こうして、三人で並ぶのはいつぶりの事だろうか   青葉は、複雑な面持ちを隠しつつ、旧友達との会話に混ざるようにして、大して飲めもしないビールを自身に煽った。酔えば、自分の気のせいだったと、この最低な感情を消せるのではないだろうかと、言い聞かせていた。
「またこうして飲みたいね。次は、ブン太か、青葉の、どっちかのお祝いで。」
 青葉達の座るテーブルでひと際輝きを放つ友人に、彼女は言葉を濁したように、そうだねと適当な相槌を返した。もう一人の旧友であるブン太は、やはり大して飲めもしないくせに、可愛らしいカクテルを喉に流し込んで、不自然なまでのハイなテンションで口を開いては、勢いよく手をあげてそのカクテルの名前を大声で叫び、店員にお代りを要求した。自分と違い、大人ぶる事無くあくまでも自分の好きなものを美味しそうに飲み干すブン太は、きっと真逆な感情を持っているのだろうと、青葉は人ごとのように彼を見ていた。
「結婚かあ。まだ俺考えた事ないわ。」
「私も。だって、私達まだ学生だしね。ギリギリだけど。」
「ほんと、ギリギリな。」
 大学三年の冬、就職活動の真っただ中。短大を卒業し、一足早く就職した幼馴染の結婚が決まり、それを機に所謂幼馴染という部類に属される三人はそれなりに洒落た店で落ちあい、アルコールを体内に流し込んでいた。
 青葉は、考え、感じていた。酷い劣等感と、急に襲いかかった虚無感と、名づけようもないほどに情けないもやもやとした何かの塊が、ずっと喉を痞えているかのように、彼女の胸の内に潜んでいた。青葉にとって、彼女は幼馴染に違いなかったが、それでも暫く会う事もなければ毎日考える事も当然ない。今まで、彼女を時折何かの拍子に思いだすだけで、けれど襲いかかった喪失感は果てしなく大きく青葉を飲み込んだ。まるで、ずっと傍にいた人を奪われたように、顔も知らぬ幼馴染の旦那になる男にきっと嫉妬をしていた。本当にその男が、彼女に見合った人間なのか、ルックスはどうであるのか、学歴はどうであるのか、傍迷惑でしかないような、そんな事を青葉は思い浮かべては、憂鬱な波に飲まれていく。
 そんな青葉とは対象的に、もう一人の幼馴染であるブン太は、彼女の結婚を心から祝福しているように、青葉に映し出される。これが、本当の友情というものなのだろうと頭で考えつつ、青葉はそれに賛同することなく、ブン太のカクテルと一緒に運ばれてきたビールに手を付けた。
「青葉、ビールなんて好きだったっけ。」
「うん。好きだよ。もうさ、ビールでも飲まないとやっていけない世の中じゃない。」
「うわあ、青葉大人。」
「俺にはただの格好つけにしか見えねえけどな。」
 なんだか、懐かしい感情に涙腺が緩みかけて、青葉は流し込むようにビールを喉に通す。きっと、このもやもやとした得体の知れない感情は、苦手なビールが酷く苦くて、体に合わないからであるからと思い込ませて、続けるようにしてもう一口、喉に通した。青葉が流した視線の隣に、にこやかに、でもヤンチャ染みたブン太のかんばせが映し出された。きっと、酔いがさめれば、自分も彼と同じようになれるのだと、青葉はやはり自分に言い聞かせた。飲み会と託けておきながらも、自分自身との会話の多さに、可笑しくなって痛々しい笑顔が青葉を物語る。
「だってお前、サークルの時ずっとサワー飲んでただろい。」
「え、そうなの。」
「何言ってるの。もう、昔の話じゃん。」
「バーカ。だから、それが格好つけって言ってんだよ。」
「煩いなあ。ブン太ちょっと黙ってよ。」
