私と太刀川が付き合っていたのは、たった三ヶ月だった。元々ボーダーでの付き合いも長く、一緒にいてお互いが邪魔にならないようなそんな関係だったから、きっと付き合ってもうまく行くと思っていた。けれどそれは、私のただの幻想だったらしい。
 付き合う当初、そこまで彼のことが好きだったかと言えばそうじゃなかった。けれど、そばにいる事は多かった。その理由なんていくらでもとってつけられる、同じ大学に通っている事、同じ歳な事、だらだらと酒を飲むのが好きな事、他にもきっと沢山ある。その中でも一番の理由は、一緒にいても邪魔にならないからというのが大きかったと思う。お互いあまり干渉される事が得意ではない私たちにとって、それは重要だったのかもしれない。
「なんでお前、いつもそんな不服そうなんだ。」
 太刀川には私がさぞかし不服そうに見えるらしい。そんな事を思っていたとしても、言わなくてもいいのにと私は面倒がっていつだってそれを流してベッドの逆側へと体をひっくり返して、枕を握りしめて目を瞑る。
「聞こえてます?」
「聞こえてる。もう寝るから静かにして。」
「お前にはムードってもんはないのか。」
 付き合っている訳でもなく、ただの割り切ったこんな体だけの関係で、そんなムードなんて必要ないだろうに何でわざわざそんな事を言ってくるのだろうか。付き合っていた頃も、特別太刀川がセックスをした後に、甘いピロートークをしてくれたという記憶もない。
「セフレに、なにを求めてるの。」
「なに、俺らってセフレだったのか。」
「もうとっくに別れたでしょ。」
 体の相性がいいとよく聞くけれど、そんなもの別にないだろうと思っていた私にとって、まさに太刀川がその相手だった。特別何がという訳ではなかったけれど、要はタイミングだったりそういう細いところが相性というものにつながってくるらしい。別れてもう随分と経つのに、彼からの誘いを私が断れないのはそんな理由もあったりする。
 太刀川と付き合った理由は、如何にも私たちらしいふしだらなきっかけだ。麻雀をしながらだらだらと飲んでいたら、どちらからともなくスイッチが入って、気づいたらそうなっていた。何度か同じ事を繰り返して、太刀川の方からこれも何かの縁だし俺ら付き合ってみる?と軽く言われて、私も軽くお試しでと了承した。
「そういうの求めるんだったら、他の都合いい女に言いなよ。」
「いやいや。別に俺お前以外とこういう事しないし。」
「もう彼女でもないんだから、そんな無意味な気遣いいらない。」
「あれもこれもって味見する趣味はないからな。」
 こうして少しばかり私に隙を見せる太刀川に、私はいつだって心を閉ざして受け入れようとしない。受け入れて、辛い目を見るのは自分だと分かっているからだ。付き合い始めたのも軽いノリみたいなところがあった私たちは、友人の時の関係性のまま、ずっと付き合っていけると思っていた。お互い干渉されたくない私たちにとっては、都合のいい相手だからだ。
「人は見た目によらないものだね。」
「いくらなんでもそれが皮肉って事くらい分かるぞ。」
「そう。成長したね。」
 思いの外、私の方が太刀川を好きになってしまった。干渉されるのが嫌いだからと自分からある程度の距離を保っていた筈なのに、次第に四六時中彼といたいと思うようになった。友人関係だった時はまるで感じなかったこの独占欲とも呼べる醜い感情に支配されて、結局私は太刀川を振った。自分が醜い、嫌な女になる前に別れることを選んだ。
「彼女とセフレの違いって?」
「そう言われるとよく分からないけど、付き合ってるか付き合ってないかかな。」
「じゃあ付き合えばいいんじゃね。」
「さっきの話聞いてた?もう随分前に別れたんだよ。」
 太刀川は時折、こうして私に対してもう一度付き合う事を提案してくる。けれど、彼は彼女という存在が欲しいだけで、別に私が好きな訳ではないのだと私は感じていた。彼女が欲しいという感情が彼に存在しているとは思い難いけれど、きっと私に固執する理由は、自分からの別れではなく私に振られたからという理由なのだろう。聞いた事もないけれど、きっとそうなのだろうと何となく勝手に理解していた。
 太刀川に別れたいと言った時、そこまで抵抗する言葉もなく彼はそれを受け入れた。得体の知れない何かに私が苦しんでいるのを察知したのか、それとも私と付き合っている事にそこまでの価値を見出していなかったのか、自分から別れを告げておいて何故すんなりそれを受け入れるのかという馬鹿馬鹿しい質問を投げかけられる筈もないだろう。そんな事をすれば、私が太刀川に未練しかないのだと言っているようなものだ。
「俺ら“お試し“で付き合って、別れただけだろ。」
「“お試し“で終わってる時点で、本番はないでしょ。」
「本番をはじめて見なけりゃそんなん分からん。」
 太刀川を好きになって、勝手に自分で苦しくなって、本当にそれ以外に道は無かったのだろうかと何度か考えた事があった。きっと太刀川が私と付き合ってもいいと思ったのは、今までの関係性とか距離感があっての事だと勝手に仮定して、それを私からとった時、太刀川にとって私と付き合うメリットは何もないのではないだろうかとそう思った。
 本当はもっと素直に甘えてしまえばよかったのだろうけれど、私にはその甘え方が分からなかった。我儘ならいくらでも言えるのに、甘えるとなると急にどうしていいのかが分からなくなって、吐き出し口のない彼との付き合いに、勝手に苦しくなって別れた。
「彼女とセフレの違いは、そこに好きって気持ちがあるかどうかだよ。」
 付き合ってた時と、今のお互いの関係性は変わらないけれど、一つだけ違うと感じることがあった。私が彼女を辞めて、セフレに成り下がってから、太刀川は私にキスをしない。元々あまりしてくれる人ではなかったけれど、体を何度も重ねながらも別れてからは一度たりともされたことはなかった。
「じゃあ、セフレじゃないだろ。」
「なにそれ。私が太刀川の事好きみたいな言い草。」
「それもそうだけど、俺がそうなんだわ。」
 太刀川の、私にとってただただ嬉しいだけのこの誘惑に、私は何度も自問自答を繰り返して、今まで冗談でしょと一言で片付けてしまったけれど、いつだってその言葉に心は揺れた。好きだからこそ、付き合えばもっと辛いとわかっているこの現状で、私にとっての正解とは何なのだろうか。
「今更なに、都合良すぎ。」
「振られたの俺だし今更も都合いいもないっしょ。」
 グッと無理やり体を引っ張られて、目があった。こうして真正面から太刀川を見るのが案外久しぶりで、無意識に視線が泳ぐ。彼に抱かれている時ですら、私は彼を視界に映さないよう避けてきていたのだと気がついた。
「いい加減、戻ってこいよ。」
 この為にキスを武器としていたのであれば、彼は策士だ。久しぶりに触れた唇に、何もかもどうでもよくなって、もう一度彼の全てを受け入れようと思った。  

春愁のエトランゼ
( 2022'02'12 )