師走とは即ち、頭痛の連続だ。もしかすると人によるかもしれない。少なくとも私の師走は高確率で愉快のち頭痛の予報だ。人によるかもしれないというのは、節度を持っている人間ならそれに該当しないと思うからだ。
 しかしながら残念な事に、私は愉快のち頭痛が予報される世界の住人なので節度を持っている人間というのがどういう人を指すのかは分からない。少なくとも私とは違う人種だという事だけは分かっている。
「ジャンケンホイ!」
「てかどんだけジャンケン強いんだよ!」
「そう?リョータが弱いだけじゃない……からのパ・イ・ナ・ツ・プ・ル!」
「遠すぎっしょ!」
「ほんとだ、リョータが米粒サイズ!」
 凡そ成人している男女がしている遊びとは思えないお金のかからない遊びをしている。これは夜の十時半、良い子が眠っている時間に行われている大人の遊びだ。今日ばかりはその良い子達も夜更かしを許されているだろうから、睡眠の妨害にはならない。よって、私たちも許されると信じている。思い込みというものは時に重要だったりする。
 自宅から徒歩三分のコンビニまでの道のりがこれ程楽しい事は今後もないのかもしれない。大人になってから久しぶりにやるグリコは想像の五倍楽しい。
 一つ交差点を越えた距離での会話は中々困難で、息をしっかり吸い込んでから声を発したのも随分と久しぶりだ。箸が転んでもおかしいお年頃なのかもしれない。私もリョータもケタケタ腹を抱えながら笑っている。最早何が可笑しいのかも分からないけど笑いが止まらない。
「リョータ、ゴールついちゃったから私の勝ちだ!」
「は?マジ?また負けかよ。」
 この日だけでもコンビニまでグリコをしたのは三回目だ。全て私の圧勝で幕を閉じている。あと何度こうしてリョータとグリコが出来るのだろうかと考えて、考えるのをやめた。
 リョータは電光石火の勢いで俊足を活かして一瞬で私の前に現れる。それですら何だかおかしくて、私もリョータもケタケタ笑えるのだから世界は平和そのものだ。
「じゃあピザまんリョータの奢りね。」
「一日に何個ピザまん食べんの?」
「え〜、分かんないから限界に挑戦しちゃおっかな。」
「高みを目指す領域おかしくね?」
「まあ師走ですから。」
 年末恒例の某歌番組のお目当てのアーティストが登場したタイミングでカップにお湯をお注ぐ。三分という時間がちょうどよかったりするし、いいタイマーにもなる。年越し蕎麦にお湯を注いで三分間、私達はお互い好きなアーティストの曲を思い思い画面で見つめる。
 昔からリョータとは音楽の趣味や、そもそもの趣味趣向が合う。簡単に言えば、とても気の合う友人だったのだ。“だった”と言うのは今は友達という関係性ではないからだ。
 今の日本ではどんなアーティストが流行っているのか、どんな食べ物が人気なのか、そんな普通の人なら気に留めないような会話でさえリョータとなら新鮮な気持ちで話す事ができる。アメリカでは何が流行っているのか、リョータの今の日常を聞くのはそれ以上に楽しい。
「ひと口ちょうだいよ。」
「あ!」
「やっぱ日本の食いもんってうめ〜。」
「リョータのひと口大きすぎる。」
のカロリー減に貢献してるんじゃん。」
「頼んでなくない?」
 リョータが大口を開いて食べたピザまんは半分まで減っていて、そこからはホクホクとした湯気が立っている。これぞ冬の風物詩だなあとそんな事を思う。私にとっては日常でも、リョータにとってはそうじゃないのかと改めてそんな事を考えた。私の知らない日常を、リョータは生きているのだ。
「そういや次なにする?」
「お〜どうすっかな、UNOはが激弱ですぐ機嫌悪くなるし。」
「あれは二人でやって面白いモンじゃない。」
「へ〜へ〜、んじゃ何がいい?」
「どうしよっかな〜、桃鉄百年とかやってみる?」
「俺アメリカに帰さないつもり?」
 何をして過ごそうか。二人で昼過ぎに起きてからジェンガ、黒ひげ危機一発、人生ゲーム、ドンジャラ……一年分のゲームを遊び尽くしたような気がする。でもそれでちょいどいい。リョータと会うのは年に一度、年末年始のこの時だけなのだから。
「油断してるからもうひと口も〜らいっと。」
「あ!」
 リョータがバスケで渡米すると直接聞いたのが高校三年の冬。自分自身の受験もあり、驚く程別れの日はすぐにやって来た。言い逃げするようにリョータから想いを告げられたのは見送り先の成田空港でのこと。つまるところ、付き合った瞬間に遠距離恋愛が始まっているのだ。
「食いしん坊リョータ。」
には言われたくないけど、返してあげよっか?」
「……なんか企みを感じるから結構です。」
「遠慮しなくていいじゃん。」
 グリコをしていれば、ピザまんの取り合いと談笑をしているだけですぐに自宅が見えて、リョータがオートロックを開けてすぐ手前にある一◯一号室のトアノブに手をかける。
「……酔ってんの?」
「そこ喜ぶとこでしょ。」
「ピザまん風味じゃなくてピザまんがいいんだって!」
「ピザまん風ならカロリーゼロでお得じゃん。」
 玄関先で舐めとったピザまん風味のリョータの唇が何だか悔しくて、でも何だかおかしくてやっぱり笑ってしまう。何がおかしいのだろうか。今ですら分からないのだから、きっと思い出しても迷宮入りするだろう。けれど、リョータといると楽しい。こうして付き合うようになるずっと前から感じている純粋な気持ちだ。
「織姫と彦星って会った時なにしてんだろうな?」
「急にロマンチック?」
