+α.後日談 リョータと付き合うようになってから一ヶ月と少し。 練習が早く終わったからとリョータが会社の前で私を待ち伏せるようになってからも同じく一ヶ月と少しが経過している。今の所の通算ペースだと、二日に一回はそこの角を曲がった先にリョータが待っている。確率は二分の一、きっと今日は──。 「ちゃん!」 いた。 そのかんばせには私への好意が溢れていて、いつみても少しだけおかしくなって笑ってしまう。付き合うまで半年周り道をしたけど、まさか付き合ってからこんな彼の一面を見ることになるとは思わなかった。くすぐったくて、けれどとても幸せな瞬間だ。 かく言う私も、わざわざする必要もない残業をして勤務時間を伸ばしているので人の事を言えない。 リョータの練習が終わるのは十九時前後で、どれだけ早く終わったとしてもそれ以降になるのを私は知っている。つまりそれはリョータと会うための私の中で設けられた暗黙のルールでしかない。 「今日も早く終わった?」 「と言うよりは会いたくてダッシュで来た。」 「はは、潔いい理由だ。」 「愛情の出し惜しみはしないって決めたからね。」 「そっか。」 私の姿を見つけると手を振ってこちらに駆け寄ってくるリョータはどこか動物っぽくて、犬に懐かれたような感覚に似ているのかもしれない。再会して間もない時のリョータに、今の彼の姿を見せてあげたい。 「でも昨日も来てくれたし…平気なの?」 「うん、明日練習午後からだし全然へ〜き!」 「午後からなんて珍しいね?」 「コートの整備と清掃すんだとさ。」 プロのバスケ選手は中々に多忙だ。試合の度に移動も多く、遠征ともなれば長期間都内を離れることもある。純粋な休みともなれば実際月に数回程度しかないようだ。 付き合うまでの半年間、きっとリョータはその貴重な休みを全て私に使ってくれていたんだろうと思う。その時点で、彼の気持ちが純粋に私の方向を向いていると分かるはずなのに。盲目というのはそういう事なのかもしれない。 「最近ゆっくりできてなかったし、久しぶりにご飯がてら飲みにでも行かない?」 付き合ってから一ヶ月と少し、リョータと会う頻度は今までと比較出来ないほどで、寂しさを感じる間もなくリョータは頻繁に私に会いに来てくれる。けれどその分、まとまった時間ゆっくりと一緒に過ごすことはほとんどない。 シーズン中ということもあって、純粋に忙しそうだ。 「いいね、行きたい。」 「生憎雨だし近場でもいい?」 「うん、全然どこでも。」 リョータと一緒ならと付け加えようとして、冷静になって言葉を止めた。自分の勤めている会社の近くだ、誰に見られているかも分からない。リョータと違って普段愛情表現を出し惜しんでいる分、犬のように尻尾を振って飛びついて来ないとは言い切れない。 犬ならいいけど相手はリョータで成人男性だ。色々と問題しかなく、そして彼には自分が有名人という自覚が薄くほとほと私は困っている。 「ならさ、あのお店行ってみない?」 それは私たちが“再会”した店を指していた。 偶然を装って、リョータがとても計画的に私と再会の手筈を踏んだあのお店。それを聞いた時は大層驚いたけど、今となってはそのきっかけがなければこうして隣を歩いていることはないので結果は全てにおいて良好という事にしている。 「ちゃん、いこ?」 リョータに言われて、思わず反射的に手が出る。 「あ、」 「ん、どうかした?」 「ううん。」 付き合ってからの私たちのルーティン、付き合うまではできなかったこと。男らしく少しごつごつしたリョータの大きな指が隙間を埋めるように私の手を絡めとる。 もしかしたらとても小さくて、普通のことなのかもしれない。けれど私にとってそれはとても意味のあることで、ちゃんとリョータが自分の傍にいると安心できるとても特別で、とても幸せなことだから。 「早く行くよ〜?」 リョータの左手を占領している傘の柄がほんの少しだけ憎らしい。 大きな黒い傘を広げたリョータは当然のように自分の傘の中に私を呼び寄せる。私の手にも傘が握られているのは絶対に見えているはずなのに。結局そういうところなんだよなあ…と自分にため息を度々ついてしまいそうになる。 