アメリカから帰国して半年が経った。今の所属チームからはオファーをもらってとんとん拍子で話が決まった。三井さんがいるチームも中々の強豪だからどうしようか迷ったけど、一緒のチームになったらムカつく絡みしてくんのが想像できて、迷いはほんの数秒で確信に変わった。
 あれから、半年。
「なんだ宮城、今日はやけに機嫌いいんだな?」
 試合前日のチーム会議、今の時代会議やミーティングの類はプロバスケ界でも当たり前にオンラインで実施されている。
 三井さんのとこもそう?と聞いたことがあったけど、オンライン会議で迷子になって捜索願が出されたと言ってたからただの生粋のバカだった。機械音痴も度がすぎるだろ。
 社員の広報担当が随分面倒見のいい人らしくて、色々フォローしてもらってるらしい。ちなみにこの話を聞いたのも、もう半年前の話だ。
「彼女でも出来たか〜?」
 いつも通りの顔して会議に出てたつもりだけど、そんなに俺って分かりやすい?てか逆に普段の俺ってそんな機嫌悪そうにヘッドコーチには映ってるって事?だったらそれはそれでまずい。
「……うす。」
 否定する必要もないし、彼女が出来たのは本当の事だから。まあ一応は軽く肯定しておく。あ、やばい。認めたら認めたでなんか顔ニヤついてきた……ちょっと待って自覚ない状態で割と機嫌良さそうだったって事は、自分でもニヤニヤしてる自覚のある俺の顔今どうなってんだよ?
「え、あ、マジなのね宮城くん……」
「そうっすけど。」
「挨拶くらいのつもりだったんだが……ふむ。」
 え?そうなの?そんな分かりづらい挨拶やめてくんない?目一杯平気なふりして虚無顔作ってるけど実体の方は結構なパニックだ。でも冷静に考えてみると、別に何も問題なくないか?
 だってこれからデートだって沢山するだろうし(てかしたい)、一緒にいたらずっと手繋いでたいし、俺ん家にお泊まりも来るだろうし(絶対来てほしい)………遅かれ早かれ週刊誌にすっぱ抜かれるのは間違いない事を考えれば、事前にこうして知ってもらってた方が逆に都合がいい気がしてきた。
「真剣交際なんで、そこんとこお願いします。」
「……まあスキャンダルには気をつけろよ。」
「うす。」
 八月一日、昼のオンライン会議に出ている俺が上機嫌な理由。それは昨日、七月三十一日に彼女が出来たからだ。





 アメリカから帰ってきて一週間が経ったくらいの頃、高校卒業以来会ってなかった三井さんと数年ぶりに会った。
 大学でもバスケは続けてるんだろうなとは思ってたけど、まさか二人してプロになって再会するとは思いもしなかった。まだ正式に所属が決まっていなかった俺は、三井さんの指定した待ち合わせ場所に向かった。
「……お〜、来たか。」
「いやアンタ「お〜」じゃないんスけど。」
「ん?「やっほ〜」とかそんな方が良かったか?」
「そうじゃなくて!」
 呼び出されたのは三井さんの所属しているチームの本拠地で、練習場所になっている所だ。まだ正式所属が決まってないだけで、概ね別チームへ行くのが決まっているのは三井さんに言ってたはずだけど、やっぱりこの人って頭悪い?
