番外編/Case9-5
エッセンシャル


 テーブルに並ぶご馳走、テーブルに肘をついて不機嫌そうな顔をした恋人、普段見慣れない量の料理に驚く来客者、色々と判断を誤ったのだと恐る恐る視線を泳がせる私。三者三様の表情で、私たちは着席する。一人を除いては最悪のムードだ。
「これ全部食っていいのか?」
「寧ろ昨日の余り物で申し訳ないですけど。」
「お〜、じゃあお構いなく。」
 そう言って差し出した割り箸をパキッと音を鳴らせて、この空間で唯一最悪のムードを感じ取らずマイペースなのはリョータの高校時代の先輩である三井さんだ。
 私に直接的な絡みはほとんどないけど、リョータが日本へ帰国する少し前、一時帰国していたタイミングで紹介された事もあって顔見知りの仲ではある。それが今回に限っては災いしたらしい。
「リョータも食べよ?」
「…………」
「んだよお前、そんなプリプリして。」
 リョータが日本のチームに移籍してからの初戦にして、公式デビュー戦。対戦相手は三井さんが所属する強豪チームだ。結果は見事リョータのチームの勝利に終わり、彼は公式デビュー戦を最高の形で飾った……のにこのザマだ。
「……三井さんはお酒飲むひと?」
「お〜、人並みには飲むけど。」
「じゃあ折角だし今ビール出しますね?」
 リョータの機嫌が悪いのは分かっている。機嫌が悪いというよりは寧ろ怒っている、完全に。どれだけ目線を合わそうと努力しても一向に目が合わない。本人に自覚はないだろうけど、若干口先も尖っている。確定だ。
「リョータも飲むでしょ?」
「……別にどっちでも。」
「そっか、じゃあ私一緒に飲もうかな。」
 缶ビールを二本冷蔵庫から取り出してテーブルに戻る。キンキンに冷えているビールを一本三井さんに手渡して、私はもう一本のビールのプルタブを開く。
 一本のビールを二つのグラスに半分こして、そしてその一方をリョータの方にすうっと差し出した。三井さんにはしていない、リョータだけの特別対応だ。多分怒りの原因が私の想像通りなら、これで千分の一くらいは機嫌が戻るという推測。
「公式デビューおめでと、リョータ。」
「……ん、」
 流石に今日の試合の敗者となった三井さんの前で「公式戦デビューと初勝利おめでとう!」とは言えなかったので、華麗に決まった公式デビュー戦に言葉を添えた。まだ目は合わないけど、かろうじて乾杯はしてくれた。少しだけ息をした気分になった。
「なんだ、こいつ家では亭主関白なのか?」
「は?ちがうし!」
「んな仏頂面してたらだって退屈だろ〜よ。」
「だから違……てか何さり気なく名前呼んでんの?」
「あ?お前が「」って俺に紹介したんだろ。」
 全てが悪循環を繰り返している。会話に入りきれない私でもよく分かる。別に三井さんとリョータの仲が悪いという訳じゃない。
 何なら三井さんは大学卒業間際にアポ無しでアメリカに行ってリョータの家に入り浸っていたらしく、それを嫌々しい顔で話しながらも日本に一時帰国した時は三井さんとご飯に行っていたのも知っている。つまりは多分、普通に仲がいい。それは間違いない。
「まあいいから遠慮しないで食えよ、な?」
「なんでアンタの家みたいな感じになってんの?」
「硬いこと言わねえで食えって。」
「だから…!」
 昨晩の事をよくよく思い出してみると、本当によくもあれだけ機敏に動くだけのスタミナが残っていたなと思う見事な快勝だったけれど、昨晩の事がプレーに影響しなかったのは幸いした。けどそれが証明となって、今後言い逃れできなくなる事も容易に想像できて少しだけ気が重い。
 自分の公式デビュー戦だからとプレミアチケットを用意したリョータの独占欲を感じながら特別席で勝利を観戦していた私は、通りでバッタリ三井さんと出会した。プロ選手がこんな所でうろうろしているものかと驚いたけど、彼は自販機でスポーツドリンクのボタンをちょうど押し込む所だった。
 私を認識したのか、すぐに駆け寄ってきてくれた三井さんと少しばかり話をして急に昨日の夕飯を思い出した。意気込んで沢山作っはいいものの、まるで消化しきれていないご馳走をどうするのが最も効率的か……その後合流したリョータはそこから今と同じ顔をしていると、大まかな流れはそんなところだ。
「ローストビーフ食べよっか、切り分けるね?」
「……ん、」
 喉が渇いていたのかゴクゴクと喉を鳴らしてビールを落とし込んでいく三井さんに新しいビールを持ってきて、そして差し出すとすぐにプルタブは開かれた。
