「ほっといたらぼっち生活だろうし、感謝しろよ。」
 何かと思って師範である宇髄に連れられて来てみれば、そこには懐かしき戦友が二人、ぶっきら棒なかんばせで待ち構える。つい数週間前までずっと一緒に戦い、顔を合わせていた筈なのにもうずっと昔の事にのように感じられた。
 一人は今にもこちらに殴りこんできそうな面持ちで、もう片方は相変らず何を考えているのか全く読めず何かと回りを惑わすような面持ちで、当の宇髄は何も気にする素振りもなく運ばれてきた酒に手をつけた。
「まあ、飲めよ。」
「突然鴉を使わせたと思ったらこれは何だ。お戯れってんなら遠慮する。」
「任務で今まではろくに酒も飲まなかっただろ。」
「それがお戯れだって言ってんだよ。お前が酒飲みたいって口実に俺を巻き込んでくれるな。」
「これから長い一人の生活を考えれば年に一回くらいこんな日もあっていいだろうよ。」
 不死川も少し性格が丸くなったのだろうか、何かを諦めたように腰を下ろして酒に手をつける。世の中が平和になると、人の性格をも変えるらしい。
 こんな面子で集まるとは思っていなかった私も、特別口を開くことなく控えめに目の前にある酒に手をつけて、妙な宴会が幕を開けた。



 宇髄に呼び出されてからどれくらいの時が経っただろうか。誰も積極的に話し出す者はいない。時折その場の沈黙に耐えかねたのかが今日の天気の話をしてみたり、運ばれてきた煮つけが絶品であると言ってはみるもののそこから会話が膨らむことはなかった。
 人とは沈黙というものがどうやら苦手な生き物らしい。
 俺にとっては特段その沈黙が苦でもなければ、何も感じない。呼び出したという事はきっと何かしら伝えるべき事が宇髄にはあるのだろう。それを聞き終えたら帰ればいいのだから、それまでじっと待っていればそれでいい。酒に大して興味はないが嫌いではない。俺は鮭大根に箸を何往復かさせながら、その言葉を待っていた。
「義勇はこの後どうするの。里へ?」
「まだそこまでは考えていなかった。だが、いずれはそうなるかもな。」
「そっか。じゃあ皆によろしく。」
 とは同じ里で育った幼いころから知人だ。人はその関係性を“幼馴染”と呼ぶらしい。里に帰ると決めていた訳ではないが、遅かれ早かれ俺はきっと里に戻ることになるだろう。もうこの街に拘る事はない。静かな環境で過ごす方が俺には向いている気がする。
 そんなが「皆によろしく。」と言うのであれば、彼女には帰るという選択肢はないのだろう。
 宇髄が柱を引退してからはその継子の関係もとっくに解消されているだろうに、今もが一緒にいるのはそういう事なのだろうか。こういう時、上手くかける言葉が俺にはよく分からない。言葉というものは不便なものだと思う。
「おめでとう、。」
「ん?何の話。」
「宇髄との祝言をあげるという報告ではないのか。」
 思ったままを伝えてみると、面白そうに笑う宇髄に反するように取り乱したようにあたふたするを見て、やはり俺は何か間違った事を言ってしまったのだろうかと疑問を浮かべる。やはり言葉というものは面倒で、難儀する。
「普段喋らないのに突然喋ると意味の分からない事言うのやめてよ。」
「間違っていたなら謝る。」
「謝る前に出す言葉を考えてから喋ってほしい。」
 そんなを見ながらケラケラと笑いこけている宇髄を見て、彼女にはやはり悪い事をしてしまったのだなと口を閉ざすことにした。喋らなければ喋らないで言葉が足りないと言われるが、喋れば喋るでそれも人に迷惑をかけるらしい。
「まあまあ、あんまも怒るなよ。同郷のよしみってやつだ。」
「宇髄さんも否定しないからこんなに話がややこしくなってるんじゃないですか。」
「酒宴には話題が必要なんだよ、話題の一つでもくれてやれや。」
 苛立ちをそのまま表現したように徳利から勢いよくお猪口に酒を注いで飲み干すと、ドンッとわざとらしく音を立てて次の酒を注いでいく。これは俺に対する怒りなのか、宇髄に対する怒りなのか、その両方なのか。俺にはよく分からない。
「こんな茶番につき合わされてる身にもなってみろ。そこまで暇じゃない。」
「そうか。不死川は早速忙しくしているのだな。」
