ちょっと背伸びをして、東さんに自分から食事に連れて行って欲しいと頼んだのは、二十歳になる前日の事だった。名目は、アルコール解禁初日に、一緒に飲みに行って欲しいというベタなものだ。あえて、誕生日に一緒にいて欲しいという言い方は避けた。
 彼は、よく私を食事に連れて行ってくれる。もちろん、東隊である小荒井と奥寺と同様に、というだけの事だ。それが私だからという特別めいた理由はない。だからこそ、私は策を講じて、最善案を彼に提案した。いつだって焼肉一択になりがちな外食をあえて外すことによって、小荒井と奥寺を同席させる事を回避する案だ。よこしまな気持ちを持って、姑息な手段を使う先輩を持った二人を気の毒に思ったけれど、背に腹は変えられなかった。
も二十歳か、感慨深いものがあるな。」
「そんなふうに言うと、東さんおじさん臭いですよ。」
「実際お前から見たらそんなもんだろう。」
 私にとって、東春秋という人間は憧れそのものだった。A級一位だった部隊を解散して、彼が新たに隊員募集をしていると知った時、私は迷わず元いた自分の隊を抜けた。当然、突如チームを抜けるという行いは歓迎されず、今も蟠りが残っている。それも仕方のない事だ、全ては私に非があるのだと、私自身認めているのだから。けれど、そんな業を背負ってでも、私は彼に近付きたかった。東隊に入りたいと、自身を売り込みに行ったあの日が最近の事のように思い出される。時は、満ちた。
 東さんとはボーダー内でも同じ隊に属しているが、大学も同じだ。彼は大学院生で私が普段講義を受けている棟とは別棟なのであまり会うことはないけれど、彼と同じ大学に通う為に、嫌いだった勉強に励んだ。結果的に補欠合格で繰り上がったという少々腑に落ちない結果にはなったものの、入学してしまえばそんな事は関係ない。私はこの日までに、着々と準備を進めてきた。
「お前の成人祝いだ、好きなところに連れて行こう。どこがいい?」
 誕生日、と言わないあたりが、私の意図している事を察している東さんらしい言い回しだなと思う。誕生日というのと、成人祝いというのとでは、雲泥の差ほど大きいものがある。奥寺あたりは何となく察していたかもしれないけれど、私の気合の入り方を見て見過ごしてくれたのかもしれない。これは全て、小荒井用の対策だった。
「普通の、ザ居酒屋って感じの。」
「普通のか。普通っていうのが、案外難しいな。」
「諏訪さんが行きそうな、寂れてる感じのところでいいんです。」
「はは、それ諏訪が聞いたら怒るぞ。」
 東さんが困るだろうと思って、その晩に適当な居酒屋を自分で探して、情報を添付してメッセージを送信した。適度に古びた、赤提灯が灯っている所謂居酒屋と呼ばれる王道スタイルの場所を指定すると、一時間程経ってから“了解した“と簡潔な返事か返ってきた。
 本当はもっとお洒落なところに行ってみたい願望もあった。それをしなかったのは、あえて私の目的が“自分の誕生日“である事を強調したくなかったからだ。そうする事によって、断られるリスクを考慮した、私なりに考えた案だった。変にいい所へ行って、夢見る夢子さんに見られるのだけは避けたかった。そんな痛い二十代の幕開けは、きっと一生尾を引くだろう。
 おやすみなさい、そう返信をして私も眠る。明日は何を着て行こうかと考えながら、次に起きて数時間もすれば、私は大人の仲間入りができるのかと思うと期待に胸が膨らんだ。大人になれば、少しばかりは彼に近づくことができるとそう思った。




 履き慣れないヒールは、家を出てものの数分で私の足を疲弊させた。デザインに一目惚れしたそのヒールは、見た目重視で履き心地はよくない。足にフィットすることなく、歩くごとにパカパカと足から離れて行く。応急処置として、カバンに入っていたポケットティッシュを千切ってから丸めて、靴の先に突っ込んだ。解決策になるほどの効果はなかったが、応急処置としては及第点だろう。
