day 4.
今日も昨日のやり直し


 成功への糸口を掴んだと思ったけど、随分雲行きが怪しい。
 正直攻めあぐねていた手詰まり状態で、向こうから勝手にチャンスがやってきたと思っていた。攻めようにも相手はこの世の鈍感を集大成にしたような相手だ。それすらも結局可愛く見えてくるから潔く俺の負けである事は認めるつもりだ。もう何年も展開が変わらなかった状況が、ようやく転がり出していた。
「───ていう事があったんだけどさ。」
「なんだよ、今日見た夢の話か?」
「マジでぶっ殺しますよ三井サン。」
 完全に人選をミスった自覚はある。よりによって三井サンを呼んでしまった。結局こういう話をフランクに出来るのってヤスか三井サンくらいしかいなかったりする。もちろんまずヤスに連絡したけど先約があるとか何とかで、結局俺は二択の賭けに負けた事になる。
「んで、何が聞きたいんだよまどろっこしいなお前。」
 マジでこの人がモテるの癪に触りすぎる。長い小指で耳穿ってるけど俺の話って耳穿るくらいつまんない訳?穿った中身をこっち向かってフゥって吹いてくるなし!
「要はアレだろ?お前が脈アリなのかナシなのか知りてえって、そういう───」
「三井サンの癖に物分かり早くない?」
「お前こそぶっ殺されてえのか?」
 三井サンの意見なんて戦力外通告かと思ってたけど案外マトモなアドバイスが貰えるのかもしれない。あくまで、『かもしれない』レベル以上に期待はしないけど。期待なんてしなければ、落胆することもないだろうから。
「そもそもあっちからキスしてきたんだろ?」
「そうだけど……向こうめっちゃくちゃ酔ってたし翌朝綺麗サッパリ忘れてた風だったし?」
「なら尚更アリじゃねえか。」
「……なんで?」
 あれから二週間が経っていて、俺たちは朝のマクドナルドで解散して以降一度も会っていない。元々今は近くに住んでいない事もあって月に一、二回会う程度ではあったけど、こうまでメッセージのやり取りが滞っているのは多分初めてだ。
「無意識でキスしてんなら確実に好きだろ、ソレ。」
 自分では到底考えつかない見解だった。居酒屋に入ってから五回ほど飛び蹴り入れてやろうかと思ったけど、正直その言葉には目から鱗だ。あまりに俺に都合が良すぎる解釈のような気がして一度冷静になる。
「んで?お前も好きだからキスしたんじゃねえの?」
「ま、まあそうなんスけど……」
「それを拒まれなかったんだからよ、別に悩む必要なくね?」
「アンタさ、」
「あんだよ?」
「知ってたけどメンタル鋼だよね。」
「ポジティブな。」
 結局この人のこういう所、なんだかんだ言ってカッコ良いから腹が立つ。相手を選ばず誰に対しても堂々として物言いが出来るこの感じ。たまに緊張して腹下してる時もあるけど。
「でも酔って人肌恋しくなっただけで……別に俺だからとかじゃなかったかもしれないじゃん。」
 俺には三井サンのような自信がない。昔から何かや誰かと無意識の内に自分を比べて、見えない物差しで自分を推し量ってしまう。ポジティブに物事を考えたいと思いながらも、最悪の事態を予測して行動してしまうのは昔からの癖なのかもしれない。期待した分だけ予測した結果にならなかった時、その差分が大きく落胆として自分に襲いかかるのを知っているから。
「ウジウジうっせえな?お前。」
「……ほっといてよ。」
「お前はの事そんなアバズレだと思ってんのか?」
「は?思ってる訳───」
 そんな事思う筈がない。確かに今までの歴代彼氏の人数は多いし、別れてもすぐに彼氏できるし、もしかしたらそういう経験は多いのかもしれないし多分そうなんだろうけど。
「ちょっと待って!何で今アイツの名前出てくんの?」
 ちょっと待って、俺誰がとか具体的な固有名詞出してないよね?何かの拍子に言っちゃまずいと思ってしっかりそこだけは意識してたつもりだし、高速でこの居酒屋に入ってからの三井サンとの会話思い出してるけど絶対に言ってない。
「バレてないとでも思ってんのか?」
 確かに三井サンとは大学生になってからも接する機会は多い。それにを交えてバスケ部の連中で飲みに行く事だってあるし、俺とのやり取りは見てるだろうけど。
「諦めろ、バレバレだ。」
 自分でもポーカーフェイスな自信はあるし、そう努めてきたけど三井サンに見抜かれてるって事はもしかして全宇宙にこれって知れ渡ってたりするの?