「UNOやら黒ひげ危機一発とかは絶対やってないっしょ。」
「ま、まあ……時代的に娯楽が少なかっただろうし?」
「そういう問題じゃない。」
 私とリョータの中では、たった一つだけ決め事を設けている。決め事と言うと仰々しく感じるかもしれないが、実際はどうってこともない決まりだ。
 年に一度しか会えないと言われてみれば確かに私達は彦星と織姫と同じような存在なのかもしれない。唯一決定的に違うことと言えば、雨が降ろうが雪が降ろうと雷が落ちようと、余程のことがなければ毎年会えるという点だ。
「もう充分ゲラゲラしたと思うんだけど?」
 実質交際ゼロ日で遠距離恋愛になったリョータと再会したのはその年の大晦日だった。金銭的な事もあって、頻繁に帰って来られないリョータが正当な理由を持って日本に帰ってくる年に一度の逢瀬。
「……な、なに。」
は嘘が下手すぎる。」
 最初の年は結果からすると大失敗だった。付き合ってから初めての再会という事もあって、中々スムーズにはいかない。お互いどう接していいのか分からなかったと言えばわかりやすいだろうか。
 まどろっこしい時間を過ごして、いざリョータが帰国する前日にあまりに悲しくて泣いてしまった事がある。若かったとはいえど今考えるととても恥ずかしい。私が泣いただけでなく、リョータまで泣き始めてしまったのだから収拾がつかなくなった。それが初年度の年越しの記憶だ。
「それともまだゲームしたい?」
 二人で一緒にいる時は笑っていられるようにしよう。その時からたった一つの決め事をしたのだ。一緒にいるのに笑顔でいなければ意味がないと、そう思ったから。リョータもそれに賛同してくれて、結果的に私達がグリコをしながら愉快な酔っ払いを謳歌しているという結果がある。
「……そうやって聞いてくるのはずるくない?」
 それから私達はお酒が飲める年齢になって、同時にそれだけ付き合いの年数も重ねてきた。高校時代は毎日学校に行けば会えていた関係性だったからこそ、一年に数日しかないこの時間の希少性を感じるのかもしれない。
 リョータが渡米してから初めての再会の時にそれは全て彼にも筒抜けなのかもしれないけれど、結局のところは目の前のこのリョータがたまらなく好きだという事実。それを言葉にしてしまうのは何だか癪なので、結局こうしてリョータに誘導されてばかりだ。
「チュ〜した時もっとって顔してたからバレバレ。」
「……証拠ないじゃん。」
「俺のスマホのカメラロールみる?」
「は?撮ったの?」
 言われて初めて自覚したけれど、でも考えてみれば正常な反応だろうと思う。湿っぽいのが嫌で、常に一緒に笑っていられるようにしようと提案はしていたけど付き合っているのだから常に笑っていられる状況でいる事もできないし、それはそれで困るのも事実だ。
「一年会えないんだから写真くらいないとやってらんないでしょ。」
 その言葉の一言一言がどうしようもなく突き刺さって、もっとリョータの事を好きになる。どうせなら高校時代に付き合っておけばよかったと、そんな事を思った。遠く遠く、本当に遠くからでも、年に一度しか会えなくても。逆に会えないからこそ自分がどれ程彼に大切にされているのか、毎年思い知る事が出来る私は相当な幸せ者だと思う。
「エッチな事に使わないでね?」
「今満足するまでしとかないと無理かも。」
「……リョータのエッチ。」
 年に一度しか会えないのか、年の一度は会えるのか。捉え方次第で幸福度も大きく変わる。遠く離れていても、こうしてしっかりと一年分の甘やかしを与えてくれるのだから私は一日で到底消化しきれない幸を手に入れるのだ。
 最初の失敗から学んだことは今の私たちの幸せな時間を生成している。そしてきっと、いつかリョータが日本に戻って一緒にいる事が当たり前になった時、より幸せを感じることができるだろうから。どう転んでも幸せらしい。
「誘ってんだから当たり前じゃん。」
「……うん。」
 最初のあの頃とは全然違う。私もリョータと付き合う上での自分のポイントも掴んだし、何よりリョータが変わった。渡米して変わってしまうのだろうかと不安に思っていたけれど、実際不安に思うことなんて一つもなくて。思考がポジティブになって、そしてどんな時でも余裕を持って私に接してくれるところ。
「結構好き。」
 だからこそ毎年一年間こうしてこの日を楽しみに生きることが出来る。付き合うという事がどういう事なのか?まるで知らないまま始まってしまった私たちだから。
「結構じゃなくて、超好きとかじゃないと困るんだけど。」
「それはリョータ次第。」
「……絶対言わす。」
 心の中で何度も言っているその言葉を、まだリョータには伝えていない。それはいつの日かリョータが日本に戻ってくる事があれば言いたいと思うから。それまで私達が付き合っているのか、そんな事はまるで分からないけれど。
「織姫卒業したら考える。」
 ピザまんをひとかけも齧る事なく、もっと夢中になるものに齧り付いていく。今日何度も食べたピザまんより、ピザまん風の方が私にはちょうどいい。カロリーゼロだし。
「織姫と彦星は来年でもう終わり。」
 その言葉の意味を真剣に考え始めた頃、もう一度私にピザまんが襲いかかった。もう少し考えたいような気もしたけれど、いずれにしても幸せな結末がそこにあるような気がして、考えることをやめた。



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( 2024’01’02 )