自分がとてもリョータに惹かれていて、そして惚れているという当たり前の事実を自覚するたびに、そんな幸せなため息が出そうになるのだ。 「ちゃんいつもあそこで何頼むの?」 「色々頼むけどジャンボつくねは絶対頼むかな。」 「何それうまそ〜、もしかして黄身付き?」 「そうそう、チーズ入りのやつもあるよ。」 「絶対うまいやつじゃん!両方食べよ〜よ。」 「そんなに沢山食べれるかな?」 傘の中で繰り広げられる会話はとても日常的で、そして平和だ。どうでもいいと言えばどうでもいいそんな会話でも楽しくて仕方がないので、何をするかじゃなく誰とするかが重要なんだと思う。 高校でクラスメイトだった頃の関係性に戻ったような、そう感じる事も増えた。 それはリョータと再会してから付き合うまでの半年の間には感じられなかった新しい要素で、そして恋人になった私の特権だと思っている。全てポジティブに変換できるくらいには満たされているという証拠だろう。 久しぶりにあの店の戸をくぐる。 カランと音が鳴るとそれに合わせて威勢のいい歓迎の挨拶が飛んでくる。リョータが二名で、と言っている間に彼が一人で飲んでいたカウンターをふいに見てみる。ここへは会社の飲み会でも時々来ているのでそこまで久しい訳でもないのに、なんだか懐かしい……な? 「あ!」 「あ〜!」 「げっ!」 視線が一点に集まったタイミングでそれぞれ声が漏れ出た。あの日リョータが飲んでいたコの字のカウンターにいるのは三井さんだ。どうやら一人で飲んでいるらしい。そう言えば三井さんの家はここから結構近い。 「お知り合いですか?でしたら、三名席のご用意しますね。」 恐らく今ここにいる三人全員の思考は同じだろうと思う。一緒に飲んだところで何を話せというのか、かなりの難題だ。短い期間で二度も週刊誌にすっぱ抜かれた(一つは何処かの誰かが売り込んだので別として)相手を前に、三人で飲めというのも中々に酷な話だ。 「あ、あの……!」 「ちょっとテーブル引っ付けるだけなんで気にされないでくださいね?常連さんですしこれくらいは!」 完全なる好意によるものなので無碍にもできず、なんだかよく分からない流れになってしまった。奥まった席に通されると、左手にお通し、右手に飲みかけの生ビールを持っている三井さんもとても居た堪れない様子でこちらにやって来た。 「ごゆっくりどうぞ〜。」 にこにこと満面の笑みで、いい事をした!という充足感を浮かべながら店員さんはパントリーへと戻っていく。他人の好意にこれほどまで困ったことが未だ嘗てあっただろうか。 「…アンタが適当に断りゃよかったでしょ!」 「んなこと言っても無碍にできねえだろ。」 「アンタにそんなデリカシ〜なんてあったの?」 「喧嘩売ってんのか?」 先述した通りにはなるが、三井さんの左手にはお通し、右手には飲みかけの中途半端に残った生ビールがある訳で。正直言ってかなり滑稽な構図だ。普通におもしろい。 「おいなに笑ってんだよ?」 「ちょっと!勝手にちゃんに絡むなよ!」 「あ?モノじゃねえんだぞこいつは。」 「モノじゃないけど俺のなの!」 店に入った当初はどうしたものかと頭を抱えそうになったけれど案外これはこれで楽しいのかもしれない。世間的に見たらかなりおかしい三人なんだろうけど。熱愛報道が出た相手と、恋人宣言を出した相手と、その両方の相手である私と。 「取り敢えず座りません?」 リョータと三井さんの仲がいいのはなんとなく知っていて、きっと昔から二人にはこんな当たり前のやり取りがあったんだろうとそう思う。 三井さんのことを常に意識して、その度にムキになるリョータしか見ていなかったので、私にとって今目の前にある光景は望んだ世界だったのかもしれない。この二人の関係が高校生の頃からずっと変わっていないのであれば、それは私にとっての願いだったから。 「ちゃんは一番奥ね?三井さん、アンタはそっちじゃなくてこっち。俺の正面の席だから。」 「あ?普通は詰めんだろ。」 「アンタは普通じゃないから詰めなくていいの!」 まるで漫才やコントでも見ているようなテンポのいい二人の会話に、アルコールを含まずともとても愉快な気持ちになる。リョータと付き合うまで、こんな二人の関係はまるで想像ができなかったのだから。 