 きっとある程度お腹も膨れて酔いも回れば帰る雰囲気になるだろう。自ら誘っておいて申し訳なく思いながら、けれどリョータの機嫌を早い内に回復させておく事の方が私にとっては幾分も優先順位が高い。
 そしてその結果、私はまたしても失敗してしまった。
「……何でこうなってんの。」
「そんな怒んないでよ……」
「怒ってるんじゃなくて聞いてんだけど?」
「問い詰めるって言葉知ってる?」
 結構なスピードで飲み進めるものだから酒に強いのかと思い飲ませていたら、三百五十ミリのショート缶が三本消費される前にこのザマだ。ぐうぐうと立派な音を立てて健やかにお眠りになっている。帰る様子もなければ、帰れる状態でもない。
「ちょっとこっち来て、」
「え、な、なに……」
 ぐうぐうと人の家で眠りこけている三井さんを横目に見ながら、私は腕を取られてキッチンの方へと導かれていく。考えたくないけど、普通に怒られるパターンだろうか。
「昨日の晩御飯随分残ってたな〜って思い出して……ほんとに他意はなくて、」
 何を言われるかは分からないけど、確実にお叱りを受ける事は分かっているのでせめて刑を軽くしておきたい。
 事実でしかない言い訳を述べておく。昨日の晩御飯が随分余ってるのを不意に思い出したのも、他意がなかったのも本当のことだから。
 リスクを考える前にペラペラと言葉を先行させてしまったのは反省点で、そして今後の改善ポイントだ。少し考えればリョータの機嫌が悪くなる事なんてすぐに分かるのに。
「あのローストビーフ、」
「ん?」
「レバニラも。」
「……だからなに?」
「全部俺の為に作ってくれたやつでしょ?」
 その言葉で何となく察しがついて、流石にそこまでの配慮はなかったと改めてその嫉妬深さに驚かされた。驚かされておきながら、でも私の中で存在するのはそんな感情だけじゃない。
 今でこそ何の苦難もなくリョータと付き合っているような気になるけど、ずっとどんな気持ちで彼を見ていたのか、時折思い出す。
 ずっと叶わない恋をしていた。
 一番近い距離にいながらも、いつも一心に違う人を見ていたリョータをずっと見てきた。だから今のこの環境と境遇と彼の甘えと本音がどれだけ私にとって贅沢で、幾千もある未来の中から選ばれし特別な状況かを思い出して、そしてたまらない気持ちになる。
「なんで俺以外のやつに食べさせんの?」
 あれだけ恋焦がれたリョータが今ここにいて、そして私だけを見ている。もうその事実だけで充分な気がして、ここ最近慣れてしまったこの境遇が改めて当たり前のものじゃない事を思い出させる。
「……ん、またすぐに作るから。」
「そうじゃないでしょ?」
「もう、しない。」
「ほんとにもうしない?」
 はい、その言葉を紡ぐ前にリョータの唇がゆっくりと重なっていく。ドアの向こうが少し気になって、チラリと視線を向けると引き戻すようにすっぽりと大きな手で正面を向かされる。その後はくるりと体勢を逆転させて、キッチンのシンクに追い込むように私を内側に入れ込んだ。
「リョ、タ……」
 何の抵抗にもならないと分かっているのに、つい反射神経で宙に浮いた腕はリョータに奪われてそのまま隙間を埋めるように重なっていく。
「寝てる。」
「で、でも……」
「逆に大きい声出すと起きちゃうんじゃない?」
 寧ろこうして制限をかけられてしまうのは私の方で、もうこうなると終始リョータのペースに持ち込まれてしまう。けれど、改めて自分がどれほど焦がれた現実がここにあるかを思うと、普段ならどこか積極的になれない私も頭がぼうっとして、今度は制御する為ではなく彼の首筋に腕を回すように絡めていく。
「……こっち来て?」
 リョータに追いつくように踵を床から浮かせて爪先を持ち上げる。一番交わりやすいその位置で、下からリョータの唇を触れてみる。焦ったいとばかりにすぐリョータが上から制圧するように割り入れた。
 最初は少しばかり強引なのに、少しすると強引というよりは分厚いその熱を帯びた舌が、とてもゆっくりと密着度を増しながら自然と質量でそれを埋めてくる。じんわりと広がるように時間をかけられてしまうと、ただそれに溺れるように受け止める側に回るので精一杯だ。
「…っん、………」
 いつも以上に深く、そして敢えて私が息苦しく声を漏らしてしまうようなそんな施しをしてくるのは間違いなくわざとだ。唾液の交わりを吸い上げるその音と、交互に響いている間隔の狭い貪るような音が耳元の近くで鳴り響いてより意識が隣の部屋へと向いてしまう。
「こういうのもしかして興奮する?」
