バラバラと崩れ落ちている大量の死体に心を痛めながら歩いていく。何度か見たことのある顔もあれば、自分のよく知っている顔もいくつかあった。そんな犠牲の上で、ようやく私たちが望んだ鬼のいない世界が千年以上の時を隔てて戻ってきた。私たちの目的は、無事に達成された。達成されたと言うにはあまりに被害が大きかったが、そもそも鬼が今後いないのであればこれだけ多くの命が無造作に奪われることもないだろう。
    全てが、ようやく終わった。


 知っている人間は、死んだ者の方が圧倒的に多かった。かろうじて生き残った柱は、私と同郷である義勇と風柱の不死川だけだった。生き残った二人も、五体満足な状況ではなかった。二人とも痣を発現させていたし、義勇に至っては片腕が吹っ飛んだ。日常生活にも難儀するだろう。
「義勇。大丈夫、痛むの?」
「いや、問題ない。気を使わせて悪い。」
 失ってしまった筈の腕が痛むのか、あまり義勇の状況は良くないようだった。医者に見せた時に聞いた話だが、幻肢痛というものがあるらしい。四股を失った人間にはよく起き得ることなのだと言う。失っても尚、その痛みに苦しむ義勇を見るのはなかなかに私の心も抉っていった。弱音さえ吐かないのが、余計と辛かった。
「何か私に出来る事ある?何でも言って。」
「助かる。喉が渇いた、何か貰えるか。」
「あ、うん。ちょっと待ってて。」
 あの戦いが終わってから暫く、私は義勇の傍にいた。頼まれて傍にいた訳ではなかったけれど、最早自分の役割を終えた私にはどこにも行くところがなかったのだから、逆に義勇を利用していたのは私の方なのかもしれない。
 義勇の介護と名目を打っているだけで、私は自分の居場所を探していたのだろう。
 生き残ったもう一人の柱の事をふいに考える。不死川はどうしているだろうか。最後の戦いで全力を出し尽くした彼は一時死の淵を彷徨ったが精神力の強さからか息を吹き返した。義勇に付きっ切りの私はまだあれから不死川には会っていない。尤も、彼は私になど会いたくもないだろうけれど。
「体の方も動く。これからは一人で大丈夫だ。」
「…あれ、私もしかして邪魔だった。」
「そんな事はない。ただ、俺に囚われる必要もないだろう。俺たちは自由を手に入れた筈だ。」
「そっか。それもそうだね。」
 義勇からも厄介払いかと渇いた笑いと共に言って見たけれど、そうではない事は分かっていた。彼は、自分自身に何の感情も持ち得ていない女が側にいる事を怪我以上に辛く思ったのかもしれない。幼い頃に言われた彼の気持ちを思い出して、自分がいかに酷いことをしているかを自覚して、卑怯さに逃げ出したくなった。
「義勇私の事好きだったよね、小さい頃。だから側にいたんだけど勘違いだったかな。」
「いつの話をしている。懐かしい話だ。」
「もう時効か。私も貰い手がないからって、ちょっと焦っちゃった。」
 終始笑い事のように軽い口調で言ってみたものの、場の雰囲気はどうしようも淀んでいるように感じた。鬼殺隊に入隊してからも義勇からのほんのりと色づいた程度の感情は察知していたつもりだった。それが完全に私の勘違いなのだとしたら、私はそれこそ笑い者だろう。
 けれど、それは無いとも確信に近いものを感じていた。言葉足らずで、ある意味では不器用な義勇だからこそその視線はまっすぐで、幼い頃に感じていたその感情と何も変わりはないように思えたのだ。そんな彼を私も好きになれたらどれだけ幸せだっただろうか。そうなれば、よかったのに。
もまだ若い。二十一だろう。痣もないお前は普通の人間と結ばれた方が幸せだ。」
「私も痣者になってたらまた違った?」
「お前の力では残念ながら痣が出ることはないだろうから、そんな仮想の話をしても仕方がない。」
「なんか後半部分に悪意を感じるけど、まあいっか。」
 私自身の為にも、義勇の為にも、どうやら私はこの場所を離れた方がいいらしい。義勇にとっても、私が側にいたのでは先へと一歩進むきっかけに踏み出すことが出来ないのだろう。そして、私自身も何かの理由を付けて、彼のいる必要もないのだ。心の底から彼の側にいたいと思える私でない事を、少しばかり残念に思うくらいだった。
 口数の少ない義勇が、これだけ達者にしゃべることは本当に珍しい。それは逆に、喋らないといけない環境に私がさせているという事なのだろう。そう感じさせないよう、最大限努力をしてくれているであろう義勇が少し愛おしくて、そして悲しく見えた。
「腕は戻らないけど、せめて元気でいてね。」
 私から言える最後の言葉など、これくらいありきたりでしかないものなのだ。自分の語彙力をこれほどまでにもどかしく、歯がゆく思ったのはこの時以上になかったかもしれない。どこまでも優しく、私思いな義勇には頭が上がらない。