 昔と何も変わることなく掛け合いをして、笑った。結婚を前にした女が、こうまで輝かしいのかと悔しくなる程の、眩いかんばせが、零れた。そんな彼女を見て、ブン太も小さくほほ笑んだ。心からの祝福を、意味した笑顔を。
「挙式、いつなの?」
 話題を繋ぐための、青葉のその言葉に、彼女は頬を染めるように恥じらった後、大して遠くない未来の事を語った。
「げ。結構早いのな、挙式。」
「げって何、げって。もちろん二人とも来てくれるよね。」
 念を押す様な彼女の言葉に、青葉は一度息を詰まらせ不自然な間の後に「もちろん」と当然の言葉を放った。彼女の挙式に行きたいとは到底思えない、自分の性格の悪さを飲みこみながら、首を縦に振った。隣のブン太も、もちろん同じ言葉を口にするのだろうと、疑う事もせずに。
「あー、俺行かないかも。」
「アンタそれでも幼馴染?普通行くでしょ。」
「うーん、まあ、学生のお財布事情ってやつ?」
「そんなの気にしなくていいのに。」
 彼女は、二人にはどうしても来てほしいのだと、そう言って聞かなかった。せめて二次会にくらいは顔を覗かしてと言う彼女にも、ブン太は頑なに首を縦に振る事はなかった。
「いいじゃん。幸せなのはもう分かったし、俺はここの祝杯だけで十分ってな。」
 得意げに笑ったブン太は、手をかざして再びカクテルのお代りを要求した。目の前に置かれた、オーダー端末はちっとも役目を果たさずに、だんまりで青葉達を見ていた。
 同じカクテルばかりを喉に流し込むブン太は、聊か酔っ払ったように終始上機嫌だった。悔しいほどに祝福しているその様が、逆に青葉にとっては自分の性格の悪さを自覚させる材料でしかなく、青葉も負けじとオーダー端末を手に取った。右から、左から聞こえてくる楽しげな会話に、適当な相槌を返しつつ、酔っ払った指で生ビールのページを探り当てるのは中々に骨の折れる作業だった。青葉もまた、立派に出来あがったその勢いで饒舌に拍車をかけた。夜が、更けていった。




 幼馴染の結婚を知ってから暫くが経った頃、青葉は就職説明会の会場にいた。何度着ても慣れる事のないスーツに、聊か窮屈さを感じ、ため息をつきたくなる状況に、自分よりも先に同じようなため息が彼女の耳元を通り過ぎて行った。聞き覚えのあるその薄らとしたため息に振り向けば、その先にいたのは、意外にも酷くスーツが型に嵌まっているもう一人の幼馴染の姿だった。
「何してんの。」
「お前こそ。何で一緒の所にいる訳。」
「こっちが聞きたい。」
 幼馴染にこういう姿を見られる程恥ずかしい事はないと、きっと珍しく互いの意見が一致したかのように、二人は視線を泳がしつつ、上っ面の会話を進めていく。色々と質問しようと握りしめていた青葉のメモ帳が、役立つ事は結局なく、二人は肩を落としながら会場を後にした。
「お前ここ受ける気あんの。」
「あるから来てるんでしょ。普通。」
「同期がお前とかほんと勘弁。」
「馬鹿。アンタが受かる訳ないじゃん。」
「馬鹿。お前が受かる訳ねーだろい。」
 見事なまでに罵る言葉が、連なっていく。どうにも、気恥ずかしさが勝り、顔を合わせる事無く、同じ帰り道を真っ直ぐに見据え、青葉とブン太は帰路につく。
「その眼鏡、似合ってないから止めた方がいいと思う。」
「お前もその薄い化粧似合ってねえぞ。」
 落ちてきたマフラーを首に巻きなおすと、彼女の隣で同じようにマフラーを巻きなおすブン太がいた。ブン太の少し長めのシャツから覗いた時計が、昔から彼が愛用していたジーショックで、何だかふぬけてしまったように、青葉は自然と笑みを零した。
「結婚式のハガキ、返信した?」
「まだ。お前は。」
「私も、まだ。」
