ここ最近は何かと忙しく、色んなことに余裕がなかったと思う。短大を卒業するタイミングで諏訪よりも一足先に社会人になった私は、防衛任務から退いて本部運営の方へまわっていた。防衛任務がそんなに好きだったのかと言われたらそうではなかったけれど、社会人ともなると中々に難しい事も多い。まだ就職してから二ヶ月ともなれば、皆同じだろうか。
 防衛隊にいた頃は必然的に諏訪と年中一緒にいた。別にベタベタするような関係性でもないけれど、距離感としてはちょうどよかった。何か困ったことがあればすぐに頼れる位置にいて、そして私が頼まずともフォローが必要な時は彼から歩み寄ってくれた。今本部運営に回ってみて、まさに諏訪の有り難みを噛み締めているところだ。自分が思っていた以上に、諏訪は私を支えてくれていたのだと気づいた。
 連勤シフトを終えて部屋に戻ると、何故か明かりが灯っていて空き巣だろうかと不安になったけれど、玄関で少しばかり警戒して待ち構えていればすぐに諏訪がひょっこりと顔を覗かした。
「……なんだ、洸太郎か。」
「なんだとは何事だよ。」
「空き巣に入られたのかと警戒してたから安心して。」
「今朝の話を既に忘れてるお前に俺は警戒してるわ。」
「そう言えば今日来るって約束してたかも。」
 かもじゃねえよと言う彼に構わず部屋の中へと入って、スーツを脱いでソファーにダイブした。諏訪が来ているのに申し訳ないと思いつつも、疲弊している自分の体を優先すると結果的にこうなってしまった。今回の連勤シフトは中々にハードだったなと考えながらも、うつ伏せになったのとほぼ時を同じくして睡魔が襲う。
「寝んのか。」
「…うーん、でもお腹もすいた。」
「惣菜買ってあるぞ。」
「じゃあ食べる。持ってきて食べさせてよ洸ちゃん。」
「いい歳こいて駄々捏ねてんじゃねえよ、社会人。」
 仕方がないから諸々準備しておく間に風呂でも入って目覚ましてこい、というまるでいつも通りの展開に特別驚く事もなく、私もはぁいと返事をしてクローゼットから部屋着を取り出して風呂場へと向かう。諏訪は面倒見もよければ結構世話焼きでもある。必要以上のことはしてこないけれど、必要最低限のことは必ずやってくれる。その距離感が、絶妙に心地がいい。
 私が何を欲しいのか、どんな状況なのかを理解するのがとても上手なのだろうと思う。仕事で全く余裕がない時は会おうと提案する事もないし、全くもって放っておかれたらそれはそれで嫌な私をよく理解していて、数日に一度は連絡をくれた。こんな面倒な私を相手できるのはきっと諏訪だけだろうし、諏訪が私に合わせてくれる分私が彼でないといけないようになってしまった。
 簡単にシャワーを済ませてリビングへと戻れば、私の好物の惣菜が何品か皿にもられていて、ここぞとばかりにキンキンに冷えていたビールが添えられていた。
「お酒飲むの久しぶりかも。」
「なんだ、アル中じゃなかったのか。」
「洸太郎も飲むから一緒にいると飲み過ぎるだけ。」
「人のせいにすんな。」
「だってさ気張らなくていいしついつい飲みすぎる。」
「お前が普段そんな気を張ってるってのも初耳だわ。」
 私たちは友達の期間が長かったからか、顔を合わせてもお互いこんな感じの会話になりがちだけれど案外そのスイッチを切り替えるのは簡単で、ソファーに座る諏訪の横にピッタリと隙間なく寄り付いて見れば、すぐに私一人分を受け入れるだけのスペースを作って後ろに回ってくれる。ちょろいと言えば諏訪は怒るだろうけれど、こうして日々私は彼に甘やかされている。
「社会人ですから、気くらい張りますよ。幹部勢とも距離近いしね。」
「そりゃご苦労さん。」
 一通り食事を済ませて、ビール缶だけを手元に置いて私は諏訪を背もたれにスマホで適当なネットニュースを見たりSNSを見て暇を潰しているし、諏訪は諏訪で持ってきていた小説を私を挟んで読みにくそうな体勢で読んでいる。お互い好きな事をしていても、大して気にならない。たまにしか会えないのだからもっと一緒の時間を共有した方がいいとも思うけれど、疲れた時こそ自然体の自分でいれるのが一番心地いい。時折暇を持て余して、諏訪のすね毛をぐるぐると捻っていたら頭を小突かれた。
「遊び道具じゃねえんだよ、それ。」
「別にあってもなくてもいいし、何の役にも立たないじゃん。」
「お前に人を思いやるって感情はないのか。痛てぇよ。」
「愛情表現の一種だよ。」
 まだベタベタと甘えるには酔いが足りなくて、こうして戯れるくらいの心地のいい距離感がちょうどよかった。足元の妙な痛みに一度持っていた本を置いた諏訪は、私のまだ半乾きで乾き切っていない髪を一房持ち上げた。
「ほんとずぼらだよな、お前。」
「洸太郎だって普段はずぼらじゃん。」
「お前のおかげでそうでもねえわ。」
 本当に諏訪のいう通りで、私があまりにもずぼらすぎて、彼のずぼらさは鳴りを潜めているような気がする。何なら本当にこの人はずぼらだったのだろうかと思う事があるくらい、しっかりしているし気が効く。間違いなく私がそうさせてしまっているのだろうという自覚はありつつ、それを私も改善しようとはしないし、諏訪も無理に強制してくることはない。