「敵地に乗り込んだみたいになってるでしょコレ!」
「あ〜、そっか?俺は気になんねえけどな。」
「アンタが気にならなくても俺が気になんの!」
 日本を離れてからこんなに突っ込み甲斐のある人に会ってなかったから、この感覚はすごい久しぶりだ。懐かしいって喜べるような感覚じゃないけど。
 日本のプロバスケ界の事を色々聞いておこうと思ったけど選ぶ相手間違えたかもしれない。この人バスケの腕と顔とスタイルは文句ないけど、それ以外はからっきし駄目だって事すっかり忘れてた。
「三井さ〜ん、今週の更新用写真撮らせて!」
 人に対しての気遣いとか配慮に欠けたデリカシーのなさは相変わらず健在らしい。そう理解して急にどっと疲れた気分になった時、ハキハキと響く溌剌な声がした。
「あれ?三井さんのお友達?」
「お友達じゃねえよ、高校ん時の後輩。」
「それってお友達じゃん。」
「言われてみればそうか。」
「もしかしてよく話してた、アメリカに行った宮城くん?」
「お〜、それだそれ。」
 テンポが恐ろしいほど合っている二人の会話が耳に入っているようで、多分八割以上は右から左に受け流されていたと思う。ほとんど内容覚えてない。でも一つ覚えてるのは、どっかで俺の名前が出ていたってそこんとこだけ。てか名前聞こえた後はずっと頭ん中、真っ白だ。
「こいつがさっき言ってたうちの広報担当。」
「え?お、お、女の子の話だったのあれ……?」
お前性別女であってるよな?」
「え、そうですけど。」
「三井さんそうじゃねえんだよ俺が言いたいの……」
 三井さんと合流してから三十分くらいが経っていた。その間に話したことは、練習の時以外、例えばミーティングとかはどうやってやってるのかとかそんな事。
 選手の中でも人気のある注目選手なんかだとテレビや雑誌の取材でスケジュールを取られる事も多く、今の時代はオンラインでのチームミーティングが主流らしい。
「じゃあ何が言いてんだよ?」
「そ、それは……」
 そんなの言える訳ないじゃん。
 颯爽と現れた、間も無く敵対チームになるであろうそこの広報担当の社員さんが言葉を失うくらい可愛くて、あんまりにも可愛すぎて、もうさっきから頭の中に可愛いって文字が字幕みたいにずっと流れてるなんて言える訳ない。
 オンライン会議に参加するっていうごく初歩的なパソコン操作でさえ苦手な三井さんをよくサポートしてくれるのが広報担当ってさっき聞いてばかりで、それが自分が想像していた広報担当のイメージとあまりにもかけ離れてたから衝撃で心臓が割れるかと思った。
 『そいつが結構仕事もデキてよ、たまに飲みに行くんだけどずっとビール片手に話せる奴でさ〜』なんて言うもんだから、てっきりインテリメガネかけた中年のおっさんなのかなとか思うじゃん?
「宮城くんだよね、話には聞いてたけど……なんか上半身の筋肉すごいね?普段どんなトレーニングしてる?」
 ただでさえ頭が真っ白で空っぽになってた所に、彼女が近づいて話しかけてくる。挨拶を交わすことですら英語検定一級に受かるのと同等レベルに難しいのに、会話のレベルハードすぎない?
「うわ〜すご!三井さんももうちょっと上半身鍛えた方がいいんじゃない?」
「俺のウリはそこじゃねえからい〜の。」
 下心はまるでなくて、その強度を確認するようにピトっと俺の腕、胸、脇腹と順番に手で触れて確認してきてもう気が気じゃない。寧ろ下心がこんにちはしてるのは俺の方だ。
「折角だから宮城くんも一緒に映ってくれる?」
「あ〜?なんで一緒に撮らなきゃなんねえんだよ。」
「だって湘北高校の元後輩となんてバズりそう。」
「お前そればっかだな?バズなんとかって、知らんけど。」
「だってそれが仕事だし?」
 彼女はハイハイとそう会話を切り上げて、俺と三井さんを並ばせる。所属チームの広報用インスタグラムに載せるのだと言ってスマホで連写された。どんな顔して映っていいのか分かんなくてボケっとしてたけど、きっと間抜けな顔してたと思う。
「お前どうせこの後も暇だろ?」
