リョータと三年越しに再会して、私たちの奇妙な同じマンションでの半共同生活も再開されていた。事前に決めていた訳でもないのに、昔住んでいたマンションに二人して戻ってきているのだからおかしなものだ。そして、やっぱり私たちはどこまで真っ直ぐに進んでも同じ方向に戻ってくるらしい。 「ラスイチ、しかも半額。」 「今年の運全部使い果たしたんじゃない?」 「唐揚げに俺の一年持ってかれたくねえ〜。」 部屋の場所は少し変わったけれど、三年前にそのままタイムトラベルしたかのような日常がわずか数日で戻ってきた。リョータは私の部屋に来て、そして一緒に夕飯を食べる。 一方で、あの頃と変わったこともある。 もう学生ではなく、社会人になった。帰ってくる時間も昔みたいに早くない。ここ最近残業の多い私が帰ってくるタイミングには既に売り切れている事が多いその唐揚げは、リョータが買ってきてくれる。彼は現在所属チーム先を選定中の身で、悪い言い方をすれば無職のニートだ。時間に余裕があるのはこの為だ。 そしてもう一つ、それは私たちの関係性について。 「なに、またサブレー食ってんの?」 「帰ってきてちょうどお腹空いてたからつい。」 「てかそれ俺への菓子折りだよね?」 二◯五号室の住民がリョータと発覚して、既にリョータの手に渡っていた菓子折りを奪い返して、そして数日かけて私が食べているという背景がある。つまり、私とリョータは意図せずお隣さんになったのだ。 「マヨネーズ持ってこよっと。」 「油に油かよ。」 「だってさ、美味しいじゃん?」 「そうなんだよな、これが。」 冷蔵庫の上に小皿を置いて、マヨネーズをソフトクリームを絞る感覚で絞り出した。足りなくなっては取りにくるのが面倒なので多めに絞っておいたけれど、どうせ綺麗になくなっているに違いない。 「分かる男のリョータくんにはニンニク塩の小皿もあげよう。」 私たちは大学を卒業して、そして次のステップに進んだ。かつての私達ほど時間の余裕はないのかもしれない。けれど、関係性は何も変わらない。こうして誰が聞いている訳でもないのに面白おかしく話をしながら、二人だけで楽しい狭い空間を味わう。あの頃と全く同じで、それはかつての私たちの日常だ。 「明日も仕事でしょ?」 「外出の予定もないしまぁ何とかなるでしょ?何とかならなくても迷惑かけるの隣に座ってる三井さんだけだろうし。」 「色気ゼロかよ。」 「色気よりも食い気。」 「自分で言う?」 あの頃と何も変わっていなさすぎて、改めて自分とリョータの関係性に疑問が生じる。あの時空港で彼は“待ってて”とそう言ったけれど、あの言葉の真意は一体何なのか。あの頃の日常を、一番関係性の近い友人として再現したいという“待ってて”だったのだろうかと。 再会した時に一度抱き寄せられてから、リョータとは何の進展もない。進展がないと言うと、私が何かを期待しているみたいで癪でしかないけれど。 あの抱擁は何だったのか?ただ単にアメリカナイズされただけで、特に意味はなかったりするのだろうか。そんな事を考えながら、私は必死に三年前と同じような自分を取り繕っている。三年前から変わっている、今の自分を押さえつけて。 「で、所属先どこにするの?」 「二択には絞れたけどまだ迷ってる。」 「いいね、選り取り見取りで。」 「まあね。」 「……謙遜くらいしたら?」 「ま、事実だし?」 就職活動に難儀をして三井さんに引っ張り上げてもらった私に対して喧嘩でも売っているんだろうか。アメリカ留学を経たリョータは落ち着きがあって、そして自信に溢れている。私と圧倒的に違うのは、その余裕だ。今の私にはそれがない。 「そう言えば週末また合宿行くんでしょ?」 「三井さんから聞いた?」 「宮城も来るぞ〜って会社で。」 「うん、だからも荷物とか準備しといてね。」 淡々とそう言い放って、リョータは「いただきます」と両手を合わせてから唐揚げに箸を伸ばしている。まずはニンニクマシマシの塩ではなく、マヨネーズから行くらしい……ではなくて、なんかサラッと私もその話の中に入っているように感じたのは気のせいだろうか。 