俺にとって彼女の存在は大きい。本部を離れ、玉狛支部に転属をした今でさえ、それは変わらず寧ろより誇張したようにすら感じられる。決して長い期間ではなかったが、同じチームにいたというのが今になっては不思議に思える程、遠い事のように感じる。彼女の存在が俺にとって大きいのは変わらず、そして遠く感じるのも今に始まったことではなかった。
 俺が彼女をはじめて見かけたのは、中学二年の頃だ。当時高校生だった彼女は、俺の同級生の姉だった。交わした言葉は一言、二言ばかりで、特別記憶に残るようなそれではない。その年の秋、彼女はボーダーへとやってきた。俺の事は、まるで覚えていなかった。
「烏丸くん、こっちこっち。」
 パタパタと自販機の近くから俺を呼ぶ彼女を見て、相変わらず元気なひとだと思う。修の事で世話になったというそれらしい理由をつけて、俺は彼女に会う口実を作った。いつものどら焼きを差し入れで持っていくとメッセージを送れば、返信された内容から弾けるような笑顔が見えるようで、土産を持っていく甲斐のある人だと思う。
「お久しぶりです、相変わらずお元気そうで。」
「烏丸くんが言うと皮肉のように聞こえるのはなんでだろう。」
「それ結構性格歪んでますね、やばいです。」
 柄にもなく不安になる。俺は、この人の前でどんな自分を演じればいいのかよく分からない。何が正解かなんて、自分自身で決めることではない筈なのに、いつも通りの自分を演じようとして、そしていつも分からなくなる。いつだって彼女は俺のペースを乱す。けれど、不思議とそれを嫌とは感じない。
「烏丸くんも、元気そうで何より。」
「どうも。」
 彼女がボーダーに入ってきた時、たった一度会っただけで、言葉を交わしたのもほんの挨拶程度だったがすぐに彼女と分かった。品の良さはありながらも、特別目立つような人でもなかったが、何故か記憶に焼きついたように俺の中にはあの時のまま留まっていた。
「もう転属して一年か。どう、玉狛は。」
「いい意味でも悪い意味でも年中騒がしいですね。」
「太刀川さんと国近も似たようなもんじゃん。」
「あの二人とは系統が違う。」
「そう?レイジさんとかいるのに、何か意外だな。」
 俺が太刀川隊にいた時と今の生活を比較してみても、確実に今の方が騒がしい環境に違いないだろう。どちらの方が自分に向いていたのか考えれば、きっとどちらも向いていないし、どちらも向いている。それなりに何でも器用にこなす事ができる分、どこにでも染まれて、どこにも染まりきれないような気がした。
「まあ、退屈はしませんよ。いつも誰かが何かしでかすので。」
「半分は烏丸くんがちょっかい出して、そうなってるくせに。」
「人聞きが悪いですね。」
 別に玉狛支部に必ずしも移動をする必要はなかった。ただ、そんな話が来ていただけであくまで判断は俺に委ねられていて、そしてそれを選んだのも俺だった。特に転属する理由もなかった俺に、たった一つだけそれを試してみる価値はあるかとそう思った。酷く自己都合でしかないその理由は、生涯他言することはないだろう。
「でも、玉狛の方が烏丸くんには合ってるかもね。」
 無意識な言葉ほど殺傷能力が高く、そして人を傷つける。悪意がないと分かっているからこそ反撃もできず、そしてただただ傷つく。誰に何を言われたところで特別気にもならない筈の俺が、この人の真っ直ぐで嘘も悪意もない言葉を前に無力になる。それとも、これを意図的にやっているのだとしたら、彼女は紛れもない魔性の女だ。
「うちは、あんまりいじり甲斐ある人いないから。」
 自分で言ったその言葉の可能性を察知したフォローなのか、本当にただ思っている事を言っているだけなのか、彼女に限ってはどちらであるのか俺には分からない。
「あなた程いじり甲斐ある人もいないと思いますよ。」
 いろいろと考えて一周回って、結局俺はこの人がわからない。




 かつて俺がいた太刀川隊の作戦室は相変わらずで、暇を潰すためのゲームが置いてあるだけで飾りっ気がない。一年前までは俺もここに当たり前のようにいたんだなと懐かしく思う一方で、他所様のところへ来たような違和感も感じていた。以前のような心地よさはないと思い、そして当時から心地よいという感情は特別なかったと思い出した。
 土産を持って作戦室へ通されたものの落ち着かない。バイトの時間もあり、折角だから太刀川さんと会えばいいのにと言う彼女の誘いは断って、俺は作戦室を出た。
「せっかく来たのに、きっと太刀川さんも喜ぶよ。」
「太刀川さんに喜ばれても反応に困ります。それに、一昨日合同任務で会ってますし。」
「あ、そうなんだ。じゃあもしかして久しぶりなの、私の方?」
