駆け出しロマンス 最初の一杯目となったジントニックは普段の私からは考えられないローペースで、グラスの中身を中々に減らさない。ロンググラスに入った氷を指でカラカラとかき混ぜてみたり、グラスのヘリに刺さった八分の一にカットされたライムを絞ってみたりするが、ちなみに何度も絞りすぎてライムはカスカスでスカスカだ。 「で?」 「で?と申しますと……」 かっこ仮かっこ閉じ彼氏、という随分と長くややこしい肩書きを背負ったリョータの目はいつも以上に鋭い。ドライブでも決められるのだろうか。 「なんであんな事になったかって聞いてんの。」 巻き込まれたリョータには聞く権利があるのかもしれないし、巻き込んだ私には説明義務があるのだろう。けれど聞かれたところで答えようもない。何故こんな事になったのか、寧ろ私が教えてほしいくらいなのだから。 「怒ってないから言ってみてよ。」 「……それは怒っているという意味ですよね?」 取り敢えずこの場にいたのがリョータで、そして彼氏のフリをしてくれたのがリョータで良かったと心の底からそう思う。怒っているという事実は一度居酒屋の隣のテーブルに置いておいたとして、しっかりと話が通じる相手だから。 「あほ!って言われるかもしれないけど……」 「あほ。」 「まだ言ってないのに言わないでよ!」 何故こんなことになっているのか、私自身が理解してきれていないこの状況を一緒に整理してくれる相手だ。表面上では分かりにくいかもしれない。けれど、リョータは見えない裏側で気遣いや気配りの出来る人だと思う。 「別にその場にいた訳じゃないし見てないから断言はできないけどさ。」 リョータはいつも冷静だ。私がガチャガチャと騒がしい分落ち着いているのかもしれない。二人でガチャガチャしていたら収まりがつかないし、周りにとっての迷惑でしかない。辛うじてリョータが落ち着いてくれているから私たちの関係性はこうして安定している。 「勘違いされるくらいゼロ距離なの知ってる?」 「ん?リョータはゼロどころか一億くらい距離あるでしょ。」 「俺じゃなくて、のことね。」 言われるまで考えたこともなかった。確かにリョータのように人見知りをする性格ではないが、だからと言って特別人懐っこいという自覚はない。 「男は勘違いするって言ってんの。」 「そんなあざとい女子じゃないんだけど?」 「あざといとか狙いなしにナチュラルにやってるからタチが悪い。」 「は、はあ……」 ナチュラルボーンという言葉がまさか自分に該当する日が来るとは思わなかった。あざといからは遠くかけ離れた人生を歩んでいたと思っていたし、同性の友人からは「おじさん」と表現される事も多いので、「おじさん」に親近感を覚えながら自分の称号にしていた訳だが、まさか私がそんなことを無自覚にしていたとは寝耳に水だ。 「そゆとこ。」 「ん?」 「こうやってすぐボディタッチするでしょ。」 「そ、そう?」 「そう!」 あざとい女子というワードがトレンドに入る時代だ。私には関係ないどころか正反対で縁のないものだと思っていたが、自分にもその要素が少なからずあるのだと知ってゾッとする。今までも自分の意図しないタイミングで想いを告げられることがあったからだ。 「リョータは別にしても、他の男の人にはそれが勘違いされるかもしれないって肝に銘じます。」 リョータとの付き合いの長さを改めて考えてみる。高校一年生の頃からのクラスメイトで、奇跡的に卒業までずっと同じクラスで過ごすことが出来た。女としてではなく、一人の親しい友人としてのリョータの意見はしっかり飲み込むことができる。 「……マジでそういうとこ。」 「ん?どういうとこ?」 リョータはあまり自分の感情を表情に出さない。漏れ出すのは、彩子の話をしている時くらいだ。ポーカーフェイスなリョータが感情を制御できなくなる相手なんて、この世に彩子以外にはいないだろう。 「自分がモテることいい加減自覚しろし……」 「へ?」 自分がリョータの言うような状況の人間だと思ったことは一度もない。驕っている訳でも、謙虚な訳でもなく、可愛い女の子なんて世の中には大量に存在するし、特別自分が可愛いとも思わない。性格についても同様だ。 「高校の時からほぼ彼氏切らしてないじゃん。」 「彼氏切らしてないとその扱いになるの?」 確かに別れて一ヶ月もしない内に彼氏がいることは多い。高校の時も思えばそうだったかもしれない。結局のところ、リョータという揺るがない友人は三年間変わる事はなかったが、彼氏はコロコロと転がるように変わっていたような気がする。 「……自覚ないならまた同じことするでしょ。」 「しないしない!ていうかしたくない……というかされたくない!」 「人間そんな簡単に変わらない。」 「そんな殺生な……」 褒められているのか、貶されているのか。多分どちらも含まれているのだろう。嬉しくないのかと言われたらそんなことはないが、でも複雑な感情だ。仮にリョータが言うように自覚がないまま私にそんな才能があったとしたら……キャラに見合ってないのでやめてほしいし、今日のようなことはもう金輪際勘弁被りたい。 「だからもう少し彼氏でいとく。」 「え?」 「さっきの奴もまだ企んでそうだし彼氏でいた方がいいでしょ、お互い。」 「う、う〜ん……まあ確かにそうなんだけど?」 