「三年ぶりに俺のバスケ見たいだろうし?」 「……随分自分勝手じゃん。」 「泣きながら俺をアメリカに送り出したならさぞかし俺のバスケが恋しいだろうと思って。」 三年前とほとんど会話の内容は同じはずなのに、攻守が逆転しているような気がして何だかしっくりとこない。いつからこんなにメンタル的な意味でリョータは強くなったんだろうか。 「って冗談抜いても、来てよ?」 そして急に真面目なトーンになってこちらをチラリと見つめてくるので、もう返事はこの時点で決まってしまう。悲しい事に断る材料になり得る予定や交友関係が私にある筈もなく、静かにこくりと頷いて、マヨネーズを掬った唐揚げを頬張った。 しばらく使っていない大きな鞄の在処を考えながらでも、やっぱりこの唐揚げは美味しい。 見知った顔の多い面子と合流して、私はリョータと共に静岡の地を踏んだ。 赤木さんに木暮さん、そして三井さん………はたった十二時間ほど前まで職場で一緒にいたのでまるで感慨はないけれど、久しく会っていない人の少し大人びた顔が何だかとても新鮮だった。 そして彼女と会うのも、三年ぶりだ。 「うん、元気そうね。」 「普通それ「元気?」って聞くんじゃないの?」 「いいじゃない、元気ならそれで。」 元々大人っぽかった彩子はより妖艶さを増しているように見えた。少し向こうで赤木さんと話しているリョータを見て、彼はこの彩子の姿をどう思うのだろうかと一瞬そんな事を考えた。 顔良し、スタイル良し、性格良しの三点セットの文句のつけようもないこんな完璧な女性は、リョータでなくとも世間が放ってはおかないだろう。私の目にそう映るくらいなのだから、長い間彼女に熱烈な視線を送ってきたリョータならきっと───。 荷物をリョータが持ってくれているのを思い出して、一度彼の傍まで近づくと何故か私の手首を掴んで、そして私が来た道をそのまま戻っていくように手を引いてスタスタと進んでいく。その先にいるのは彩子だ。 「アヤちゃん。」 リョータは強引に私を連れて彩子の前で立ち止まる。この先に何が起こるかのか、まるで想像がつかない展開に頭の中が追いついてこない。とにかく心臓が煩い。この二人が一緒にいるのを見たのは高校卒業以来だ……もうあの頃と同じように二人を見る事が出来ない自分に気が付いて、少しだけチクリとどこかが痛んだ。 「アメリカはどうだった?」 「うん、それはまた追々話すけど………」 「けど、なによ?」 どことなく感じる居心地の悪さにここから離れたいのに、リョータがそれを阻むようにして私の手首を握る。そして、少しの間を置いてから更にぎゅっと音が出そうな程に掴みなおしてきた。 「俺、彼女出来たんだ。」 「あら?」 リョータの緊張が伝わってくるようで私まで何だか体が硬く縮こまっているような気がする。そうか彼女か……と聞いて、一瞬現実に戻って状況が掴めず固まる。私の動きに制限をかけるようにリョータの手が腕を伝って私の手にしっかりと重なっていた。 「なによ、今更?」 「……今更って。」 「もうとっくの前に彼女いるのかと思ってた。」 彩子は何だか得意げに笑ってそう言っているし、一方でリョータは珍しく緊張しているような面持ちだ。アメリカから帰ってきて早数週間、リョータのこんな顔は初めて見た。戻ってきてからの彼はとても余裕があって、落ち着いていたから。 「違う?」 「……違わなくない。」 「勘違いじゃないならよかったわ。」 「うん……」 「今度紹介してくれるんでしょ?」 高校生の時に出会って、大学で部屋違いの同じマンションに住んで、そして社会人になった今もまた同じマンションに住むくらいにリョータは限りなく関係性が近い。けれど、こうして手を繋いだことなんて一度もないのでリアクションに困るし、私の心臓も心底困ったように鼓動で戸惑いを示している。 「……じゃあ今紹介してもいい?」 お互いに重なった手のひらがじんわりと湿っていて、より自分の状態を表しているような気がして恥ずかしくなる。 