彼は私の事を変人扱いした。そんな私を変人扱いする彼に、私も同じ言葉をそっくりそのまま返してみせる。それでも彼は意見を変える事無く、見慣れた笑顔と共に同じ言葉を繰り返した。
「私の入れたお茶が飲めない、と?」
 彼は睡眠を忘れたようにいつだって働いた。新撰組という、自分の在処の為に。
 それは隊士ではない私にですら理解に容易い事だった。彼は新撰組を心の底から必要とし、そして縋っているのだ。微衷を尽くす為に。昼も夜も忘れ、彼は書類に塗れるように睡眠を忘れた生活をしていた。貧しくとも心にも時間にもゆとりのあった江戸での生活が酷く恋しく思われるほどに今の彼は鬼神の如く働いている。
「……君も困った人ですね。そこに置いておいて下さいと言っているじゃないですか。」
「今ここで飲んで頂けなければ意味、ないです。温かい内に。」
 まだ湯気の消えない湯呑を差し出してしつこく何度もそう言うと彼は諦めたような笑みを浮かべてそれをようやく受け取った。無理にでもこうしなければ彼は自分の体の事など気にはかけてくれない。
「寝る前のお茶くらい付き合ってくれてもいいじゃないですか。」
「そういう事でしたら藤堂君辺りの方が適任でしょう。丁度島原帰りにはいい酔い覚ましです。」
「……酔っ払いは嫌いなんですよ。」
 屯所内から聞こえてくる上機嫌な平助達の声を聴きながらそう答えた。素直に私のお茶くらい飲んでくれたらいいのに。そう思った頃にようやく彼は茶を啜るように喉に通した。
「正直、悔しいんです。」
 彼の言葉に私は面食らったように疑問符を浮かべ、声にする。何が悔しいのかなんて私の足りない脳みそをどれだけ回転させても到底理解に及ぶ筈もなかった。
「いつだって君のお茶は美味しい。私の心を、つかの間の休息へと誘う。」
 思ってもみない彼の言葉に驚きつつも私は問う。
「……だったらいいじゃないですか。素直に飲んでもらいたいものです。」
 するとやはり彼は困ったように笑いながら私を見ていた。いつだってそうだ。この人の笑顔は心の奥底から出ているものでは到底ない。何の邪心も、邪念も、思惑も、何も考えずに感情のままに漏れる笑みというものを私は見た事がない。いつだって彼の笑顔にはもう一つの別の感情が隠されているようでもあった。
「私は人から恐れられていた方が都合がいいのです。」
 私が、「どうしてですか?」そう尋ねるよりも少し前に彼は感づいたように口を開く。
「総長とは皆から怯えられる存在でなければいけない、という事です。」
 ならば本当の貴方は何処にいるのですか。そう尋ねようかとも思ったが私は口を噤んだ。今の彼にはそんな事を尋ねられるのも不本意だろうから。江戸から同じ釜の飯を食べた仲間であるからこそ、彼の気苦労を少なからず知っているつもりであったから。
「……勿体ない人ですね。人生、損してる。」
「最もです。私もそう思いますから。」
 彼は新撰組一頭の切れる、そして器用な男と言われている。総長という役職に恥じぬほどの見識を持ち合わせ、臨機応変に対応し、常に第三者として、客観的に物事を見る事が出来る。   そんな周りが勝手に生み出した彼の幻想に彼は囚われているのかもしれない。私は初めてそんな事を思った。
 だとすれば、彼は、誰よりも───



