「彼氏、欲しいなあ。」
 何の気無しに言った、本音だった。別に居なくても死にはしないし、今まで特に死なずに生きてこれたのだからそれが何よりの証拠だ。プラスアルファであればいいもので、マストではない。けれど、ふと突然、周りの彼氏持ちが羨ましいと思った。
「なんだそれ。任務中に随分な独り言だな。」
「独り言が声に出ちゃうくらい欲しいんだよ、多分。」
 防衛任務は、特別な事がない限り結構暇な時間を過ごす事が多い。緊急事態が発生しない限りは、本部周辺の状況を確認するくらいなのだからどうでもいい独り言も出る程にぼんやりとしていても時は進んでいく。
 世の中は、無駄にイベントを創り上げる。クリスマスだって、年越しだって、バレンタインだって、恋人がいない自分に劣等感を塗りつけるだけの要らないイベントだ。今までは特別気にしないようにしてきたけれど、急に虚しくなった。そんな事にうつつを抜かせるほどに世の中は平和ではないのにと、ボーダーにいる私なら言っても罰は当たらないだろうか。
 イベント毎に、休みの希望を出す隊員が増える。それは仕方のない事だと思う一方で、何も言わずにいる自分が“何もない“事を証明しているようでもあって釈然としない気持ちに陥った。大体大きなイベントがある日の任務は、同じ顔ぶれだった。
「お前、それ俺以外にも言ってんのか。」
「言ってないと思うよ。さっきの心の声、漏れちゃっただけだし。」
「漏れてたってレベル超えてたけどな、あれは。」
「諏訪さんはさ、思わないの?彼女欲しいなとか、人恋しいなとか。」
 周りの友人から甘いエピソードを聞く度に、羨ましく思う感情を私は少しずつ育ててきてしまったのだろうと思う。恐らくは、この声にしてしまった大きな独り言がその結果だ。人は無い物ねだりとも言うし、隣の芝生は青く見えるものなのだからそういった相乗効果もきっとあったのだろうとは思う。
「…その質問の意図、なんだよ。」
「単純な疑問で、ただの質問。深い意味はないよ。」
 クリスマスの防衛任務中で、私も相当気が滅入っていたのだろうと思う。恋人がいる人間が休んで、そうではない人間がシフトに入るのはどうなのだろうかと思いながらも、クリスマスを何の予定もなく家で一人過ごすのも、防衛任務に就くよりもよっぽど精神的に辛い。気が滅入りながらも、自分を納得させるには打って付けの理由だった。
「それ聞いてどうすんだ、お前。」
「別にどうもしない、諏訪さんもそうなんだとか違うんだって思うだけ。」
 多分、こうして思っているのは自分だけじゃないと思いたかった。誰かを巻き込むことで、仲間を無意識的に増やそうとしていたのかもしれない。本当に、深い意味はなかった。
「じゃあ同じ事思ってる者同士、付き合うか。」
 諏訪にこう言われたのは、正直想定外だった。付き合って欲しいと思ってカマをかけたつもりでもなかったし、本当に心の声が漏れたくらいの言葉だったからだ。突然の提案に一瞬頭が真っ白になったけれど、一度冷静に考える。
「付き合うって、そんな簡単でいいのかな。」
「気安く彼氏欲しいとか言ってるお前にだけは言われたくねえな。」
「なんかちょっと冷静になっちゃって。」
 諏訪と付き合うのが無理なのかと言われたら、そんな事はない。寧ろ、私がボーダー内で一番心を許しているのは諏訪だ。諏訪の前だからこそ、気が緩んで脳内でだけ再生される筈の言葉が言葉として声にのってしまったのだとも思う。それ程に、諏訪の隣は居心地がいい。
「なら冷静になり切る前に、勢いで付き合っとけ。」
 クリスマスの夜、夜勤シフトの途中でよく分からないまま私たちは付き合う事になった。どこまで諏訪が本気でそう言っているのかは計りかねるけれど、少なくとも私には断る理由がなかった。案外別れるのも付き合うのも、びっくりするくらい簡単で、そして小さなきっかけで実現する物なのだろうかと不思議に思った。




 諏訪と付き合ってから一週間ほどが経った。正直、付き合っているのかどうかさえ、よくわからない。私たちの関係は以前までと何も変わらなくて、恋人という肩書きが増えたくらいな感じだった。
 チームも、大学すら同じではない私たちは思っている以上にあまり接点がない。時折本部の訓練室で練習をしている時に居るなと思ったり、ラウンジで飲み物を買いに出た時にばったり出くわすくらいだ。意図的に会おうとしない限り、ボーダーにいるからといっても常に一緒にいれる訳ではない。
 そんな中でも何故諏訪とこうして気の置ける関係になったのかと言うと、恐らくは彼の気遣いの高さが関係しているだろう。諏訪は面倒見のいい人間としてボーダー内でも有名だ。顔を合わす度、しっかりと気遣って声をかけてくれる諏訪は、他の多くの人間が感じているのと同様に、私にとっても居心地がいい。
 勢い任せに付き合ってみたものの、何故諏訪は私と付き合ったのだろうかという単純な疑問が残った。元々好いてくれたのだろうか。嫌われていなかった事は恐らく間違いはないけれど、異性として好いてくれていたのかというと、私はそこに自信が持てない。
