三月某日。
 私が四月の大学入学を待たずして東京に来たのにはそれなりの理由と根拠がある。沖縄という日本でも最果てである異国に近い文化も価値観も違う地元から、私は数日前出てきてばかりだ。東京の大学に行く!というざっくりした目標を持っていたけれど、その念願かなって私は東京に越してきた。

 家族みなで東京に出てきた訳でもないし、頼れる親戚がいる訳でもない。親戚は両親含め全員沖縄にいる生粋のしまんちゅだ。ただ一人、私が頼れる人が東京からほど近いところにいる。頼れると言っても、会うのは五、六年ぶりだ。

 リョータがまだ沖縄にいた頃、私の家とリョータの家は家族ぐるみの付き合いをする関係だった。そこそこ近所という要素と、私とリョータが同じ学年だった事もあったんだと思う。私達よりも親の方が先に仲良くなって、後付けで親に付き合う形で私たちも仲良くなった。
 もうリョータと会わなくなってから随分時間が経つけれど、カオルさんから届く年賀状でリョータの近影を見たことがあった。近影といっても二、三年程前だけれど。髪はアップにされていて、刈り上げられている。中々パンチのある見た目だった。都心に行くと人は変わるんだろうか。
「まだ卒業式前だろ?」
「自由登校だから卒業式だけ行こうかなって。」
「早く都会に染まりたかったって訳だ。」
「ま、平たく言えばそういうこと。」
 いつだかの年賀状で見たリョータよりも少しだけ雰囲気は柔らかくなっているようで、あまり違和感もなければ六年ぶりに会ったという感じもしなかった。
 品川駅で待ち合わせをして、時計台の前で待っていると少しだけ気怠そうなリョータが「お〜」と一言だけそう言って、手をひらひらと翳していた。私も釣られるように右手をあげて、見事六年ぶりの再会を果たした。二、三日前にも会ったような、そんな感じで。
「リョータ今日髪下ろしてるんだ?」
「ん、お前気づかないと思って。」
「カオルさんの年賀状で見たよ、イケイケの髪型。」
「……まじ、言い方。」
 割と成長期が早かった私は、当時リョータよりも少し背が高かったけれど、久しぶりに並んでみるとすっかりリョータの方が一回り大きくなっていた。けして背が高いという訳じゃないのに、私が知っていた時代があまりに昔過ぎるのでなんだか少しだけこそばゆい。





