オフシーズン中のリョータはよく私の家に入り浸る。よく分からないし、知りたくもないけどオフシーズンになると我が家に筋トレグッズがズラリと並ぶ。家でやれば良くないですか?
『ではこれで朝MTGは終了です、本日も一日よろしくお願いします』
「よろしくお願いします」
 ご時世というのもあり、私は週の半分以上を在宅で勤務している。画面に映り込まないギリギリの絶妙なデッドスペースを使って、見るからに重たそうなダンベルを一、二、一、二と上下に動かしたかと思えば左右にも動かしている。
 通りで筋肉が発達する訳だ。床に落としたら穴が開きそうなので間違っても落としてほしくはない、そんな重量感がある。リョータが居ない我が家にとってそれは鉄の形をしたゴミでしかない。
「あのさ、リョータくん。」
「ん?朝の会議終わった?」
「終わったんだけど最高に気が散るから向こうの部屋でトレーニングしてくれる?」
「はぁ!?」
 まあそうですよね、分かってましたこの反応。筋トレという仕事をしているのだろうけれど、筋トレしながら自分の仕事ぶりを見られるのは想像以上にキツい……というかそれは普通に監視と呼ぶ気がします。
「もうミッチミチだし筋トレいいんじゃない?」
「必要なんだよ俺には。」
「…そ?なら隣の部屋自由に使っていいからさ。」
 寝室兼リモートワークスペースになっている部屋から完全に不服そう(もちろん口は尖っている)なリョータの背中を押して退室してもらう。仕事にならないからだ。それにしても背中押しただけなのに重量感半端ないな……一体あのダンベル何十キロあるんだろう。
「一時になったら休憩でそっち行くから。」
「そしたら何しとけばいいんだよ?」
「いや、筋トレしときなよ。逆に何しにきたの?」
 私のことを大事に大事にそれはもう大事にして大事が溢れるくらいには大事にして頂いて大変ありがたいけれど、業務に支障が出ますので時々大人になってくれと切望してしまう。そんな“オトナ”でしかない体をしてるくせに。
「それかジム行っておいでよ?」
「追い出すつもり?」
「……もう何言ってもダメじゃん。」
 一旦尖っている口先からは目を逸らして、私は寝室兼仕事場の扉を閉じる。流石に開けてと言ってこないあたりは察してくれたのか、向こうのダイニングでゴツんと何かを置く音が耳に入った。
 床が壊れるので是非今日の内にお持ち帰りください、我が家はゴリゴリ系専門のパーソナルトレーニングジムではございません。
 気を取り直して黙々とアポイントをこなして、十二時からのアポイントで気合を入れる。あ、あ、あ、と発声練習をした上で声のオクターブを上げる。多分三つくらい。
 普段あまり声が高くない私にとって、これは新規営業の基礎中の基礎だ。笑声を作るためには顔も連動して笑顔にならないといけないので、ニッと口角を上げていざ商談に挑んだ。
「お世話になります、私◯◯のと申します。本日はご多忙の中貴重なお時間調整いただきありがとうございます。早速本題なのですが……」
 ちょっとやり過ぎたと思うくらい、想像の三倍ほど“女”の声になってしまったのが自分でも何だか妙に恥ずかしくて最初の数分間はあまり画面の先に集中できなかった。


 商談が終わり、時刻は十二時五十五分。
 商談が終わっている事を悟っているのかガチャリとリョータが私のベッドに転がって両肘を突きながらこちらをじいっと見ている。昼までのカウントダウンをしにきたのだろうか?その割には随分と不機嫌そうだ。
「ねえ。」
「あと五分仕事残ってる。」
「なんであんな“女の子”の声だすの?」
「…はい?」
「俺と喋る時と全然ちげえじゃん!」
 あんなよそ行き感のある声を逆に望んでいるのだろうか?それともこれから営業しようとしている相手に色目を使おうとしたとでも思っていますか?相手の方バリバリの女性でしたけれども。
「壁薄いから丸聞こえだったんだけど。」
「あのさ……私仕事できなくない?」
「もっと普段のみたいにクールにすりゃいいじゃん。」
「私ってクールなの?初耳。」
「俺にはクールってかめっちゃドライ。」
 こんなやり取りをしている間に時計の針はカチッと音を鳴らせて一時を指している。私がノートパソコンを閉じる少し前に、タイムリミットとばかりにこちらに擦り寄ってきたリョータが後ろから椅子ごと私を包み込む。随分とワイルドな抱擁だ。
「外出するつもり一切ないね?」
「なんでよ。」
「リョータが髪セットしないでヘアバンドしてる時ってそうじゃん。」
 少しばかりは言い訳の一つや二つしてくると思っていたけれど、こちらがビックリするほどあっさりとそれを認めるように最早何も否定しない。否定せずに、独占欲を丸出しに私の後ろからノートパソコンを完全にパタンと閉じた。
「そ、だって出かける必要ないし。筋トレ家でできるし。」
「ここはうちの家ですけどね?」
「オフだって沢山ある訳じゃないし今のうちに沢山吸う。」
「…吸うんだ?」
 私が新調した大きさのあるゲーミングチェアをくるりと回したリョータは一時の昼休みのタイミングで、そのクッション性の高い座席に膝をかけて身を乗り出すように欲望を口もとへと集約させた。
 オンライン会議が何かの手違いで終了されていなければ、私は飛んだ恥晒しで、そして全世界が認めるただの幸せ者になってしまう。
「次のアポは三オクターブは声下げてね?」
 独占欲の塊でしかないこの恋人のオフシーズン中に限っては、私の営業成績は右肩下がりかもしれない。対価は、満たされ過ぎている幸なのだからある意味で現金なのかもしれない。
「持ち帰って検討いたします。」
「だめ、今検討ってか結論取りさせて!」
「リードタイム短過ぎない?」
「即決狙ってるから。」
 結局幸せな昼下がり、在宅の時の幸に溺れている自分がいるのが何だか悔しいような気がする。これが彼の術中であり戦略であれば、宮城リョータはトップセールスを取れる逸材だろう。
 少なくとも私にとっては、いつまで経っても敵わない相手だ。
「承認します。」



とある日常
( 2023’07’06 )