私が一番奥の角の席に追いやられる形で座ると、当然のようにその隣をリョータが占拠する。私の正面に座ろうとした三井さんを制して、リョータが自分の正面に座らせるとようやく息を吐いたリョータがメニューを手に取った。 「ちゃん何飲みたい?」 「ん〜、じゃあ生ビールにしようかな。」 「なら俺も同じのにしよっと。」 メニューを広げながら距離を縮めてくるリョータは多分、否、絶対に意図的だ。イメージと違ってリョータには打算的な部分がある。メニューの端からチラッと三井さんを見ると、急に適当な口調が飛び出てくるものだから笑いそうになった。 「アンタはどうします?生でいい?」 「おい、その対応の落差どうにかしろ。」 運ばれてきた生ビールに手をつけ、よく分からない乾杯をして喉に通す。本当に何に対しての乾杯かわからないので、日本人は律儀だと思う。いただきます、ごちそうさまが出てくるように一緒に飲むときは乾杯をせずにはいられないのだから。 「これデ〜トだったんですけど?」 「お前らの予定なんか知るかよ。」 「邪魔しないでねって釘刺してんだよ。」 「あ〜そうかよ。」 二人のやりとりを見ていれば早々に注文した料理が届いて、私はそれに箸をつけながら聞いている。この二人多分相当仲が良い。そうじゃなきゃこうまで掛け合いは続かないだろう。絶対に認めないだろうから言わないけど。二人とも。 「ないとは思うけど……、週刊誌に撮られた時以外でちゃんに触ったりしてないよね?」 「あ、あ〜?」 ぼけっと話を聞いていたら、急に三井さんの視線が飛んでくる。私ですか。そんなの適当にあしらえば良いものを、本当にこの人は嘘がつけない人なんだと改めてそう思う。 「え、ちゃん…?」 完全にその視線に釣られるように、リョータの視線が釣れてしまった。きゅるんと効果音がつきそうなそんな顔で見ないで欲しい。やっぱり時々リョータの対応には困ってしまう。きっとなんと答えても、リョータが納得しないのを私は知っているから。 「何?まだ俺が知らない秘密があるの?」 返事も何もしてないのに永遠と会話はリョータのターンだ。もう止められない。 大学時代に三井さんに告白されたこと、リョータとの事で相談した時の出来事、多分他にもいくつか……言っても言わなくても割と面倒な未来が待っているのは予想がつく。三井さんに至ってはどういう意図なのか小さく両手を上に上げている。余計に誤解を生むのでやめてほしい。 「ねえって!」 覚悟を決めて、一度息を吐く。 半分ほどジョッキに残っている生ビールを三口でごくごくと勢いをつけて流し込む。飲み終えて、もう一度だけ息を吸ってから、そして吐く。 リョータのシャツを手繰り寄せて、もちもちと無駄に艶肌なリョータの頬にそれを押しつけた。 「……一回黙ろっか、リョータ。」 状況を理解するまでの空白の時間、時が止まったような表情のリョータはそっと右手で自分の頬を触るようにして、そして一度頷いた。 「はい。」 「なんだ宮城お前案外ちょろいな?」 「はあ〜?」 「リョータ、ステイ!」 「あ、はい。」 とても躾の行き届いた犬のように、私の呼びかけに再び牙を閉まって頬を触りながらリョータは口を閉ざした。 リョータは何で三井さんがいるんだと時々漏らすように愚痴っていたけれど、どう考えても一番の被害者は三井さんだろう。自分が嘗て告白した女が自分の後輩と付き合っているのをまざまざと見せつけられ、挙げ句の果てには見たくもないキスシーンまで見せつけられているんだから。 「じゃ〜な?もう泣かせんじゃね〜ぞ。」 「うるさいな!そんな事するわけないでしょ!」 「お〜、そりゃよかったぜ。」 ビールを飲み干すと、ちゃんと気の利く先輩は会計を済ませて風のように去って行った。さらっとこういう事をしてしまうのでずるい人でもある。デリカシーがないと言われながらも三井さんが大学時代酷くモテていたのにはきっとそんな理由があるんだろうと思う。 「……ちゃん何考えてんの?」 「ジャンボつくねおいしいな。」 「なにそのとって付けたような科白。」 けれど、嫉妬深いことをまるで隠さずじっとりした目でこちらを見てくる目の前の恋人がやっぱり私にとっては一番なんだと自覚させられる。