「今頃気づきました?出水先輩にしても、割と防衛任務で会いますよ。」
 彼女は換装を解いて、俺を少し先まで送ると言って基地の外まで隣を歩く。きっと、俺が今どんな気持ちで隣を歩いているのかなど、彼女は気にも留めていないのだろう。彼女は優しく、皆から平等に好かれる女性だ。男性かからも、女性にも敵を作りにくいタイプだ。物凄く気が回るという訳ではないが、嫌味のない素直なその性格は、俺自身彼女を好きと思う要因の一つだ。
「可愛い後輩も、転属すれば他人ですか。」
「大袈裟だね。年齢は上だけど、ボーダー歴は烏丸くんの方が先輩じゃん。」
「話題転換しようとしてるのバレてますよ。」
「別に転換しようとした訳じゃないけど、私達は元々他人だよ。」
 時折、彼女の言葉に俺は驚かされる。とても平和主義者に見えて、穏やかそうな彼女はこうして俺を突き放す。それは彼女の戦闘スタイルにも如実に出ていて、何かのスイッチが入ると見ている側が驚く程非情になる。
 何故突然そんな事を言うのか問い詰めようにも、俺と彼女の間には言葉を覆すだけの関係はなく、ただの先輩と後輩という誰にでも当てはまる関係性しか持ち合わせていない。元々他人というのは至極真っ当な事実でしかない。例え彼女を恋人にしたとしても、俺と彼女の関係性は他人のまま、一生それは変わる事はない。
「俺がなんでそんな事を言ってるか、裏側を考えたりはしないんですか。」
「そこまで頭回るタイプじゃないから、ごめんね。」
 彼女を好きだと自分の中でしっかりと認められるようになったのは、割と最近の事だ。太刀川隊にいた時、俺は頑なにそれを認めようとはしなかった。同じチーム内の人間に、恋愛感情を抱くという所謂王道な道を行く自分を認めたくなかったのもあったが、本能的に認めたくなかったのだろうと思う。恐らくは、自衛の意味合いで俺はあえてそれを認めようとしなかった。
「じゃあ考えてください。何故、俺がそう言ったのか。」
確証はなかったが、どう転んでもその恋が成就しないような気がしたからだ。きっと俺は彼女にとって、“弟の友人“から一生格上げする事はないのだろう。いつまで経っても、俺は“烏丸くん“から進化を遂げる事はない。
「先輩に対して随分命令口調だね。」
「ボーダー歴では俺の方が先輩と言ったのは、あなたでしょ。」
 もはや、揚げ足でしかないような言葉で、俺は自分自身を保つ。今日、こうして彼女と会ったのも自分の中での区切りを付けるためだった。距離感が近いから好きと錯覚している可能性を考慮して、今までは一定の距離を保ったままそれ以上を踏み込むことはしなかった。けれど離れて一年経った今、確定してしまった自分の気持ちを隠す事に意味はない。その為に彼女と一定の距離を置いたのだから。
「ごめん、やっぱり考えたけど分かんないや。」
「考えてない人の返答スピードです、それ。」
「だって分かんないものは長考しても変わらないよ。」
 玉狛支部に転属して良かったと、今になってそう思う。転属した事で見えた事が幾つかあったからだ。もちろん、彼女に対する気持ちを自覚する事ができたのもそうだが、玉狛にいる方が自分らしく居られる気がした。好きな相手と一緒にいることは、思っている以上に気を使うし、疲れるものだ。それが付き合ってもなければ、特別意識もされていない相手であれば尚の事。
 きっと、俺はこの恋を終わらせる準備をしていたのだろう。自分が傷ついても、それを忘れられる事ができる環境に、自分の身をおいたのだ。もちろん全てを忘れられる訳ではないが、あのまま太刀川隊で彼女の傍に居続けながらよりは幾分も都合がいい。
「そうですか、残念です。」
「もしかしてまたそうやって、私の事揶揄った?」
 そう言って、突如気づいたように彼女は少しだけ甲高な声で、そう言い放つ。この時ばかりは、自分自身の性格に感謝する。普段からどちらとも取れるような事を言って揶揄い癖のある俺の言葉を、俺が解釈して欲しいように彼女は受け止めた。
さんも少しは成長しましたね。」
「さっきからほんと、生意気だなあ。」
 そう言って、悪戯にぴょんと一歩こちらへと近づいてきた彼女に、俺は全てを悟ったような気がした。それが故意にやっている事なのであれば、俺が数年間に渡り想い続けた人は悪女でしかないだろう。それがもし無意識的だとしても、それもまた罪深い。
「烏丸くん、バイト頑張ってね。」
 あわよくばとチャンスを狙いに行った俺は、冒険する事なく帰路につく。一歩近づいてきた彼女からは、嗅ぎ慣れた太刀川さんのフレグランスの香りがした。


来ない明日
( 2022'01'18 )