直感的に、今日はやばいやつだとすぐに理解した。二日酔いで意識が朦朧としている筈なのに、二日酔いのレベルを判断する速度は酔っ払いのそれではないくらいに私は優秀だろう。今日のレベルは、結構やばい。
 大学生にもなると酒を飲む機会が増える。人間、覚えたての事には興味本位だったり、無意味に自分の限界を超えて挑戦したくなるものだ。別にそのダメージを背負うほどに酒が好きなのかと言われたらそうでもないが、酒を飲んでいる時は気持ちがいい。それは空が飛べるような類のものではないけれど、日常のうさを晴らすにはちょうどよく、手軽だ。
 まだ酒を覚えてから一年も経っていないけれど、サークルの先輩達や就職していったOB、OG達は皆んな口を揃えていう。最初は酒などあってもなくてもよくて、飲めば次の日が辛いとわかっているのにどんどんとそれが癖になっていって、気づいたら好きになっていて、中毒性があるようにないと生きていけないのだと。そんな事を言っている彼らも二十代半ばにも満たない、社会的に見ればまだまだ若造なのにと冷静にそんな戯言を聞いていた私も、この様だ。中毒性があるというのは本当なのかもしれない。今の私には何もする気力がなく、恐らくは一日中寝てやり過ごすのが正解だろう。



 取り敢えずこの最悪な状況を打破しようと、二階にある自室から階段の手すりに捕まりながらゆっくりとリビングへと降りていく。時刻を見ると、もう既に午後三時を過ぎていて、実質休みの半分以上が過ぎ去っていて見なかったことにした。今までの経験をかき集めてもこの現状を容易く想像することができるはずなのに、朝方近くまで飲んでいる時の私にその知性はないらしい。大人って案外愚かな生き物だなと、そう思う。
 母が作り置きをしていたジャスミンティーをコップに移し入れてごくごくと音を立てて体の中に水分を取り込むと、少しだけ救われたような気分になる。早く一人暮らしがしたいと駄々を捏ねたこともあったけれど、やっぱりまだ私にとって実家は心地よい。冷蔵庫を開ければ必要なものが揃っていて、待ってるだけで時間になればそこそこ美味しい食べなれた味のご飯が出てきて、泥酔していても天日干しされて太陽の匂いがする布団にくるまって寝る事ができるのだから。こういう時ばかりは、実家はありがたい。
 ピンポーンとインターフォンが鳴って、居留守を使おうか少し迷ったけれど、足音を立てないようにそろりとモニターに近づくとそこにいたのは、准だった。
「…准、どうしたの急に。」
「買い物してたらそこでおばさんに会って、これうちの田舎から送られてきたからお裾分けだ。」
「はあ、そうなんだ。ご苦労様。私は寝るからその辺りに置いておいて。」
 私がこんな昼下がりにパジャマで眠気まなこでいる事に彼は大層驚いているようだ。所謂幼馴染という関係で、彼との付き合いは長い。物心ついた時には既に准が隣にいて、近所に住む一つ年上のお兄さんだった。
「なんだ、具合悪いのか。病院行ったか。」
「二日酔いで病院いったら医者も呆れるでしょ。」
「そうか、二日酔いね。」
 まるで不思議なものを見るような准のかんばせが後悔している私の心刺さって痛い。三門市民で准を知らぬ者などいないくらい彼は人としての模範を求められる人間だけれど、まるでそれに苦痛を感じる事なく日常の生活自体が模範的なのだから私とは随分とかけ離れた存在だなと思う。准といると、嫌でも自分の考えの足りなさや、ずぼらでガサツな部分が浮き彫りになっていくようで劣等感を覚える事も多い。
「准ってお酒飲んだりするの?そういえば聞いたことないかも。」
「そうだな、全く飲まないって事はないぞ。乾杯の一杯目とか。」
「空気読める人の飲み方だ、飲み方も爽やかだなぁ。」
「飲み方が爽やか…?まあ、別に悪い気はしないからいいけど。」
 彼に会うのも随分と久しぶりな気がする。同じ大学に通っているものの、彼は大学に来てもしっかりと授業を受けてサボったりしないし、ボーダーでの活動も忙しいらしく特別サークル等に入ることもなく授業が終わればすぐに帰ってしまう。准がまだボーダーに入ってばかりの頃は高校も同じで今よりも頻繁に話もしたけれど、気づいたら少しずつ疎遠になってたのかもしれない。
「もしかしてだけど、准って二日酔いとかなったことないの?」
「今のところはまだ遭遇していないな。」
「アルコールの分解能力が高すぎるのか、それとも飲まないのか、何れにしてもすごい。」
「別に褒められた事じゃないだろ。寧ろ、が次回以降気をつけるべきだ。」
「この具合悪い時に正論すぎる内容ぶつけてこないで、後生だから。反省するから。」
 元々がびっくりする程に爽やかだから忘れていたけれど、きっと准は淡々と怒っているのだろうなと思った。本来呆れられてもいいところだけれど、彼が怒っていると言う事はまだ私に改善の余地はある。反省は明日以降の私に任せて、今日は二日酔いという切っても切れない関係性を受け入れて、存分に休みに甘んじようと思う。
「ほんと、そうしてくれ。おばさんも心配するだろうしな。」
「わかってる、もう朝まで飲むのは控えるよ。」
「…朝?それは控えるんじゃなく、やめた方がいい。」
「わかったって、だから今日だけは正論で責めないで。明日反省するから。」