「いいの?同じチームでもないのに、作戦室入って。」
「つうか、今までも何回も来てんだろ。」
「いや、改めてなんだかイケナイ気持ちになったから。」
「それはお前がイケナイ想像してっからじゃねえのか。」
 未成年組はシフトに入ってないし、堤は明日のシフトに入ってるから今は居ないと彼はそう言って、ソファーへと腰掛けた。あと一時間ほどで私たちはまた防衛任務に就く。クリスマス以来、初めての一緒のシフトだ。あと数時間で今年も終わるのかと思うと、なんだか不思議な感じがした。今年の最後と新しい年の始まりを諏訪と過ごすのかと思うと、ある意味でしっかりと私たちは彼氏と彼女なのかもしれないと思う。仕事で一緒にいるのか、プライベートで一緒にいるのかの違いだ。
「砂糖とミルクはいる派か。」
「あ、うん。砂糖は要らないけどミルクは欲しい。」
「あいよ。」
私仕様に出来上がったコーヒーカップを受け取って口につけると、程よい生温かさが絶妙だと感じた。私にとっての適温という事は、人よりも少し温めの温度という事だ。砂糖とミルクを聞いておきながらも、私が猫舌で熱いのが苦手な事をこの男は覚えていたのかと感心する。こういう気遣いの積み重ねが、きっと諏訪の人徳で慕われる所以なのだろうなと他人事のように思って、嗚呼今はこの人が私の彼氏なのかと思い返して不思議な気分になる。
「多分なんだけどさ、私彼氏が欲しかった訳じゃないと思うんだよ。」
「あ?俺を返品しようってか?」
「そうじゃなくって。寧ろその逆なのかもしれない。」
 この一週間弱、新しく彼氏という存在になった諏訪について自分なりに考えてみた。私にとっての彼氏の存在意義と、そして諏訪という存在の意義についてだ。あんな突発的なノリで付き合ってしまってしまったけれど、果たしてこれでいいのだろうかという疑問が付き纏った。その中で出た答えは、とてもシンプルで、そして今までの自分の言動にも辻褄のあう整合性のある結論だった。
「私は彼氏が欲しかったんじゃない。多分、諏訪さんを彼氏にしたかったんだと思う。」
 彼氏持ちの友人の話を聞いている時、羨ましいと思ったのは彼氏がいる事に対してではなかった。彼に大切にされているというその事が、何よりも羨ましかったのだ。だから私も、私自身を大切にしてくれる存在が欲しいと思っていたのだと気が付いた。
 きっと感情よりも行動が先行してしまっただけで、私は諏訪の事が好きだったのだ。好きというよりは、彼に大切にされたいとそう思った。彼氏が欲しいと思ったのは事実だけれど、もちろん誰でもいいという訳ではない。たまたま名乗り出てくれたのが諏訪だっただけであって、恐らく同じ状況で他の人間が名乗り出てくれていても私は付き合わなかっただろうと思う。諏訪だから、あんなぐだぐだの流れでも付き合ったのだろう。
「自覚なかったけど、私結構諏訪さんが好きかも。」
「…“かも“は余計だ。」
「だってよくよく考えてそう思ったから、まだ確定はできないじゃん。」
「なら今すぐに確定しろよ。」
 多分、私は気を許して甘えられる相手が欲しかったのだと思う。そして、その相手は間違いなく諏訪一人しか居なかったのだから、結局私が彼氏が欲しいと思ったところで候補は諏訪しかいなかったのだ。彼氏が欲しいと無意識ながらにそう言ったのは、私の本能が諏訪を求めていたからなのかもしれない。
「まだ確定はできないけど、でも少なくとも今好き。だいぶ、好き。」
 こう言えば、私を甘やかしてくれる諏訪を知っているのだから、私はずるい。普段から私に対して甘い諏訪を、独占したいと思った。“皆んなの諏訪さん“ではなく、自分だけのものにしたいと思ったのだ。そんな事を言ったら引かれるだろうかとも思うけれど、きっと諏訪なら鼻で笑い飛ばして受け入れてくれるだろうと概ね想像がつくから、私もこの人であれば甘えられると思ったのかもしれない。
 コーヒーの入ったマグカップを置いて、彼が私への距離を詰める。私たち以外誰もいない作戦室は、どこか違和感があって、そしてむず痒いような感じがする。もう少しで引っ付きそうな唇を前に、私は狼狽えて両手で諏訪の胸に手を押し付ける。
「突然キスしようとするのは、なしでしょ。」
「どこの誰が“これからキスする“っていう申告するんだよ。聞いたことねえ。」
「だって知り合ってからもう何年も経ってるし、心の準備が必要。」
 ムードもへったくれもない奴だなお前、と少し呆れたようにそう言っていたけれど、その言葉に悪意は感じない。そんな私でも受け入れてくれると分かっている諏訪に、私は甘えたいのだ。自分の潜在意識の中で、きっと。
「お喋りは、そのへんでやめとけ。」
 この一週間、全く実感は湧かなかった。けれどこの瞬間、私はしっかりと諏訪の彼女になったのだと自覚した。ただの面倒見のいい先輩だった諏訪が、しっかりと私の彼氏になったのだと、そう感じた。くすぐったくて、ぎこちないこの感情も、悪くない。

ラングザーム
( 2022'01'09 )