案外、自分の知らないところで人は人の事を見ているものなのかもしれない。 運ばれてくる茶色い揚げ物の盛り合わせには必ずと言っていいほど、お飾り程度にサニーレタスが飾られている。サニーレタス自体美味しく食べられる野菜なので、サニーレタス自身もまさか装飾のために遥々出荷されてきたとは思うまい。パセリも同じ気持ちかもしれない。どうしてこんな話に発展したのか。それは私自身も分かっていないので、世にも奇妙な物語だ。 「そっちの奥のテーブル回して?」 「あ、うん。」 「それ終わったらこの卵焼きも。」 「はあい。」 大学に入って三年も経つとある程度関係性が確立してくるもので、三年生になってから入ったゼミの飲み会も何回目だろうか。同じ学科の人がほとんどなので、初年度から同じクラスだった人もいれば同じ授業をとっている顔見知りの多い境遇だ。 「なんだよお前、面倒くさがんなって。」 「え、そう?やるやる、ちゃんとやる。」 とぼけてみた所で、私のやる気のなさは筒抜けになっているらしい。別に飲み会がやりたかった訳でも、幹事に立候補した訳でもないのだから、まあこれくらいの態度が妥当だろう。 「……いつもこんな感じ?」 「あ〜うん、宮城くんはゼミ飲み二回目だもんね?」 「てかそもそも飲み会とかほとんどしないし。」 「……なんか耳が痛いね。」 毎週末飲み歩いている程ではないにしろ、毎月しっかり飲み会の予定を入れている自分が急に恥ずかしく思えてくる。普段から一緒にいるメンツは似たような生活スタイルだったりするので、改めて外側から自分を見たようで居た堪れない。恐らくは私の方が彼よりもよっぽど普通の大学生で、マジョリティーなんだろうけど。 「じゃあ飲みに行く時はどんなメンツで?」 「ん〜、高校ん時の部活の奴らとか。」 「うちの部活の人とは行かない?」 「結局大学いるとバスケしよってなって気づいたら夜って訳。」 「あ〜、約束してまで会う理由もないもんね。」 「ま、そゆこと。」 ほぼ毎月定期開催されているゼミの飲み会、宮城くんが来るのはこれが二回目だ。直接聞いた訳じゃないけど、どうやらプロを目指しているらしい。目立ちに行くようなタイプでも、自分の事をベラベラと話すタイプでもないので、あくまで人づてに聞いた話でしかないけれど。 ゼミに入ってばかりの四月、飲み会の話が出てきたのはそのタイミングで、その初回の飲み会以降宮城くんの参加はなかった。 普通にバスケの練習で忙しいからなのかもしれないし、初回くらいはと無理をして参加してくれたのかもしれない。最悪なのは、参加してみたはいいがあまりにくだらなさ過ぎて参加する価値を感じなかったという理由だけど、半年ぶりとは言えど今回参加してくれたので恐らくその最悪なパターンは回避しているだろうと思う。 「でも何で今日は来たの?」 「あ〜うん……なに、来ちゃまずかった感じ?」 「全然、幹事としては助かる。」 「なんで今回はさんが幹事やってんの?」 「阿弥陀で引いちゃった。」 「幹事ってそんな感じで決めるもんなの?」 「みんな飲み会はやりたいけど幹事はやりたくないんだよ。」 「そ〜ゆ〜もんか。」 「そう、そ〜ゆ〜もん。」 最初のうちは幹事を名乗り出てくれる人間もいて、けれども毎月定期的に安定的に開催されるようになってくると幹事の擦り合いが始まる。それを口に出せるだけの関係性がこの半年と毎月の飲み会で培われているのかもしれない……圧倒的にポジティブな理由をつけた場合。 人間限りなく下心のある生き物だと思うのが、そもそものゼミ飲みをするきっかけとなった言い出しっぺの幹事を名乗り出た一番のお調子者は、しばらく一緒に幹事をやっていたゼミ一番の美人を自分の彼女にするというミッションを達成したのでお役目御免という事なのだろう。私たちは飲み会を楽しむ一方で、しかしながらその材料にされていたという訳だ。皆まで聞かないけれど。