見えるものだ。きっと、東さんにも私はこう見えていたのだろうなと思うとまた傷が抉れた気がした。
「…止めないの?私、ビールなんて飲んだ事ないからどうなるか分からないよ。」
「飲みたいんだろ。だったら好きにしろ、面倒は見てやる。」
 私にとって二宮は憧れにも近い存在だ。私が無いものを全てもっていて、そして優しい。私を好きでいてくれる時点で人がいいというか、ただのいい人だ。私も、そんな二宮が好きだ。けれど二宮に感じる憧れと、東さんに感じる憧れは違う。二宮への憧れは、東さんに選ばれるための憧れで、私は二宮のようになりたかった。平々凡々なこんな自分じゃなくて、二宮みたいに選ばれた人間になりたかった。そういう、憧れ。
「面倒みてやるとか格好いいな、大人だ。」
「うるさい。」
 私も二宮の事を好きになれたら、どれだけ幸せだろうか。もっと切り替えの早い人間になりたい。二宮を好きにならない要素を探す方が難しいくらいなのに、どうしてそう思うことができないのだろうか。こんなにも、二宮が好きなのに。
「俺にしとけ。」
 私の望む事を全て叶えてくれるこの男は、私の望むものを全てもっている私の憧れの人だ。その事実だけは、きっと一生変わる事はないだろう。
 いつか、私たちのずれている何かのタイミングが合えばいいなと、そう願うしかなかった。


効かない忘却術
( 2022'01'23 )