術師は、常に人手不足の業界だ。なんと言っても学生にすら任務という名目でほぼ強制的に依頼が回ってくるくらいだ。子どもと呼べずとも、けれどまだ大人には程遠い義務教育を終えてばかりの学生を平気で特級の任務に駆り出したりする、非情がまかり通っている業界でもある。だから、ここはどんどん人が居なくなる。そんな環境に耐えきれず脱落していく者と、そして任務遂行に失敗して屍になっていく者と、その両方が存在するからだ。
「七海はさ、正しかったんだと思うよ。多分ね。」
「あなたにそう評価される覚えはありませんが。」
「別に悪く言ってないんだし、いいじゃん。」
「あなたの言葉はいつも大雑把で、そして抽象的だ。」
 かく言う私は、案外そのどちらにも属さず未だ術師をやっている。それなりに死線をくぐってきたけれどなんとか今日まで生きて過ごせてきた。奇しくも私のかつての同級生が、現世での最強の術師なんて大層な異名を欲しいままにしていた恩恵に預かっただけなのかもしれない。
 日本に四人しかいない特級術師が同級生に二人いるだけでも奇跡に近いのに、残りの一人は反転術式が使えるという異例の学年だった。まるで私が赤子に見えてしまうくらいには、私は彼らに比べてあまりに普通だった。そんな普通な私が、術師としてこうしてまだ息をして残っているのは自分の事ながら少し不思議だ。
「私七海みたいに頭良くないし、術師辞めてもする事なかったし。」
 結局のところ、私が術師を続けている理由はそれが全てだ。七海のように器用に表の社会で生きていく賢さを持っていなかったと言うだけの話で、別にそれを望んでいた訳でもなかったけれど選択肢はほぼ残されていないようなものだった。
「やってもないのに憶測で物を言わないでください。」
「分かるでしょ。だったら、七海の証券会社に私を紹介してくれる?」
「それとこれとは、話が違うでしょう。」
「一緒だよ、結局私はここで術師やって行くしかないんだよ。」
 術師としての素質を持って生まれた事を恨むべきかと考えてもみたが、冷静になるとそれは恐らくは逆だと気がついた。能力を持って生まれたからこそ、私は術師でいれたのだと。呪力を奪われた私なんて、きっと何もできない。あまりまともにした事がないから推測でしかないが、恐らくはあまり勉強も得意ではない。社交性があるのかと言えば、そうでもない。だから、呪力を持って生まれてまだよかったのだろう。ゼロだった選択肢が、一になったのだから。
「それ以上卑屈になるならカウンセリング料取りますよ。」
「貧乏からこれ以上取り立てないでよ。」
「なら料理が不味くならない配慮くらいして下さい。」
 私は、定期的にこうして七海と食事をする。こちらでコントロールできない呪霊を祓う人手不足な激務を強いられている私よりも、七海の方が忙しいのではないかと思うほど彼は多忙を極める。だから、毎月という訳にはいかない。不定期に、時間を見つけては私を呼び出して食事に連れて行ってくれる。
 七海にとって、私とこうして会うことに価値はないだろう。卒業と同時に表の社会に出て、足を洗った彼に私と会う必要性などどこにもない。灰原の一件以降の彼を見れば、寧ろまだその界隈にいる私にはあまり会いたくもなかっただろうに。その為に、違う道を選んだ筈だとなんとなく分かっていた。
「七海はさ、」
「無意味な質問はやめて下さい。」
「まだ、言ってないじゃん。」
「これから言うんでしょう。」
 最初に声をかけたのは、私の方だった。高専を出てすぐ証券会社に就職した七海のお祝いというそれらしい理由をつけて、食事に誘った。元々高専時代にそこまで親しくしていたのかと言えば、そんな訳でもない。会えば挨拶はするし、一緒の任務に着いた時はファミレスによって一緒にご飯を食べる事はあったけれど、別にそれは特別仲がいいという訳ではない。寧ろ、どちらかと言えば私なんかよりも悟や傑との交流の方が多かっただろう。七海が卒業してからあえて私が近づいた理由を、彼は知っているだろうか。
「七海はさ、後悔とか未練とかないの?術師に。」
「…それを聞いてどうするんですか。」
「ふーんって、そう思う。」
「あなたの感嘆詞を聞く為に、私が答える必要はありません。」
 あれだけの力を持っていたのに勿体ないと、そう思ったのも本音。けれど、少しだけ七海は私に似ていると思ったことがあった。何処か物事を俯瞰したように見て、そして自分に対して苦悩している私と同じに見える事があったと言えば彼は一緒にするなと怒るだろうか。
 私は一枚フィルターを挟んで物事を考える。自分の事なのに、何処か俯瞰して考える癖は思えば幼い頃からの癖だったのかもしれない。特異な体質を持っていたのも、私をそうさせたのだろう。感情をそのままダイレクトにぶつける事が苦手だった。いつだって、誰にどう思われているのだろうかという第三者視点が作用して、うまく自分の感情を表現できなかった。
「色っぽく言うからさ。」
「特別望んでませんので。」
「それは、残念。」