 行くと言ったものの、やはり青葉は気乗りしないその感情を隠しきることが出来ず、未だその返事を出来ずにいた。財布の事情と言っていたブン太も、結局は言うだけで迷うことなく式に参加するであろうと思っていた青葉にとって、ブン太の答えは少なからず衝撃的な物であった。何だかんだ言いながらも、人づきあいがよく、人一倍兄貴肌な彼であれば、間違いなく人の幸せを喜んで祝うのだろうと。
「何悩んでるの。ご祝儀なら、親に借りればいいじゃない。」
「まーなー。」
 幼馴染ともなれば、親同士も繋がりがあるもので、それこそご祝儀代を用意する事は然程にも難しい事ではないだろう。青葉にとっても、ブン太にとっても。
「いやまあ、あれだ。俺結構涙もろいじゃん。そんなん、幼馴染に見せるとかプライドが許さない訳。」
 いかにもなブン太の回答に、青葉はくすりと笑みを漏らした。彼は昔から湿っぽいものが、酷く苦手だと知っていたからだ。嫌いというよりは、耐えられなくなったように、いつだってその場から消えてしまうブン太は人一倍兄貴肌でありながらも、人一倍に人情深い。
「私の事恰好つけとはよく言ったもんだ。」
「いや、お前は本当にただの恰好つけだろ、あれは。」
「ブン太の方がよっぽどだよ。強がり。」
「お前にだけは言われたくないね。」
 馬鹿げた会話に、青葉の心はなんとなしに緩んでいた。家に帰ったら、あのハガキに返事を書こうと。同じ帰路を辿った二人は、他愛もない会話に明け暮れていた。着慣れていない、大きなスーツを纏った、大人になりかけた二人の影が伸びる。
   弱虫なブン太の為に、ついていってあげる。




   ポケットから出てるハンカチセンスなさすぎるよ。
   全然目出度くなさげな地味なドレスだな。
 結婚式の当日、会場の前でブン太と出くわした青葉は、隣り合うように彼と座り、主役の友人を見る訳でもなく、お互い無意味な小言をこそこそと続けていた。式が一番の盛り上がりを見せる頃に、二人の小言もこれ以上ない程の盛り上がりを見せた。式の間、小言は留まる事はなく、普段あれだけ食に貪欲なブン太のテーブルには殆ど手つかずの食事がそのままになっていた。
 式が終わり、それなりに時間が過ぎた頃、二次会の準備が着々と行われる。思い思い其々の会話が蔓延う中、先ほどまで小言の止まらなかった二人の口は、こぞってだんまりを決め込んでいた。
「何かいいなよ。」
「あー。」
「冗談にしては面白くないよ、それ。」
 二次会の会場へのアナウンスが流れ、続々とホールから皆が移動していく中、二人は未だホールの椅子に腰かけたまま、ぼんやりと会話をつづけていた。青葉は、ブン太が腰を上げる瞬間を待ちながら、二次会へのうやむやした感情を胸に宿していた。けれど、それは、思いもよらないブン太の一言で、思わぬ方向へと進んで行く事となる。
「今から飲みに行かね?二人で。」
 驚きにいまいち状況をつかめない青葉に、ブン太はおーいと彼女のぼんやりとしたかんばせに右手を遮らせた。行かねえの?なんて聞いてくる彼に、ようやく先ほどの言葉が幻聴ではなかったのだと理解した青葉は、迷うことなく頷いた。
「行く。」
「じゃあ決まりな。行こう。」
 思いのほかあっさりと了承を得られた事にブン太も驚いたのか、一度目を大きく見開いたけれど、ブン太も次の瞬間には立ち上がり、何事もなかったかのようにホールを出て行った。
「後で文句言うくらいなら止めとけよ。」
「言わないよ、別に。」
 相変わらず、言葉はぶっきら棒だけれど細かいところに気を配る所はやはり彼らしいと、青葉は改めて丸井ブン太という人間を思い出していた。
