目の前でじゅうじゅうと幸せな音が鳴っている。 同棲を始めて一ヶ月が経った我が家は、まだまだ足りないものが多い。私もリョータも結構な慎重派で、そして拘りが深い。お互いの趣味趣向が似ているというのがせめてもの救いだ。二人であ〜でもこ〜でもないと議論ばかりが進んで、一向に家具が増えない。 「もう空いたの?」 「だってこの音すごい食欲そそるじゃん?」 「まあそうだけど。」 「この音を摘みにお酒が進んじゃう。」 「おっさんかよ。」 まだ家具が少なく全体的に物寂しく、捉え方を変えれば広々とした我が家のリビングを抜けてキッチンの冷蔵庫に手を伸ばす。少しだけ腰を屈めながら冷凍庫を開くと、ぎっしりと沢山出来上がっている氷が散らばっていて、手でいくつか掬い取ってグラスの中に入れていく。 カラカラ〜ンと音を立ててグラスの中を走り抜ける氷の音が好きだ。これから楽しいことが始まるような、そんな気がするからだ。多分もう酔っている。 「焼けた?」 「さっき焼いてばっかだろ。」 「え〜?」 「辛抱ないな、って。」 「リョータには言われたくない。」 時々ぷつっと何かの糸が切れたようにキスをしてきて私を驚かせるので本当に言われたくない。飲食欲に関しては私の方が格段に上だという自覚自体はあるけれど。 氷でキンキンに冷えて曇らせているグラスをテーブルに置くと、リョータが仕方がなさそうにウイスキーに手を伸ばして、私のグラスに原液を注いでいく。いつも手元を狂わせてウイスキーの配分を誤り、驚くほど濃いジンジャーハイボールを生成する私に、この間リョータが便利なものを取り付けてくれた。 ウイスキーの瓶を買った時におまけでついてきた、適量がそぞがれると自動で止まるストッパーによって、私の泥酔は未然に防がれている。 「だってこの間安田くん来た時は話に夢中になりすぎて真っ黒焦げだったじゃん?」 「三井さんの時は綺麗に焼けたんだけどな。」 「安田くんに美味しいお好み焼き食べて欲しかったな。」 「来週ヤス呼ぶ?」 「呼ぶ呼ぶ〜!」 安田くんは呼ばないと来ないけれど、三井さんは呼ばなくても勝手にくるので優先すべきは安田くんの方だ。近くに寄ったからと言って三井さんはよくうちに来るけれど用事がないのは知っているし、存外酒に耐性がないのかすぐにソファーで寝落ちして宿泊を余儀なくされるのでリョータの機嫌が悪くなる。 「音が変わったんじゃない?」 「ん〜、確かにそうかも。」 「ひっくり返す?」 「まだもうちょい待った方がいいだろ。」 「この間それで焦げたじゃん。」 「大丈夫だってば。」 二人してお好み焼きに熱い視線を寄せて、その視線を動かすことなくハイボールをぐびっと喉に通していく。リョータのハイボールがようやく空になったので、今度は私がウイスキーの瓶を手に持ってグラスに注いで炭酸水のキャップを捻った。 「完成する前に俺らこんな飲んで平気なの?」 「平気でしょ。」 「俺らってかが、なんだけど。」 「だいじょ〜〜〜ぶ!」 「もう酔ってんじゃん。」 「へへっ…」 そろそろ本格的にパチパチと音が変わってきたのでひっくり返そうとしていたタイミングで、はやる気持ちを理解しているリョータが両手でコテを差し出してくれる。私は一度すぅっと息を吸い込んで、そしてふぅと吐き出した。 「リョータ実況中継してよ。」 「は?なんだよそれ。」 「臨場感欲しいじゃん。」 私は気合を入れるためにグラスを傾けて喉を潤す。ぐびぐびぐびぐび……四回鳴った分だけしっかりと減っているグラスの中身を置いて、いざ勝負! 「選手これから新技に挑戦か?両手にコテを持って真剣な表情です。」 何だよと言っておきながら、割とノリノリで実況中継をしてくれているあたりにリョータの優しさを感じてしまう。そして、人見知りな彼が恥ずかしげもなくこうしてノってくれている自分の立場によく分からない優越感を感じた。 「左側からコテを差し入れた!果たして成功するのか?」 「ちょっとやめてよ笑っちゃう。」 「自分が実況中継してって言ったんじゃん。」 「だってこのまま笑ってたら失敗する。」 くくくと笑いを堪えながら、完全に笑い上戸になっている私にリョータも自分で言いながら完全に吹き出している。同棲をしてこんな愉快な生活があるとは思っても見なかった。 私が一人暮らしをしている先がもう間も無く更新というタイミングで、更新費を払うのも何だか馬鹿馬鹿しいと言った何でもないその言葉に、リョータが同棲を提案してくれた。 プロのバスケ選手として遠征や移動が多いにも関わらず、私の会社の三十分圏内のさして彼に都合がいい訳ではないそんな場所で、こうして私たちは手を叩き、そして腹を抱えながら一緒に暮らしている。 「、行きます!」 勢いをつけて両方の手から生えたコテを差し込んで、そして躊躇わずにひっくり返す。宙を舞っていた時間はとても短くて、べちゃ……という歓迎し得ない音と共にそれは夢となって崩れた。 「ははははは!犬の餌だろこれ!」 「めっちゃ失敗した〜!」 「まじさ〜、生放送だったらこれ放送事故のやつ。」 「え〜。」 鉄板にもう一度視線を集めて、二人してケタケタと笑う。なんて平和な世界なんだろうかと思うほど、箸が転げてもおかしい年頃なのかもしれない。 三井さんが早々に酔っ払って寝るお好み焼きも、安田くんが来て何故かうまくいかないお好み焼きも、二人で飲みながら失敗するお好み焼きも、どうしてこんなに楽しいのだろうか。本当にどうってこともない日常の一コマが、リョータがいる事でどうしようもなく幸せな日常になっていく。 「なんかさ、漠然と思うんだよね。」 「なんだよ?」 「どうでもいい事が最高に楽しいって幸せだなって。」 ぐびぐびっと再びジンジャーハイボールを煽って、言った後に少しだけ恥ずかしくなったその感情を誤魔化した。 「俺がそこにいるからじゃん?」 「……その通りだから悔しい。」 家具が揃っていない我が家で、悩む事なく即決で買ったホットプレートは大正解の買い物だったのかもしれない。
類は愛を呼ぶ |