 彼は私の事を変人扱いした。そんな私を変人扱いする彼に、私も同じ言葉をそっくりそのまま返してみせる。それでも彼は意見を変える事無く、いつかに見た懐かしい笑顔と共に同じ言葉を繰り返した。幾つかの季節を廻った今でも、あの頃と違わず。
「私のような人外な存在などと敢えて関わりを持つ貴方は本当に変わり者ですよ。」
 私が眠りに就く頃に彼は目覚め、彼が眠りに付く頃に私は目覚める。全ては彼が望んだ先にあった結末、その代償だった。それでも彼は昔と何一つ変わらない。少なくとも私には過去の彼と違わずに映っていた。見た目には何一つ変わらない彼を変わったと思う方が難しい。昔よりもほんの少し、笑えない冗談と憎まれ口が増えたくらいで、何も変わらないのだから。彼が所謂人外という化け物になり果てていたところで。
「寝る前のお茶くらい付き合ってくれてもいいじゃないですか。」
 私はあの時と同じ言葉を放った。同じ言葉であって、違う意味を指す、その言葉を。最早彼が違う存在であると示しているような、そんな言葉だった。するとやはり彼も得意の嫌味ったらしい言葉で言った。「私には目覚めの一杯となる訳ですがね。」と。
「物好きとは時に困ったものですね。こういう役目は平助辺りの方が妥当でしょうに。」
 私は今しがた彼が寝床としていた場所に、未だ大きな鼾をかいている人物に目を当てながら、しらじらしくも再び口を開く。
「いいんです。平助君とはさっきお夜食に御団子を食べましたので。」
 彼は呆れたようにやはり鼾をかいて未だ夢の中にいるであろう平助を見たが、すぐに私を問い詰めるような真似はしなかった。その点彼は空気の読める人なのだろうと今更ながらに思った。いや、空気の読める人ではなく、人ではない、何か。彼は私の茶番に付き合ってくれるように口車をあわせる。
「そうですか。それで、お茶。」
「はい。甘いものの後にはお茶が恋しくなるものでしょう?納得して頂けました?」
「少々……というよりは強引すぎる説得でしたが。実に君らしい、いい作り話だ。」
 呆れながらもほほ笑む彼はようやく私が精魂こめて入れた茶を口に運び、啜った。ふと、彼が血に飢えて血を啜る時もこうして何違わぬ平穏な顔なのだろうかと思った。私は彼が所謂人外となる姿を一度たりとも見た事はない。それだけ私は彼との接触が他の隊士に比べて少ないという事だ。そもそも隊士でもない私がこうして彼と顔を合わせる事自体いい事とは言えないのだろう。
 だから、私には俄かに信じられないのだ。こうして昔と変わらない彼の姿が私の目の前にあって、同じ言葉を口にする彼がいて、何処が如何して彼が変わってしまったというのだろうかと。さっぱり見当もつかない。彼がもう、人間ではないなどとは。
「それに君の入れるお茶は美味しいですからね。羅刹となっても味覚が変わらないのは幸いでした。」
 私は自嘲にも似た笑みを浮かべた。私の考えている事などこの人からしたら造作もない事なのだと。まるで読心術を会得しているかの如く彼は私の心の中を読み当てる。それが恐ろしくもあって、少しだけ心地が良い。
 未だ俄かに信じがたい事ではあったが、彼が化け物となってしまっているのだとしても、自ら結末を知っていながらも化け物に身を窶していても、こうして私と普通に会話が出来て、一緒に茶を啜る事が出来る、その事実だけでも喜ばしい事だった。山南敬助という男は私の中では何一つ変わらずに、昔のまま成長していないのだから。
「ところで山南さん。」
「何でしょう。」
 彼は大方私に何を尋ねられるのかを悟っているようにも見えた。かんばせに、苦笑が模られていた。
「貴方はいつまで悪役を買って出るつもりですか?」
 私には分かっているんですから。そう言えば彼は参ったように「……さて、困る質問ですね。」そう言ってやっぱり笑っていた。そして「貴方はいつだって私を困らせるような事ばかり言うのがお好きなのですね。」嫌味を存分に込めた彼の、彼らしい笑みだった。
 京で横行されている辻斬りが彼の仕業であると皆が噂していながらも、それはただ単に悪役を買って出ているだけという事。同じ羅刹である仲間の濡れ衣を敢えて自ら被っているだけだという事。私には理解に容易い。私が憎いと思ったほど、嫉妬の念すら抱いてしまう程に、彼は新撰組を居場所とし、縋り、そして何よりも大切にしていた。そんな彼がいくら血に狂う存在になったからと言って居場所を裏切る様な事をする筈がないのだと。
 彼とて自らの身が疑われている事にはとうに気づいている。新撰組頭脳と言える元・総長であった彼がそんな些細な事気づかない筈がない。しかし彼は何も言わない。一言自分ではないと進言すれば、それで済むという事も知っている筈なのに。
「自ら望んで羅刹となった私が被らなければならない役なんですよ。私にしか出来ない適任だ。」
 私は不要と知りながらも意味もない、言葉を放つ。
「一言言えばそれだけでいいのに。土方さんなんて山南さんが辻斬りの主犯だと思ってここ最近ずっと目を吊り上げて気迫が凄いんですから。」
「…でしょうね。彼は人一倍正義感の強い人ですから。そんな私が許せないのでしょう。」
 彼の不機嫌を目の当たりにしている私を気遣う気持ちがあるなら言えばいいでしょう。私がそう言っても彼は、それはご迷惑をおかけしております。そう、読めない笑みで漏らすだけだった。
「しかし私を憎み、見張り、軽蔑する事で新撰組は確実に大きくなっていく。私はその礎なんです。総長という存在が消えた事で土方君に圧しかかるものは大きくなり、そしてそれを超える事で彼は強くなれるんですよ。」
 だから私には悪役がお似合いなんです。そう言う彼に私はこみ上げてくる何かと格闘するしかなかった。未だ嘗て彼の言葉にこれ程までに心を打たれた事があっただろうかと思う程に、あまりにも、悲しい、新撰組への愛の言葉のような気が私にはした。嗚呼、この人はいつまでたっても仕事馬鹿なのだと。
「おかわりのお茶、入れてきますね。」
「ええ頼みます。涙でしょっぱくならないよう、お願いしますよ。」



 私は足早にお茶を入れに広間に向かう。彼に言われたように涙を入れぬよう、必死に瞼を乾かした。それが完全に乾き切った所で私は再び彼の元へと戻り、茶を差し出そうと軽く中身を確認して、静かに笑みが襲ってくる感覚を覚えた。
 私はそれは意味ありげにほほ笑みながら差し出す。
「貴方程新撰組馬鹿な人の想いが、通じない筈ないですよ。」
 気休めにもならないかもしれないけれど、彼は笑ってくれた。
「……青葉も世話焼き好きですね、彼らと同じで。」

 彼は誰よりも、下手をすれば新撰組一、不器用だったのだ。周りに押しつけられた勝手な幻想に囚われ、それを実現することで己を保っている、そういう示し方しか出来ない酷く不器用な男だったのだ。それは何処か土方と似た香りを醸しているようでもあった。

 彼が手にした湯呑からはぷかぷかと揺れ動く茶柱が私達を見つめていた。

( 20110307 )