 七海は私と同じで、感情表現が極端に下手だ。だから多分、居心地がいい。特別盛り上がる訳でもない会話に楽しいとは思わなくても、妙な安心感がある。これから何を言おうかと口を開く一歩前で考えてしまう私は、七海の前でだけは何も考えず思ったままを言葉に乗せることができた。だから、今もこうして定期的に食事をして、会話をする関係を続けている。
「何も考えず、適当を言ってるでしょう。」
「そうだね。バレてたか。」
「高専時代のあなたはもう少し思慮深かった。」
「それは私を買い被り過ぎだ。」
 七海に質問することはなんてことないのに、自分が質問される側になった時急に私は息がし辛くなる。質問に答えると言うことは、想像以上に神経を使う。ただでさえ何を話そうかと事前に考えてからしか人と話せない私なのだから、その難易度は高い。
「帰ろっか。疲れてるからか、酔ったよ。」
「世界じゃなく、宇宙はあなたを中心に回っている。」
 こんな皮肉を言いながらも、多分七海はまた次も忙しい合間を塗って私に時間を作ってくれるだろう。私はそんな七海の優しさに甘えてばかりだ。
 外で待っていると、会計を済ませた七海がやってきて当たり前のように一緒の方向に向かって歩いていく。元々自発的にペラペラと話すタイプでもない七海からは余計な会話はなくて、けれどそれが不思議と不快には感じない。
 今の私にとって、七海はなくてはならない存在だ。それは恋だとか愛だとかフィジカルなものではなく、もっとメンタルな部分で。
 昔から自分がまっすぐと正しい性格をしていたかと言えば、そうではなかった。けれど、確実に少なくとも今よりはまだそれなりにまっすぐ生きようとする意思は持っていたように思う。高専に入った頃の私は、特にそうだった。特異体質として世間から異質な目で見られていた私にとって、この環境はそう思わせてくれるだけのポジティブな要素だった。
 けれど、どんどんと分からなくなった。時間が経過すればする程、皆が私を置いてけぼりにしていくように実力差が開いた。呪術高専では“持たざる者“でしかない自分に劣等感を抱いた頃に、私は傑の言葉に救われた。自分が出来る事をやれば良いのだと教えてくれたのは、傑だった。いつしか傑を心の拠り所にしていた私は、あの事件以降何もかもが分からなくなった。多分、その頃にとっくに心は壊れていた。徐々に時間をかけて今になって壊れたのではなくて、あの時から   
「…本当に酔ったんですか。」
 この世界から足を洗って逃げ出したいと思う気持ちと、自分にそんな逃げ場なんてどこにも残されていたのだという絶望と、ずっと鬩ぎ合いを続けている。少しでも七海に自分に近しいところを見つけた私は、それを心の在りどころにしてしまっているのだ。あの時のように、それを失えばまた自分に絶望として跳ね返ってくると分かっているのに。懲りないなと我ながら呆れてしまう。
「なんかもう分かんないや、どうしよっかな。」
 崩れそうになる自分をしっかりと繋ぎ止める為に、明日からも生きていく為に、私は七海の優しさに少し縋っても良いだろうか。理由をつけないとそんな事できないのだから、しっかり自分の中でその口実を作って、洗濯糊でパリッと皺一つない彼のスーツにもたれ掛かった。
「…ごめん。」
「不可抗力ですから、致し方ないでしょう。」
 言葉にした事のない心の内のどうしようもない闇を、七海はわかってくれるだろうか。それは私には分からないけれど、分かってくれるとすればそれは七海しかいないとぼんやりとそう思った。
「酔っ払いは介抱するのが、仕来りです。」
 ぽん、と一度私の頭上に優しく掌が置かれると、しっかりと私の体を抱き寄せた。




 あれから七海とは会ってない。今までも数ヶ月会わない期間が空く事はあったけれど、半年も会わないのは卒業してから初めてだ。特別、連絡も入っていないし、私からも最近どうしているのかを確認する連絡はしなかった。
「出戻るなら連絡くらいしてよ。」
「退職に向けて、仕事が立て込んでましたので。」
「術師に未練も後悔もなかったんじゃなかったっけ。」
「嘗てその質問に、私は答えた覚えはありませんが。」
 悟から七海が出戻ると聞いたのは、つい数日前の事だ。出戻りの理由は“同じクソならより適正のある方“という事らしいが、半分本当で、多分半分は違う理由だとなんとなく思った。彼は私と同じで感情表現が極端に下手だ。けれど、誰よりも他人思いで人の為に自分を投げ打つことが出来る優しさを持っていると私は知っている。
「それに、後悔や未練がないと出戻ってはいけないんですか。」
 七海は、昔から優しい。勝手に誤解しないで下さい、と言う彼の皮肉が聞こえてくるかと思い待ち構えていたけれど、ついにはその皮肉は飛んでこなかった。
「後輩のくせに、生意気だよ。」
「もう学生ではないので、後輩でも部下でもありませんから。」
 自分の感情を解放する事が苦手な私は、その言葉を最後まで耳に留める前に、とても久しぶりに泣いてしまった。


理解の極致
極致:到達しうる最高の境地
( 2022’03’02 )