あともう少しで、全てが終わりそうな気がしていた。
 上弦の鬼を倒せずに数百年が経っていた。本当に上弦の鬼を倒すことができるのだろうかと疑問に思いながらも、その先にいる鬼の教祖として君臨している鬼舞辻無惨を討伐するなど夢のまた夢の様に思えていた。ただ願うだけでは、鬼のいない世を作ることなど出来ない。
「やっとここまで来たな。」
「うん。あともう少しで終わるんだよね。」
「終わらさなきゃいけない、だろ。」
 何百年と倒すことのできなかった上弦の鬼も、宇髄がきっかけとなり何体か滅することができていた。その代償は煉獄の死と、引退せざるを得ない損傷の大きい宇髄の怪我と、結果的に最終決戦を迎える前に私たちが被った被害もどうしようもなく大きなものだった。
 流れはこちら側に来ていた。なんとしても私たちの代でこの負の連鎖を止めないといけないと、皆が必死になっていた。残りの上弦の鬼を追い詰めて、私たちは死ぬ思いで鬼舞辻無惨にまでたどり着いたが、想像以上の力の差に誰もがただ我武者羅に自分自身の持てる力の全てを出し切っていた。私の記憶はそこで止まっている。辺りが真っ黒になっていた。
     私は、死んだのだろうか。



 時は遡る。私は今日これから鬼殺隊として任務を遂行とすることとなる。入隊したのは両親を鬼に殺されたからという絵に描いたような理由だった。けれど、生きる目的のなかった私にとって、自分の居場所と生きる目的ができたことが嬉しかった。その中でも取り分け、同期という存在は大きいものだった。
「宇髄はさ、もし鬼がいない平和な世の中になったらどうするの。」
「藪から棒だな。」
「だって闘うからには目的がないとしんどいでしょ。」
 いつだって私には理由が必要だった。鬼殺隊に入るまでは親に迷惑をかけないように生きていこうと思っていた。道理に背いたことをせず正しく生きて、安心させるためにきちんと幸せな結婚をすることで親を安心させることが私の生きる目的で、敷かれている道筋を違えずに進んでいくことだった。今考えると、酷くくだらない事だったと思う。そこに私の意思はないのだから。
「別に好きに生きればいいだけだ。何も考えずにのほほんとしてればいい。」
 宇髄の言う通りだと思う。鬼がいなくなれば何も考えることもないほど、きっと平和な世が訪れるのだろう。想像にもできない事ではあったけれど、目的がなくなった世で私はどうやって生きていくのかを想像できないのだ。それが自分自身が誰よりも望んでいる結末であるはずなのに、自分の居場所がなくなる様な気がした。
「宇髄はいいよね。お嫁さん三人もいるし、毎日楽しそう。」
「まあな。何をするかなんて自ずと日々でてくるだろ、多分。」
「そんなもんなのかなあ。私もそうだといいんだけど。」
 まだそんな世の中が来るのは遠い未来のはずだ。望んでいるはずなのに、私は今自分がいるこの居場所がなくなる事をどこか恐れていたのかもしれない。私は常に何かに依存していないと生きていけない弱い生き物なのだと、自覚はあった。だからこそそれを認めた上で、生きていくしか私には道がなかった。
「何も考えずに生きればいいだろも。その方が確実に楽ってもんだ。」
 そう生きることができればどれほど楽なのだろうかと私自身思うのだから、何も言葉を返すことができない。私も宇髄のように生きてみたいと思いながらも、きっとそれは出来ない事なのだろうなとも思った。人間考え方を変えることは難しい。
「それもそっか。じゃあ宇髄に一個お願いしようかな。」
「面倒なのはなしな。」
「面倒でも一個だけのお願いなんだから聞いてよ。」
 別に大した理由はなかった。ただ、その場を繋ぐだけの思いつきの言葉mのつもりだった。そんな事が起き得るなんて想像にもしていなかったからだ。
「もし私が鬼になったら、宇髄がちゃんと殺してね。」
「なんだあ、それ。ありえねえ。」
「ありえない事は前提としてのお願いじゃん。」
 何事にも私の中では理由が必要だった。生きる事も、闘う事も、そこには全て理由が必要だ。ならばもし万が一にも不測の事態になった時にも私には理由が必要だと思ったのだ。そんな事は起き得ないで欲しいと願いながらも、不測の事態に備える事はあるに越した事はないとふいに思っただけだった、別に深い理由など何もない。
「地味な願い事。」
「しょうがないじゃん、私地味だし。」
 考えたくもないその願いを叶えてくれるのは、宇髄で欲しいと思ったのは本心だった。誰よりも心を許すことのできる同期である事は違いがなかったけれど、また他の感情も持ち合わせていた。正しい道を進む事しか望まない私には不要な感情だった。人のものを奪ってはいけないという事は小さい時に誰も教えられるものだ。私には、自分の感情よりもその教えを守ることの方が大事だったのかもしれない。
 宇髄は同期の中でも誰よりも強く、あっと言う間に柱になった。同期だったあの頃の関係を懐かしく思う程に、遠い存在のようにいつしかなっていた。関係性は何も変わらないはずなのに、少し寂しい。柱になるという目的ができたのは、その頃からだった。
 目的がある人間は強いものだ。それが証明されたのは、非力でしかなく特別能力に恵まれていたわけでもない私が後を追うように柱になったからだろう。ようやく、宇髄に追いついた気がしていた。
「弱いくせに柱になんてなってんじゃねえよ。」
「強くなったから柱になったんだよ。」
 宇髄は私が柱になった事をあまり快く思っていないようだった。柱になれば、それだけ危険な任務に就くことになるだろう。きっと、それを危惧しているのだとなんとなく理解できた。酷く分かりづらいところに彼の優しさがある事はよく知っていた。
 自分の感情に正しく従ったのはこの時が人生でも初めてのことだった。人のものを奪ってはいけないという道理に背いたのは、相手が宇髄だったからだ。道から背いたことをしている筈なのに、どうしようもなく幸せだった。
 私の世界に宇髄が加わってからは、任務にも実力以上の力を出すことができたし、私の目的は着実に正しい方向へと進んでいた。全てが順調に進んでいるように思えた頃、宇髄が任務で深手を負って柱から引退した。それは宇髄にとって本望とは程遠いものだっただろうけれど、私は彼が生きて帰って来た事だけでも嬉しかった。柱を引退したのだって、危険から遠ざかる事に直結するのだからどこかそれでよかったのではないかと思っていた。
     そして、はなしは冒頭へと戻る。