大人なので。 「じゃ、揚げ物のレモン絞るぞ〜。」 サニーレタスやパセリなんかよりもよっぽど私が理解できないのは、添え物のレモンだ。六分の一にカットされたそれは、ドリンクの中に忍んでいる分にはラッキーな気持ちになるのに、揚げ物とワンセットにされている事には些か納得がいっていない。 「……半分だけでいいんじゃない?」 「二回絞るの面倒だろ。」 「食べる分だけかけた方が新鮮でいいじゃん。」 「そうか?」 私の心の声を読み取ったように、宮城くんが意図せず的確な一言を放った事によってレモンを絞り切ろうとしていた同級生の手がスッと戻っていった。そもそも絞る事を宣言するなら、絞ってもいいか聞いて欲しいものだ。尤も、聞かれた所で「私はかけなくていい!」とマイノリティーを宣言する事なんて、所詮私には出来ないけれど。 「……宮城くん、レモン嫌い?」 「いんや、別に。」 そう言うと宮城くんはレモンがしっかりとかかった揚げ物に箸を向けて、口へと運んでいく。レモンを絞る・絞らない問題は気が効く人である程配慮をしてくれると知っているので、もしかすると彼もその類の人間なのだろうか。 その類の人間なのかどうか、それを判断するには私は彼の事を知らなすぎる。ゼミや他の授業で顔を合わせる時には声を掛け合う程度の知り合いではあるものの、私は彼の事をよく知らない。知っているのはバスケが上手で、他の事には目もくれずバスケに一生懸命な事くらいだろうか。 「もしよかったらこの大根おろしももらっていい?」 「う、うん、いいよ。」 まるで私の好き嫌いを見透かされているかのように、私の苦手なものばかりが私の手元から消えて宮城くんの口元へと運ばれていく。あまりに都合が良すぎて、私の方も何故だか挙動が安定しない。大好物の卵焼きに苦手な大根おろしがついているこの事実にいつも疑念を抱いていた私を見透かしていたような……エスパー的な要素すら感じられる的確さだ。 「……宮城くん、大根おろし好きなの?」 「あ〜、まあなんとなく?」 「なんとなく……」 「健康とかバランス的なアレ。」 「あ、あぁ〜、」 大根ってそんなに栄養あったっけ?よく分からないけど、バスケをする上で必要な要素が詰まっている可能性は否定できない。否定できるだけの材料と知識を私は持っていないので。 「大根って何にいいの?」 「何って………なんだろ、腸内環境?」 「腸内環境悪いの?」 不意に口を出た率直な疑問だが、彼の顔を見ると明らかに答えに困っているようだったので次の言葉を探しながらも、私自身も同じように困り顔だ。腸内環境が悪かったとしても、悪くなかったとしても回答しにくい内容でしかなく、場合によってはセクハラと捉えられてもおかしくない状況だ。 「……揚げ物食わねえの?」 「た、食べる!」 結局、私は不可避な状態の自分の苦手をひょんな事から回避してその飲み会を終える事に成功した。大学に入学してから比較的仲良くしている友人にすら、苦手なものは伝えた事がなかったので単なる偶然が随分と重なったらしい。 「……食べれる時に食べときなよ。」 「うん。」 宮城くんはあまり愛想がいい方ではないと、私はそう思う。あくまで私個人の話だ。感情が見えにくくて、何を考えているのかちょっと分からないところがあるから怖い人なのかと思っていた。でも、実際はそんな事はまるでなくて、律儀に会う度に挨拶もしてくれるし、ぶっきら棒ながらも優しい言葉もかけてくれる。 「てか宮城お前明日試合だろ?」 「…………だったら、なに。」 「飲み会なんて来てよかったのかよ。」 「え、宮城くん明日試合なの?」 今までゼミの飲み会に来なかったのは練習や試合があるからだと、そう思っていたけれどそういう訳ではなかったのか。たまたまスケジュールが空いていたからという訳でもなさそうだ。よりにもよって試合前日に普段行かない飲み会にいく必要なんてないだろうから。 