「そ、そんなこと……」
「じゃあ大丈夫だよね?」
 冷静を装えてない今の私に確認するまでもないのに、言質をとるようなリョータの言葉に否定の言葉もままならない。私がどのタイミングで何を言おうとしているか既にリョータがそれを読んでいて、尚且つ物理的に言葉も塞がれる。
「…………」
「急に静かじゃん?」
「……だって、」
「抵抗しても無駄なの分かった?」
「ちがう、」
 こうして彼がすぐ傍にいる生活が当たり前のように感じてしまう。わずか五日で、だ。それが本来当たり前ではなかった事を思い出す。
 彼が一途で真摯に向き合う人なのは他の誰よりも私が知っていて、この目で見てきた信用できる事実だ。気変わりするんじゃないかという不安はない。けれど、寂しさがなかった訳じゃない。
 喜怒哀楽、どの出来事も真っ先に伝えたい相手はいつもリョータだった。その度に遠く離れている現実を見ているようで、だからこそこの今の生活がどれだけ恵まれていているのかを思い知る。今は真っ先に自分の感情を共有できるリョータがすぐ傍にいる。当たり前のようで、以前の私に言わせてみればそれは奇跡に近いような事だから。
「……手を伸ばせば触れる距離にいるんだなって、そう思っただけ。」
 それまでのもどかしさはきっとスパイスにもエッセンスにもなって今のこの満たされた状況があるのだろうと思う。その時間は必要なもので、そして今をより豊かにしてくれる財産となっているに違いないから。
「……うん。」
 半年に一度しか会えないリョータと過ごす最終日は急に現実をみせつけられたように決まって苦しくなったのを思い出す。
 私のスキンシップはまるでアメリカナイズしていなくて、よくリョータの口を尖らせる。だからこそ、偶には感情に従ってみるのも良いのかもしれない。柄にもなくそんな事を思った。
 一度視線が通って、熱に溺れたように欲を重ねているとリョータの右手がそうっと下から這ってくる感覚が伝う。そのまま器用な手つきで金具を取ったリョータはまだ柔く形を成していない頂きを掠めた。
 易々と体を持ち上げられたかと思えば、台所のシンクの冷たさが自分の体の火照りを知らせている。
「……んっ、……」
「……きもちい?」
「右ばっか……しないで……」
「わざと。」
 自立し始めたそのてっぺんを撫でるように舌先で転がしてから、しっかりと粒だっている事を誇張するようにリョータが甘く緩やかに歯を立てた。
「……言って?」
 答えを聞くまでもなく分かっているからこそ出てくる言葉に他ならない。時々リョータはこうして私を焦らし、そして私が普段見せない一面を欲しがる。
「分かってるじゃん…!」
「いいから早く、」
 あえて私が焦ったくなるように、リョータは右側ばかりを執拗に吸い上げる。さっきまで形に沿って添えられていた筈の左手すら今はシンクの上だ。こういう時のリョータは何を言ったところで聞く耳を持たないのを私は知っている。そして、その後こちらが恥ずかしくなるほどぐずぐずに甘やかしてくれることも。
「……ひだりも、」
「うん。」
「……ねえって、」
「ん?」
 一瞬羞恥心で全てを忘れそうになるけど、ドアを一枚隔てた先には三井さんがいる。何がきっかけで目覚めるかなんて誰にも分からない。もし万が一にも聞かれていたら?と思うとそんな言葉が出てくる筈もなく、けれど無情にもその感情と逆境するような欲が私を動かしていく。
「……お、お願いだから、」
 懇願するようにリョータの手ぶらになっている左手を握ってそう言えば納得したのか、返事もなく齧り付くように欲を満たされていく。
「……ん…ん……、ぁ…」
「……三井さんに声聞こえちゃうよ?」
「ぁ、……や、だ……」
「そんな声俺以外に聞かせないで。」
 そんな事を言っているリョータの言葉と行動はまるで一致しなくて、私を黙らせる気なんて果たしてあるのだろうか。膝裏に回された腕に掬い上げられてシンクの上に上がった左脚、ルームウェアとして履いていた短いショートパンツの隙間を縫うようにリョータの指がツツツと擦り寄ってくる。
「人が来てるのにこんな露出もしないでよ。」
「だってこれはリョータが買ったやつで、」
「……見ていいの俺だけに決まってるだろ?」
 リョータのごつごつとした指がクロッチを飛び越えて捩じ込まれている。脱がされるのもそれはそれで恥ずかしいのに、上下ともに脱がされる訳でもなく中途半端に捲り上げられているのはそれ以上に恥ずかしい。
「あ、あの……ほんとにこんな格好で……?」