私にメリットがあっても、リョータにとってのメリットが何もないような気がして気が引けてしまう。その場凌ぎで言ってしまったけれど、一体リョータはどこまで付き合ってくれるのだろうか。若干の負い目を感じながら、私はジントニックのライムを奥深くに沈める。 「でも勘違いされたらリョータが迷惑でしょ?」 私がこうして高校を卒業してもリョータと仲がいい理由。それは私が彩子と仲が良く、バスケ部とも親交が深かったからだ。だからこそ、身内に近い人間に勘違いされる可能性のあるこの関係がリョータにとってマイナスになることはあっても、プラスになることはないと思ったのだ。 「……勘違いって?」 「だってリョータは彩子一筋じゃん。」 私は彼のその恋を応援していたし、成就すればいいと思っていたのは心の底からの真実だ。高校時代、クラスメイトばかりか学年中が彼の彩子への想いを知っていたのだから尚のことその想いが確固たるものと証明している。あれ程純粋に人のことを好きになれるリョータが私には少しだけ羨ましい。 「はどうなの?」 「ん?」 「タイプは三井サンってことはよく分かったけどさ。」 「……ま、まあ否定はしないけど。」 この話題に触れることなく今日が終わるとは私とて思ってはいない。リョータは見た目に反して繊細でデリケートなところがある。気にしない訳がない。あえて自分からその話題に言及する必要はなく、そろそろリョータの口からその話題が出てくる頃だろうとちょうどそんな事を思っていたタイミングだ。 「さっきは勢いで言っちゃったけど、でも自分のタイプと好きになる人ってイコールじゃないと思うんだよね。」 人を好きになるきっかけなんて人の数だけあるんじゃないだろうか。 それは自分に好意を抱いてくれているからかもしれないし、やっぱりビジュアル的な部分から入ることもあるだろう。何がトリガーになって恋に落ちるかなんて本人は愚か誰にも分からない。 「気づいた時には好きってなってるもんじゃん?」 コントロール出来ない感情をきっと恋と呼ぶのだろうと思う。損得の感情ではなく、自分の五感で感じた直感のままに突き動かされる感情。 「彩子の時だってそうだったでしょ?」 そんな一途に伸びる彩子への想いを誰にも勘違いをしてほしくないと思ったのだ。私たちのコミュニティーには共通の知り合いが多すぎる。自ら彼氏のフリをして欲しいと言っておきながら図々しいのかもしれない。けれど、そんなリョータの恋だからこそ心の底から応援したいと思うのだろう。 「話ズレてる。」 「へ?」 「俺が彼氏だと迷惑なの?」 迷惑なのかと言えば、多分そんなことはない。一時的とは言え、自ら彼氏役をお願いしている時点でそんな訳がないのに。私がそんな事を依頼できる相手が彼しかいないと、リョータは知らないのだろうか。 「迷惑とかは全然ないけど……」 「ケド?」 「さっきも言ったけど勘違いされたらリョータが迷惑じゃん。」 「俺が迷惑じゃなきゃいいんでしょ?」 今日のリョータは少しばかりいつもと違う。こちらから巻き込んでいるという大前提があったにせよ手を繋いだのも、私への配慮とは言えもう暫く彼氏でいると宣言したのも。普段のリョータからは感じない、ちょっとした強引さが窺える。 「俺は全然迷惑なんて思ってないし、勝手に俺の感情決めないでよ。」 個室の居酒屋の掘り炬燵で、リョータの足がコツンと私の脛を探し当てる。今まで感じたことのない妙な感情に飲まれそうになって、大して痛くもないのに声を上げてみた。 「痛!」 「嘘つけ。」 「暴力良くな〜い。」 「どこがだよ。」 普段見ないリョータの新しい一面を見たような気がしたのだ。それがどことなく照れ臭く感じたのは何故だろうか。仲が良く、関係性が近いからこそ家族のような感覚があるのかもしれない。きっとそうだ。そうでなければ、この感情に辻褄が合わないような気がしたから。 「イッテ!」 「え〜うそだ。」 「加減しろし!」 「お礼の気持ちたっぷり詰め込んでおいた。」 私とリョータの関係性はきっとこれからも変わらない。現に高校入学から今までずっと変わっていないのだから。不変は愛ではなく友情にこそ宿るもの、だからリョータとの関係性は今後も不変的な筈だ。 「やっぱ飲み放題に切り替えようよ?」 友情にこそ不変が存在するのであればリョータとはこれからも友達でいなければいけない。友達でいれば、これから先もずっと喜怒哀楽を共有できる相手でいることができるのだから。 「介抱する側の気持ちとか考えた事ある?」 「なんで潰れる前提で話進んでるの?」 「潰れるだろ。」 「今日は潰れない!」 もう一度、目一杯の感謝を込めてリョータの脛をコツンと蹴り上げる。間違いなく潰れるであろう私への介抱に対しての感謝を前倒しでしておいた。このちょっとした違和感を解消するには、アルコール消毒が何よりも手っ取り早いだろうから。 「仮に潰れたとして、」 「フラグじゃん。」 「彼氏だったら介抱してくれるんでしょ?」 早くこの違和感を解消したいと思いながらも、少しばかりその反応を試してみたくなる。どうせ数時間後には忘れている筈の記憶だ。普段あまり見ないリョータの一面に、もっとと欲深くなっていたのかもしれない。 「てか介抱しなかった事なんてある?」 「……さあ、記憶飛ぶタイプだから。」 いつまで仮初の恋人でいてくれるのか?その期日を確認することはやめておいた。 |