、本当に今日ここでいいのか?」
「はい。しっかり予約もしておきましたので。」
「予約しないでも簡単に入れそうだけどな。」
 東さんは少しだけ苦笑しながら、ガラガラと横に戸を引いて私を先に店へと入れてくれた。初めてくる居酒屋は思っていた通りで、私よりも皆大人の人がいる場所だった。少し寂れたこの感じも、あえてを狙っていた私の思惑通りだった。席に通されて、少し緊張しながら着席する私に彼はあからさまに笑ってくれた。
「借りてきた猫みたいだな、緊張してるのか?」
 腰を下ろしたのとほぼ同時に、店員が湯気の出ているお絞りを私たちに手渡した。これがよくドラマで見る、おじさんが眼鏡を置いて顔を拭いてしまうものかと思うと、何だか大人の仲間入りをしたのだという意味もない実感が湧いてきた。
 お絞りと一緒に持ってこられたメニューを置いて“お飲み物はお決まりですか“とそう言って、二つ返事でビールと言うのが大人の醍醐味という私の変な刷り込みの元、喉を出かかったその単語は、彼の言葉で制御された。
「すみません。彼女、今日が酒を飲むの初めてなんです。選んでからでいいですか。」
 私が仕出かしそうな事を予め分かっているのか、ただただ紳士なだけなのか、いずれにしても浮かれている自分が少し恥ずかしかった。彼が言うよう、借りてきた猫状態の私にメニューをこちら側に向けながら無知な私に酒の種類を説明してくれた。
「この辺りだと割と無難だから、最初はここから選ぶといい。」
「東さん大人って感じですね、やっぱり。」
「そうか?案外考えてる事は単純だぞ。」
「東さんの辞書に単純って言葉があるのが意外です。」
 東さんが勧めてくれたメニューの一角を暫く眺めて、あまり甘くなさそうなものを頼んで、注文してもらった。まずは手始めにジュースのようなものを頼むのは子供っぽくて恥ずかしいと思った自分の思考が、もしかすると既に恥ずかしい物なのかもしれない。こういう時は自分が直感的に飲みたいと思ったものを頼む方が、定石なのだろうか。チラリと彼の顔を見やったけれど、いつも変わることのないそのかんばせは、私に正解を教えてくれない。
「成人祝いに乾杯。おめでとう、。」
 東さんとの時間はあっという間に過ぎていくと、そう思っていた。けれど、私は中々酒に酔えない体質なのか、普段一緒に食事をしている時以上に長く感じられた。いちいち、東さんの仕草行動に目がいって、気が散ってしまう。こういう時こそ酒に身を任せて酔えるのが大人の醍醐味だと思っていたのに、少しばかりそれは私の想像と違う現実だった。
「東さん、私にペース合わせてます?」
「気にするなと言いたけど、多分気にするよな。」
「思ったよりも強いみたいですしもっと飲めますよ。」
「いや、酔いは忘れた頃にやってくるものだ。今日はこのくらいにしておこう。」
 二十歳の記念日に記憶がないのも、忘れたいような恥ずかしい記憶を植え付けるのも最悪だろう?とそう問いかけてきた東さんに、私は首を縦に振るしかなかった。これは私を労りながらも、私に有無を言わせず認めさせる為の言葉だったのだろうと思う。私も、それを理解出来ないほどには酔っていない。
「お前も馴染みのところの方が落ち着くだろう。二人はもう、呼んであるから。」
 私の行動を先読みしていたであろう東さんに、私はしてやられた。別に酒に酔って、チャンスを狙うというそんな暴挙に出ようと思った訳ではなかった。少しだけ、酔った事を口実に甘えるか、距離を縮められたらいいなという可愛い陰謀だ。