いつか待っていればリョータの彼女になれるんじゃないだろうか、アメリカから帰ってきたらリョータが彼女にしてくれるんじゃないだろうか、そうなれたらいいのにとこの三年ふと思い出すようにそんな事を考えていた。可能性がゼロじゃないと思っていたからこそ、そんな期待が膨らんでいたのかもしれない。 でもリョータと再会してからの日々は、三年前のあの頃の楽しいままの生活で、その先の進展はない。それ以上を望むのはどこか贅沢で烏滸がましい気がしていたけれど、流石にこの状況で彼の言う彼女が誰かはなんとなく察しがついて、期待してしまう。 「俺の彼女、だから……」 あの頃と変わった事はもう一つある。 いつだって二人だけの空間でお互いの名前を呼ばずとも会話や意思疎通ができてしまう中で、リョータがわざわざ私の名前を呼ぶことは少なかった。けれどここ最近はよく名前を呼んでくれる……気のせいだったら顔から火が出るし、そうじゃなくても今の時点で火が出そうな状況だ。 「そう、いい彼氏出来たじゃない?」 急に振られた会話に、まるで整理のついていない私の脳みそが反応してくれない。 リョータのその一言にも驚いたけど、彩子のその言葉がリョータの言葉を真実だと証明してくれているようで余計と整理がつかない。素直に喜ぶ以外に残された選択肢はない筈なのに、未だにどこか信じられない絵空事のような気がして、感情に従いきれずにいる。 「本人自覚してないみたいじゃない?」 「……うん、これからさせる。」 「やあね、見せつけるじゃないリョータ。」 「そりゃ俺の彼女だからね?」 そう言うと急にリョータは私の手を離して、「……そう言う事だから」と言い残すようにスタスタと進んでいってしまった。 間違いなくこの場にいた全員に聞かれていたであろうその内容に私は未だ身動きが取れず、少し先を歩いているリョータの背中を瞳を揺らしながら眺める。ヒュ〜と綺麗に響かない口笛を吹く三井さんにリョータの飛び蹴りがめり込んでいた。 「三年待った分の見返りはあったんじゃない?」 彩子のその言葉にも、私は呆然としてまだ現実を受け入れられずにいた。 練習が終わって、私は彩子と部屋に戻る。私が大学生の頃にも何度かこういった合宿が行われていたのは知っていたし、そこに彩子がいたのももちろん知っていた。 「いつも一人だからやっぱいいわね、誰かがいるって。」 「彩子はいつも通りって感じだね?」 「いつも通りでいられないみたいな理由ないもの。」 「………核心つくのやめてくれる?」 大浴場で初めて裸の付き合いをした彩子は出会った頃の彩子と変わっていなくて、結局いつだって私の事を応援してくれる立場だ。どう足掻いても彩子に勝てる訳がないと思ったそんな事もあるのに、それでもやっぱり私にとって彩子の存在もリョータと同じくらい大きなものでしかない。 いつ如何なる時でも私の味方でいてくれる彩子だから。リョータがアメリカへ行くか迷っていた時も、私の我儘を聞いてくれたのは彩子だった。そして同時に、「アンタ達は近すぎるのよ」と助言してくれた恩人でもある。 「今日は夜通しあの時の事聞かせてくれるんでしょ?」 「あの時ってなに……」 「ポストカード託しておいて……あの後なんかあったでしょ?ていうかない訳ないじゃない?」 「あの……それ尋問だから。」 練習が終わって食事の後はと男子と女子で分かれてそれぞれの時間を過ごす。男子と女子なんて響き、いつぶりに使っただろうか。私たちは出会った時よりも随分と年をとって大人になったけれど、それでも同じ面子でいるとその頃に戻ったような気がするので不思議なものだ。 「勿体ぶらなくてもいいでしょ?」 「……別に勿体ぶってる訳じゃない。」 「な〜んか、そういう所リョータと似てるわね?」 「そう?」 今にして思えば、リョータも肝心なことはあまり言ってくれないタイプなのかもしれない。私もこうして自分の感情をそのまま伝えるのはとても苦手だ。だから彩子が言うように、本当にリョータと私は似ているのかもしれない。 そんなところが似ていてもどうしようもないのに、けれどそんなタイプのリョータだからこそ思う事があった。