カラッと晴れた空が少し眩しいくらいのオープンテラスで、私はビールを煽る。
 こうして二宮とここでビールを飲むのは、一体どれくらいぶりの事だろうか。酷く、懐かしい記憶のような気がして、そしてかつて彼にここへ連れてきてもらってきた時の自分の落ちぶれっぷりを思い出して、そんな事もあったなと今はから笑いができるまでに、少し痛い過去の思い出に留められていることに気づく。一体何度、彼に私の身のうち話という名の愚痴を話してきたのだろうかと数えて、やっぱり私はまた苦笑する。
「あの時飲んだビール、めっちゃ不味かったな。」
「ビールの味自体に変わりはないだろう。」
「そうだね。私も、ビールの味が分かる大人になったって事か。」
「…随分と都合のいい解釈だな。」
 私も二宮も大学を卒業して、ボーダーの運営側に回って就職した。私と違ってトリオン量に恵まれ、戦術にも秀でていた二宮が運営側に回ったのは、意外でしかなかった。なんの根拠もなかったが、彼は大学を卒業すれば一般企業へと就職すると思っていたけれど、しれっと私と同じ道に進んだことに少なからず驚いた。就職が決まらず、結果的にボーダーに就職した私と違って、二宮には色んな選択肢があったであろうに。
 数年前の、二十歳の誕生日の翌日に、私はこのお洒落なオープンテラスの店に連れてこられた事を思い出す。あの時に飲んだビールは、私にとって初めてのビールで、その味と同じく苦い思い出として残っている。無謀な恋に挑んで敗れた翌日、当時一ヶ月待ちで予約の取れないこの店の予約を取ってくれたのは、二宮だった。
「にしても、私今日も空いてるなんて言ってないけど?」
「何度も同じことを言わせるな。休みのシフトは確認してある。」
「何度でも言うけど、シフト入ってなければ暇と思わないでよ。」
「現に、暇だったろ。」
 数年前にも全く同じ場所で、同じ言葉を聞いたような気がする。結局、あの頃から私が暇人ということは変わりのない事実で、二宮の中でも変わりのない私の情報なのだろう。あれから何年も経って、それまでの私の過程も二宮はよくよく知っているのに、相変わらず強行突破で強気だなと思う反面、私の暇さ加減も変わらないのだなと少し恥ずかしくなる。
 あの時の私達の会話は、数年後である今でさえ大して変わらなくて、お互い歳を取っただけであまり変わっていない。二宮が優しいという事実も変わらないし、二宮にとって残酷である私もまるで変わってはいない。あの時、この場所で二宮に告白された私は、どっち付かずな言葉で、彼の好意を受け入れなかった。
「無駄に歳とったのに、私達の会話変わってないのは皮肉だね。」
「いちいち内容覚えてる程、俺は暇じゃない。」
「そういうところだよ、本当に成長しないね。私も、二宮も。」
 受け入れなかっただけで、拒絶した訳でもなかったあの日のことを、二宮は覚えているだろうか。結局初めて飲んだビールはあまりに苦くて、私は一杯目を飲み干した頃には茹で蛸のように顔を真っ赤にさせて、具合を悪くしてしまった。けれど、二宮は面倒な顔一つせず、あの無表情なかんばせで私を介抱して、そして何事もなかったように家へと送り届けてくれた。
 飲んだ事もないビールを大人びて飲んでみたいと言った私に、否定する事なく飲みたいのであれば飲めばいいと、その後の面倒は見ると言ってくれたのは他でもない二宮だった。
 二十歳の誕生日、私はずっと憧れていた東さんに告白しようとして、そして直接振られるでもなく、彼女がいるのだと言われて間接的にに振られた。その翌日、私がずっと憧れていたこの店へと連れてきてくれたのが二宮だ。一ヶ月前に予約しないと入れない店に、私の確認もなく一月前から予約をして、だ。
「お前は、退化しただろ。」
「二宮は私に皮肉しか言わないからね。」
「前よりもタチの悪い酔い方してる。」
 その言葉には、あまり強く言い返せない私がいた。未成年最後の日、私は憧れだった東さんにアルコール解禁初日に、一緒に飲みに行って欲しいと依頼をして、誕生日当日を彼と過ごした。強請っているように聞こえない対策として、二十歳当日の誕生日を一緒に過ごして欲しいという一番の本音を隠して、あえて寂れた居酒屋に連れて行ってもらった。
 まだ自分の酒に対する耐性力も分からなかったあの頃が酷く懐かしい。誕生日当日は、結果的にあまり酔わなかったが、それは憧れの東さんと二人でいた緊張感で持たされていたものだと、後にわかった。下戸ではないものの、私はあまり酒に強くない。翌日二宮とこの店で飲んだビールで齎した結果が、大人の仲間入りをしてばかりの私に知らしめていた。
「そう?でも、自分の限界値はよく分かってるよ。」
「赤ら顔で酔ってる今のお前がよく言えるな。」
 あの時、たった一杯のビールで酔った私は、酔う直前に空気を吸うように言った二宮の言葉を忘れて、今日まで生きている。都合よく、自分が酔っていることを利用して、二宮が「俺にしとけ。」とそう言ったその聞き逃せない言葉を、酒の都合で忘れ去った。
 あれから、何度か違う男と付き合ってみたものの、結局しっくり来ず付き合っては別れてを繰り返した。その度にあの時の二宮の言葉が脳内で再生されながらも、私は別れる度に、二宮に愚痴を漏らして、なんとかその状況を切り抜けてきた。二宮にとって、いかにそれが残酷であるかを理解しながら。