「なんで最初から決めつけてんだって!」
「なんだよ、コイツと今日飲みに行くけどじゃあ行かないのかお前。」
 この人のボケってどこまでが天然モノなんだろう。あまりにも都合のいい展開すぎてたまに意図的にやってるんじゃないだろうかとさえ思えるから怖い。もし意図的にやってるんならただの策士だけど、一億二千パーセントの確率でない。
「だから勝手に決めんなって!行くし!」
「あ?なんだよ、面倒な奴だなお前。」
 それはこっちの科白。そう思いながらも、ちょっとこれは三井さんに足を向けて寝れない状況になったかもしれない。日本に帰ってきたのも、まず最初に三井さんに会いに来たのも、全部が全部俺の選択が正しかったという事だ。





 知り合ってから概ね半年、三井さんを媒介にして飲みに行く事三回、四回目からは二人きりで会うようになってそこから三回目のデート(俺にとって)、七月三十一日。あえてこの日にした訳じゃなくて、たまたまお互いの予定が空いてたってだけ。
「宮城くんごめん、待ったよね?」
「ううん、全然。それより外暑かったでしょ、具合悪くなってない?」
「寧ろビールで潤したい喉が完成しちゃった。」
「はは、完璧じゃん。」
 見た目はどこから誰がどんな角度で見ても全方位可愛いのに、ギャップを感じるほどに男勝りでサバサバしてる。最初一目みた時からもう既に恋は始まってたけど、知れば知るほど誰に対してもサッパリしてて、時々おじさんみたいな事を言うのも可愛く見えて仕方ない。おじさんみたいな事を言うのが可愛いく見えるんだから恋の力ってすごい。
「じゃあ生二つで。」
 普段あんまり会社勤めの人を見る機会がない分、彼女を見るとオフィス勤めしてる会社員だなってそう思う。カッチリした装いって訳じゃないけど特徴的なオシャレなデザインとチャームがついたトップスに、シンプルな七分丈の紺のパンツがよく似合ってる。
「うわ〜中華来るの久しぶりだからわくわくする。」
「なんか食べたいのある?」
「ん、じゃあ餃子と豆苗炒め頼もっかな。」
「おっけ。」
 時々彼女は今日みたいにふわっと髪を巻いている時がある。主張しすぎない程よい自然なカールがすごく魅力的で、きっと触ったらふわふわしてるんだろうなとか思いながらいつも想像で終わってる。俺と会うから巻いてる、とかだったら最高なのにな。
 中華に来るの久しぶりって言ってたけど、半月前に一緒に中華来たのはもしかして記憶から抜け落ちてるのかな?その一ヶ月前、初めて二人でご飯行った時も中華だったし、何なら三井さんと三人で食べに行ったご飯の時も三回とも全部中華だったけど。それだけ中華が好きなんだな、可愛いの一言で全部許せる。
「あ、そう言えば三井さんが今日言ってたんだけど、」
「……碌な話な気がしないんだけど。」
「宮城くん誕生日近いんだって?」
 まさかそんな事を、しかも一番聞かれたくない事をピンポイントで突いてくるとは思っても見なくて、危うくビールを吹き出しそうになった。
「な、な、何突然!」
「インハイの時にちょうど誕生日だった気がするって言ってた。」
「……びっくりする程ざっくりしてんな覚え方。」
「で、いつなの?」
 これじゃあ自分の誕生日に自分で誘った痛い感じなのバレるじゃん……いやたまたま次いつ会えそうか聞いたら彼女の方から幾つか候補もらって、その中の一つが七月三十一日だったから。まあ折角ならって思ってそうしたけど、いやこれ普通に痛いやつじゃん。
「もう誕生日って年齢でもないしさ?」
「大事だよ、ちゃんとお祝いもしたいし。」
 女の子への告白って三回目のデートがちょうどいいらしい。一回目だと下心見え見えだし、二回目だとまだ相手の事を知りきれてない、三回目がジャストタイム。先月号の雑誌の恋愛特集に書いてあった有識者の知恵袋だ。
 ちょっとオシャレなレストランとかでそれっぽく雰囲気作って告白したかったけど中華行きたいって言うし、じゃあせめて帰り道で告白しようと思ってたのに……何、その計画すら実行できないの?
