一昨日は少々飲みすぎた。 あれだけの量の酒を飲んだのは学生振りだったかもしれない。別に何かめでたい事があった訳でもなかったのだが、飲んでいるうちに気分がよくなっていって、気持ち悪さに到達することもなく会が終わるまでずっと楽しかったと記憶している。解散するまでの記憶はほぼほぼ残っていた。その後からの記憶が、綺麗さっぱり消え去っていた。 翌日辛うじて出社すると迷惑顔で出迎えてくれた不死川に事の全貌を聞いてただただ平謝りするばかりだった。もう一軒行こうと不死川に絡んだ挙句、すやすやと眠り始めたのだから半分担ぎながら自宅まで送り届けてくれたという事だった。穴があったら入りたい。反省してその日は残業して、家に帰ってご飯も食べずに風呂を済ませてすぐに寝た。 今日は金曜日だ。水曜日の飲み会での出来事も一日経過すれば少しは死にたい気持ちも和らいだ。不死川の広い心に感謝せざるを得ないだろう。ほんの少しだけまだ残る罪悪感から解放されたい私は、罪滅ぼしの意味を込めて気持ち分少しだけ周りから仕事を巻き取って、帳消しにしたようにオフィスを後にした。 昨日の今日だという事もあって、コンビニのアルコールコーナーで伸びそうになった手を引っ込めて家へと帰ってきた時に不思議なメッセージが届いていた。 家に帰っているかの確認と、酒は手元にあるのかという謎だ。今日は飲まないと返信すれば、酒を持って三十分後にパソコン前に集合!という訳のわからない招集がかけられたので仕方ないと言い聞かせてビールを数本手に取った。 軽く食事を作って、パソコン前にビール缶を置いてスタンバイすると約束の時間より少し前に、通話モードの申請が来ている旨ポップアップが知らせている。 「どうしたの。酒まで買わせて何が目的。」 「お前が酒好きだって風の噂で聞いたもんでな。」 「それは飲み会に呼ばれなかった僻みですかね。」 「そんなんで僻むほど暇じゃないわ。」 私に酒を買って待つように仕向けたのは宇髄だ。私の同期であり、うちの部署の部長で、れっきとした私の上司でもある。同期、上司、と肩書きが並ぶ中で彼氏という肩書きまで加わるのだから我ながら何の時系列を軸に話していいのかたまに分からなくなる。 「さて、本日の議題です。」 突然会議の冒頭のような議題を投げて来るのだから意味が分からない。それに酒まで用意させるのだから、何を目的としているのか私には皆目見当もつかない。何か企んでいるのは間違いないだろうけれど。 「遠距離恋愛におけるムラっとした時の過ごし方について。はい、お前から。」 「馬鹿にしてるの。しかも今家じゃなくて外でしょ?頭沸いてる。」 「そりゃハゲでデブでブスな男なら通報だろうが俺なら賛美歌口ずさんでるくらいにしか聞こえないだろ。」 「それが頭沸いてるって言うんですよ部長。」 酒を用意させたのはこういう事だったのかと少し理解もしたが、何故突然こんな話題を振ってくるのだろうか。彼氏という肩書きがなければ明らかにこれはセクハラだ。謹慎レベルだろう。 自宅でパソコンの前から酒を飲んで話をしている私とは違い、彼はスマートフォンで顔を映しながらカツカツと暗闇を歩いている。今仕事が終わって帰宅途中なのだろうが、何故家に戻るまえにこんな下らない質問をする為に態々映像まで繋いでいるのだろうか。出会った当初から彼の異端児ぶりには一定の理解を示していたし、何を言い出しても大して驚かない耐性はつけたはずだったがこの時ばかりは目的と、その真意が掴めないでいた。 「で、どうしてる訳。普段一人で俺がいなくて寂しい時くらいあんだろ。」 「中学二年の男子じゃあるまいしそんなに欲求不満にならない。」 宇髄が東京を離れてから二ヶ月ほどが経過しており、私たちは所謂遠距離恋愛というものに該当するらしい。転勤ではなく、新しく支店を立ち上げるという名目で数ヶ月の間そこにいるというあくまでも期間が限定された遠距離だ。ドラマでしか見たことはないけれど家の電話にかけて相手の家族に誰々さんいますか?と小っ恥ずかしい思いをしながら電話をする必要性もなければ、筆を取って文通しないといけない訳でもない。