 特別会話はなかった。何処にする、なんて会話すらなく、気が付いた頃には、有名どころの大衆居酒屋がずらりと並んだ繁華街へと足が向かっていた。階段を少し昇って、自動ドアーをくぐる。「ここでいいだろ。」なんて後付けなブン太の問いかけに、青葉も頷いた。
「お前何飲む。」
「生ビール。」
「別に今気張る必要ねえだろ。」
「いいの。ビールでいいの。」
 変な奴、なんてぶつぶつ言いながらも、手を挙げて店員を呼び付けたブン太は、生ビールと最早彼の定番になりつつあるカシスオレンジを注文した。もちろん、注文したドリンクがテーブルに置かれたのは、ブン太と青葉の逆方向に違いなく、彼は聊かそれに機嫌を損ねたようではあったが、すぐに気を取り直したのか、乾杯をする事もなくその甘いドリンクを喉に通した。
「ねえ。綺麗だったね、ウエディングドレス姿。」
「そうだな。」
 きっと、今日初めてもう一人の幼馴染である主役の事を話題に出せば、ブン太は上の空の様に適当な言葉を告げて、カクテルグラスに刺さった可愛いらしいマドラーをぐるぐると掻きまわした。
「ウエディングドレスなんて皆綺麗に見せる、謂わば魔法の洋服だろ。」
「じゃあ私も将来ああなれるかな。」
「さあ。それはどうだろうな。」
 会話は皮肉に満ちたものばかりであったけれど、青葉にとってそれは決して嫌なものではなかった。目の前を占領するほどに置かれた安っぽいツマミでさえ、式場で口にした得体の知れない高級料理より、幾分も青葉の口の中で幸せを広げた。
 飲んでいるものは、酷く女子らしい女々しいカクテルであったけれど、それを美味いと言って喜ぶブン太に、青葉は「安上がりな舌だな。」なんて悪態付いたけれど、ゴーイングマイウェイを貫き通すブン太が、酷く男らしく、大人らしく見えた。
「やっぱりお前は気使わなくていいから楽だな。」
 お互い酔いが回った頃、ぼんやりと呟いたブン太の言葉が、アルコールと一緒に、青葉の体内へと吸収されていった。当然と言えば当然の一言ではあったが、幼馴染ともなれば、中々本音を出すのも気恥ずかしい物である。そんな彼からの言葉だったからこそ、それが青葉の心を揺らしたのかもしれない。酔っていたからと言われたら、それこそ一言で片付くような、些細な感情だった。
「私もブン太と一緒だと楽だよ。それなりに。」
「キモイ。てかそれなりとかお前最低だな。」
 言って、二人で笑った。傍から見たら仲のいいカップルに見えたかもしれない。ブン太が燃えるように赤いそのドリンクを飲みほしていき、青葉も負けじと黄色い液体を喉に流し込んだ。お互い、同じタイミングでグラスを置いた。
「二件目、行くだろ?」
 尋ねておきながら、ブン太はハンガーに掛ったスーツを羽織って会計へと進んで行った。柄にもなく完全に出来あがってしまった青葉は、足をもたつかせながら進んで行くと、馬鹿にしたようにしながらも優しく笑うブン太が、彼女の名を呼んだ。
「おい、青葉。早くしろい。」
 久しぶりに耳を掠めたその単語が、酔いのまわった青葉に拍車をかけるよう、どきりと胸を高鳴らせた。
   アリエナイ。




 酒に酔っていたのは青葉だけでなく、ブン太にとってもそれは同じだったようで、二人は繁華街を行き来し、最終的に人通りの少ない、怪しげなネオンの輝く、大人の街へと辿り付いた。大きな看板を前にし、青葉の酔いは少しさめたように、現在の状況を知らせていた。
「ここ、居酒屋ないね。戻ろうか。」
 酒に酔って饒舌になっていたブン太も、ぴたりと口を止めて、その看板を見上げた。
「お前酔ってるじゃん。休憩して行かね?」
「は、馬鹿。冗談止めてよ。」