 なんなら明日きちんと反省しているか確認しに来てくれてもいいから、とそんな事を言ってみたけれど、准にそんな事をする義理もメリットもないだろうと少し遅れてから気がついて薄らと恥ずかしい。気を抜いていると、つい、昔のような距離感で話してしまう。
「なにか食べる気力はあるのか。」
「ない。ていうか食べたら全部でそう。」
「言い方は考えて欲しいものだな。」
「だって、准だもん。もう沢山恥ずかしい場面見られてるし。」
「嬉しいような、嬉しくないような。」
 私が食べる気力も、食欲すらないと言いながらも、彼はキッチンの方へと向かって、小鍋に水を注ぎ入れて、火にかけた。だから食べれないよと言っても、何か胃に入れておかないといつまで経っても回復しないからと、彼が持ってきていた大根やら梅干しを取り出してサッと私の前に優しい香りのするスープを差し出した。
「スープなら飲み込めるだろ。」
「…なんで二日酔いになった事のない准がそんな事知ってるの。」
「諏訪さんから聞いた。大根おろしと梅は効くって。」
「あー、それはお墨付きのやつだ。」
「どうだ、これなら食べれそうか。」
 諏訪さんなら、大根おろしと梅をそのまま薬のように口に放り込んでそうだなと容易く想像できたけれど、その二つを掛け合わせてスープに忍ばせるのが准らしいなと思う。彼は気遣いの鬼で、そしてそれが自然とできる男だ。昆布だしのいい香りが鼻の奥まで通ってきて、潰してある梅の少し酸っぱい匂いに僅かながら食欲が顔をのぞかせていた。
 彼からお椀を受け取ろうとしたけれど、当然のように蓮華にスープを潜らせて、ふうふうと子供に食事を与えるように至れり着くせりで、そこに何の躊躇もないのだからこちらが拍子抜けてしまう。
「…自分で食べれるよ。普通に考えて恥ずかしい。」
「二日酔いでも知性はあるんだな。」
 少しだけ意地悪くそういう准に、私はそれ以上反論することをやめて、蓮華が入る必要最低限の大きさにだけ口を開いてスープを舐めとった。想像していたスープよりも、ほんの少しだけトロミがついていて、胃に優しい。昆布のいい出汁の後に、沢山すりおろされた大根おろしとアクセントとなる酸味のある梅干しのマッチングが、二日酔いの体を目覚めさせるように染み渡った。
「…おいしい。染みる。」
「それはよかった。」
 私の反応をしっかりと確認してから、准はまた適量を蓮華に掬い上げて、ふうふうと息を吹きかけた。親切心の塊であるそんな彼の行為をありがたく思う一方で、准の中での自分の立ち位置が昔からずっと変わっていないのだろうと少しだけ悲しい。私だからこそ、ここまで世話を焼いて、こんなことまでしてくれているのだろうという事はよく分かりながらも、それは幼馴染の妹のような存在だからであって、女として見てないから出来る事なのだろうかとそんな事を考えた。
 多分、彼が乾杯の一杯目しか酒を飲まないのも、誰かに何かがあった時に自分が動けるようにという理由だろうし、相手が私でなくても准は皆に平等に優しい。そんな誰に対しても平等に優しい准が好きなのに、平等すぎて少し悔しい。久しく忘れていた、彼に対してほんのりと色づいた感情を思い出してしまった。まさにこのスープのように、最初に少しだけ甘くて、少し酸っぱい。
「准、気持ち悪くて死んじゃいそう。」
「簡単に死ぬとかいうな。それに、二日酔いで人は死なない。」
「またそうやって正論言う。病人に厳しいな、准は。」
「それくらいの権利はあるだろ。」
 気持ち悪さが残りながらも、まだ体内に残っているアルコールが私を少しだけ大胆な考えにさせる。二日酔いという明確な理由を持っていれば、この時ばかりは甘えるという事に整合性が取れるのではないだろうか。そうでもしないと、私が彼に甘える理由なんてないのだから。最も、こうして介抱してもらっているだけでも存分に甘えていると言えば、それもそうなのだろうけれど。
 ソファーで隣に腰掛ける准の肩に、体を傾けてみた。私と違って、筋張って少し硬い胸板により男を感じてしまって、再び酔いがぶり返したような熱を帯びた気がした。
「スープ、冷めるぞ。」
「うん、ちょっとだけ休憩する。」
 准もスープをテーブルに置いて、ぽんぽんと私の頭を心地のいいリズムを刻んで撫でてくれる。これは私の特権なのだろうか。幼馴染という確固たる地位を築いている私の特権なのか、それとも   
「二日酔いになるまで飲む必要なんてないだろ。」
「それは私もそう思う。」
 私も彼も、簡単に自分の感情を伝えられる程子どもではなくて、中途半端に大人になってしまった。だからこそ、二日酔いという代償を元に、こうして准を独占できるのは私にとっては特権なのかもしれない。少し忘れていた筈の彼への想いが、急に蘇ってきたように、私の独占欲が顔をのぞかせて、引っ込む気配もなかった。
 私が二日酔いという同じ過ちを繰り返して准に呆れられるのが先か、はたまたその度に私が彼に甘え続けて気持ちに気づかせるのが先か、ちょっとした賭けをして見るのもいいのかもしれない。そんな事を思った、二日酔いの昼下がり。
 准の右手が、私を引き寄せた。

spoil
≒甘やかしてだめにする事
( 2022'02'12 )