 鬼殺隊での給金は一般的に見てもきっと少なくはないものだったであろうと思う。そもそも俺たちにそれを使う暇もなかったのだから、向こう当面は生きていけるだけの貯蓄がある筈だ。単純に何をしているのだろうか、と自分にしては珍しくそれが何であるのかが気になった。
「暇じゃないだろう。今日くらいのんびりするといい。」
「相変らずお前は殺されたがりなのか冨岡。」
「苛苛しているのか。生憎ここには甘味はないぞ。」
「冨岡。暇人はほうっておけ。」
 宇髄のその言葉に不死川は一度鋭い視線でこちらを見たが、何かを飲み込むようにして言葉を止めて、お猪口に手をつけた。どうやらこの場にいる半分の人間を俺は怒らせてしまったらしい。



 宇髄はいったい何を企んでいるのだろうか。それが何だったとしても癪に障る事だけは間違いないだろう。
 鴉からの知らせを受けて来てみたものの、着いたら着いたでいつものようにぼんやりとした腹立たしい冨岡の顔があって、その先へと進んでいくと宇髄とあいつが元々継子として育てていたという女がそこにはいた。何の戯れだ。この面子を見ただけでも気分が悪い。
 俺の到着を待っていたかのように料理が運ばれてきて、酒が用意されている。
 不満しかないこの境遇からすぐに帰ることも出来たが、少しだけと思い口を閉ざして話を聞いてはいたがどうにも想像以上に下らない。宇髄の奴は何を考えているのだろうか。一人余裕をかましているその図体のでかさが腹立たしい。
 こうなったら酒を飲むしかすることがない。ぼうっとしていても宇髄に何か言われて腹を立てるか、冨岡のぼうっとした顔をみて腹を立てるのか、その二択しかない。女は大して得意でもない酒を煽って流し込んだからなのか、寝心地の悪そうな筋肉で筋張った宇髄の腕に凭れ掛かるようにして寝入っていた。
「何を見せ付けてんだ宇髄。こんなしょうもない事の為に呼んだんじゃないだろうな。」
「そうだったとしても別にいいだろ。たまには何も考えずに酒飲めるのも幸せだろ。」
「何だ?だったら、本当に何の為に呼び出しやがった。」
「そうだな。強いて言うなら平和を満喫する為にってところだな。」
 いつまで経っても余裕をかまして呑気に酒を飲んでいるその様がなんだか気に食わない。一体何だというのだろうか。俺たちは同じ柱として鬼殺隊に従事していたという以外の関係性はない。こうして酒宴を開くような温い繋がりはないはずだ。
 俺が特別何も言わなければ、宇髄も何も言わない。冨岡も先ほどの自らの過ちから学んで黙っているのか、はたまた鮭大根を味わいながら浸っているのか、それとも本当に何も考えていない阿呆なのか何も言わない。結局無言に耐えかねたのは、俺だった。
「いつまで傍に置いてんだ。もう継子でもないだろ。」
「こいつ次第なんじゃないか。俺の決める事じゃない。」
 宇髄が突然継子を取ると言った時、俺は大層驚いたことを今更ながらに思い出していた。鬼殺隊の中でも特別目立つ存在でもなく、その才に長けている訳でもなさそうだった。柱が継子を取るというのはそれなりの理由がある中で、極々普通の女に見えた。
「そんな地味な女、何故継子にした?周りからそう言われていたのも知ってるだろ。」
「どうも思わないね。言わせとけばいいんじゃないか。」
「お前ならぶん殴っちまいそうでもないが。」
「お前は継子を見た目で取るのか。助平で嫌だね。」
「…表出るか。」
「ちょっと言っただけだろ。短気は損気ってな。」
 そう言って笑う宇髄を少し癪に思いながらも、上手く返す言葉を見つけることが出来なかった。どうでもいい会話の一部に過ぎないながら、今日呼び出されたその意味をこれから知ることになるような気がしていた。



 俺が今日この場を設けたのが何故なのか、ずっとあいつらは考えているのだろう。意味があるようで、何も意味はない。最初にそう言ったのは本当の事だった。特別だった意味は、特に持ち合わせていない。
 全ての戦いが終わった時、俺は最前線にはいなかった。そして、その死線を潜り抜けて生き残った柱や主だった隊員は数少ない。その残り少ない人間をこの場に集めたというその趣旨以外に今日の目的はない。
「分かる奴だけ分かってりゃいいんだよ。」
 大して強い酒でもないのに、ものの数杯で酔いつぶれて寝息を立てているを見て、単純にそう思った。こいつを皆に評価されたい訳ではない。こいつの努力や、それが齎した結果及び功績は俺や周りの人間だけが知っていればいい。それを皆に分かってもらう必要などないとそう考えていた。
