醒めない夢を見せて 結局昭和レトロなタイル張りの浴槽には一度も浸かる事はなかったけれど、結果的に芯から冷えていた体は元通りの体温を取り戻していた。濡れた洋服はエアコンの通気口近くに掛けて干していたのですっかり乾いている。 「ほんっとごめん!」 情事が終わってからのリョータは壊れた人形のようにこればかりだ。私がどんな返答をしようとも何度も何度も繰り返すのでいい加減私も途方に暮れている。 「リョータさ、ほんともう怒ってないから大丈夫だって。」 「が良くても俺が許せないからダメ!」 そんな事を言われても困るし、ならばどうか自分の心の中で永遠に終わらない会話を続けてほしいものだ。私がどう答えようと、許そうと彼自身が自分を許せないと言うのであれば打開策は何もない。 「嫉妬とか独占欲で……どうかしてたマジでごめんなさい。」 「もう本当に気にしてないってば。」 湯船で体を温める事もなく『休憩』時間とされている二時間が経過した経緯については、概ねリョータが語っていることが全てだ。私に嘗て彼氏がいた事などリョータもとっくの昔から当然認識していた筈だが、何かが誘発したのか着火してしまったらしい。 「……それだけ私の事好きだって事はよく分かりました。」 今までも知っていたし分かっていたけれどこれからは一瞬たりとも疑う事は無くなるだろうと、そう思うくらいには。おそらくは一生分の愛情確認をあの短い時間で受けたような気がする。 リョータが必死に謝るようにやや強引な部分はあったにせよ、その強引さを招いた理由を考えると私自身も許さざるを得ないし、結局のところ心が満たされているのだから仕方がない。 「それは嬉しいんだけど!なんだけど……でもやっぱダメでさ、」 「ん?」 「初めてエッチした日として俺の記憶にもの記憶にも残る訳じゃん?」 「あ、あのねえ……運転しながらそんな話しないでくれる?」 リョータは至って真面目な顔をしながらそんな話をしている。一体これはどんなドライブなのだろうか。県外まで遠出してした事と言えば、サンドイッチを一口齧って雨に振られ、ヒラヒラのカーテンのついた駐車場に車で入り、帰りの道中でその情事の話をしている。これが俗に言うピロートークだろうか?随分硬い枕と重い謝罪だ。 「だからやり直しさせて欲しい…デス。」 「やり直し?」 「そう、やり直し。」 イーティーシーを抜けて高速へと乗り入れた車は轟々と音を立てながら都内へ戻る道を駆け抜けていく。時刻は十六時を過ぎていて、やや景色にオレンジ色が差し掛かっている。都内に着いたら私は家の近くで降りて、また来週とリョータと別れの挨拶をするものだと思っていたが、それは違うのだろうか。 「車返したらの家に行くから。」 「へ?」 戸惑う事なくリョータはそう言い切ったけれど、私の思考は追いつかない。助手席の窓から高速に流れていく景色と逆行するように完全に停止している。停止しても、よく分からないのでどうしようもない。 「…リョータさ、今日祝日だよ?」 「うん。」 「うんって……明日学校だし、バスケの練習だって朝からあるでしょ?」 「あるね。」 都内の私の家までは最低でもあと二時間半はかかるだろう。どこで借りたのか定かではないが、仮にこの車を返却してからリョータが我が家に来るのであれば二十一時前後になってしまうが、これはもしかしてそういう事なのだろうか。 「……始発で家戻れば間に合う。」 「正気?」 「めちゃくちゃ正気。」 リョータは基本的には私に甘く、何よりも私を優先してくれる。けれどその分一度言い出した事に対しては驚く程に頑固で、何を言っても絶対に揺らぐ事はない。つまりはそういう事なのだ。私がこれ以上何を言ったところで、リョータの今日のスケジュールが変わる事はないだろう。 「そこまでしなくてもまた来週会えるじゃん?」 リョータからどんな内容の返事が返ってくるのかを既に予知している私も人の事を言えたものじゃないのかもしれない。私も大概な欲しがりという自覚があるのだから。 「余計な事考えないでの事だけ考えたいし、俺でイッパイになって欲しいし。」 「…シャイなリョータくんは旅にでも出ましたか?」 「本音なんだから仕方ないでしょ……」 今はする必要のない相手への嫉妬も、私に対する独占欲も、その全てを丸裸にして告げてしまった今のリョータには何も遠慮するものはないらしい。でも、結局はそれも私自身が望んでいたリョータの言葉なのだ。それが私を満たすだけの言葉でしかない事はもう暫く黙っておこうと思う。 「日付変わんなきゃ今日は今日。」 「……こじつけ感すごいな。」 「積極的って言って欲しいんだけど。」 つい数時間前に言われたリョータの言葉を思い出して、ようやくその意味を知る。これからは遠慮なくこうした要望が増えていくのかと察知して、けれどそれも悪くないと思っているのだからやっぱり私も大概人の事を言えたものではない。 「の記憶に残る俺との初めてのエッチが良くなかったとか立ち直れない……」 「さっきから頭の中それしかないの?」 悔いているのも、私の事をどう思っているのかも痛い程に分かったので良い加減やめて欲しい。そろそろ聞いているこちらの方が恥ずかしくてどうにかなってしまいそうだ。 高速道路に乗り入れる少し前に立ち寄ったコンビニで、リョータが飲み物を買ってくれていたのを思い出す。飲み物でも飲めば少しは落ち着くかもしれない。幾分は今よりも落ち着くような気がして、後部座席に転がっているビニール袋の中をガサガサと漁ってみる。 「………」 私の好きなカフェラテと、縦に長く伸びた四角い箱が仲良くビニール袋の中で同衾している。ホテルを出る前から今に至るまでほぼずっと謝り通していた筈のこの男は、ちゃっかりと立ち寄ったコンビニでせっせとこの先の準備をしていたのだ。これは最早積極的の域を超えているのではないだろうか。 「……本当に反省してる?」 「してる。」 「……ほんとかな。」 「ほんとだって、今度はちゃんとに満足してもらえるようにするから!」 至れり尽くせりの男というのも時に困ったものなのかもしれない。どうすれば満足するのか、私の為を思っての具体的な提案は私を羞恥心に陥れていく。どうして運転しながら真顔でこんな話ができるのだろうか。つい先程まで触れる事は愚か、ホテルに入る事にすらぎこちなさを隠せなかった男だとは俄かに信じがたい。 「分かった!分かったから……うち来ていいから今は運転に集中して。」 「ハイ。」 リョータはウインカーを出して右車線へと入ると、都内までの道を最速で駆け抜けていく。 前略、もしも私の事でご心配をおかけしておりましたら申し訳ありません。けれどどうか気に病まないで欲しいのです。アンラッキーとラッキーは常に対になる存在で、私にとってアンラッキーはラッキーが来るという前兆でもあるのですから。 少しばかり度を過ぎた恋人を持った私は困り果ててしまう程の、有り余る愛を両手に抱えているのです。結局蓋を開けてみれば最終的にそれは私に都合のいいもので、アンラッキーとは総じて私にラッキーを与えてくれる前兆でしかないので、どうかご安心ください。 次なるアンラッキーエピソードは、次の祝日までしばし楽しみにお待ちいただけますと幸甚に存じます。存分に不幸自慢という名の幸せを書き記す事をここに誓っておく事に致します。かしこ。
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