「……うそじゃん。」
「つか誰が見ても分かるだろ。気のない女に男があんな甲斐甲斐しく介抱したりするかよ。」
「アンタの下心と同レベにして欲しくないけど。」
「久しぶりに殴っとくか?」
「俺はもうアンタの歯折りたくないから堪えてクダサイ。」
 一瞬思っても見ない言葉に取り乱したけど、多分俺が一番懸念している事態はまずないだろうから少しだけ冷静になれた。当の本人である彼女は、きっと俺の想いに気づいていないだろうから。
「お前がしたさっきの話がお前の強い幻覚や妄言じゃなきゃ今はお前の彼女なんだろ?」
「……やっぱり折っとく?」
「場を和ませてやってんだろうがよ。」
 気づいている筈がない。本人ですら認めてしまう鈍感さだ。結局それすら愛おしく思ってるなんて、恐らくは言語化して伝えたところで信じないだろう。
 高校二年の夏、インターハイが終わった頃。俺はアヤちゃんに振られている。振られた時に言われた言葉がずっと引っかかっていて、何故彼女がそう言ったのかを俺はしばらく理解出来ないでいた。
『リョータがアリかナシで言えばアリだし多分彼女になれたらいいなって私思ってるのよ。』
 最初は俺を程よく振るための断り文句なのかとも考えた。でも、彼女に限ってそんな事はしないとも思った。俺を振るなら、しっかりと本当の気持ちでぶつかってくれる人だろうから。そういう子だからこそ、彼女のことを好きになったのだろうと思うから。
『私はリョータがいなくても大丈夫だけど、あの子にはリョータがいないとダメじゃない?』
 あの子が誰を指しているのかはすぐに分かった。周りには手の掛かる先輩も後輩もいたけど、結局何でか世話を焼いてしまうのは一人だけだったから。部活の面子ならキャプテンとしては義務なのかもしれない、けれどキャプテンではなく宮城リョータとして自ら進んでそれをしている自分に気がついた。
『そうやってあの子を甘やかしてるのはリョータよ?だから、きっと告白する相手は私じゃないとそう思うの。』
 言われてから気づくまでは案外早くて、に彼氏が出来る度に落ち込んだ。でも結局好きって気持ちは自分でコントロール出来るものなんかじゃなくて、落ち込みながらもずっとチャンスを伺い続けた。その為に、ずっと近い存在でいようと誓った。例え遠く離れた東京の地に出向く必要があったとしても、例外なく。
「てか俺にこんな事聞いてお前どうするつもりだよ?」
「どうするって……」
 明らかにあの日から避けられている。そうじゃなきゃわざわざリスクを冒してまで誰かに相談なんてしない。しかも三井サン相手になんて絶対にしない。想像以上に参考になるアドバイスしてくれてるから歯は折らないけど、本当はこんな話をしたくなんてなかった。
「連絡してみろよ。」
「連絡しても素っ気ないし、電話しても適当な理由つけて夜中に出られなかった理由返信してくるだけで……確実に避けられてるじゃん。」
 今までそんな事は一度もなかった。
 一週間に一度か二度は、酔っ払った彼女の声を電話越しで聞いていた。今日はどこに飲みに行って誰と一緒にいたとか、何を食べて美味しかったから今度一緒に行こうとか。彼女は酒に強くないくせに自分の限界を超えて飲むからそんな会話、覚えちゃいないのかもしれないけど。俺には、その一つ一つが全て記憶の中に留めておきたい大事な思い出だ。
「結局は脈アリだろうがナシだろうがお前の気持ちは変わんないんだろ?」
 その通り過ぎて言葉がすぐに出てこない。脈ナシじゃないって言って欲しかったし、その言葉を回収するつもりでここに呼び出したんだと思う。結局臆病な俺は自分の意思では何も出来ないのかもしれない。