「俺は早々に離脱しちまったし、お前らみたいに英雄でもない。」
「英雄気取ってる訳じゃねえよ。」
「だろうな。お前その面で英雄って柄でもねえし。」
 口ではそう言いながらも、本当は最後まで自身の役割を全うした二人が羨ましくもあった。柱としての強さを持ちながらも、早々に左手と左目の視力を失い、どうしようもない感情に苛まれた。結果的に見れば上弦の鬼を一体滅ぼすことは出来たが、多くの犠牲を出した事には違いない。そこで受けた代償も大きく、今までのように力を振るう事も叶わなくなった。
「俺が隊を引退すると言った時、誰よりも叱咤したのはこいつだ。」
 遊郭での戦いには、もいた。その場で全てを見ていながら、は俺が引退すると言った事に激高した。継子になってから反発したり、口答えをした事は今まで一度もない女が、だ。
 何故なのかと聞くと、人には役割というものがあるのだとそう言って泣いた。生きているのであれば、戦う事から逃げてはいけないとそう言って、俺が引退すると言った事に対して俺が納得するまで永遠と訴えかけた。をそうしてしまったのは俺自身だったのかもしれないと思いながらも、その反面でここまでは強くなったのだとそう思った。
「五体満足じゃないにしてもだ、俺にはまだ生き残る者としての役割があるんだろうよ。」
 自分が育てた継子は、こんなにも立派になったのかと思うと俺自身も引退しようとは思わなかった。力として役に立つ事がもう出来なかったとしても、何かしら生き残った意味があったのだろうかとそう考えた。
「守りたいもんが守れただけでも、恵まれてるだろ。腕の一本や二本無くなっても、な。」
 腕と目を失ってから俺が出来る事は限られてくる。どれだけ柱として従事していた人間といっても、所詮それは過去の話だ。俺に出来る事が何なのかを考えて、出た答えは一つだけだった。
「御館様が死んでいった隊員を覚えていたように、残される人間は忘れちゃいけないんだよ。」
 それは輝利哉様に課すにはあまりに重たい荷物で、知らない顔が多いだろう。ならば、残された人間がそれを受け継ぐべきだと考えた。最後まで前線に出ることができなかった非力な自分を悔いながらも、何かが出来るのだとすれば、考え方によっては俺は鬼殺隊で成し得なかった“それ”を全うすることが出来るような気がしていた。
「だから俺らには過去を忘れちゃいけない使命があって、俺にはお前らを見守る使命があるんだよ。」
「なんだ。神気取りかよ。」
「お前が神なんて空想のもんを信じてるとは思わなかったけどな。」
「俺ら痣者の最後を見張ってるってか。」
「まあ、考え方にとってはそうかもしれないな。」
 確かに不死川や冨岡にとっては見張られているという考え方になるのかもしれないし、実際にやろうとしている事はそういう事なのかもしれない。けれど、それを忘れてはいけない。こういう時代があった事を忘れてはいけないとそうが教えてくれたような気がしていた。
「でも実際はそんな難しい事じゃなく、来年も再来年もこうやって下らなく飲めればいいんじゃないか。」
 それは俺の最後の役割であって、使命なのかもしれない。本人たちが喜ぶかどうかは別としても、それを全うしたいと思った。時間は無限ではないが、確実に鬼殺隊にいた時よりは穏やかで、有限の中でもゆっくりと時間を与えてくれる。
「癪に障るが、来年またこの場に来なかったら死んだと思われてもそれこそ癪だしな。」
「随分物分りいいじゃねえか、不死川のわりに。」
「冨岡と一緒にされたんじゃ腸が煮えくり返るわ。」
「苛苛するな。定期的に糖分は摂取すべきだ。」
「冨岡、無駄に不死川を煽って遊ぶんじゃねえよ。」
 きっと来年も、再来年も、その先も、こうしてこの面子で集まれたらいいなとそう思う。あの時の思い出を共有できるのは、もう俺たちしかいない。が泣いて、激高してまで俺を引退から遠ざけた意味が今なら当然の事のように理解が出来て、腕に圧し掛かる小さな温もりを見て、敵わないなとそう思う。
「煽ったからには、ちゃんと飲む覚悟できてんだろうな。」
「朝まで生きて俺と飲めると思ってるのか。」
「上等。その喧嘩買ってやる。」