 数少ない五体満足な鬼殺隊員が集められ、最終的な片付けも終わり鬼殺隊は解散となった。鬼に破壊された建物やその他の後処理というどうしようもなく地味な作業が最後の任務になるとは思ってもみなかった。最後の完了報告を告げる為、私はお館様のいる本部へと足を運んでいた。
 報告業務を終え、隊員ですらなくなったただの女の私はこれからのことについてぼんやりと考察をする。行くあてなど全くなければ、思いつく場所もない。給金だけはきちんと残しておいた事もあって当面生活はできるだろうが、目的を失った人間ほど生きることに拘りのないものだ。
 あれだけ命が惜しいと思っていた過去が笑えるほどに、平和になったこの世の中で私はどう生きていけばいいのか皆目見当もつかないのだ。それこそ笑えると思った。
 つい数ヶ月前の出来事を思い出す。義勇の女であるという勘違いが巻き起こした誤ちは、確かにこの場所から始まったのだ。もう随分と遠い事のように思えた。
「なんだ。お前も生きてたんだな。」
 数ヶ月ぶりに耳にしたその声が、あまりにも心地よく優しく響いてすぐに心が揺れ動いた。自分がされた仕打ちを考えればそんな見当違いな事を思うべきではないのだろうが、つい振り返りたくなるような彼の声だった。
「柱の招集ですか。」
「ああ。最後の招集だ。俺と冨岡しか柱は残ってなかったけどな。」
「また不死川さんとこの場で会うとは思いませんでした。」
「おい、それは嫌味かあ?」
 今だからこそこんな皮肉めいた事が言えるのかもしれない。彼も真に受けず、少しだけ罰そうなかんばせを浮かべながら笑っていた。あの時覗き見るようにして確認した柔らかい彼のかんばせと、何処か重なった。憑き物が取れたようにすっきりと穏やかな不死川が目の前にいた。
「五体満足で何よりだ。痣も出てないだろうし、お前の将来は明るいな。」
「五体満足で痣者じゃなきゃ未来が明るい訳じゃないですよ。」
「そう感じることが出来ない特異体質だってんなら、可哀想な奴だ。」
 こんな会話を不死川とできる日がやってくるとは夢にも思っていなかった。そもそも私自身、強く願いながらも自分の非力さもあり自分が生きている間で鬼を滅殺する事ができるとは思っていなかったのかもしれない。夢心地のような今の環境が想定していないものだからこそ、これ程までにどうしていいのか分からず途方にくれるのだろうか。
「不死川さんは義勇と似てないようですごく似てるのかもしれない。」
「あいつと一緒にされたんじゃ俺も不憫な男だな。」
「だって同じようなこと言うし、不器用だけど誰より優しいから。」
 そう言えば、あんな事をした人間によくそんな事が言えたもんだと呆れたように言われたけれど、その表情はどこか優しさを帯びていた。私は昔から大切にされていた義勇よりも、この優しさが好きなのだろうと思う。出会いは最悪な形で始まり、そして終わったけれど、それでも私は彼のことがどうしても嫌いにはなれないのだ。
「…私、行くあてがないんです。」
「馬鹿言え。お前は今こそ冨岡のところに行けばいいだろ。」
 私があてがないと言ったその一言で、きっと何かを察したのだろう。自分には付いてくるなと言われているような気がした。きっと間違いなく、私を拒絶する言葉なのだろう。
「なら、不死川さんは行くあて、あるんですか。」
 彼もこの戦いで唯一の肉親を失っている。一度ならず二度までも鬼に肉親を奪われた彼の心中は察するに余るものがある。私なんかよりもよっぽど辛く、そして行くあてなどないのだろう。
「馬鹿女じゃないんだったら違う奴にあてを探せ。その方が懸命ってもんだろ。」
「何でかな。似た者同士なのかもしれない。義勇も不死川さんも、私も。」
 私は結果的に義勇を見捨ててしまった。思い過ごしなのであれば笑い飛ばして欲しいところではあったけれど、私は義勇の気持ちを裏切ってまでも生きたいと感じるのは、きっと彼の元だけなのではないかと思うのだ。理由や根拠なんて何もない。ただの直感だ。   そして、自分の気持ちに素直な感情がその原動力になっているのだから。
「最悪な出会い方をした私じゃ駄目ですか。」
「冷静になれよ。」
「冷静になったから、私は義勇を置いてきた。ここまで言わせないと分からないほど風柱は物分かりが悪いんですか。」
 最大限の皮肉と、彼の逃げ道を無くすような言葉で追い立てた私は間違いなく卑怯だ。義勇の前から逃げた私も、不死川に選択肢を迫る私も、確実に卑怯でしかない方法で選択を迫っているのだ。けれど、この生きる目的がない私の人生の中で唯一自分の欲に忠実なこの感情こそ、私の生きる糧と価値になるのかもしれないと思ったのだ。
「お前も随分な物言いをする女だ。」
「それくらい太々しくなきゃ五体満足で生き残れない。」
「阿呆な女は仕方がねえな。」
 久しぶりに触れた彼の体が、以前よりも身近に感じられた。無数に刻まれている傷が、いとおしく感じられる私はどうかしているのかもしれない。それは本来優しい彼を隠す鎧のようなものだったのではないだろうか。
 この平和になった世の中では、彼の傷を増やす必要もない。もう彼は鎧をかぶる必要はないのだから。

 世間だけではなく、ようやく私にも本当の平和が訪れるのかもしれない。
 一気に、生きる理由がまた出来たような気がした。


縋る影へ、辿る骨へ
( 2020'06'17 )