 諏訪がソファーを立って、急に暖が消えたようにヒンヤリしたような気がする。洗面台でごそごそと音を立てているのは、きっと私の髪を乾かすドライヤーを取りに行ったのだろうと察しがついた。どこまで面倒見の鬼なのだろうかと、俯瞰して思いながらもそれが自分の事なのだからもちろん悪い気はしない。
「下、座れ。」
「えー、床冷たいからやだよ。」
「いいから座れ。」
 ゴオーと音を立てるドライヤーと、諏訪の手櫛でまだ半乾きだった束間のある髪が徐々に解れていって、暖かくて気持ちがいい。諏訪に髪を乾かしてもらってるなんてボーダーで言えば、確実に彼が周りからネタにされるのを分かっているので言いたいような気持ちがある一方で、これ以上気苦労をかけるのも気が引けて言ってこなかったけれど本当に至れり尽くせりだなと思う。どこからどう見ても大雑把でずぼらな印象が染み付いている諏訪が、と思うと人知れず優越感に浸れるものがある。
「過保護だね、相変わらず。」
「おーよ、そう思うなら頼むから学習してくれ。」
 乾き切ったのか、ドライヤーを止めた諏訪に一度頭を小突かれた。乾かしたての髪は柔らかくて、ドライヤーの熱もあってかシャンプーの香りが充満する。底冷えする床から元々いた自分の定位置へと戻り目で訴えれば、またすぐにスペースを確保して、諏訪の腕が私の肩にかかって、私は諏訪を背もたれに彼に身を預ける。
「ソファー使ってる意味ねえだろそれ。」
「だってソファー冷たいから。人間ソファーが一番温くて冬は気持ちいい。」
「暖泥棒か、お前。」
 寒がりの私はいつだって諏訪から暖を奪い取る。大した厚着をしている訳でもないのにいつもポカポカしたように暖かい諏訪にもたれ掛かれば大体の寒さは簡単に凌げる。つい昨日まで諏訪がいない生活を数週間過ごして来たはずなのに、彼に会うと私はすぐにその生活を忘れてしまう。
「同じシャンプーでもこうも匂いが残るんだな。」
「会えなくて寂しかったからって同じシャンプー買ったの?変な事に使わないでね。」
「お前がうち泊まりに来た時買って置いてったんだろ、シバくぞ。」
 そういえばそんな事もあったなと思い出して、軽くごめんごめんと呟いた。自分でしておいた事とはいえすっかり諏訪の家に同じシャンプーを買って置いたことを忘れていたし、それを諏訪が使っているというのも何だか変な感じがした。諏訪の言葉を一度思い返してみて、何故女の方がシャンプーの匂いが残るのだろうかと考えてみる。
「多分髪が長い分香りがつく面積も広いから匂いがつきやすいんじゃない?」
 考えたこともなかったけれど、確かに男からシャンプーの香りがして来たことなんてないし、ちょっと気持ちが悪いなと思う。きっと靡くだけの髪の長さがないだろうなという結論に至った私はその真っ当すぎる答えを諏訪にきちんと共有しようと口を開いた。
「…お前、びびるほど可愛げねえ返事だな。」
 可愛げのない返事とはどういう事だろうかと少し考える。諏訪の言いぶりを逆算すると、その発言に何かを期待していたという事だろうか。一つだけ思い当たる節があって、慌てたように私のソファーがわりになっている諏訪の方に振り返った。
「…ごめん、もしかして誘ってた?」
「んなこと聞くな、あほ。」
 いつだって私の方から甘えてばかりで気づかなかった。彼にも甘えたいと思う瞬間があるのだと、初めて知ったような気がする。世話を焼いたりするのは誰よりも上手な分、こういった駆け引きや直接的な愛情表現を示すのはあまり得意ではない。今まで諏訪がそれを求めてくる前に私の方から甘えていたからそういったタイミングがなかったのかもしれない。
「お前にとっちゃたった二週間かもしれねえけど、現に二週間経ってんだよ。」
「うわぁ。」
「…そのリアクションはなんだ。」
「柄でもないなって。」
 過去に思ったことがある。別にあのまま諏訪と友人関係を継続しても良かったのかも知れないと。愛情は終わる事があるけれど、基本友情は終わらない。友情である限り私はずっと諏訪の側にいる事ができると考えた事もあった。もう知り尽くした関係だと思っていた諏訪の新たな一面を知ることで、そんな考えは吹き飛ぶ。そもそも友情のまま終わらない関係を選んでいない私がここに存在している時点で、それはただの仮説に過ぎず、どう転んでも私はこの道を選んでいたのだろうと思う。
「うそ、柄にもなくときめいた。新しい扉開いた?」
「お前の薄っぺらい扉はよく開閉するからな。」
「そうかな。案外母性感じて、私が洸太郎に世話焼いたりして。」
 ちょうどいいところにあった彼の首筋に両腕をかけて距離を詰めれば、またいつもの私たちの日常に戻っていく。新しい扉を開いたと思ったけれど、やっぱり私は彼に世話を焼かれる手のかかる彼女でいる方が向いているのだと思う。
「ありえねえだろ。」
 結局私は彼に甘やかされる彼女で、彼は目一杯私を甘やかす彼氏だ。その関係性はこの先も一生変わることも、逆転する事もなく私たちの間で事実として継続されるのだろう。

- sign -
( 2022'02'08 )