 結局その後数時間したころには不死川が酔いつぶれ、と同じように隣にいる冨岡の腕に凭れ掛かるように眠っていた。
「また一年後、その酔いつぶれ連れて来い。」
「連れてかえる事は出来ても、俺には連れてくる事は出来ない。不死川次第だろう。」
「お前は来る、ってそういう意味だろ。」
「言葉の取り方次第だ。」
 お互い片腕しかない人間だけを残してスヤスヤと眠る二人を見て、初めて冨岡が笑った顔を見た気がした。を背に乗せて、そして俺も不死川を冨岡の背に乗せるのを手伝って、朝を迎える前に俺たちは店を出た。来年、再会早々に不死川から小言というありったけの文句を浴びせられるのだろうなと思いつつ、それを聞くことが出来れば何よりの元気の便りになるだろうと思いながら。
「じゃあな、冨岡。また来年。」
「ああ、また。」
 俺たちはそのまま一年後の再会をなんとなく誓って、それぞれの帰路へとついた。



 地面の土を蹴る音が、聞こえる、頭が少しだけ痛い。
 ゆっくりと目を開けると、いつもよりも視界が高くて、急に酔いが覚めていくような気がした。記憶を辿ってみて、義勇や不死川と飲んでいた事を思い出して、義勇の思いがけない一言で酒を煽って私は寝てしまったのだと察知した。
「おー、お目覚めか。おはよう。」
「…朝日が見える。夜明まで飲んでたんですか。」
「まあな。昔話ってのは花が咲くもんだろ。」
「私が寝てる間にどんな話したんですか。」
 一体私はどれくらいの間、寝ていたのだろうか。あの三人でそこまで話が盛り上がるとも思えないのだが、やはり同じ釜の飯を食べた仲間として積もる話でもあったのかもしれない。結局私はなれなかった柱という立場にいる三人だ、私がいない方が盛り上がる話もあったのかもしれない。
「男同士の話だ。あんま気にするな。」
「そんな事言われると気になるなあ。」
 片腕を損失しているのに、しっかりと安定感のある彼の背中で、私は酔いを覚ます。屋敷までは、もう間もなくだ。暗闇の中から薄っすらと地平から上ってくる太陽が少しばかり眩しくて、目を伏せた。
 直接彼の背中に耳を当ててみれば、機嫌のよさそうな音が聞こえた気がした。



 あれから月日は流れて、四年が経った。私は元師範である宇髄の隣を歩き、そして確実にある目的地へと向かっていた。
 任務ではよく顔を合わせていたのに、全てが終わってから毎年一度だけ顔を合わせるようになってから、彼らのことをもっとよく知ったような気になっていた。義勇も里へと帰ったようだったが、毎年決まって一度だけこちらまで足を伸ばして、私たちと会ってくれた。
、早くしねえと日が暮れるぞ。」
「ちょっと待って下さいよ。数が多すぎる…!」
 鬼殺隊の本部があったところへと足を踏み入れてから、一体どれだけの酒を振舞ってきただろう。何百とある墓の前で酒を注いで、そして備えて手を合わせる。最後、私たちがたどり着いた二つの墓の前で、特別高級な酒を取り出して、彼は二つのお猪口に酒を注いでいく。
「あれ、えこひいきですか。他の隊員が怒りますよ。」
「いいんだよ。柱ってのは、特別な存在だからな。」
「甘いなあ、ほんと。」
 目の前にある墓の前にお猪口を備えると、彼は私にもお猪口を渡して、その酒を注ぎいれる。帰れなくなったらいつかのように背負って帰ってくださいねと言いながら、二人して腰に手を当てて水でも飲むかのように飲み干した。
「今年も酒宴を開催するにはいい天気だな。不死川は晴れ男か。」
「そうですね。義勇の雨男よりも不死川さんの晴れ男が勝ったのかもしれない。」
 ほろ酔いで少し気持ちがいい気分を感じながら、今日も私は宇髄の隣を歩いていく。鬼殺隊での役割を全うしながらも、一生終わることのないその任務を背に背負いながら逞しく生きていく彼の傍で、私も過去を忘れず今を生きていく。
 忘れてはいけないものを心に携えながら、私たちは忘れることなくこれからの未来を歩いていくのだ。それは私が願った事でもあって、歴史として忘れてはいけない事実だ。歴史として彼らが表に立つことはなくとも、私たちが知っていればそれでいいのだと宇髄は教えてくれた。
「分かってる奴だけ分かってればいいんだよ。」
 また来年も、こうして私たちは酒宴を開くだろう。
 自分達の役割を、全うするその日まで。

月見に酒よ戯れよ
( 2020'11'15 )