 今日リョータに来てもらったのは、私の引越しの手伝いというのが表の名目。ベッドや冷蔵庫などの大型の家具が順次届き、今日で全てが揃う予定だ。人手が必要だし、男手が欲しいだろうからと母親が純粋な気持ちでカオルさんを経由してリョータに依頼してくれたらしい。
「ほんとまだ何もないんだな〜。」
「そう。ようやく今日からベッドで眠れる。」
「それ組み立てんの俺なんだけどな。」
「うん、だからお礼はするって。」
 既に届いていたいくつかの段ボールを開け始めて、私たちは作業に取り掛かる。そもそもこれだけ久しぶりに会う幼馴染というのもリョータしかいないから、何を持って普通と定義していいのかはよく分からないけど、こんな自然に何事もなかったように進んで行くものなのだろうか。
 六年ぶりなのだから、お互いの知らない六年間の差分を埋めるような会話になるのが自然の流れなんじゃないだろうか。まるでそんな雰囲気はなく、リョータは黙々と説明書と木材を交互に見遣って作業に没頭している。
 万一会話に困ってはいけないと、事前にいくつか質問をメモに箇条書きしていた自分が恐ろしく恥ずかしい。しかし、逆に会話に困る事なくスムーズに進んでいるのは幸いな事なのかもしれない。お互い一応の思春期は通り越しているという事だろうか。
「で、ベッドはどこに置きたいの?」
「あ〜うん、窓側の所に置こうかなって。」
「多分お前思ってるよりこっち寒いよ。」
「でも配置的にそこが一番広く取れそうだから。」
「壁側にしとけって、絶対風邪ひく。」
 言う通りにやってくれるのかと思えば、案外そうでもない。結構頑固だ。仕方がないのでリョータの言う通り壁側にベッドを横付けする形で二人で組み立てながら配置する。実家から持ってきていた新品のベッドシーツを敷いて、一番最初にまずベッドが完成した。寝床の確保は何より大事だ。
 一息ついたリョータが次の段ボールに手をかける。一度全ての中身を出して、床に広げる。ベッドを配置した分だけ狭くなった床にはあまりスペースに余裕がない。入るかどうか心配しながら、私も飲んでいた紅茶を洗面台に置いて作業に参加する。
「これテーブル?」
「そう、テーブル兼食卓ね。」
「なんか渋くね?」
「いいの、機能性重視だから。」
 確かにリョータの言う通り、これから東京で華の女子大生を謳歌しようという十八歳の女にはいささか渋いチョイスだという自覚はある。けれど、私には一つ憧れがあったのだ。今まで、私が触れてこなかった文化。
 足を組み立て終わった頃、私は別のダンボールのガムテープをビビッとリズムよく剥がして、布を取り出す。図面通りに布を敷けば、私が長年憧れてきたそれが形としてしっかりと出来上がっていた。
「なにこれ、こたつ?」
「そう、こたつ。ずっと憧れてたんだよね。」
「普通三月ってこたつしまう時期じゃね?」
「え〜、まじで?」
「うん、まじで。」
 三月某日、私の体感的には相当な真冬だ。これがもうこたつをしまい始める時期とは到底信じられない。逆に東京って何月になったら暖かくなるんだろう。この調子だとゴールデンウィークくらいまでは物凄く寒そうな今の体感だけど、春ってそんなに突然やってくるのだろうか。
 気を取り直して電源タップにプラグを差し込んで、こたつのスイッチをスライドさせる。布の中をめくってみると、暗闇がじわっと線香花火のように小さな点から温かみのあるオレンジ色に灯っている。しばらく見ていると、どんどんとオレンジの締める割合が増えてきて、のぞいている顔がほんのりと暖かい。
「あ、ちょっと!」
「ん、なんだよ。」
「家主より先に入らないでよ。」
「いいじゃん、手伝ったし。」
 リョータは足を伸ばし入れて、ゴロンと床に転がっている。私もこれがやりたくてわざわざ他の家具の予算を削ってこたつ付きのテーブルを買ったのだ。しかし、リョータの言う通りにベッドを壁側に配置した事で私が転がるだけのスペースはない。
「どうですか、我が家のこたつは?」
「あったけ〜。」
「なんか初めて入った私と同じレベルの感想。」
「まあ、初めてだからそんなもんっしょ。」
 三月はもうこたつをしまい始める時期とか偉そうに言っておきながら、リョータもこたつは初体験らしい。だったらもっと一緒にはしゃいでくれたらいいのに、リョータは昔からそうだ。感情に出さないから分かりづらいけれど、そういう時程結構感情が昂ってたりするのを私は知っている。
「ちょっと詰めてよ、私も大の字なりたい。」
「後でいくらでも出来んじゃんお前は。」
「今したいの!」
 リョータの隣を陣取って、私も体を捻じ入れる。ようやく体が入ったので、大の字になろうかと体勢を整えてみた時、予想外の距離感にリョータのかんばせがあって、変な声が出そうになった。いくら幼馴染とは言っても、十八にもなって、それも六年ぶりに会うには距離感を間違えてしまった。必死に声を飲み込んでみたけど、一度交わってしまった視線は何故だか外すことが出来ない。
「………ちか。」
「うん、想像以上で私も相当びっくりしてる。」
 リョータも想像してなかったのか、ちょっと変なかんばせだ。多分私はもっと変なんだろうけれど。リョータもそのまま私をじっ、と見つめながら会話を続ける。この時間は一体なんだろうか。
「そういや今日の礼ってなに。」
「ん〜、考えてなかったけど回転寿司いく?」
「あんま寿司興味ねえかな。」
「そうなの?じゃあなに、焼肉とか?」
 寿司が嫌いだった記憶はないけど、興味がないと言われてしまった。このままだと焼肉も興味がないと言われてしまうかもしれない。そもそも引越し作業の手伝いのお礼って、何が適切なんだろうか。十八のあと数週間で卒業する男子高校生は一体何が嬉しいだろうか。滅法そういうことには疎いので困る。都会の男子は難しい。
「お前のこと。」
「ん〜?」
「だから興味あること。」
「は?」
 一体何を言ってるんだろうか。都会の男子の中では、こうして田舎から上京してきた右も左も分からない人間を揶揄って遊ぶのが流行っているんだろうか。もしそうなら相当たちの悪い遊びなので、今すぐに辞めてほしい。それに、この距離感で言う事じゃない。勘違いする。
「この六年なにしてたとか、彼氏いるとかいないとか、そういうの。……まあ、居ないと思うけど。」
 ちょっとどきどきしていたのに、最後完全に余計な一言が差し込まれた気がする。こうなると私も余計な一言を差し込まないといけなくなる。別にそんな決まりはないけど、リョータだけなんて不公平だから。
「勝手に決めないでよね。」
「だから確認すんだろ。」
「なんで確認する側がそんな偉そうな訳?」
「居たら困るから聞いてんだよ!」
 パッと手首を掴まれて、一気に体感温度が上がっていく。きっとこたつの暖が徐々に私の体を侵食してきているに違いない。やっぱり普段と違うことをすると体がびっくりするものらしい。リョータも暑苦しそうなのは、きっとそのせいだ。そうに決まっている。
「いたら三月から東京なんて来ない………」
「はぁ……なら勿体つけてんじゃねえよ。」
 終始上から目線なのが些か気に食わないけど、なんだか私もリョータのため息に同じくため息が出てしまった。妙な安心感に包まれて、ようやく生きた心地がしたように呼吸ができた。
「てかさ、俺の六年間気になんねえの?」
「え〜?」
「普通聞かね?全然聞かねえじゃん、ムカつく。」
「いや、リョータだってそうじゃん。」
 当たり前にあった日常が、急に目の前から消えた。カオルさんは本当に急に、リョータとアンナちゃんを連れて引っ越してしまった。キリよく次年度からとかじゃなくて、本当に急に。あれだけ家族ぐるみでの付き合いがあったうちの家にも、引っ越すことを言ってきたのはほんの三日前のことだった。
 なにをしてるんだろうか、ずっと気にかけていた。
 きっとリョータの事だからバスケを辞めるはずはないと思っていたから、私もバスケ部に入れば少しは情報が入ってくるんじゃないか。そんな浅はかなことを考えていた。実際、あのインターハイで山王工業に勝利したのは私の耳にも届いていたし、嬉しかった。
「それが知りたいから早く来たに決まってる。」
 表向きの名目は、引越しの手伝い。けれど、それは私が緻密に練った計画でしかない。少し早く東京に出れば、きっと母親が手を回して私をリョータに会わせてくれるとそう思った。そうする事で、私はリョータと会う機会を手に入れたのだ。とても、戦略的に。
「なら、……もっと教えてよ。」
「リョータのは教えてくれないの?」
「教えられるところは教える。」
「なにそれ。」
 とりあえず体勢を起こそうと起き上がると、再びリョータに手首を掴まれる。少しバランスを崩した先には、またリョータのかんばせがおかしいくらいの距離感で映り込む。都会の十八は、こんなシチュエーションにも手慣れたものなのだろうか。私は、相当に苦しい。
 何かが始まりそうなこの空気感に、胸が潰れそうなくらいの動悸を感じているが大丈夫だろうか。胸が潰れるのは勘弁してほしい。物理的な方のはなしだ。