 何故こんなにも幸せだった頃の事を思い出すのだろうか。鬼のいない世に近づいているからなのか、私が目的としている事が達成されようとしているからなのだろうか。そう考えたが、色が蘇った世界を見てそうではない事を察知した。
 目の前には宇髄がいる。何故こんな前線に彼がいるのだろうかと不思議に思ったが、私が以前宇髄に託した願いを果たしに来たに違いない。鬼でありながら人間に味方する愈史郎という男の血鬼術による目でこの闘いを見ていたのかもしれない。そうでなければ私の異変に気づく事などきっとなかっただろう。
「…私、死にたくない。」
「もう遅い。」
 宇髄の言葉の通りの現状だ。私の体は脆く崩れていて、どんどんと宙へと舞っていく。事態は私が以前宇髄に告げた最悪な結末を辿っていた。鬼舞辻をあと一歩まで追い詰めた私は彼の血に触れてしまったのだろう。まさか自分自身が口にした最悪な結末が事実になるなど思ってもみなかった。
「もう少しだったじゃん。もう少しで全部が終わって、私はまた新しい目的を見つけるはずだったじゃん。」
 居場所を失う事は怖くなった。私は鬼殺隊がなくなっても生きていくだけの宇髄という存在があったのだから、平和になった世で彼と一緒にいる事を望んでいたのに何故こんな結末を辿らないといけないのだろうか。
「死にたくなんてない!なんでこんなに必死に頑張った私が死ななきゃいけないの。」
 少しずつ、視界が暗かった時の事が記憶として流れ込んで来る。
 あともう一歩で鬼舞辻を倒せると必死に一撃を繰り出した時、私の傷に返り血がかかった。必死になっていた私はその事にも気づかず、いつか訪れるであろう機会を見張っていたが急激に息苦しさに襲われて倒れ込んだ。何かが自分に流れ込んで来る恐ろしさに負けそうになりながら必死に抗ってもみたが、見事なまでに自分の見慣れた体が忌み嫌っていた生き物と同じ形態へと変わっていく。周りに蔓延る血の匂いに、気が狂いそうになった。
 覚醒しきった時には、宇髄に首を切られていた。あと一歩宇髄の到着が遅ければ私は鬼として完全に理性を失い、この場にいる全ての人間の悩みの種となったであろう。それは不幸中の幸いだったのかもしれない。
「約束は守る方なんだよ。」
「…そんな律儀さ今は笑えないよ。」
「言ったのはだろ。」
 宇髄の腕から淡く消えていく自分の体を見て、どうしようもない感情に襲われる。あと一歩で望んだ結末を迎えられるはずだったのに、何故私はこんな状況になってしまっているのだろう。悔しさよりも悲しかった。
「人として生きて、人として終われ。お前のためにも、俺の為にも。」
 どうしようもなく悲しく、涙が止まらないのに宇髄の言葉に救われた気がした。私は人を殺める前に死ぬ事ができるのか、誰も傷つける事なく私自身が望んだ結末を彼が叶えてくれていたのだ。他の誰よりも重く、辛い役割を宇髄に託してしまったのだと思う。死にゆく私ではなく、これからこの咎を背負って生きていかねばならない宇髄の方がよっぽど辛いに違いがない。
「…私は用意周到だな。計画的な自分に少し呆れる。」
「お前の唯一の願いなんだからな。叶えるのは俺しかいないだろ。」
 鬼の体が脆く崩れていく様を何度も目にしてきては、哀れに思っていた。皆最後は人間だった頃の幸せな思い出を思い出すらしい。彼らも鬼になる前は人間だったのだなと当たり前の事を毎度感じさせられた。地獄への片道切符を握らされた者に、最後くらいはという配慮なのだろうか。自分自身もそんな化け物になったのだなと嘲笑いながらも、そんな配慮があってよかったとも思えた。
「数十年待ってろ。そしたら会いにいく。」
 私にも最後に思い出せる幸せな思い出があって、よかった。
     宇髄がいて、よかった。

 崩れきった体と共に、私の現世での記憶も散っていった。

鬼のはらから
同胞⇔はらから
( 2020'06'20 )