ぎゅっと握られた左手がとても暖かい。 胸がいっぱいで、それ以上アルコールは入らなかった。 駅までの五分の道のりを歩いていく。 店を出た先で手を翳してみると、雨は止んでいるようだった。あ〜美味しかったね?そう言いながら機嫌が良さそうなリョータの後にぴたりとついて、さっきは塞がっていたリョータの左手を掴む。 「ん?」 前触れもない私の手の感触に驚いたのか、リョータの視線が手元まで下がっている。隙間を埋め込んでいくように、きゅっと指をいつも以上に絡ませて、そしてぎゅっぎゅっぎゅっと三回握り込むように握りしめた。 「ちゃん?」 手を繋ぐのはリョータからのことがほとんどだ。多分リョータの驚きはそんな私のイレギュラーな出来事によるものなのだろう。覗き込むように私を見つめている。 キョトンとしているリョータにどうしても気づいて欲しくて、私も負けじと訴えかけるようにリョータを見つめると「え、そういうこと…?」そう言ってから少しだけ困ったようにしながら、辺りの様子を見渡している。 リョータのぽってりと厚ぼったい唇が掠れるくらいに触れた感覚があって、その代わりにチュッとあえて大きなリップ音が耳元で響いた。 けれど、私は小刻みに首を横に振る。 「ん?ちがった?」 「ち、ちがわないけど、そうじゃなくて…!」 あと五分も歩けば、電車が私たちを反対方向に連れていってしまう。それが寂しくて、けれど言葉にして言えるほどに酔っていなくて。こういう時もっと自分の気持ちを素直に言える性格だったら良いのにと思う。 「……帰っちゃうの?」 欲張りだと思われるだろうか。シーズン中で忙しい中でもこうして時間を見繕って会いにきてくれている恋人に対して多くを望みすぎなのかもしれない。リョータと付き合って一ヶ月、あれからまだ一度もずっと一緒に居られたことはなくて。 「明日午後からなら今日は一緒にいれるのかなって……そう思っただけ。」 一緒にいてほしいと素直にそう言えたら良いのに、あともう一歩のところで強がりな自分が出てきて甘えることが出来ない。リョータに常々もっと甘えて欲しいと言われているのに、だ。 「えっと…ちゃん、あのね?」 「ごめん!ちょっと思っただけで忙しいの知ってるし忘れて!」 「……忘れられる訳ないだろ?」 時々急にこうして男らしい口調で私に問いかけるリョータに心臓が鼓動を打つ。私の両肩に手を置いて、しっかりと正面を向かされて直視できず思わず視線を泳がせてしまう。たまにこういう不意打ちをしてくるので困る。 「俺さ、ちゃんが俺の彼女になってくれて、手繋いだり喋ってるだけでもすごい満たされててさ……」 下心を読まれたような気がして、とても恥ずかしくなる。品のないはしたない女だと思われただろうか。けれど、完全にそうではないと否定できるほど下心が全くないと言い切ることなんて出来ない。 リョータとの距離感が近くなって、そしてこうして頻繁に会うようになって改めて感じたことがあった。 寂しさを埋める為に一緒にいたいんじゃなくて、もっとリョータを知りたくて自分のことも知って欲しくて。それは頻繁に会うようになって、より強く出てきた私の欲でしかない。 あの頃の私はリョータに会えさえすればそれでいい、そう思っていた。でも今は違う。会えば会うほどにそう思ってしまう自分に戸惑いながらも、ついに言ってしまった。 「あんな始まり方しちゃったからちゃんに誠意見せなきゃと思ってずっと我慢してたけど……もう許してくれる?」 恋人になっても自分の本心を素直に言えない私は臆病でしかなくて、そしてやっぱりリョータも変わらず臆病でしかないんだとそう思った。私たちは臆病で、そしてちょっと面倒くさいところもよく似ている。 「…じゃなきゃ甘えるタイミングないじゃん。」 「うん、そうだった。ごめんね?」 これからもきっと遠回りをするのかもしれない。けれど、私の小さな訴えにも耳を傾け、そして理解しようとしてくれるリョータがいれば遠回りが不正解という訳じゃないと思えるから。 「そういうとこ、好き。」 今まで直接言えなかったその言葉が、ようやく口から放たれた。 レグルスへの子守唄 end. 2023/05/04 ~ 2023/05/14 |