何故両親は新撰組に屯所としてこの場を提供したのだろうか。
 当時の私には甚だ不思議だった。傍に置くにはあまりにおっかない存在で、壬生浪士組の時なんて名もない程に無名だった彼らを私は快く思っていなかった。周りは私を年頃の女と思っていないのかもしれないけれど、それでも世間様では年頃と呼ばれる私がいるにも関わらず両親は何とも思わないのだろうか。   だとすれば性質が悪すぎる。そう、思っていた。
 私の両親が所有している屯所に彼らがやってきたのはもう数年前の話だっただろうか。今となっては京で恐れられる彼らと過ごすことに抵抗のあった私も、今ではそれが当たり前の日常になっていた。前ほどの恐怖はなくなっていた。
 私よりも幾分も年の若い弟たちはすっかり新撰組の彼らに懐いていた。もちろん、一部の限定的な人間に限られているけれど、弟たちは特に彼らに恐怖心を抱くことなく接していた。
 私は勝手場で食事の用意を済ますと、彼らのいる隣の屯所に出向いて、声をかける。
「食事が出来ました。」
「……ああ、か。いつも悪いな。」
「いえ。私も運ぶので、一緒に人数分運ぶの手伝ってもらってもいいですか。」
「そりゃもちろん。」
 たまたま声をかけに行った先にいたのは、原田という新撰組幹部の一人だった。細身ではあるけれど大柄な男の人。特別親しいわけではないが、ある程度声をかける分には気を使わず話すことが出来る数少ない人物の一人だった。
 多くを話したことはなかったけれど、彼のことは少しだけ知っていた。伊予を故郷にする、槍術に優れた使い手だ。どうでもいい情報をひとつ付け加えると、彼は島原の芸子の中でも一二を争う人気者らしい。最も、一番人気は役者のようにきれいな顔をしているのに鬼のようにいつも顰め面ばかりしている土方さんらしい。それはもちろん本人から聞いたのではなく、私と同じ年の平助から聞いた話しだ。私の中では唯一、平助が臆せず話せる相手だった。
 膳を運ぶのであれば人手は多いほうがいい、そう思って私はあたりを見渡して平助を探すけれどそこに姿は見当たらない。
「ああ、平助か?あいつなら今日は夜の巡察でいないが。」
「私平助なんて一言も言ってないですけど。」
「そんなの見りゃ分かる。俺と二人じゃ、少し窮屈なんだろ。」
 彼はそう言って笑った。
 まさに、彼が言ったことは双方ともに的を射た私の気持ちだった。平助がいれば特別困ることもなけれど、彼と二人となると何を話していいかも分からない。特別話をする分には困りはしないけれど、彼には自分自身の感情を読み取られることが多く返事に困ることが多かった。
「別に斬りもしないし、襲ったりもしねえよ。」
「そんな事思ってないですよ。原田さんも人が悪いです。」
「あんまりにも居心地が悪そうに見えてな。」
 嫌いな訳ではない。もちろん、特別な感情を持って好きという訳でも決してない。居心地が悪いと言われれば否定は軽くするものの、強ち嘘でもない。いつだって彼からの問いかけは返事に困るものが多かった。
「お前の気持ちも尤もだと思うぜ。こんなゴロツキ連中に囲まれて生きてちゃ、気が抜けねえし。」
「…さっきの言葉聴いてました?原田さん。ほんっと、人が悪い。」
 彼は私を気遣ってそう言ってくれたのだろうけれど、私がいい加減困っている様を見て反省するようにすまないと口にして苦い笑みを浮かべていた。
「居心地が悪いのは、原田さん達の方だと思います。」
「そうか?こうして八木さんの好意に預かれてるだけでも充分だろうに。」
「それですよ。結局、私たちに負い目を感じてるから窮屈でしょ。」
 私がそう言うと、少しだけ彼は黙って考えている様子だった。思い当たらない節が全くない訳ではないのだろうか。今でこそしっかりと屯所を貸しているだけの金銭を入れてもらっているものの、彼らがまだ無名だったころは本当に両親の好意で彼らを住まわせているだけ、そんな時代もあったのだから。
「まあ八木さんには世話になったし、恩義はあるけどよ。」
「それは両親が勝手にした事だし。」
「…本当に負い目に感じてるとすれば、新撰組と一緒にいる奴らって年頃のが思われてる事に対してかもな。」
 こうして彼はまた見抜いているのだ。今でこそ、彼らのことを得体の知れない存在とは思ってはいないけれども、彼らを受け入れてばかりの頃の私は本当にそんな事を思っていた。恥ずかしながら、そういう言動を彼の前でも取っていたのかもしれない。