「………試合だったら来ちゃダメなの?」 「いや全然そんな事はないけど、」 「じゃあいいじゃん。」 「うん、まあ……宮城くんがいいなら。」 決まりが悪いのか、宮城くんはしっくりとこない妙な顔をしながらハイボールを喉の奥へと流し込んでいた。 時刻は八時半、二時間制の飲み放題も終わると外に出た順番から道端で生産性のない会話をし始めるのがお決まりだ。一度店の中で会を締めた筈なのに、何となく帰り難い雰囲気が漂うもので、結局意味もなく私もその集団の中で足を止める。 「さん二次会行くの?」 「う〜ん、宮城くんは?」 「さんが行くなら考えるけど……」 「え、私?」 二次会なんて正直あまり興味はないけれど、結局いつも周りに流されてついて行く事の方が多い。この場合の宮城くんの言葉は、どっちを意味しているのだろうか。表情の読み取りづらい顔と、必要最低限のその言葉に咄嗟に言葉が出ない。 「出来れば行かないで欲しいんだけど。」 「……そうなんだ?じゃあやめとこっかな。」 別に二次会に行きたかった訳でもないので行かない理由ができてちょうどいい。それくらいに思っていたけど、冷静に考えたら何かがおかしい。と言うか辻褄が合わない。宮城くんが私に二次会へ行ってほしくない理由なんて、何一つ思い浮かばないからだ。 「じゃあ送ってくよ。」 「いいよそんな、まだ八時半だし。」 「家どっち?」 「……今の話聞いてた?」 さっきまでの感じと随分違って、なんだか強引だ。違和感を感じながらも、私と宮城くんは集団から抜け出して静かな通りに抜けていく。強引に付いてくるなら、せめて困らないだけの会話くらい提供して欲しいものだけど、びっくりする程会話はない……これは何の苦行ですか? 「俺さ、本当は添え物のレモン苦手なんだよね。」 「は、はあ……」 「大根おろしもどっちかって言うと得意じゃないし。」 「……そうなんだ?」 さっきは積極的にレモンのかかった揚げ物を食べていたし、大根おろしに至っては私に食べてもいいか断りを入れていたのでてっきり好物なのかと思っていたけど。だとしたら、何故苦手なものをそんなにバクバクと食べていたのか。そして、このタイミングでそれを私に向けて暴露してきたのは何故なのか。 「だってさんも苦手でしょ?」 「知ってたんだ?」 「……最初の飲み会で箸つけないなと思って。」 「ポイントガードって本当に視野広いんだ?」 「それはバスケの話ね。」 何だかとても遠回しに何かを言われているような気がして、思い過ごしだと同じ回数だけやり過ごす。今日の飲み会に来た理由が、万が一私が幹事をやっていたからじゃないかって。最初に幹事をした二人が付き合い始めたという事実を今更ながら思い出して、どんどん酔いが回ったように体が火照っていくようだ。 「さっきさんも言ってたじゃん。」 「え、なんだろ。」 「部活の奴らは約束してまで会う理由がないって。」 「あ〜、そんな下りあったね?」 思ってもみない境遇に正直戸惑いしかない。これが私の盛大な勘違いだったら今後も墓まで持っていく事案だし、もしそれが事実だった場合でも私はその最善策を分かっていない……けれど、だとすれば一体いつからそんな感情を私は見過ごしていたのだろうか。 「約束しないとさんとは会う理由ないでしょ?今の所。」 聞いているこちらが恥ずかしくなるようなそんな言葉、しばらく地面から目を離せなくなる。何と返せばいいのか分からなくて、取り敢えず顔を上げるとそこにあったのは私と同じ感情を表情全体に広げている宮城くんの姿だった。 「ニブちん。」 「うわ、悪口じゃん。」 「こっちの気にもなってみろって。」 「そんな事言われてもね?」 あと数百メートルもない家までの短い距離。初めて触れた宮城くんの左手は想像以上に大きくて、緊張感を物語っているように少しだけしっとりしていた。
残って響くもの |