 私にとって、二宮は憧れだった。それは男女が持ち得る感情ではなく、自分が好きだた東さんに選ばれる二宮の才能や、知的さに対してだ。その時の私は、東さんのことが全て、東さんに選ばれる二宮が羨ましく、そして憧れて私は彼のようになりたかった。同期としての付き合いが深く、誰よりも彼の事を知り、そして理解者であるという自覚はあったがそれは恋ではなかった。だから、都合よくビール一杯で酔った自分の境遇を利用して、彼からの告白をなかったことにして、揉み消した。
「まだ、酔うか。」
「……またあの時みたいに、面倒みてくれる?」
「人が皆、善人だと思うな。」
 あの頃から変わらない事が、一つだけあった。何かあった時、素直に自分の気持ちを伝えられるのは、今も昔も二宮だけだ。どうして二宮を異性として好きになれないのかと自分を悔やんだあの頃の私と、それは変わっていないのかもしれない。一番の理解者である二宮は、やっぱり今もかわらない。
 彼氏ができる度に二宮に相談して、そして愚痴を告げてきた私にとって、今もあの時と変わらず二宮の存在は大きい。二宮を好きになれば、私も救われて、彼も救われるという事を誰よりも分かっていながらも、結局私は今までそれを叶えられなかった。まだ東さんの事を忘れられないのかと言えば、もうそんな事はないのに。
「お前の男の趣味の悪さには、もう飽きた。」
 付き合ったと報告して、喧嘩したと泣いて、別れたと嘆く相手は、いつだって二宮だった。二宮しか、いなかった。東さんに振られたあの時からずっと、それは今も尚変わっていない。それだけ私にとって気を許せる相手が二宮で、唯一の存在であることは間違いがない。二宮にとって一番残酷な事をし続けてきた私に対して、彼はどう思っているのだろうか。寧ろ今も変わる事なく付き合ってくれて、そしてこうして私が嘗て憧れていた店を再度予約してくれているという事実に甘えてもいいのだろうか。
「じゃあ、二宮はどうするの?」
 彼に告白されてから随分時間が経っていたけれど、私の身の内話はしても、彼から自分の話をする事はなかった。一度だって。彼が大学でも人気があるのは知っていたし、ボーダー内でも密かに彼を慕っている者が多いのはよく知っている。自分で何を口走っているのかと呆れながらも、彼の答えを私は少しどきどきしながら待ち構える。
「逆にお前は、俺に何を求める。」
 忘れているというていであったにしても都合がいいという事は十分に理解している私も、それ以上のことは言わない。自分自身、二宮に何を求めているかなんて分からないのだから。
「聞いてみただけ。あんまり深く考えないでよ。」
 ただ、二宮といる時の自分は自然体だと、そう思った以外に他意などない。




 あの時のように、たった一杯のビールに酔って、前も後ろもよく分からない状況であった方が幾分も良かったのかもしれない。私はアルコールの抜けた冷静な頭で、あの店を後にして、二宮と少し暗くなった道を歩いていく。
「二宮、明日シフト入ってるの?」
「ああ。」
「そっか、じゃあ明日私を見張っててよ。二日酔いなってないかって。」
 あのお洒落な憧れの店に行った翌日、嘗ての私はひどい二日酔いを起こして、防衛任務を変わってもらったという思い出したくもない過去を持つ。けれど、今日はそんな兆しもない。自分の足でしっかりと地を踏んで、今二宮に言った言葉も恐らくはしっかりと記憶から消える事もないだろう。私は歳を重ねることで、若干の酒に対する耐性を手に入れたのかもしれない。
「俺はそこまで暇じゃない。」
「確かに、それもそうだね。」
 もうあの時とは違うのだと、そう思った。そこまで私のとって都合のいい未来がある筈もなく、あれから何年も経っているのだと思い返す。私もあれから二宮とは違う男と付き合って、更にその愚痴を彼に聞いてもらっているのだ。自分が残酷な事をしている間も、彼が私を変わらず好きでいる事の方が不自然だ。そんな事を望んでいたかと言えば、そういう訳でもないのだから、いつまでも二宮だけは私を好きでいてくれるなんて都合のいいことはないということだ。
「じゃあ、また明日。」
 くるりときびつを返して、私はあの時と違って自力でしっかりと地を踏んで歩いていく。思えば、私は随分と二宮に対して酷いことをしてきてしまったと、今更な事を思う。もうそんな事すら、過去の事だろう。彼が私を好きでいてくれたのは、もう随分と前の事で、昔の話だ。踏ん切りをつけて、一歩足を前へと踏み出した時、右腕に力強い圧を、感じた。
「俺にしとけ。」
 あの時に聞いた言葉とすんで狂いのない同じ言葉が聞こえて、私は立ち止まる。まるでデジャヴのようなこの言葉と、この状況は私の幻聴だろうか。
「……また酔ったと、酒のせいにして忘れるか?」
 その幻聴のようなパワーワードを、私はどう処理するのが正解なのだろうか。あの時は飲みなれないビールと一緒に飲み込んで勝手に消化したその言葉が、今は同じであって違うように聞こえる。多分、私にとって都合のいい言葉だ。
「聞こえなかったから、もう一回言って。」
 あの時には思わなかった感情が浮き上がって、そして消えずに私の中に留まる。今ならわかる。私に必要なのは憧れではなく、何でも気兼ねなく話せる相手で、そしてそれは二宮しかいないのだと。
「お前は、何度繰り返せば気がすむ。」
 何度も繰り返す必要はないとわかりながらも、何度も聞きたい言葉だった。

またたきの越冬
( 2022’02’23 )