「すみません。私、原田さんにそんな風に思わせてたって知らなくって。」
「おいおい。謝る事ないだろ。お前は何も悪くないんだからな。」
 こうしてずっと俺たちに飯を作ってくれてるし、それだけでも義理堅い事だぜと笑って言ってくれて少しだけ気持ちが楽になった。
 どこかおおざっぱで、誰よりも男らしくて、人への配慮等もあまり考えないような彼がもしかすると一番配慮に長けているのかもしれないと思う。人は見た目に寄らないものだ。
「原田さんって、実は優しいですよね。」
「実は、って前置きは取っ払ってくれ。」
「実は、です。原田さんだってそう見られるようにしてないじゃないですか。」
「そういう柄でもないしくすぐったいしな。」
 そういうのには役割ってものがあって、適任があるのだと彼は言う。例えば山南さんとか、と言って笑う。そう言えば私がまた、返事に困ることを知っているくせに。
「山南さんだって良い人なんだぞ。本当は。」
「…本当は、っていうのがひっかかる。」
 座布団が置かれている所に順を追って膳を置いていく。彼もその大柄な体を畳んで膝を付くと、同じように綺麗に並べていく。
 少しだけ、彼との空気感が和らいだ気がする。
 彼が色町で人気があるというのも、なんとなく理解が出来る。こういう些細な気遣いこそが、人間としての器量の大きさを映し出しているのかなと。まだまだ彼よりも立派な子供の私には、もしかすると理解できないのかもしれないけど。
 生きている限り彼との歳の差は縮まらないのだから、私には一生本当の意味では理解できないのかもしれない。   ただ、彼の魅力的な一面をこんなどうしようもない日常のひと時に見つけたという、それだけのこと。
 私たちは膳を並べると、次なる膳を取りに一緒に歩いていく。



 今日もいつもと変わることなく、一日が終わっていこうとしている。
 京の都は物騒な街だなんて言われているけれども私はそうは思わない。京で生まれて、京でしか生きていない私はこれが日常なのだから。それがほかの街に比べて何が違うかなど私には判断する材料がない。
 朝起きて、屯所の前を掃除して朝ごはんを作る。それを運んで、食事を終えた膳を勝手場で綺麗に洗い上げる。たまに使いに出ることはあってもそれ以外は夜まで朝と同じ工程を踏んでいるだけだ。何も代わり映えのない生活といえば、それまでだと言える私の日常だ。
 すべての片づけを終えたところで私の一日の仕事はようやく終わる。
 所帯を持っても、私はきっと今と同じような事をしているのだろうかと思う。だとしたら、代わり映えのない人生だ。求めている自分の理想像なんて持ち合わせてはいないけれど、理想がないからこそ何処に向かえば、何をすればいいのだろうかと漠然に思う。
 裕福とは言えないけれど世間一般を見れば私は優遇された育ちなのだろう。それだけでも恵まれている筈には違いなかったけれど、どこか人生に退屈していた。
 全ての膳を片付けて私は勝手場を出る。今日の買出しでおまけ、と言われてもらった橙色のそれを持ち出して中庭で皮をむいてみた。冬の代名詞とも言える、その果物を。
「原田さん。今、帰りですか。」
「お前まだ起きてたのか。随分な夜更かしだな。」
「夜更かしと言うにはまだ早すぎると思いますけど。」
「冗談だ。」
 夜の巡察を終えた彼が視界に入り込んだ。少し前であれば自分から声をかけるなんて事はなかったけれど、今は前に感じていた窮屈さもなくなっていた。自然と、彼の名を呼んだ。
「原田さんこそ随分と遅いんですね。京の夜は物騒ですよ。」
「馬鹿。それを取り締まってるんだろうが。」
 私もどこか皮肉めいた言葉を彼に告げるようになっていた。心地いい関係、とまでは言えないけれど一緒の空間で生活をしている彼らと距離が縮まるのは私にとっても悪いことではなかった。
「お、蜜柑か。それ。」
 私が今まさに剥いている果物を目にして、彼はそう口にする。蜜柑なんて京では然程珍しいものではない。彼の好物なのだろうか。
「食べますか?まだあるので。」
「…悪いな。別に物乞いしたつもりじゃなかったんだが。」
 少し気まずそうにしながらも、彼はありがたいと言いながら私の元へと歩みを近づける。私はもらいものの蜜柑を彼に渡そうとしてだけで他意はなかったが、彼はそれを受け取ると私の隣に腰掛けて早々に蜜柑の皮を剥き始めた。
「迷惑か?一緒に食ったら。」
「勝手に人の感情を読むのやめて下さいよ。」
「一応な。断りは入れておかないと。」
