一人でいる事は別に苦痛ではなかった。何もしないでのんびり過ごす事も苦ではないし、しようと思えばなんでもする事ができた。たまには宇髄と一緒ではなく、一人で過ごす土曜日もいいのかもしれない。宇髄と付き合ってからちょうど一年、思えば一緒にいる時間が長すぎたように思える。
 当然のように金曜日は宇髄の家で一緒に過ごしたし、土曜日も部屋の掃除がしたいから帰ると言っても彼はあまりいい顔をしない。結局土曜日の夜も更けて私が自宅へと戻るのは大抵終電の時間か、日曜日の昼過ぎになる。今週末は地元の人間と飲み会があるからという事で私は珍しく静かな週末を送っていた、という冒頭へと戻る。


 金曜日の夜中か土曜の昼くらいになれば連絡が来るだろうと踏んでいたが、私のスマートフォンはいつになく静かで微動だにしない。まさか飲みすぎて死んだのではないか?と一瞬脳裏を掠めたが、そんな筈はない。あれほどの酒豪を私は他に見た事がない。きっと朝まで飲み明かしてそのまま昼を過ぎても寝ているパターンなのだろう。
 一瞬スマートフォンを手に持って電話をかけてみようか悩んだが、別にかける必要もないと思った。私がたまの一人を楽しむように彼にも普段できない土曜日の過ごし方があるのかもしれない。死んだ訳でもないし、放っておけばいい。もし死んでいたのだとしたら不幸としか言いようがないし、私が電話しなかったからという事に起因する訳でもないから不可抗力だ。どうでもいい事を考えるのも酷く無駄に感じられて、久しぶりに好きな料理でも作るかと思い立って買い物袋を手に持って外へと出る事にした。
 近くのスーパーに出かけたはずのなのに、気分転換にと何故か電車という移動手段を用いて見慣れた駅へと降り立った。急行も全て止まり、電車も複数路線走っている。食材を買い足すにも洋服を買うにも事足りる便利な駅だ。私は、よくこの駅を知っている。宇髄の家のある最寄駅だ。
 洋服を少し見ようかなんて名目を打ってきたものの、大して欲しいと思うものもなく數十分も持たず私の買い物は終わった。せっかく彼の最寄駅へと降り立ったのだからとついでのように駅から伸びる一本道を歩いていき、慣れたように合鍵で彼の家のドアを開けた。
 人の気配がした。まさか彼に限ってとは思ったが、不用意に他人の家を開けてしまった私の方がデリカシーがないのかもしれない。どうしたものかと立ち尽くしていれば、皿を運ぶ冨岡が首を傾げて私を見ているのだから、私の恋敵はついに男になったのかなんて不思議な感情に苛まれた時に見慣れた彼の顔が視界に映し出された。
「お前、立ち尽くして何してんだ。」
「なんだ、生きてたんだ。」
「何、勝手に俺のこと殺さないでもらえる?」
 詳細を聞けば、これから大学時代の面子で家飲みをするらしい。それは私にとっても懐かしい光景だ。大学を卒業してからこれだけ大勢で集まって飲むことも少なくなっていた。きっと開始時刻よりも早く到着した冨岡が概ね手伝いをしていたという光景に私は出くわしたのだろうと察した。
「何にも連絡ないから家で死んだように寝てるのかと思った。」
「なんでだよ。そもそも死ぬ理由ないだろ。」
「だって昨日地元の人と飲むっていうから飲み過ぎたかなって。」
が心配するなんて珍しい。」
 どことなく嬉しそうで、満足げな彼を見て私はなんだか負けたような気持ちに陥ってそれ以上を口にすることはなかった。勝負をしている訳でもないけれど、なんだか腑に落ちない。そもそも勝負が行われているのであれば、私が自ずとこの場へときている時点で私の負けが確定しているのだと自認しているからだ。
「じゃあ帰る。買い物ついでだったし。」
「そんな俺の事心配してんなら上がってけよ。てか元々呼ぶ気だったしな。」
 なんだか後付けのようで気分が悪かったけれど、ここで拗ねて帰ればそれこそ私はどうしようもなく子どもに違いない。宇髄にそう思われるのだけでも苦痛だが、付き合いの長い友人である冨岡にこういう女なのだと無言のままに勝手な理解を示されることの方が私には苦痛だった。買い物袋を置いて、玄関でサンダルを脱いでリビングへと向かった。
 部屋へと上がると冨岡だけでなく不死川までせっせと料理を並べている。一見料理なんてフライパンを焦がして洗い物を増やしそうなだけの彼だが、実のところ誰よりも料理がうまい。料理というよりは基本的に女子力が高く、ぶつぶつ言いながらも酒で酔った皆の介抱や皿洗いなどの地味な後片付けは彼の仕事だった。随分と久しぶりに彼を見ても、本当に人間とは変わらないものだなと改めて思わされる。
「よう。一年ぶりか?お前も宇髄と引っ付くなんて阿呆な女だな。」