「それとも脱ぐ?全部見えちゃうけど。」
「……それは、でも……」
「もし三井さん起きたら全部見られちゃうね、それでもいいの?」
「……だめ、」
「じゃあ言う事聞いてた方がいいんじゃない?」
 ここまで言われてしまえば私になす術はなく、ただ為されるままにリョータに従うしかない。結局素直にしていれば、言葉にしなくても私の要望を汲み取ってくれるのを知っているから……というのも否めない。
 意図せず履いていた下着から垂れ下がった紐を引っ張ると、驚くほど簡単に布地の部分が落ちていく。リョータの右手が入ってしまう程の余裕があるショートパンツは最早あまり役割を果たしてくれず、侵入を許す。
「ぁ、あ、……や、」
「……すご、」
「や、やめて……汚れちゃう……」
 中指の腹でなぞる様に確認したリョータはショートパンツごと擦り付けるように馴染ませる。最初は馴染まず反発していた布が徐々にその動きに連動するように張り付いて、ぴちゃと音を鳴らしている。
「……いいの、汚してんだから。」
「リョータが買ったんでしょ?」
「俺が怒ってたの忘れてる?」
「ぁ、や……ご、ごめんなさい……」
「こんなのいくらでも後で買える。」
「も、もうリョータの前以外で着ないから……」
 ようやくその許しを得たのか、シミを作って色を変えてしまっているショートパンツを取っ払って、私の様子を伺いながらつぷつぷと指の腹で探るように中に入り込んでくる。その滑りを確認したリョータの指は何かを探し当てるように少しずつ奥の側面をなぞっていく。
「ん、あ、ぁあ!」
「ここ?」
「ぁ、あ、だ、だめ………あ、」
 リョータの指が探し求めた場所へと到達して、人差し指も添えながら更に角度を変えて刺激を重ねていく。耐えきれずリョータの腕を掴むと、それが合図だったように速度を増した動きに迫り来る衝動が弾けた感覚に襲われた。
「中イキしちゃったんだ?」
「……聞かないで、」
「いいじゃん……可愛い。」
 一仕事終えたリョータの指がぬらぬらと光っている。私の視線に気づいたリョータが酷く動物的にペロリとその光を舐めとったその口でそのまま押し付けるように私の舌を舐めとった。色んな液体の混ざったよく分からないその味は少しだけ苦くて、そして唇を離したリョータと繋がるように糸を紡ぐ。
「うわ……え?」
「ちゃんと今日は外に出すから。」
「ぁ、あ、あ、ちょっと待っ、て……」
「……ごめんムリ、」
 流れを考えれば仕方がないものの、本当に始まってしまった。その衝動は、すぐ昨日の熱を蘇らせたようにぞくぞくと体を駆け巡っていく。抱き上げられた体は簡単にくるりと体勢を変えて、何も隔てるものがないまま一度の動きで中まで到達してしまう。
 リョータは背後に回って私の腕を引くように掴んで、余ったもう一方の手を打ちつける欲に添えながら親指を使って結合を確認するように横に開いた。
 全神経がそこに集約されているようにその動きが生む密着度の高い交わりが頭の中を真っ白にしていく。先ほど既に一度達している体はより敏感で、今にも何かが迫り来る感覚に押しつぶされそうになる。
「リョータぁ……」
「……もうやめらんない。」
「ちがくて、」
「じゃあなに?」
「か、かお……見たい。」
 一度リョータの動きが止まって、ずるりと引き抜かれる。想定していなかった動きに戸惑っていれば、急に腕を引いて強引に分厚い彼の唇が密着するように重なった。
「……ん……ん、」
 壁へと追いやられ逃げ場のない私の足の付け根を持ち上げると、何の抵抗もなく再びリョータの質量をするりと受け入れてた。
「あ、や、ゃあ、……ん、」
「ちょっと待ってマジで三井さん起きるって!」
「だ、だって……」
 リョータの揺れに合わせてどんどんと迫り来るその感覚が色を濃くしていて、三井さんがいる事を認識しながらも最早どうする事もできない。自分の体なのに、もう自分自身でコントローする事は不可能で、塞ぐように重なったリョータの下唇を噛み締めた。
 その直後、何度かに分散した生暖かい感覚が奥で広がっていた。
「ねえ、」
「……が顔見たいとか言うから。」
「リョータは違った?」
「……違わない。」
 結局リョータの宣言通りにはいかなかったけど、結果的に身を持って感じた事が同じなのであればそれはそれでいいと思えてしまう。私達は欲望に忠実だ。けれども一方で、仮にもドアを一枚隔てた先に客人がいるという現状を忘れてはいけない。
 明日以降リョータには部屋着を購入するミッションを課せようと思う。



ⅵ.Next