 響く、チャイム音。
 この家で聞く三回目の音は、心臓に悪い。けれど、私の危機を救ってくれた救世主でもある。このままだと潰れるどころか抉れそうな勢いだったので、本当に助かった。硬く瞑っていた目を開くと、さぞかし機嫌の悪そうなリョータが、自分の髪に指をガシガシ擦り付けるようにしていた。
「………俺が出る。」
 なんだ、いきなり彼氏面?と思ったけど、冷静に考えてリョータはもう彼氏なのかもしれない。付き合おうとか、好きとか聞いてないけど、私に彼氏が居たら困るらしい。もうそんなの同義じゃないだろうか。確信を持てる言葉を言ってないくせに、すっかり私の中に滑り込んできたリョータはずるい。
「お前さ、なにソファーなんて注文してんの。」
「一人暮らしにソファ、欲しいじゃん?」
「欲しかったとしても間取り考えろよ。」
 明らかにキャパオーバーになっている私の部屋に、リョータはため息を吐く。確かに言う通り、私の部屋はほぼ家具で埋まってしまっている状況だ。まるで私もリョータも、部屋の家具の一部のように。
「それ、リョータの特等席になるやつだから。」
 リョータの不意を突いて捩じ込んだこの言葉は、どうやら攻撃力満点で見事リョータにクリティカルヒットを打てたらしい。


三月の眠り
( 2023’03’05 )