小汚い中華飯店は想像以上にベタついている。 予約をしてまで入った訳じゃない。試合会場で一緒になって少し昔話をしている間に飲みにでも行くかとそんな流れになっただけ。俺と三井さんで洒落た店に入るのも気が引けて、逆に看板の電球が一つ消えかかっている中華飯店の方が顔バレしないかもしれない、そう思って選んだまで。…多分理由の九割はそんなとこだ。 残りの一割は、こういう店の方が喜ぶんじゃないかと思って。 小汚い店にこそ隠れた名店がある!なんて言ってたような気がする。もしかしたら言ってなかったかもしれないけど、でもなんとなく喜ぶような気がした。 「中華とか珍しくね?」 「そっスか?てか俺のなに知ってんだよ……」 「普通に結構知ってんだろ。」 「彼女ヅラかよ?」 三井さんと飲みに行くのは半年ぶりくらいかもしれない。 俺のなに知ってんだなんて言っちまったけど多分結構知ってんな。この半年間こうして飲みに行かなかったのは単純にそんな暇がなかったってだけで、逆を言えば半年前までの俺のプライベートは暇だったらしい。三井さんと頻繁に飲みに行けるくらいには。 「生でいいか?」 「ん〜、俺ハイボールにしよっかな。」 「糖質制限?」 「してたら飲みに来てないっしょ。」 「お〜、それもそっか。」 三井さんをいなすのは結構ちょろい。うまく話をすり替えることに成功した俺は内心ほっと一息ついている。深掘りされたって別に大した答えが出る訳じゃないけど、あんまり深掘りはされたくなかったからちょろくて助かった。 何の疑問もなく三井さんが右手を挙げる。 店員は奥まったところにいるのかすぐには気づかなくて、なにを思ったのか授業参観でいい格好をしたいイキった生徒みたいに半分立ち上がってくの字になりながら三井さんの右手がピンと伸びてる。相変わらず足も手も長くて腹立つな。 それでも一向に来ない店員に俺は耳を塞ぐ準備をする。間違いなくこの後三井さんの馬鹿みたいにデカい声が響き渡るのを知ってるからだ。案の定塞いだ二秒後に塞ぎ切れない声が響いて、流石にオーダーが通った。 「てかお前いつも生じゃなかったか?」 「……あんなクソでけ〜声出しといて話続いてんのかよ。」 「だって前は生だっただろ。」 「生生言わないでくれる?キショいから……」 「あ?」 こういうとこが本当にそうなんだよなこの人。配慮というかデリカシーがない。悪気がないから憎みきれないのが面倒なとこだ。悪気がなきゃなんでも許されるって訳じゃないけど、この人は誰からも許されちまうから結構ずるい。 言った自分の方が変なことを口走ったような感じになるからやっぱり普通に腹立つな。とりあえず乾杯を待たずにハイボールを流し込んだ。 「んで?なに食べんの?」 「麻婆豆腐とエビチリと麻婆茄子とガーリックシュリンプ。」 「アンタ馬鹿なの?」 順番が交互になっててもおかしいのは見逃せない。この人マジで無意識だ。今のとこ麻婆と海老しか頼んでないことに多分気づいてない。突っ込み待ちだったら何かの大会にエントリーした方がいい、間違いなく天才だ。 でもこの人はそうじゃない。こんな顔してど天然かよ。疲れる。 「突っ込み面倒いから麻婆豆腐とエビチリと餃子頼んじゃいますね?」 ちょっとベタついたメニューを見ながら店員に注文をする。本場の人間なのか想像以上に日本語が通じない。ガチな店に入ってしまったのかもしれない。期待していいのか失敗したのか微妙なとこだ。 自分の手を拭いてから無意識に油が跳ね返ったであろうベタつきのあるメニューを拭いたら案の定おしぼりに色がついた。もう手、拭けないじゃん。 「あと豆苗炒めもください。」 パ〜ドゥン?そっか、日本語通じないんだった。 それにしても日本に店出してんのに日本語も喋れなければ中国語でもなくなんで英語?ていうかそれラテン語じゃない?そこは百歩譲ってエクスキューズミーなんじゃないのかよ。 英語でメニュー言い直したら逆に両手を広げて首を傾げられた。俺が英語自慢したかったみたいで死ぬほど恥ずい。 「これ!お願いね!」 疲れる相手と疲れる店に入ってしまった。当然疲れる。癒しは目の前のハイボールと、少し遅れてこれから来るであろうその存在でしかなくて、未来を縋って飲むしかない。 「……宮城、お前おっさんだな?」 「なに言ってんの?」 「俺より年上か?」 「どういう時空生きてんだよアンタ……」 なにを言ってるのかと思えば、俺が追加で注文した豆苗炒めについて言ってるらしい。なんでそのメニューで年が逆転する天変地異が起こるのか聞いてたら、どうやらチョイスがおっさんという事らしい。え、そう? 「うまいじゃん、嫌いなの?」 「普通に旨いけどお前こんなん好きだったか?」 