 脈ナシと言われても、脈アリと言われても、そのどちらであっても思い悩むに決まっているのに。そして思い悩むって事は、三井サンの言うようにその結果に左右される事なく自分の気持ちが揺るがないって事なんだろう。
「……ごめんね、三井サン。」
「なんだよキモチワリィな。」
「あんまりにも俺を思い遣った言葉ばっかだから俺の事好きだったら悪いなって。」
 今までも何度か三井サンに感謝した事はあったけど、多分今日が一番その重みは強い。最初から恥を忍んで相談していればよかったのかもしれない。そうすれば、たまたま舞い込んできたラッキーに漬け込むようなダサい事をしなくてもよかったかもしれなかったから。
「俺の好きはそんな安くねえし、キショいからマジでやめろ。」
 だからさっさと行け。そう言って、送り出してくれた。





 リョータからの着信音が鳴り響いている。こんな時ばかりは、誰から電話がかかっているのか分かる特別な設定をしなければよかったと思う。自分にとってリョータが特別だと言っているようなものだから。無意識の内に、私にとってのリョータは特別だったのだろう。もうずっと前から。
 自分の気持ちに気がついて、リョータとは距離を置いた。
 高校を卒業して毎日会える環境ではなくなってから、毎日『おはよう』『おやすみ』のメッセージを欠かした事はない。今にして思うと、付き合ってきた歴代の彼氏ともそんなやりとりなんてしていなかったのだから、自分にとってのリョータの立ち位置を認識させられる。
「……もしもし。」
今家いる?』
「なんで?」
 もうリョータと今までのように会うのはやめようと決めていた。いつもすぐに返していたメッセージにも既読スルーをしたし、かかってきた電話にも適当に夜中になってから出られなかった理由を送ってから眠った。
『俺がと会いたいから!』
 ぎゅっと体の柔らかい部位を鷲掴みにされたような衝撃が走って、自分を落ち着かせる。私の会いたいと、リョータの会いたいが同じはずがない。冷静になるべきだ。期待に弾む心を落ち着かさなければ、この後の自分が落胆に苦しむことになるのだから。
「今日はもう遅いしまた今度にしよ?」
『時間取らせないから!』
「……リョータどうしたの、何か今日変だよ?」
『どうしても会ってちゃんと伝えたい事だから……お願い!』
 電話口からは物凄いスピードで進んでいる足音のような音と、リョータが肩で息をしている吐息が聞こえている。いつもクールで落ち着いているリョータからはあまり想像が出来ない状況だ。バスケ以外で、彼がこんなにもガムシャラになっているのを私は知らない。
「今日はもう化粧落としちゃったしちゃんと後日ゆっくり時間取るから……」
『もう着くから!』
「だからもう化粧とったって、」
『そんなの会わない理由にはならないでしょ?』
 いつだって無理を言ってきたのは私の方だった。文句を言いながらも付き合ってきてくれていたリョータが、こうまで自分の意思を押し付けてくるのは珍しい。正直圧倒されている。こんなリョータを、私は知らないから。
 スマートフォンの先からは階段を凄い勢いで登っている足音とリョータの吐息が聞こえる。何を彼はこんなにも必死になっているのだろうか。期待は、やっぱりしないことにする。
───ピンポン、ピンポン、ピンピンピンピンポーン。
『いるんだろ?開けてよ。』
 暫くすれば落ち着くかと思って様子を見ていれば、落ち着くどころか更にドンドンとドアを叩きながらリョータの声が扉越しに聞こえる。
「……通報されちゃうよ?やめなよ。」
『お願い。』
 リョータの勢いに押されて、私はスマートフォンを耳に翳しながら玄関へと向かう。チェーンロックを外して、鍵を回してからドアを開く。そこには真冬にも関わらず、額にびっしりと汗の玉を宿しているリョータがいた。
 私の知らない、リョータがそこにいた。