ゼミの仲間だった宮城くんが、彼氏になった。 ゼミの飲み会の帰り道、やや強引に私を家まで送ってくれた宮城くんとは思えばこの時まともにしっかりと話をしたくらいかもしれない。接点を持つには彼はバスケに忙しく、あまり言葉数も多い方じゃない。 『ニブちん』なんてただでさえも自覚のある悪口が聞こえてきたかと思えば、少しだけ湿気った大きな掌に包まれたあの日から一週間と少しが経っていた。 「……今日はどうしました?」 「練習早く終わったから会いに来た。」 「今九時過ぎてるけど?」 「……と、とにかく!会いに来た。」 ゼミの飲み会の日以降、彼は毎回同じ理由をつけて私に会いに来た。九時を過ぎても『早く終わったから』と付く大学の部活は相当にハードだなと、他人事にそんな事を思う。それは平日だけでなく、土曜日も日曜日も変わる事なく続いた。 「お茶でも飲んでいく?」 「……普通に悪いしダイジョブ。」 「そこは律儀なんだ。」 九時を過ぎて毎日会いにくるのも実際問題どうなのかと思うけど、でもそれが嫌じゃない自分がいるのも確かな訳で。想像もしていなかった飲み会翌日以降は、九時を過ぎても化粧を落とさず彼を待っている自分がいたので認めざるを得ない。 「宮城くんってさ、」 「なに?」 「結構勿体ぶる感じのタイプ?」 「は、はあ?」 そう言いたくなる私の気持ちもそろそろ全国民に理解されてもいい頃だと、正直そう思っている。毎日熱心に会いに来てくれるのはいいとして、その後だ。まるで会話が弾まない。何だか妙な空気感になって、そしてそろそろ遅いからと発展性のないテンプレートのような会話をして終わっていく。これが毎日続いているのをどうか想像してほしい。 「俺つまんないって事?」 「いやそうじゃなくて、」 「じゃあなに?」 「なにって………じゃあ私から言うね?」 私だってそれなりに毎日ドキドキ過ごしていた訳だ。ゼミ飲みの帰り道、あれだけ積極的だった宮城くんの言動に少なからず近々何かがあるんじゃないかと思っていたし、期待だってした。 「宮城くん、私たち付き合わない?」 初めて手を繋いだ帰り道、それから毎日練習後に猛ダッシュで会いに来てくれる彼。いくらニブちんと言われた私でも理解はしているつもりだし、そうじゃなかったらもう明日から学校に行けないので退学事案だ。 「ちょ……は?なに言ってんの!」 「え……ごめん、見当違いな事言ってる?」 「そうじゃないけど……」 本当に退学届を書かなくてはいけないのかとドキドキしてしまったけど、そうじゃないという言葉が聞こえて少しだけ安心する。安心はするけど、なら何なのか?そんな気持ちが押し寄せてくる。 そもそもこちらから言わせておいて、イエス以外の言葉なんてあまりに残酷すぎる。たった一週間で、これだけ私を好きにさせておいて。 「なんでさんから言っちゃう訳?」 「……だってそっちが言わないから。」 「てか普通に考えれば分かるでしょ!」 「なにそれ、私が悪い訳?」 何だか完全におかしくなっている。恐らくこのギスギスした会話の中でも、お互いの感情が同じ方向を向いていると分かるのに、何故私たちはギスギスしなければならないのか。 宮城くんは焦ったさそうに頭を掻いて、「もう〜〜」とこっちが言いたい言葉を吐き出してから、なぜか私を指さしてそのまま立ち去ってしまった。 「明日言うから!絶対に言うから待ってて!」 そうか、明日言ってくれるのかと思いながら、この科白を言ってる時点で明日言う必要なんて果たしてあるのだろうかとそんな事を思いながら私は玄関のドアを閉じた。終盤随分ギャーギャー言っていたけど、ご近所さんから管理会社に通報されていない事を取り敢えず祈る事にした。 