「だからその彼女ヅラやめてよ……」 半年飲みに行ってないだけで随分距離近いじゃん……まあ前から謎に近かったけど。歯折ったのにね? でも確かに言われてみれば半年前にこんなメニューを選んでたかどうかと言われたら結構微妙なところだ。思い返せば三井さんが言うように確かにずっと生ビール飲んでだし、そもそも中華に行こうなんて言ったことも多分ない。 「お前なんかこの半年で変わったんじゃね?」 「この半年三井さんのチームに俺負けなしだしね?」 「そ〜いうんじゃねえよ、なんつうかさ………」 「なに、告られんの?」 「俺の告白はそんな安くねんだよ。」 無言で運ばれてきた豆苗炒めに箸をつけて適当に会話を交わす。なんで野郎二人で飲みにきてこんな話しないといけないんだ。でも今までって逆にどんな話してたんだっけ?全然思い出せない。 「そろそろ話題変えたいんだけどいいスか?」 「んだよツれねえな。」 「漫才したいなら他の人とコンビ組んでね。」 俺にはもう相方いるから。 悪いけど三井さんの相方にはなれないよ、そんな言葉が出かかって寸でのところで言い止まった。あと一口分だけ残っていたハイボールを噛ますことで何とか耐え抜いた。自分でもよく分かんないけど、なんか墓穴を掘りそうな気がして。 「お、餃子うまそ〜。」 「これね!同じの!ハイボール!」 運ばれてきた餃子を受け取って、空になったジョッキを指さしてもう一度同じものをオーダーする。ニュアンスで汲み取ったのか今度はすんなりオーダーが通って逆にこっちが面食らう。ここの店はツンデレがウリなのか? 入店してから一回もいい思いはしてないけど、悔しいくらいに餃子がうまそうだ。麻婆豆腐もうまければ、豆苗炒めはニンニクがしっかり効いててめちゃくちゃに美味い。どうしよ、これ臭くなるよな? 食べて少しした頃に気づいて一回自分の息を確認してみる。……多分まだ大丈夫だ。自分の匂いだからそう思わないだけとかじゃないよな、きっと。そうであって欲しい。 「お前口臭えのか?」 「殺すよ?」 「自分で口の臭い嗅いでる奴見たことねえぞ。」 「逆に少しは気にしろよ!エチケットでしょ!」 へ〜?って言ってるけど、この人そういうの気にする人じゃないんだろうな。 バスケも上手いし(俺も上手いけど)、無駄に背も高いし(バスケする上では全然無駄じゃないけど)、なんか顔整ってるし、デリカシーないくせして結構思いやりがあって熱い人だし、ムカつくくらいファン人気高いし………そりゃ気にしないだろうなって腑に落ちるのが腹立たしい。 「でもよ………、なんか覚えのあるメニューなんだよな。」 誰と勘違いしてんだろ。 俺がこの半年相手してなかったからその間変な人と飲みに行ってたのかな。もしそうだったらちょっと悪いことしたとは思う。この半年で三井さんからの飲みの誘いを何回か断ってる事実はあったから。 「どこで浮気してんだよ?」 「……彼女ヅラやめろよキモいな。」 「俺の気持ちわかった?」 なんか腑に落ちない顔してるけど、早く食べろよな。どうせ食べたらそっちに気が行ってすぐに忘れるだろうし。 テーブルの脇に置いてある小皿に手を伸ばして、三井さんの前に置いてやった。もう一度手を伸ばして今度は酢の容器を手に取ってたぽたぽと豪快に注いでいく。自分の皿にも同じだけ酢を入れて元ある場所へと戻した。 それを見た三井さんはさっきよりももっと腑に落ちてない様子だ。 めっちゃ見てくるじゃん。餃子食べるのにお酢必要でしょ?普通のことをしてるだけで、何なら三井さんの分まで入れてるんだから感謝されてもいいくらいなはずなのに。 疑うことなく次は胡椒を手に持って、迷わず酢に胡椒を塗していく。 これをやりすぎかと思うくらい豪快に入れて食べる餃子美味いんだよな。だから多分酢も胡椒も単品で置いてあるし、こんなのは世間の……世界の常識なんじゃないかと思ってる。だって美味しいから。理由はそれだけ。 「……昔お前とラーメン行った時さ。」 「なに、今日俺との回顧録なの?」 「いや……そうじゃねえけど、俺が酢とラー油派なの邪道って言ってなかったか?」 その言葉に一応思い出すように振り返ってみる。 三井さんとラーメン行ったのとかいつだろ。流石にお互いプロのバスケ選手だしそこそこ体型とかは気にしないと駄目だし、高校時代よりも肉がつきやすくはなった。だから多分卒業してからは一緒にラーメンを食べに行った記憶も、餃子を食べた記憶もない。 「何年前の話してんだよ?」 「いやなんか……半年でこんなに変わるもんか?」 「アンタの知らないとこで成長してんだって。」 「酢胡椒は別に成長じゃねえだろ。」 「普通にその時のブームとか好みがあるじゃん。」 そう、今酢胡椒が俺の中で流行ってるって、ただそれだけ。 