 いいじゃん   そう言って、握られたブン太の右手の大きさに何だか変な感じがして、青葉は一度、その手を振りほどいた。
「別に驚かないだろ。昔はこうしてた訳だし。」
「状況が違う。」
 あの頃とは明らかに違うブン太の手が、すっぽりと包むほどに青葉の左手を覆っていく。一度は拒絶しておきながら、それは青葉にとって酷く居心地の良さを感じさせる温もりで、二度目の拒絶は起こらない。
「可愛いとこあるじゃん、お前も。」
 握り返す様に、力を込めると、ブン太の顔が青葉に近づき、極自然と互いに振れた。歓楽街であるこの場所で、幼馴染の二人がする行為から程遠く、今までの二人にとって無縁であったはずのその行為が、二人を加速させていったのかもしれない。青葉にとって、久しぶりになるその感覚は、ない物を埋められたように、酷く心地が良かった。幼馴染という、その関係を捨てる覚悟を持って、青葉は引かれるがままに、ネオンの犇めくシャッターを彼とくぐっていった。酔いだけを頼りに、彼女はブン太の背中にしがみ付くよう、前へと進んで行った。




 小鳥の囀りで、かろうじて目を覚ました青葉は、起き上がろうとして、酷く鈍い痛みに再びベッドへと伏した。それが二日酔いであるのだと理解するまでに、随分と時間を要した。昨日の出来事を全て把握するには、それはいくつかの欠片が足りない。二日酔いに見合うだけのアルコールを、どうやら摂取してしまったらしい。
 隣に目をやると、真っ赤に燃える赤が、そっぽを向いていた。肌色がちらりと覗くブン太に、やはり昨日の記憶の断片が幻ではないのだと確信し、青葉は言葉に詰まる。こう言う時、一体どんな言葉が一番正しいのだろうか。青葉が言葉に思案していた頃、それを遮るようにブン太の声が響いた。
「お前、死んでもこっち見るなよ。」
 ブン太の背中が、昨日見た時より幾分も小さく、そして震えて青葉の視界に映し出された。一体何を言われるのだろうかと構えている青葉にとって、一番最悪な言葉が、降りかかった。
「ごめん。ほんと、悪かったって思ってる。」
「…どうして謝るの。」
 一番聞きたくない、その言葉が、青葉の耳を掠めた。
「俺、あいつが好きだ。多分、今も。」
 言われて、手を叩きたくなるほどに納得がいった。あの人づきあいのいいブン太が何故頑なに結婚式への参加を拒んだのかとか、二人で抜け出して居酒屋にいったのかとか、全てにがてんがいった。あの時彼が言った、“お前は気を使わなくていいから楽”という言葉は、決して自分に向けられている言葉ではなかったのだと、分かってしまった。
 幼い頃の青葉の思い出は、ブン太一色だった。わんぱくでありながらも、どこか面倒見のいい、幼馴染の中でも群を抜いて兄貴肌だったブン太を当然の様に青葉は好意的に思っていた。その視線が、また更に横にそれている事は、幼いころからなんとなく分かっていた。ブン太は、あの子が好きなんじゃないだろうか、と。
「ブン太はずるいなあ。私あんな感情忘れてたのに、ブン太が好きだった頃の事、忘れてたのに思い出させといてそんな事言うなんて。ほんと、吃驚するほどに酷いね、ブン太。」
 きっと、思い出す事のなかった感情。封印し続けられたあの想いを引きずり出したのも、全部ブン太だった。酷く、惨めに感じた。感じたのではなく、事実惨めなのだなと改まると、本当に馬鹿馬鹿しくて、次に移す行動が、いまいちわからない。
「もう一度好きにさせといて、突き放すなんて、本当に信じられない。」
「……ごめん。」
 きっとブン太も、心の奥底で眠っている青葉の想いを、利用したのだろう。そうすることで、楽になる術が、そこにあると信じながら。