自分の本音を悟られるのを極端に嫌うリョータが、物怖じしながらもあえて彩子の前で宣言した、その意味を。 「あれはアンタへのサインよ?」 「……サイン。」 「言わばマーキングね、が自分のだっていう。」 気づいてない訳じゃないでしょ?と言われて、湯上がりなのを別としても体に熱が走って熱っていくような感じがした。 先ほどの言葉思い出して、そこまでする必要はなかったんじゃないだろうかとそう思う。そもそも付き合っている気でいるなら、まず私にその事実を伝えるのが先決だし、その事実があればあえて宣言する必要もなかったはずだ。 「まさか自覚ないの?」 「……それは、」 「あんな強烈なマウンティングもそうないわよ?」 「ほんとやめてって!」 女子高生のようなテンションでニコニコとそう言ってくる彩子のその言葉があまりにも恥ずかしくて、それ以上聞いていられなくて耳を塞ぎたくなる。リョータが恋をしていた彩子に、こんな事を言われる未来があるとは思ってもみなかったから。 「遠回りしたんだもの、それくらい過剰にされてもバチは当たんないわよ。」 私とリョータが最終的にこうなる事を分かっていたような、そんな彩子の言葉だった。私とリョータ、いずれにとっても近い存在である彩子にはそう映っていたのだろうか。けれど、思い返してみても彩子からそれを示唆するような言葉をかけられた記憶はない。 「彩子はさ、」 「ん、なに?」 「私たちがこうなるって、ずっとそう思ってた?」 「そうね、そうなって欲しいって思ってた。」 リョータと仲良くなったきっかけを思い出す。彩子との恋を応援する、今にして思えば正反対の道を進んでしまったのかもしれない。けれど同時に気付かされたのは、私が好きなリョータは彩子の事を真っ直ぐに好きと言えるリョータだったのだと、そう気が付いた。 「アンタたちの関係って特殊なのよ。」 「……特殊?」 「特殊っていうか……そう、唯一無二!」 唯一無二、そんな言葉を人生で使ったことはないかもしれない。けれど、なんだかとても腹落ちしてすぅっと自分の中に入ってくる感覚があった。他の何にも変えられない存在を考えた時に、真っ先にリョータが出てくるから。 「外野が騒いでも二人が気づかなきゃ意味ないじゃない?……だからよかった、ほんとに。」 私の人生において最大の幸運だったのは友人に恵まれた事なのかもしれない。リョータにしても、彩子にしても、いつも私を救ってくれるのはその存在だ。 「……ん?」 コンコンコン、と小さく三回響いたドアを叩く音に彩子がベッドから腰を上げて扉を開く。誰が来ているんだろうか?なんとなくそれが誰かを想像すると、再び息を吹き返したように鼓動が打ちつける。 「、リョータが呼んでる。」 ちゃんと目を見て話せるだろうか?大きく一度息を吸い込んで、そして私もベッドから腰を上げた。 リョータの広い背中を見ながら、彼が進む方向に私もついて行く。騒がしいという表現が正しいいつもの私たちの日常はそこにはなくて、二人とも黙ったままだ。空気の澄んでいる夜の匂いと、どこからとも無く虫の鳴く声と、私たちが進む足音だけが響いている。 「……座る?」 「あ、うん。」 真っ直ぐに続く河原で、私たちは腰を下ろす。周りに人の気配はなく、街の灯りも遠くに灯っているだけだ。自分の呼吸音が聞こえてしまいそうな、そんな緊張感が走った。 「昼間に言った事だけどさ、」 「お土産はバリ勝男クンにしようって話?」 「本当にその話だと思ってる?」 「……いいえ。」 私はこういう真面目な雰囲気に耐性がない。すぐに話を逸らすようにその場を回避しがちだが、どうやらそうもいかないらしい。私自身もあの言葉の真相は聞きたい反面、その事実に心臓が持つだろうか不安が残る。 「そもそもの質問なんだけど、俺の彼女って自覚はついた?」 暗闇の中で微かに見えるリョータの表情は何処か様子を伺っているような、そんな安定しない瞳でこちらを見ている。この数週間見てきた余裕のあるリョータはそこにはいなくて、私と同じように少し落ち着かない様子だ。 