まだなんか疑ってるような目をしていたのでこれ見よがしに追い胡椒をしてやる。餃子を箸で摘んで、俺好みの特製のタレにつける……ちょっとだけやりすぎた感はあるけど普通に美味い。 知ってからはもうこの食べ方以外は考えられない。 「お待たせ〜!」 寂れた中華飯店(本格派)はドアが開いたところでチャイムも鳴らなければ鈴の一つも鳴らないけど、その音以上に待ち侘びた聞き慣れた声が聞こえて一気に視線が持っていかれる。 「めっちゃ私好みな店じゃん、選んだの誰?」 「宮城。」 「アンタだって良さそうって言ってただろ?」 嬉しいし、その言葉を待ってたし、その為に選んだようなものなのに、それを読み取られるのが何だか気恥ずかしいような気がして素直に認められないのが我ながらダサい。 「そうだ、お前中華好きだったよな?」 「うん、だからうちのチーム飲み中華多いでしょ?」 「言われてみりゃそ〜だな。」 彼女は意気揚々と厨房に向かって「ハイボール一つ!」と笑顔でそう告げる。日本語わかんなくて両手でハテナマーク浮かべてたさっきの対応とは打って変わってニコニコしながらペコペコしてハイボールを作る店員が憎らしすぎてやばい。 あいつ絶対日本語わかってるだろ。 「……ナマエちゃん何で三井さんの隣に座るの?」 「ん?だって私三井さんのチームの社員だしそっちの方が普通だと思うんだけど?」 心の底からそう言っているのが分かるから、それが余計と気に食わない。それともなんかの戦略?……いや普通座るでしょ、こっち。 「何で俺の彼女が三井さんの隣なんだし……」 彼女は三井さんの所属するチームの広報を担当している社員さんで、そして俺の彼女だ。 実際彼女とどうやって知り合ったのかと言えば、それは完全に三井さんありきな出会いだったわけで、地味に三井さんに足を向けて寝られない状況があったりする。 でもそれはそれ、これはこれ。 「正面から顔見て話せた方が嬉しいし?」 「………そ?」 「うん、シーズン中で最近会えてなかったし。」 モヤモヤした感情が消えた訳じゃないし、やっぱり彼氏の俺を差し置いて迷うことなく三井さんの隣に座るのは意味分かんないけど……けど、彼女の言葉は高確率で俺を黙らせる。そんなこと言われたらそれ以上言えないじゃん。 「わぁ〜豆苗炒め!」 「なんだ、お前好物なの?」 「うん、めちゃくちゃに。」 「……へえ?」 ちらっと三井さんがこっちを見てくる。見んなし。 彼女は一度手のひらを合わせてから、割り箸をパキッと割り開いて早々にその好物に箸をつけた。食べた後、ぱあって子どもみたいに無垢に笑うあの顔がすごく好きで、その顔見たさに気づいた時には彼女が好きなものばっかり頼むようになってた。 俺の好物が何だったのかを今はパッと思い付かない。俺ってなにが好きだったんだっけ? 「三井さんそこの小皿とって?」 「お〜、これな。」 「あと酢と胡椒も!」 言われた通りのものを並べた三井さんに、彼女は袖を捲って準備を始める。 小皿にぼとぼとと酢を垂らして、何の躊躇いもない様子で胡椒をとんとんする。ちょっとかけ過ぎなんじゃないかと思うくらいにしっかりと塗しながら………もう一回三井さんの視線を感じた。 「宮城お前さ、」 「……なんスか。」 「めちゃくちゃ染まってんな?」 この人どうしてそんな事平気で言っちゃうんだろう。勘弁してほしい。そんな恥ずかしいこと、彼女がいる前で言う必要なんてあったか?ほんっとに………勘弁してほしい。 「リョータが何に染まってるって?」 「あ?」 「ナマエちゃんほらメニュー!好きなの頼みなよ?」 「あ、うん、どうしよっかな。」 俺も余ってたメニューを取って立てる。今顔を見られたくないから。 ハイボールも、豆苗炒めも、餃子のタレも、そもそも中華だって。半年前に同じことをしてたかと言われたら多分そんなことはなくて、それが三井さんの言う通りな訳で……まるっきり自覚がなかった訳じゃないけど。そんなトドメささなくてもいいじゃん。 「あれ?三井さんも酢胡椒派だっけ?」 「宮城が勝手にタレ作ったんだよ。」 「へ〜?リョータも酢胡椒のタレ好きだもんね。」 「染まってんな〜お前。」 彼女が好物を食べる時の顔が好きだ。だから知らず知らずの間に彼女の好物を俺も一緒に食べる。いつの間にか彼女の好物は俺の好物になってたらしい。 中華を選んで、無意識的にハイボールを注文して、俺の好きなメニューを追加注文して、そして半年前に初めて知ったおすすめの餃子のタレを作って。 結局、三井さんの言う通りだ。 「………わりぃかよ。」 もう認めるしかなかった。
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