 慣れた手つきで彼は綺麗に皮をむいて二房ついた実を口の中へと放り込んだ。
「こういうもんは、一人よりも誰かと食べる方が美味いからな。」
 そう言って、私よりも早くもう一房をほうばった。蜜柑独特の白い網が綺麗に剥がれ落ちている彼の蜜柑を私は見つめる。私はその白い網のようなものがあまり得意ではなかった。どうしたら彼のように蜜柑を剥けるのだろうとついつい見入ってしまう。
「何だよ。」
「ううん。原田さんは綺麗に剥くんだなと思って。意外に。」
「意外が余計だ。」
 そんな話をしている間に彼はあっという間に蜜柑をひとつ平らげていた。私の隣に置いてあった手付かずの蜜柑を目にすると、彼はそれを剥いてもいいかと聞いてくる。別に誰にあげるつもりもなければ二つ食べようと食い意地を張っていた訳でもないのでどうぞと私はそれを差し出した。
「蜜柑ってのはこうやって出っ張ってる所に窪みを入れて剥くもんだ。」
 渡した蜜柑は、再び綺麗な橙色の実を映し出していた。蜜柑に剥き方があったなんて知らなかったと言うと、彼は少し得意げに答える。
「これは伊予の食いものだからな。俺の故郷だ。」
 なるほど、と合点がいく。どうりでこんなにも蜜柑の綺麗な食べ方を知っているのかと。世の中にはまだまだ知らない事が多いのかもしれないと思う。どうでもいい、ちっぽけな事が。
 私もようやく蜜柑を食べきったころで、その綺麗な橙色の実を彼の大きな手が差し出してくる。特別空腹なわけではなかった私にとっては一つ食べただけでそれなりに腹が詰まったように満足してしまったが、その綺麗な実を受け取った。
「実は俺も、蜜柑の筋が苦手なんだよ。」
 ああ、なんだ。彼も私と一緒なのかと少しだけ可笑しくなって笑ってしまった。彼のことを完璧な人間と思っていた訳ではないけれど、どこか人間らしくてそれが妙に心地よかった。
 私たちは蜜柑を食べ終わって、中庭でぼうっと月を見ていた。特に何を話すわけでもなく、お互いその場を離れるわけでもなく、ただ同じ空間で同じ時を過ごした。
 一日の仕事を全て終えて、力が抜けていた私は大して知りたいと思ってい訳でもない疑問を彼に尋ねる。
「原田さんは、何故新撰組に入ったんですか。」
「…何でって、結構難しい事聞くんだな。」
「単純に気になって。江戸からでしたっけ、原田さんは。」
 今であれば京で新撰組の名を知らぬ者など居ない。悪名高いと毛嫌いする人も多いけれど、見方を変えれば一旗あげたいと思っている連中には憧れの場所でもあるだろう。彼も、そうなのだろうか。思ったままを尋ねると、彼は少し呆れたように「この屯所に来た頃俺らなんて無名だっただろ。」と笑った。彼の言うとおりだった。今でこそ新撰組は名のある武士の集団ではあるけれど、私が出会った当初の彼らはそうではなかった。そんな頃からいる彼にとってはその理由は当てはまらない。
「俺は名声がほしい訳じゃない。」
「なら、どうして。」
 私には分からない。自分の身を危険に晒してまで、何故ここにいるのか。男としての生き方の一つなのだと言われればそれもまた理解は出来ないが、納得は出来たけれどもそれもどうやら違うようだった。
「俺は物語の主役になりたいわけじゃねえからな。」
    やりたいと思うことの為に生きたいと思ってるだけだ。
 言われて、私も納得してしまう。この冬の冷たい空気をも裂くような突き通ったその意思に、二言はないと思った。ああ、この人は武士なんだなとそう思う。人きり集団等ではなく、立派に   
 けれど、そんな大それた事を言うのはそれこそ私の役割ではない。そう彼を評価するのは私よりももっと得意な人が彼に伝えてあげられたらいいのだから。今は少しだけ、原田左之助という人物を知れたという事実だけで心は満たされた。
「原田さんって意外とかっこいい事言うんですね。」
「意外は余計だろ。」
 朝起きて顔を洗って、勝手場に行く。大人数の朝食を拵えて、それを運ぶ。戻ってきた膳を綺麗に洗い上げる。それを晩までただ繰り返す人生。それは、きっとそれ以外に芸がない私には嫁いだところで変わらない光景なのだろう。
 けれど、先ほどまでそれを退屈な人生と思っていた私にも少しの変化が生まれていた。
 蜜柑の筋を綺麗に剥く男の元で、そんな退屈な人生を過ごせるのであればそれは   

 次に使いに出ることがあれば、しようと思うことがある。
 今度はあの橙色の果物を買ってみるのも、悪くないかもしれない。


( 2020'02'05 )