「……まあ流石に。」 「そっか。」 「うん、いつから?とは思ったけど。」 恋人になるにはきっと双方の意思の確認が必要で、私たちはその工程を飛ばしているのかもしれない。けれど、昼間のリョータのその言葉がそれに変わる言葉のように感じられた。 「ほんとはさ、すぐに言うつもりだったんだ……でも全然そんな雰囲気作ってくんないじゃん?」 思い当たる節しかなくて、中々言葉が続かない。 リョータと三年ぶりに再会したあの日、衝動のままリョータの腕に包まれて湧き出た感情を思い出す。三年という長い月日を経ても揺るぎなく存在するその感情が恋である事を自覚して、抱えきれない幸せな苦しさでいっぱいになった。 一度冷静になって、リョータとの接し方が分からなくなった。急に自分が“女”になったような気がして、それを見られるのがなんとなく恥ずかしい。だから三年前の自分を必死に思い出して、そしてなるべくリョータが知っている自分を演じようとそう思った。 「この場所ね、前に合宿できた時に見つけてさ。その時は無意識だったけど、自分がいいと思ったものはにも見せたいなって自然にあの時も思ってたんだよな〜って。」 話を紐解いていくと、どうやらこの合宿を企画したのはリョータ自身だったらしい。もうこの時点で大体の予想はついてしまって、それが間違っていても、合っていても、いずれであっても顔から火が出そうな程に恥ずかしい。 「絶対アヤちゃんの事気にしてると思ったし、が自分から聞いてこないだろうなってのも分かってたから。」 リョータなりの誠意が痛い程に伝わってくる。 そこまでする必要なんてなかった筈だ。私にその言葉を伝えればそれだけでいい事を、こうして場を設けてあえて難しい方を選んだリョータの誠意に胸がいっぱいになる。私の事を一番理解しているリョータだからこその行動だ。 これ程までに私を理解しているリョータは、けれど私がこの事実だけでもう十分に満たされている事をきっと知らない。知っていたらこんな不安そうな顔をする事はないだろうから。 「今俺が誰を見てるか分かった?」 少しだけ苦しそうに吐き出したリョータのその言葉が、私の心の内側を掻き乱すように通り過ぎていく。これだけの環境が整っていて分からないのであれば、私は本当の大馬鹿モノだ。リョータの精一杯が詰まったこの一日を、きっと生涯忘れることはないだろう。 「そっちこそ分かってる?」 「……言葉と表情があってないからさ、は。」 「もしそうならそれはリョータのせいだね?」 時々こうしてリョータは私の感情をいっぱいに満たして、そして泣かせる。思えば三年前も同じような瞬間があったような気がする。 お腹を抱えて呼吸の仕方を忘れるほど笑うのも、どうしようもなく一緒にいて落ち着くのも、一喜一憂して私の感情を揺さぶっておきながらけれども絶対に裏切る事なく最後は満たしてくれるのも───全部リョータだけだから。 「が好き。」 今までも叶えられる恋のチャンスがなかった訳じゃない。 でもそれはきっと、私にとって恋ではなかったんだと思う。リョータの事が好きだというその事実の先に恋があるだけで、その相手は唯一無二のリョータ以外に務まる訳がない。そうでなければいつ帰ってくるかも分からない相手に、それも三年も心変わりする事なく待ち続けることなんて出来ないだろうから。 「……順番逆じゃない?」 「普通そこは私もって言うとこなんじゃないの?」 「私のこと分かってないね?」 言葉と行動は比例しないらしく、私の頬に伝う涙を拭ったリョータのその手を掴むと、お互い同じタイミングで距離を詰めて、そして初めて唇が重なった。 恋は苦しくて、そしてどうしようもなく愛おしい。 リョータの日本での所属先が決まった。今日は所属してから初めての試合で、朝ごはんを食べに我が家へ来ていたリョータの様子が少しだけいつもと違う。彼なりに気合が入っている事が窺い知れて少し微笑ましい。 時々タイミングが合うとリョータは朝ごはんを食べにやってくる。 起きて、歯を磨いて、顔を洗って、多分それ以外は何もせず何の手も加わっていない純度百パーセント、素の宮城リョータだ。