 東さんに諭されて、三杯目になるジョッキに入った酒を飲み干してから会計をして、私たちは外に出た。予め連絡を入れていたのか、そこには既に小荒井と奥寺の姿があった。服装こそ居酒屋で浮かないようにと少しだけ背伸びをしたパンツスタイルにしてみたけれど、すぐに私のヒールに気づいた小荒井が、そこに言及した。
先輩、今日大人っぽい!靴も、おニュー?」
 全てを見透かされているようで、酷く恥ずかしい気持ちに陥った。きっと褒めてくれているのだろうというその言葉を理解しながらも、もう止めてくれと願う私がいる。その場の雰囲気や、後先をあまり考えず言葉が出る小荒井を横目に、奥寺は私を見ながら苦虫を噛み潰したような渋い顔をしていた。きっと、私に同情しているのだと思う。
「なんかこうして見ると、二人恋人みたいですね。」
 裏表のない小荒井の言葉だからこそ、少しだけ気持ちが上がった。私も大人の仲間入りをしたことで、少しは東さんの隣にいても違和感のない女になれただろうか。あからさまに見せびらかしては痛い思い出になると、いつもより少しだけ気合を入れたメイクも、パンツスタイルも、ヒールも、全ては意味があったのかもしれない。
「俺なんかとそう見られたらが可哀想だろ。」
「めっちゃお似合いですけどね。東さんも彼女いないんですし、先輩と付き合えばいいのに。」
 私が言いたくても言えなかった内容を代弁した小荒井の言葉に、私もドキドキしながら反応を待つ。あまり期待し過ぎてはいけないと自分を自制しながらも、はやる気持ちは抑えられない。この一言で、付き合うまでは行かないにしても、何かしらの前進があれば私の今日の目的は概ね達成できる。
「いるよ、彼女。いないなんて言ってたか、俺。」
 想像にもしていなかった言葉に、私は豆鉄砲を喰らった鳩のように唖然となった。いつこの男が、彼女がいるそぶりを見せただろうかと記憶を遡るけれど、私はそれらしい記憶を思い出すことができない。きっと、小荒井に言った言葉の通り、聞かれなかったから言う必要がなかっただけで、元々の性格を考えても自分からそう言った類の話を振る人でもない。
「え?なんでそんな大事な事言ってくれないんすか。俺たちチームでしょ?」
「別にそこはチームに関係ないだろ。」
 何も察知せず、東さんに彼女がいたと衝撃を受ける小荒井と相反して、奥寺は私を見ていた。罰が悪そうなかんばせで私を見るその眼差しが、より私を惨めにするようだった。私を案じてくれている彼の思いやりが分かるからこそ、しんどかった。
 彼女がいながらも私を二人きりで飲みに連れに行ってくれたのは、私に対する答えなのかもしれない。それは可能性を示唆するものではなく、彼女が居ながらも異性である私と二人きりで飲みに行っても何ら問題はないと言っているのではないだろうか。
「知らなかったとは言え彼女さんに申し訳ないです。」
「いや、可愛い後輩が初めての酒を俺と飲みたいと言ったんだ。断る理由はないだろ。」
 その優しい言葉が、今は何よりも残酷に聞こえる。つまりは、それは私を女として見ていないということで、彼女がいるから女と一緒には飲みにいけないという断りを受けるレベルにすら、私は至っていなかったのだ。
「東さん本当、優しいな。なんか気が緩んだらお腹空いちゃった。」
 目の前に並ぶさしの入った赤く綺麗な肉をトングにとって、私は七輪の上へと押し付けた。男女問わず徹底して苗字で呼ぶ東さんは、彼女の事をどう呼んでいるのだろうか。彼女だけは下の名前で呼ぶことで特別感を出すために、あえて他の人間を苗字で呼んでいたりするのだろうか、私の邪推は肉を網に敷き詰めるごとに加速していった。
 私が““と呼んでもらえる日は来ないのだと、そんな事を考えながら胸焼けするくらい口いっぱいに肉を入れて、噛み締めた。

なんにもしらない
( 2022'01'23 )