この男と一緒にいるようになってからどれくらい時間が経っただろうか。もうそれが何年前から始まったのかも今更思い返すこともなくなった。ボンゴレ門外顧問組織のトップであり、また私の父でもある沢田家光に修行という名目で半ば強制的にイタリアへ送り込まれたのは、まだ十四になってばかりの頃だった。右も左もわからないこの国で同級生にあたるのがこのS.スクアーロという男だ。そこからの付き合いになる。
 父には何事も経験だとイタリアへ単身送り込まれたが、その先の事にまで口を出されていた訳ではなかった。私にはイタリアに残る理由もなかったが、日本に帰る理由もなく、それが今も私がイタリアにいる最大にして唯一の理由なのかもしれない。
 私と違いイタリアで生まれ、イタリアで育ってきた筈のこの男はまるでイタリア男らしからぬ生き物だと思う。“ti amo”を呟くにはあまりにボリュームの大きい声音と、本当は誰よりも澄んだ優しさを持っているくせに、その表現が酷く不器用な男だ。
「なんだあ?その酒は。」
「ああ、日本酒。この間父さんが一時帰宅したか何かでお土産にもらった。」
「年頃の娘に酒の土産とは随分なセンスだな。」
「そうかな。日本にいたの十四までだし、実際知ってはいたけど飲んだ事なかったしちょうどいいタイミングだった。」
 私とスクアーロはお互いの任務が終わるとこうしてオープンバーとして開放されているこの場所で何てこともない会話をしながら酒を飲むことが多い。私たちはロックグラスにお気に入りのウイスキーを入れて飲むことが多かったが、そんな私が見慣れないものを持っていた事に口をはさんできた。ヒットマンとして非日常的な空間を生きていると言っても所詮は人間なのだ、任務以外のプライベートなんて一般人と然して変りもなく、実は酷く日常的だったりする。
 もうヴァリアーに入ってから随分と時間が経つ。入隊してすぐに幹部候補生となった私は、今も尚同じポジションに甘んじている。幹部になろうと思えばなる事は出来るだろう、きっとそれも容易に、だ。
 ヴァリアー側からの幹部打診も何度も受けてきたが、私はそれを明確な理由も告げずにずっと拒絶していた。
「お前、今のこの環境に文句はねえのか。」
「何、突然。藪から棒に。」
「何処かに出かけたいだの、あれがしたい、これが欲しいだの何もないのか。」
「ああ、まあ無い訳じゃないけど。でもその前に私ヒットマンだし、そんな事言った所でねえ。」
「相も変わらず可愛げのない奴だな、は。」
 言ったところで仕方のない事は、言うだけ労力の無駄だと割り切っている私は本当に女としてはスクアーロが言うように可愛げのない女だろう。淡々と与えられた任務を無心にこなし、寝る前の少しの自由な時間にこうして彼と酒を飲みかわすだけの人生だ。
 お互いはっきりとした関係を意味する言葉は口にした事がなかったけれど、どちらともなくこうして一緒にいるようになった。自分の感情を口にする程可愛い女を演じることのできない私も、そして誰よりも表現が不器用なスクアーロも、結局なあなあと日々を過ごしてきてしまった。
 私たちを明確に繋いでいるものは、ヴァリアーとして同じ組織にいるというその事実ただ一つのみなのかもしれないと、漠然とそう思うことがある。私が幹部への誘いをずっと断り続けている理由の一つにも、それは起因している。
「じゃあ逆に聞くけど、スクアーロには欲、あるの。」
「さあな。」
「何それ人に聞くだけ聞いておいて。」
「別に答えろなんて言ってないだろ。嫌なら答えなきゃいい。」
「あんまりそういう事言ってると嫌われるよ、部下に。」
「言ってる奴には言わせておけ。」
 そう言うと、どうってこともないとでも言わんばかりに目を細めてグラスを傾けて口元へと運んだ。スクアーロとはもう随分と長い付き合いになる筈なのに、時折何を考えているのか分からない事がある。普段は感情的で、何かを隠すなんて事には長けていないけれど、実のところは誰よりも慎重な側面も持ち合わせている。
 だから、時折不安になるのだ。