「七月の……」
「七月の?」
「三十一日。」
「七月三十一日って今日だね?」
 どうしよう、もうこの流れになった段階である程度予測してたけどその想像の数千倍は恥ずかしい。この後の会話ってどういう方向に持っていけばいいの?もう恥もプライドも捨てて祝ってほしいとか言えばいいの?別に祝ってほしい訳でもなくて、ただ今日こそはと強い気持ちで挑んだその結果が欲しいだけで。
「今日の練習この辺りだから三井さん、」
「待って、三井さんは呼ばないで。」
「……ん?折角ならみんなでお祝いした方がよくない?」
 スマホで三井さんの着信履歴を引っ張り始めたその手を、自分でも驚くほど強引に握りしめて制御した。三井さんが来たら今日のチャンスは台無しだし、三回目のデートは今日を逃したら金輪際一生やってこない。
「俺がちゃんだけ誘ってる理由わかんない?」
 我ながら情けない。こんな感じで誘導しようとしてる訳じゃないのに、ズバッと好きと言ってしまえる程の潔さがないばっかりにいつも遠回りばかりしてしまう。
「三井さんと漫才するの疲れる日もあるから?」
「いや違くて……てかそもそも俺たちコンビ組んでないし。」
「組めばいいのに。」
「そうじゃなくって!」
 本当はオシャレなレストランでちゃんと告白したかったし、せめて今日の帰り道でタイミングを見てムード作ってから告白したかった。ちょっとメニューがベタベタしてるムードのない(味は美味い)街中華で告白する予定でも、想定外の出来事とはいえ、こんなにソワソワした感じで告白するつもりでもなかったのに。
「誕生日って俺の好きなモンだったり、欲しいモン貰える日って認識なんだけど……合ってる?」
 この半年間、多分露骨にアピールしてきた。それはもうアカラサマってくらいしてきた筈だ。多分気づいてないのは彼女と、あと三井さんの二人だけだと思う。この二人がタックを組むと割と手強い。
 俺が毎回口から心臓飛び出しそうになりながらデートに誘ってるのに、信じないようにしてたけどやっぱりデートって認識されてなかった?て事は脈なしだったりする?
 よくない推測ばっかり出てくるけど、もうここまで来たら流石に後戻りなんて出来るはずもない。引いても押してもどっちでもダッセェなら可能性のあるダッセェを選ぶしかない。
「まあ誕生日だもんね?」
 私の給料で買えるかな?なんて彼女は言ってるけど、そういうちょっと抜けてるところも、仕事に一生懸命なところも、ご飯を食べる時幸せそうに豪快に笑うところも、やっぱり全部好きなんだって、改めてそう思う。それが俺自身の正直な気持ちだったから、なんか急にふっと力が抜けたように言葉が出てきた。
ちゃんが好き。」
 言い切って、なんか斜め上の回答が返ってきそうな気がしたからすかさず彼女が口を開く前に補足する。コンビは組んでないけど、でもボケの想定に対しては事前に察知できる能力が備わっているのかもしれない。
「人としてとかじゃなくて…いや、人としても大好きだけど女の子として好きの方ね?」
 俺のその補足に納得したのか、彼女は小さくこくこくと首を振った。きっと間違いなく、俺が補足してなかったら想像通りの事をを言ってきてたんだろうな。どんな返事が返ってくるのかドキドキして待っていると、彼女は指を顎に乗せてぽりぽりと摩っている。
「今日って宮城くんの誕生日だよね?」
「う、うん……そうだけど。」
「これじゃあどっちがプレゼントか分かんないね……?」
 想像していたのとは少しニュアンスの違う言葉に一度頭の中で咀嚼する。え、なにこれ。遠回しに断られてる感じ?癖になっているネガティブ思考を一度否定して、もう一度咀嚼する。これはあくまで希望的観測でしかないけど、もしかしてこれって結果オーライだったりする?
ちゃんの彼氏のポジション、欲しいんだけど……くれる?」
 彼女は徐ろに手をあげて、そして大きな声で生ビールを二つ注文する。俺の言葉に対する返事を待っていれば、やってきたのは返事じゃなくて具がぎゅうぎゅうに詰まった餃子だ。箸でつままれているその餃子は俺の口の中に収まっている。
「……なんだ、もっと高価で買えないものならどうしようかと思った。」
 あっけらかんとした言葉のように聞こえながらも、でも珍しくいつもマイペースな彼女の表情が少しだけ動揺しているように見えた。普通に可愛いし、ていうか普通じゃないくらい可愛いし、可愛いって叫びたいのに餃子が邪魔して叫べない……でもどの餃子よりも格別に美味い。
「じゃあもう一個欲しいモンくれる?」
 急に欲張りになった俺は、その願望を口にする。結構自分からお願いするのって恥ずかしいんだなとか、なんかやっぱダッセェかもとか、そんな事ばっかり浮かんでばっかだけど、でもその願望が叶った時、それを掻き消すくらいの衝撃が俺を攻撃する。
「……欲しがりリョータだ。」
 ずっとこの半年間彼女の口から聞きたかった、俺の名前が最高に突き刺さった。



幸福に降伏
( 2023’07’31 )