けれど今日は誰がどう見ても気合の入りまくったご自慢のヘアセットがバッチリ決まっている。 高校生の頃はよく試合の度にトイレに駆け込むリョータだったけれど、大人になった今でもこうして緊張しているのかと思うとなんだか可愛らしい。 「お、」 気持ち早めに会社を出て、最寄りのスーパーに寄ってから帰宅する。リョータの帰りもきっと早くはないだろうからと思うと駅からスーパーまで小走りになってしまう。結果的に小走りした甲斐はあったので良しとする。 「お〜、」 「なに、今日帰りいつもより早いじゃん?」 「リョータこそ。」 「ん、まあ……売り切れてたらお前騒ぎそうじゃん?」 「私にどんなイメージ持ってます?」 マンション入り口の集合ポストを覗いていると、私と同じ袋を下げたリョータがそこに立っている。初めての試合という事もあって試合の振り返りや次回の戦略などのミーティングがあるだろうと勝手に思っていたけれど随分と早い帰りだ。 「じゃあ今日は唐揚げパーティだね?」 「今日は…てか、今日もだけど。」 「へへ、二つも買っちゃった。」 「まじか、四パックも食えっかな。」 「リョータも?」 お互い袋の中身を見せ合うと、同じ値引きシールが貼られている唐揚げのパックが入っていて笑ってしまう。考える事は一緒らしい。急いでスーパーに向かって、そして値引きシールにちょっとした喜びを感じながら購入する唐揚げが美味しくない筈がない。 その見慣れたパックを手に取る時、いつだって脳裏にはリョータの顔が浮かぶ。リョータも同じだろうか?考えて、考えるまでもないとそう思う。 「まいっか、明日私休みだし存分ににんにく摂取しよっと。」 「俺明日も練習なんだけど?」 「そっか、にんにくってあだ名がつかないといいね?」 合宿から戻ってきた私たちの生活はやっぱり変わらない。変わらずに、とても平和で、沢山の潜在的な幸せが隠れているそんな生活だ。関係性が変わったからといって、全てを変える必要なんてない。私たちが良ければそれでよくて、それで幸せならそれでいい。 「久しぶりにあれやる?」 「アレって?」 「ビールで唐揚げ流し込む儀式。」 「だから女子力。」 「自然体な私が大好きなくせして?」 一緒に二◯四号室の部屋に入って、玄関の鍵を閉める。閉めたついでに、目の前にいたリョータの首にぶら下がるようにしてみると、袋を持った手でそのまま私を包み込む。どことなくにんにく臭が漂っている気がする。 「ねえ、」 「ん?なんだよ。」 「私これからにんにく摂取して、ビールも飲むんだけど。」 「……で?」 「無味無臭の私、今だけだよ。」 一度リョータの腕から抜けて玄関で物乞いするような目線でそう言ってみる。意味が分からないとは言わせないし、分かっているから今にも笑い出しそうな顔をしているのを私は知っている。 ここ最近の私は、自分のパーソナルスペース(二〇四号室)に入ると自分を制限しない。自然体の私を好きでいてくれるのであれば、私の本心でしかないこの行動も受け入れてもらわないと困るから。三年待った分だけ、彼女の特権を思う存分味わえるのが、ここ最近の私の楽しみだ。 「欲しがり。」 まだアルコールもにんにくも含んでいない私の唇を絡め取ったリョータは、そっと髪に手を添えてから私を抱き寄せてくれる。 「でも俺もビール飲むしにんにく摂取するじゃん?」 「……そうだね?」 「二人で摂取してればあんま関係なくない?」 「ほんとだ、無限にできちゃう。」 こんな私の姿を知っているのはリョータだけで、これから先もリョータだけでいい。私は唐揚げの入った袋をぶら下げながらもう一度鍛え上げられた首筋に両手をかけて、飛びつくようにリョータに近づいた。幸せは、玄関から既に始まっているのだ。 私は恋をしている。叶う恋を、している。 少し遅れてやってきた初恋は想像以上の幸を運び、そしてこれからもこの狭い部屋で続いていくのだろう。そう信じたくなるような、唯一無二の恋だ。 ⅷ.再会と再開と、始まりと 2023/07/23 end. |