 青葉は、思う。幼馴染の親友が奪われたと孤独感を抱いたのではなく、それは幸せになっていった彼女への嫉妬であり、憧れであり、妬みであった。幸せな彼女の姿を見る事で生まれたのは、憎悪と、激しい憧れだった。自分に持っていないものを持っている彼女に、きっと妬んでいただけなのだと、今になって青葉は気づいた。性格の悪さは、己が思っていた以上に酷かったのだと、青葉は自嘲した。
「でも、お前と関わりがなくなる生活に耐えられる程、きっと、俺は強くない。」
 そう言った後に、ブン太は言う。好きは好きでも、青葉と“あの人”との好きの種類は違い、内容も違うのだと。何も言わない青葉に、ブン太は縋る様な目で、不安そうに青葉にようやくそのかんばせを向けた。
「ごめんブン太。私二日酔いみたいで、よく理解できない。」
   でも、今まで通りの関係で居られる程、きっと、私は強くない。
 こんな結末を辿るのであれば、あの頃の感情など、蘇らなければよかったのに、青葉はそう思わずにはいられなかった。美しかった思い出が、汚く、歪んで行く。初恋が、長いスパンを隔て、今ここで終わりを見た。泣きそうになっているブン太を見て、こっちが泣きたいと思いつつ、やはり青葉の視界の滲んで、揺れた。
「一日でこんなに好きにさせるなんて、ブン太は本当に昔から器用だなあ。」
 涙に交じった言葉が、朝の空に消えて行った。傷をなめ合うだけの、そんな関係も、夜明けと共に淡く、散った。




 家に帰った青葉は、もう暫く着る予定のないドレスを脱ぎ、部屋のベッドに項垂れた。ドレスの返却時間は、今日の昼。テレビを付けると、とある長寿番組の増刊号が始まった。ぼんやりとしながら見ていた画面に、ふと、涙が伝った。何に対してのそれであるのか、思い当たる節が多すぎて、特定が出来なかった。
 酒の過ちで始まった恋であれば、酒で終わらすことが出来るかもしれない。最後の手段に出た青葉は、自室に飾られていた、昨晩彼が飲んでいた赤いリキュールをグラスに注ぎ、冷蔵庫にあったオレンジジュースを足し合わせた。指でカラン、カラン、と軽く氷を鎮め、口をつける。一口目で、嗚呼、自分はこれが好きだったのだなと、改めて青葉は思う。背伸びをしたビールではなく、此方の方が余程自分にあっていて、止める事無く青葉はそれを喉へと流し込んだ。
 酒の怖さに怯えながら、酒に溺れていくその様は、酷く滑稽であると、自分の事ながらも、青葉は何処か他人事のように自らを客観視していた。
   下らない嫉妬や憧れがなければ。
   酒に溺れる事なく、友人の幸せを祝う事が出来ていたのならば。
   酒に酔わない程に、強い意志を持っていたのならば。
 考え出したらキリがなかった。何の歯車が、何処で狂ってしまうと、こうなってしまうのだろうか。どうすれば友人である彼女の幸せを、友人である彼と共有出来たのであろうか。何を間違えると、こうも悪循環に陥るのだろうか。青葉には、その答えを知る術はなかった。
 増刊号は、愉快に笑い声を上げる。無理にテンションをあげようとした体が悲鳴をあげているように、青葉の視界が滲んだ。自らを煽るように喉に通した、あの赤いドリンクは、いつの間にか慣れてしまったビールによって、全くもって青葉に酔いを与えない。
 アルコールが全てを齎し、また、アルコールが全てを奪い去った。けれど、そんなアルコールに依存しなければ今にも潰れてしまいそうな自分の心が酷く情けない。暫くして、ようやく酔っ払った後、青葉に残ったのは、幼馴染に対する、嘗て抱いた仄かに色づいた、あの感情だけだった。



( 20120303 )