スマホやパソコンで映像を繋げば一緒にいるに近い感覚もあるし、お金もかからない。絶望を覚えるほど辛いわけではない。 そもそも週に一度はオンライン上の会議で彼とは顔を合わせているのだから、劇的な宇髄ロスに陥る事もなかった。そのままを言葉にすれば彼の機嫌を損なう事は付き合いの長さから理解しているので、あえて言いはしない。 「別に今度から淋しけりゃこうやって映像繋いでもいいぞ。」 「電波をそんな目的で使う事はしません。」 「そこは部長がいいならそうしますって察しのいいお前の科白が差し込まれる所だろ。」 「…いよいよ頭痛いんだけど、じゃあそういうそっちはどうしてんのよ。」 売り言葉に買い言葉というやつだ。別に宇髄が遠距離恋愛中に何を考え、どう自分の感情と向き合って処理をしているかなんて気にもならないしむしろ聞きたくもない情報だ。ネットで動画拾って満たしているなんてありきたりな答えも聞くに耐えるし、万が一にも私をオカズにしているなんて言われたらそれもそれで嫌だと思った。 都合が悪くなったのか画面がオフになっている。なんて自分勝手なのだろうかと少しイラつきながら一体この時間に何の意味があったのだろうかと思うモヤモヤを目の前にあるビールを飲み干す事で紛らわせた。勢いづいて二本目を冷蔵庫に取りに行こうとした時に、どっしりと大きな物体が近くにある事に気が付いた。 「…一歩間違えたら通報されてるよこれ。」 「感謝される事はあってもそんな事をされる覚えはないな。」 「というより、何で東京いるの。」 その答えを待つよりも先に、ふわりと大きな体がずっしりと私の覆いかぶさって来る。ぐったりと私に体重をかけてくるものだから、自分の図体のでかさを考えてくれといいそうになったが、彼が何の予告もなく東京に戻って来たのだから何かしらの理由があったのだろうと思い、その言葉を飲み込んだ。 「…どうしたの。」 全てを一旦置いて、そっと尋ねる。返って来たのは思いもしない言葉だった。 「がむかつくから。」 「私何かしたっけ。仕事でなんかやらかした?」 「飲み会の事。」 今日私に酒を用意させて、酒が好きだと風の噂で聞いたと嫌味ったらしくいったのはこの事だったのかとようやく理解した。聞けば、うんともすんとも言わない私を送り届けるためにタクシーに乗ったはいいが私がその住所を紡ぐだけの気力もなかったのだから不死川は宇髄に聞くしかなく連絡をし、事が露見したらしい。 「別に何もないよ。送ってもらっただけ。」 「俺の前ではそんなに酔わないくせに腹立たしい。」 「ごめんって。他意はないから。」 まるで甘えるようにしてひっついて来るのだから、本当に珍しい。まさかこれがきっかけで帰って来たのだろうか。宇髄がそんなに嫉妬深い人間とは夢にも思っていなかった。 「…何しに帰って来たの?」 「遠距離恋愛におけるムラっとした時の過ごし方、しに来た。」 いつだって彼は大人だ。入社してばかりの新人同期の時だってみんなの統率を自然にとっていたのは彼だし、誰より仕事ができて私の上司になった彼は部下思いの上司だ。公私ともに私は彼に支えられている、それは一方的にわたしが彼に寄りかかる構図で構成されている。だからこそ、今のこの状況が中々に私の思考回路を正しく機能させない。 「ムラっとしたから抱きに来た。」 「…ネットで動画でも拾えばいいじゃん。」 「駄目。お前じゃないとやだ。」 今日が金曜日で、本当に良かったと思う。期間限定の遠距離なのだからそれはそれで遠距離恋愛を楽しめばいいのだとどこか自分自身に言い聞かせていたのかもしれない。けれどそれは違うと、私自身も気づいてしまったのだ。彼を間近で感じる事で、今まで内在していた寂しやさ愛おしさが一気にあふれ出すようだった。 「…俺がいなくて平然としてんじゃねえよ。」 嫉妬がこんなにも私を満たすものだとは知らなかった。彼のアンサーは、私のアンサーでもあったのかもしれない。今夜ばかりは私も積極的に彼に手を伸ばして、その唇に飛びついた。 暫し邂逅を待たれよ |