女という性を、何度呪ったろうか。私はこの性を煩わしいと思う。それは別に私が異性に興味がないという訳ではないし、女を偽っているという訳でもなく、ただ単に女という生き物が不便だと思うのだ。見方によっては違うのだろうけれど、私はどうしてもそう思わざるを得なかった。
「八戒はいいね。」
「何ですか。藪から棒に。」
「男ってだけで、羨ましい。」
「本当に唐突ですね青葉は。」
 いつだって唐突に、そして定期的に、私のこうしたどうしようもない呟きを聞いて、彼は可笑しいと思っているに違いない。けれど、八戒の前では何故か余す事のない本音を呟く事が出来た。寝食を共にしている仲間の中で一番まともなのが八戒だからなのかもしれない。そして、彼は良い意味で中性的だからなのかもしれない。普通の男にこんな話をするのは、それこそ私のプライドが許さないだろう。
「貴方が女性である事に、一体何の不満があると言うのでしょう。」
「寧ろ私が女である事に一体何の満足があるんだろうね。」
 この性が煩わしいと感じたのは、彼らと天竺を目指し、旅を始めてまだ間もない頃だった。私は自分の力に唖然とした。それは自らは特別で、自らの力を過信していたという自惚れに気づくきっかけでもあった。私の強さは、絶対だった。それは誰にも負けない程に、そして必要なものであるのだと、信じて疑わなかった。けれど、彼らを前にして、私は自らの無力さに打ちひしがれる事になった。プライドがズタズタになる所か、今まで一番大切に、誇りにしてきたプライドすら消えてなくなった。
 女は男に守られる性であり、男が女を守るのは正義であると、人々は謳う。そんな世の中が私はたまらなかった。変えたいと、変えてやると決意したとたんに私の野望は目の前で崩れ去ったのだ。
 この旅を始めて数年が経った今、どれだけ私が成長したところで他の三人で追いつく事はなかった。命を救われた事だって多々あった。その事には純粋に感謝は出来ても、心の何処かで残るモヤが私をいつまでも性に拘らせていた。
「守られるのは性に合わないの。」
「今日の事ですか。」
「そう、それが私のプライドに触ったの。」
 救ってもらっておいて、どれだけ嫌な女だろうか。自覚はあった。けれど、そう思ってしまうのだからもうどうしようもない。誰にも負けない力が欲しかった。誰かを守るために欲しいと思っていた力が、どんどんと方向性を変えているような気がしてならない。いつの間にか、ただの意地や、負けず嫌いからの欲望になっていたのかもしれない。本末転倒とはまさにこの事を言うのだろう。
「悟空が聞いたら泣きますよ。」
「分かってる。だから私も黙ってた。やっぱり感謝はしてるし、もし放置されてたら私は今ここでプライドが傷ついた云々を言えてなかったかもしれないもん。」
 性格の悪さを前面に出したところで、八戒は驚く事もなく、いつものように苦笑いを浮かべただけだった。きっと彼は私のこういった処理を得意としているのだろうと思う。いい加減愛想を尽かされても可笑しくないという自覚はあった。
「私が男だったらね、きっと誰にも負けない力を持ってたって思ってしまうの。」
「まあ、否定はしませんけど。」
 女というものさしで力を測れば、きっと私に叶う者などほとんど居ないだろう。そう言えば自惚れていると笑われるであろうから、あえて言う事はなかったけれど、きっとそうなのだろうと思う。けれど、私はそれだけでは満足できないのだ。女だから、という言葉がこの世で何よりも嫌いだからだ。性差別が嫌というよりそれは、私が女性として見られているという事への苛立ちなのかもしれない。他の女子はよくても、私は別個の存在で居たかった。自分を神とあがめている訳ではなく、ただ単にそれが許せなかった。きっと生まれながらにして、どうしようもない負けず嫌いであったのだろう。気づいた時から私はこうだった。
「守られるのが嫌だっていう訳じゃない。私だけが守られるだけで、逆に守る事が出来ないのが、どうしようもなく辛いの。」
「正義感が強いというか、あれですね、スーパーマンみたいだ。ヒーロー主義ですね。」
「いや、ただの負けず嫌いだと思う。私結構捻くれてるから自覚はあるよ。」
「ならば話は早いじゃないですか。」
 いつだって私の話には脈絡がなく、そして終わりがない。結局いつだって納得のいく結論は出ない。きっと一生出ないのだろうと思う。正しい答えが分からない。その点で言えば、八戒は相談相手というよりはただ愚痴に付き合ってくれる優しい友人なのかもしれない。
「八戒もさ、よく毎日毎日私の下らない話聞いてくれるよね。」
「言ってる貴方がよく言いますね。」
「つれないなあ。」
 そう言って、彼は笑ってみせた。八戒のように、臨機応変に対応できたらどれだけ楽であったろうか。私はきっと自分の操作が恐ろしく下手なのだろう。理解しているだけに、どうしようもないのが傷でしかない。
「女だからって、その一言で片付いてしまう自分の力がとても憎いんだ。」
 その後に待ち受けた沈黙に、私は何も言わなかった。言いたい事は、言いつくした。いつだって私の愚痴しか言わない、このお喋りな口が動きを辞めると、彼との会話は終了される。なんて自己中心的な会話なのだろう。自分のことながら八戒を気の毒に思い、そして私にはそんな役回りは天変地異が起きた処で出来ないだろうと思った。
「ならば、たまには僕の話をしてもいいですか。」
「え。何かあるの?」
「嫌だなあ。僕だって生きてるんですから話したい事くらいありますよ。」
「そっか。そうだよね。今までずっと私ばっかり喋ってごめん。」
「いえいえ、今更です。」
「優しいけど辛口だなあ、八戒は。」
 その笑みの裏に隠された彼の辛さ、それは知っているつもりだった。けれど、自分の事を余り話そうとしない八戒だからこそ、私はいい様に自分の話相手にしてしまっていたのかもしれない。彼の話など、気にした事がなかったと言えば嘘だとしても、それに近い状況だったからだ。その言葉で、突然私は彼の話に興味を持って、黙り込んだ。