「今も一人な不死川よりはマシかな。久しぶり。」
 向こうから宇髄がおーい、と私を呼んでいる。元々今ここにいる筈でもない私に手伝いをさせるに違いがない。嫌な気がしながらもキッチンへと向かうと案の定肉やら野菜やらを切るように指示される。宇髄はそんな私を見ているだけだ。絵になるから、ずるい。
「宇髄もやりなよ。ここ宇髄の家だし。」
「いいじゃん。存分に俺の彼女ヅラできるけど嫌な訳?」
「別に彼女ヅラしなくても彼女だし、多分。」
 なんだかいつも以上に私をからかっているような気がしたが、いたって通常運転とでも言わんばかりの彼の顔は満足気だ。肉やら野菜やらを切っている隣で私を見てぼうっと肘をついているけれど、なんだかむず痒い。
「ねえ。あんまじろじろ見ないでよ。」
 手をつけてあっちへ行くように促すと、あーはいはい。と仕方なさそうなニュアンスを醸し出して宇髄はリビングへと消えて行く。大方の食材準備を終えるとホットプレートと飲み物を持って私もリビングへと向かう。
 不死川にはビールを渡したが、今も好みは変わっていなかっただろうか。冨岡には緑茶ハイを渡す。彼はあまり酒に強くない。宇髄には最近彼が気に入っている日本で醸造されているウイスキーと炭酸を混ぜてハイボールにして渡した。
「どっかの水商売の女みたいだなあ、お前。」
「阿呆。こいつはそこまで気が回る女じゃねえよ。」
「何で敵がここに二人もいるんだろう。ねえ冨岡。」
 何だかこんな雰囲気が懐かしい。社会人になってもう随分と経過していて昔の記憶として今とは切り離された思い出がここまで鮮やかに蘇るのかと思うほどに、何もかもが変わらない。少しだけ、あの頃が懐かしく思えて、きゅんと胸が疼いた。あの頃と一つ違う今の生活に、改めて思うことがあった。



 少し前のことを、思い出す。私には高校の時から長く付き合った彼がいた。もちろん宇髄ではない別の男だ。
 高校の時は何の問題もなく上手くいった関係性も、大学になると崩れていった。そんな時に学部の中で仲良くなったのが宇髄を含めた彼らだった。どこか性格的に?女の子?と呼ばれる近しい人間よりも彼らといる方が何倍も気持ちも楽で、楽しかった。自分を着飾らなくていい居心地の良さを感じていた。
 ある時私は突如彼に振られてしまった。好きな女ができたのだと言う。いつそんな間があたのだろうかと不思議に思う。大学が離れてしまったからこそバイトも一緒にしていたし、休みの日はずっと一緒にいたはずだった。そんな隙はなかったはずなのにと思っていた私には想像にもつかない理由だった。
「ずっと一緒すぎてしんどい。窮屈だった。」
 悪気がない言葉ほど傷つくものなのかもしれない。率直すぎる彼の言葉はどうしようもなく私の心を抉り、彼しか知らない私は何もかもを失ったように感じていた。そこからは随分と臆病になった気がする。何をするにしても、人にどう思われているのかを考えて、自分の感情のままに動くことはなくなっていた。私にとって、苦い思い出だ。
、あれ食いたい。出汁巻。」
「えー、もうお酒飲んじゃったから嫌だよ。自分で作れば。」
のが食いたいから言ってる。」
 当然ここまで宇髄が言えば、周りは苦笑だ。私は心底居心地が悪かった。二人きりでいる時にそう言うのであれば理解もできたが、なぜ久しぶりに会う彼らの前でこんなにも目立って彼は甘えてくるのだろうか。酔って判断を迷う程彼は飲んでもいなかったし、そんな事をするタイプでもない。これ以上駄々をこねられても困ると思い、重たい腰をあげて台所へと向かった。
 宇髄と付き合ったのは、大学を卒業してしばらくしてからだった。
 大学時代、元彼に振られてから私は三年半彼氏を作らなかった。作ることが怖いという理由もあったし、彼らと一緒にいれば彼氏などいなくてもそれなりに楽しい青春を過ごすことができた。周りの女子のように出会いを求めてどこかに行ったり、何かに勤しもうと思う気持ちは起きなかった。
 社会人になれば自ずと好きな人でも出来るかもしれないと、しばらく恋愛をしていない自分を正当化していたけれどそんな予感は微塵にも感じなかった。友情と違って、恋愛とはひどく難しいものだと思う気持ちは宇髄と付き合った今もなお変わらない。
「宇髄できたよ。もう作らないよ面倒だから。」
 私が四人でも食べれる量のだし巻き卵を運んで行った頃には、宇髄以外みんな綺麗に寝ていた。昔もこんな事があったなと思う。冨岡は酒に弱いことを自覚してはいるもののすぐに寝るし、不死川は酒に強いように見えてそこまで強くないのに周りと同じペースで飲む。