 言葉だけが全てはないと分かっているのに、どうしてもその“確証”が欲しいと、不安に思うことがあるのだ。“言葉よりも行動で示す”という言葉にきっと当てはまるのだろうけれど、自分自身欲がないと言いつつも、こういう見えない所で私は欲深いのかもしれない。
 こうして毎日のように寝る前の時間を一緒に過ごして、任務で不測の事態があればすぐに私をフォローしてくれる。無性に悲しくなってどうしていいか分からない時には、助けを請わずともその長い腕で抱きしめてくれる。これが全て答えであるはずなのに、欲深い私にはまだ不安が解消されない。
「…しいて言うなら、もう少し酒に酔って女らしい所でも見れりゃ欲が出るかもしれねえがな。」
「それは三大欲求の方の欲でしょ。」
「そっちの欲じゃ不満なのか。つくづく我儘な女だ。」
 なんてこともない、本当に日常の一コマを切り取った会話だ。時折こんなどうでもいい会話を挟みながら、私たちは夜更けに淡々と酒を喉へと流し込んでいく。
 本当にスクアーロが言うように、私がもう少し人並みに酔える体質であればまた現状は変わっていたのだろうか、なんて考えてみたが一瞬で考えることはやめた。酒に強いという事実があり、酔った勢いで甘える事の出来る私は到底存在し得ないからだ。考えるだけ、労力の無駄だ。
「すみませんね、お酒に強くて。」
「今に始まった事じゃないだろ。」
「スクアーロだって酔って絡み酒でもしてきたら、私も欲出るかもしれないからお互い様じゃない。」
「なんだそれ。誘ってやがんのか。」
 私が幹部の誘いの受けない理由、それはこの関係が不確かなまま終わってしまった時、逃げ場が欲しかったからだ。幹部になってしまってはそう易々と辞めることは出来ない。今の立場でも辞めるとなったら相当難易度の高い事には違いないが、幹部と幹部候補生が辞めるのとでは全く意味合いが異なる。最後の逃げ道を残すために、私はそれを拒み続けていたのだ。
「おい、もう寝んのか。」
「うん。今日の任務結構な激務だったし、ちょっと眠い。」
「もう少し飲んでいけよ。」
 彼がこうして引き留めるのは珍しい。対して眠くもない体を一度くるりとその声の方へと振り返れば、右手が勢いよく引き込まれた。仕事柄そういった瞬時の出来事に対しての態勢はある方だが、目の前に凍り付くようにまっすぐに私を見る彼の視線が突き刺さった。
「欲ってもんは、満たされてない奴が感じるものだ。」
「…また突然、藪から棒に。」
「俺は欲深くならなきゃなんねえ程飢えてねえんだよ。今が満足な状態だからな。」
 そう言って、控えめに私の髪を撫でるスクアーロに、きっと私はすっとんきょんな表情を浮かべているのだろう。自分自身でその姿を確認した訳ではないけれど、きっとそうに違いない。そんな私の心の声を読み解くように、ソファーに座るスクアーロの右腕が私の首を引っかけるようにして手繰り寄せた。
「お前はもっと欲深くなればいい。それが俺の欲だ。」
「…それじゃあ私が欲深い女みたいじゃん。」
「別にいいだろ。俺がその欲、全部満たせるんだからなあ。」
 この時点で私の長年の欲が満たされている事に、果たして彼は気づいているのだろうか。私の、最大にして唯一の欲を癒すのはやはりこの男しかいないのだ。そう、分かっていながらも言葉としての“確証”を求めていた自分の愚かさに気づいて、すぅっと今までの欲の塊が消え去っていくように感じだ。
「飲みなれないお酒飲んだから酔ったのかもしれない。」
 手前に一言付け加えないと素直に甘える事が出来ない私に、スクアーロは挑戦的に口角を上げて笑いかけた。
「…上等だ。」
 一度、欲を満たす甘美な味を知ってしまった私はきっとこれから彼が望むように欲深い女になっていくのだろうと思う。欲のままに唇を近づけようとしたその時には、もう既に欲深い私の欲を満たすように重なっていた。

 欲深い私は、罪深い男に甘やかされる選択肢を選んだのだ。


襲来する月曜日を迎撃せよ
( 2020'12'13 )