「貴方の嫌う“女は男に守られるものであり、男が女を守るのは正義である”という言葉、性に拘っているのは青葉の方なんじゃありませんか。大切な人を守る、それが正義。それでいいじゃないですか。僕は、そう思ってますけど。」

 不思議とその単純な言葉一つで、肩の荷がスウっと抜けて軽くなったような気がした。私がただ単に、単純すぎるだけかもしれない。けれど、その力には魔力のように、長年私が悩み続けたものを軽減してくれた。私が今まで探し求めて、見つけられなかった言葉であったかのように、その言葉がしっくりと心の中へと溶け込んだ。
「何ですか、青葉がそんな顔するなんて珍しい事もあるんですね。明日は雪かなあ。」
「……私だってちゃんと表情に四季あるんだから。」
 からかうような態度を取る彼に、私は初めて動揺してしまった。その言葉を何度も噛みしめながら、考えながら。
「僕だって、青葉を守るのは正義なんですから。それは貴方が女性だからという訳ではない。」
「…深いなあ。やっぱり八戒には敵わない。唯一、そう認められる。」
「お褒めに預かり光栄ですねえ。」
 それでも出来れば私は守る側の人間でいたい。けれど、少しだけ数十年変わることなく抱き続けた堅物のような下らないプライドと信念が、変わった気がした。言葉一つで、これ程までに考えが変わるだなんて、自分ですら苦笑してしまうほどに。
「あんまり他の方に守られすぎるのも問題ですね。僕の、独占欲の問題上。」
 ぼうっとうわの空だった私の視線は飛ぶように彼の方へ向いていた。この人独特の嫌味だろうか。けれど、悪い気はしない。ここで表情を緩めでもしたら、それこそ罠に嵌まったようだから、あえて知らない振りを貫いたけれど。きっと、彼は全てを悟っているのだろう。八戒には敵わない。
「おっと、失言でしたか。」
「一番敵には回したくないタイプだよね、八戒。」
「おや、僕達は仲間ではありませんか。」
「もういいや。今日は黙る。」
 いつだって私の気まぐれ、そしてどうしようもない我がままに振り回されていた八戒に、今日ばかりはさすがの私も振り回されずを得なかった。彼に敵うのは、まだまだ遠い。
 長い、長い、四面楚歌から、一歩を踏み出した。

2011'11'11