次の日、私がどんな告白をされたのかは暫く自分の内側に留めておこうと思う。私以外の他の誰にも共有したくない、私だけの特権にしておきたいからだ。自分でも知らなかったけど、案外私は欲深い女なのかもしれない。 ゼミは毎週月曜日の二限のコマだ。ゼミの飲み会があった金曜日から一週間と三日が経っている。一週間欠かさず毎日私に会いに来ていた宮城くんとは、今日二日ぶりに会う予定だ。 C棟の三階まで階段を使って登ると、教室の壁に背中を付けている彼の姿があった。盛大な勘違いでなければ、多分これは私を待っているのだろうと思う。多分。 「宮城くん。」 「……お〜、」 「もしかして待っててくれた?」 「まあ、そりゃ。」 少し歯切れが悪いと思いながらも、それが照れ隠しから来るものだと今の私は知っているのであまり気にしない。どうやら私が思っていた以上に、彼は一途な男らしい。思い出すと思わず笑いそうになるので、慌てて口を押さえる。 「……なに思い出してんだよ。」 「いや、別に。」 「バレバレなんだけど。」 「それはごめん遊ばせ。」 少し不機嫌そうな彼の背中を見ながら教室に入ると、「ん」とそう言って、当然のように私を一番奥の席へと通す。言われて私も「あ〜」と言いながら、誘導されるがままに死角となっているその席へと落ち着いた。 「なに?」 「ん〜、別になにもない。」 「嘘、ずっと笑ってる。」 「え〜、気のせいじゃない?」 多分宮城くんは、先週金曜日の事を随分と気にしている。そして、そのきっかけを作ったのは間違いなく私だ。先週の金曜日は、宣言通り彼が私に告白をしてくれたその日だ。 シンプルな言葉が来ると思っていたし、それで充分だと思っていた。付き合ってほしいでもよかったし、好きだから付き合って欲しいだったら尚嬉しい。けれど、それは想像もしていない角度から降ってきて、私は面食らった後に声に出して笑ってしまったのだ。決して悪い意味ではなく、あまりにその愛が大き過ぎて。 『絶対にプロバスケ選手になるから、付き合って欲しい。』 まるで将来伴侶として一緒にいる為のプロポーズのような言葉で、まだ付き合ってもいない、それもただの大学生でしかない私達にはあまりに重い言葉だった。嬉しくなかったのかと言えばそうじゃなくて、寧ろこの上なく嬉しかったと言うのが心の底からの本音だ。 気が抜けたように笑う私に、どうしようもなく不安そうな顔をした宮城くんに視界を移しながら私も私なりの本音を紡いだ。 『プロになるのが宮城くんの夢なら一緒に応援したいし嬉しいけど、プロになるから宮城くんを好きになった訳じゃないから。』 気を張っていた分、想像していない方向からの言葉に気が緩んで笑ってしまった後、そんな本音でしかない言葉をポロリと放った。この一週間驚くほど奥手でしかなかった宮城くんは、手順を踏み外したように許可を取る事なくやや強引にキスをした。 「強いて言えば、愛されてるなと思って。」 「………当たり前。」 ゼミで一緒になる度に気持ちが落ち着かなかったから次からは隣に座ってほしいと言われた事も、二限終わりの昼食は一緒に食べたいと言われた事も、独占欲の塊でしかないのに、どうしようもなく自分を誇らしげに感じてしまった事も。 「今日の学食なに食うよ?」 ゼミが終わった直後、くるりと体勢を変えて話しかけてきた友人に返事をする事なく、普段感情の見えにくい宮城くんの顔が明らかにイラッと歪んで、そのまま私の手を掴んで歩き始めた。 「残念だけどは俺と食う約束してっから。」 奥手でしかなかった私の彼氏は、どうやらとてつもなく独占欲が強いらしい。
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