 いつだって起きて皆の世話をするのは不死川に違いなかったけれど、この四人で飲むと昔から私と宇髄が二人で起きて暇をつぶすために映画などを見ながら朝日を見たものだった。昔のことを思い出すような、懐かしい感じがした。
「なんだ。寝ちゃったのか。せっかく作ったのにな。」
「俺が食えればそれでいいだろ。」
「そうだけどさ、まだ夕方なのに皆んな酔うの早いな。」
「お前も酔ったら普段より甘えられるんじゃないか。」
 何を言っているのかと少し呆れ笑いをしながら、私もアルコールに手をつける。いくら酒に弱くないとはいえ、明るいうちから飲む酒はある程度人の思考回路を侵すものなのかもしれない。少し、ふわふわとしたような気持ちになった。
 私は今でも忘れることができない。宇髄と付き合うきっかけとなったのは、彼からの告白だった。なぜ今まで長らく友人関係を続けてきたのにと思ったし、彼が私を頼らないといけないほど女に困っている筈もないのだから正直何の悪戯だろうかと思ったくらいだった。
―――なんで私?意味、分からない。
―――好きって思うことに理由いるのか。好きなんだからしゃーねーだろ。
 別にすぐに好きになる必要なんてないと言われた。三年半のブランクがあるんだからゆっくりでいいんじゃないかと半分馬鹿にされたような言い草で、でも確実に好きという言葉を繰り返してきた宇髄に私は賭けてみたのだ。きっとこれだけ言ってくれた人を好きになれなければ、私は彼だけでなく一生人を好きになることはできないだろうと考えたからだ。
「お前、俺の作戦はまりすぎな。」
「なにそれ。」
「術中にはまりすぎなんだよ。ほんと分かりやすい。」
 何のことなのだろうかと思う。彼の作戦にはまっているというのであれば、それは付き合いを始めた時からそうかのかもしれない。思い当たる節が多すぎてピンポイントに、今の彼の言葉が何を指しているのかがいまいち理解できないでいた。
「お前、俺のこと好きだろ。確実に、完全に。」
「…突然何言うの。」
 急に、何を指した言葉なのかを理解した気がした。
 私が今日ここに自発的にきたのも、こうして一緒にいる事に対しての疑念や居心地の悪さを感じないのも、全てはそれが答えなのだろうと思う。私は、いつの間にか自分が思う以上に彼のことが好きになっていたのかもしれない。それは友人としでではなく、確実に異性として。
「押してダメなら引いてみろってな。俺のこと好きなら放っておいても来るだろ。」
「相変わらずやる事卑怯だなー、宇髄は。」
「めげる事なくを誘い続けた俺にはそれくらいの褒美があってもいいっしょ。」
 今日のすべてのことに合点がいったのだ。あえて私に連絡しなかったのも、私たちを昔から知る友人の前で私に甘えてきたのも、こうして甘やかせてくれるのも、全ては私に対するメッセージなのだ。人に甘える事を忘れた私への配慮なのだろう。
「片思いとか柄じゃない事させんじゃねえよ。」
 そう言ってくれる彼の優しさに、どうしようもなく気持ちが和らいで涙が伝った。
 きっと私は何処かで彼に甘えることができないでいた。いつかそこに終わりがあるのではないかと、自分自身が感情のままに甘えたら彼にとっての重荷になるのではないのだろうかと、本当はいつも怯えていた。自分自身の気持ちに理由をつけなければ宇髄の家にこれなかった私のその感情が、全てを物語っているのだ。
「ねえ、宇髄。」
「なんだ。小言は聞きたくない。」
 明るいうちから飲む酒に酔える体質で良かったと思う。普段できない大胆な行動を起こすことができるからだ。もしかすると冷静に酔いが冷めた後に後悔をするかもしれない。けれど、四年以上も私を見てくれて、女としてそばに置いてくれた宇髄の優しさにはそれくらいしても損はないと思えたのだ。
 私は彼が言うように、もう確実に彼のことが好きなのだ。友人たちにも私が甘える環境があっていいのだと示してくれた宇髄がどうしようもなく愛おしくて、涙が止まらない。私はきっと、確実に、宇髄のことが好きに違いない。
「俺はから逃げない。お前はここにいろ。」
「…酔ったかもしれない。キス、してもいい?」
 泣いててよく言うと言いながら、前髪をかき分けてすぐに彼は優しいキスを施した。旧友が床で転がりながら寝ている中で、私はどうしようもない幸せを噛み締めながら、ようやく自分自身の感情に自信を持つことが出来たのかもしれない。
「宇髄、好き。」
 未だ大学時代の呼び名が抜けない私にも何も言わない彼に、どうしようもない愛を感じながら。
 五年振りに正式な形で私の鼓動が宇髄へと動き始めた。
「今までよりも好き、だろ。」
 私の涙を拭う彼の優しさに、初恋のような気持ちが襲ってきて大きな懐へと身を預けた。


(2020,06,24)