new day 1.
恋する獣


 前略、先日は私のアンラッキーホリデイにお付き合い頂きありがとうございました。紆余曲折ありまして、宮城リョータくんとお付き合いをしている今日この頃です。もう間も無く二ヶ月が経過しますが、私と彼の関係性の進捗について少しだけお話ししておこうと思います。
 事前に伝えておくと相変わらず私のアンラッキーなホリデイは健在でして、きっと地球は正しい速度で正しい位置を自転していると思われるのでご安心下さい。ちょっぴりアンラッキーなだけで、何とか今日も私は地上で息をしています。かしこ。


 目を覚ますと時刻は十一時半を二秒回っている。起きた瞬間に心臓に負荷がかかるが、寝起きの頭でもそれが自業自得と認識しているくらいには目覚めが良い。毎日これ程目覚めが良ければいいのだが、やっぱり心臓に申し訳ないので控えたいところでもある。
 リョータとの待ち合わせの時間は十時半、一本映画を見てからテレビ番組で取り上げられたカレーライスが美味しいカフェで食事をするという絵に描いたようなデートプランだ。だった、というのがきっと正しい。映画のチケットは今目の前の枕の横で二枚並んでいるので、リョータもおそらく映画は見ていないだろう。
「……リョータの幻覚が見えて怖い。」
「俺は戸締りしてないお前の方が怖いけど。」
 しっかりと目覚めた気でいたがそうではなかったのかもしれない。とても再現性の高いリョータの姿が少し先に見えて、やっぱりまだ夢の中にいるのかもしれないと思う。遅刻したという後ろめたすぎる事実が生み出した魔物に違いがない。
「足、ある。」
「恋人を勝手に幽霊にしないでくんない?」
 恋人という言葉を耳に入れて、聴覚情報から今度こそしっかり目が覚める。今までしっかりと寝ぼけていたという事になるが、まだ現実的に飲み込めない事実が目の前に広がっている。
「な、なんでいるの?」
「寝坊で遅刻しといて随分な物言いじゃん。」
「それはそれこれはこれ!」
「なんなら今ここにいたのが俺だった事に感謝して欲しいわ。」
 目の前に映るその姿が、幻覚でも幽霊でもなくリョータ本人であると認識すると酷く目が覚めた。状況を整理しようにも、そもそも今までぐうぐうと眠っていたので整理するだけの状況も何もないので無意味でしかない。
「昨日寝る前に鍵閉めてって言ったよな?」
「寝る前電話したっけ?」
「してんの!」
 事前に友人と飲みに行くとリョータに共有していた事もあり、どうやら終電に間に合うように連絡をくれていたらしい。聞くところによると、駅に降りてから私は彼に電話をしたらしく、コンビニに寄ろうとしたのを全力で阻止され家に帰ると「おやすみ」の言葉もなくぐうぐうと眠ってしまったらしい。
「起きなよ。」
「……あと二時間だけ寝たい。」
「そこ五分とかじゃなくて?」
「じゃあ五分でいいから。」
 アルコールを摂取するといつも思う事がある。睡眠した実際の時間と、眠ったと体感できる時間に差分がありすぎるところ。軽く見積もっても十時間は眠っているはずだ。成人女性としては寧ろ過剰な睡眠時間だが、いかんせん眠い。
 アルコールを多く摂取した際の睡眠は気絶状態とほぼ同義らしいと聞いた記憶があるが、多分これは事実だ。身をもって体感している。
「リョータも昼寝すればいい。」
 そう言って手を取って引き寄せると、さっきまでの言い分とは随分と比例しない重力でリョータの体ごとこちらに吸い込まれてくる。起きがけに布団から出た瞬間ほど寒い事もなくて、モコモコと暖かそうなコートを着ているリョータが“暖”に見えたのだ。
「五分と言わずやっぱり十五分で。」
「おい。」
「起きたらちゃんとお詫びするからお願い。」
「………」
 一度しっかりと目覚めたかと思ったけれど、温もりを感じるとみるみる視界が重くなって自分の言葉に対しての確証が持てなくなる。私、今なんて言ってた?もはや数秒前の事も分からないけれど、それはそれでいい。寝ぼけていても、リョータが私に甘いことは知っているから。惚気ている訳じゃない。ただ、昔から事実として存在している事だ。
「リョータ、寒い。」
 自分で引き寄せて湯たんぽのようにリョータで暖をとりながらも、リョータを受け入れる為に開けた布団の隙間から入り込んだ冷たい空気に理不尽な言葉をぶつける。
「……ワガママすぎじゃん。」
「うん。」
 やんわりと諭されるような言葉をかけられている筈なのに、結局リョータは本当に甘いのだと思う。口では否定的な言葉を紡ぎながらも、寒いと言った私の体は心地良い眠りに誘われるだけの体温を感じているのだから。
「………」
 諦めたように私の首元を潜り抜けたリョータの腕がその証拠だ。強くもなく、弱くもなく、ちょうどいい加減で懐を寄せるだけの心地良い体温が今の私にはちょうど良い。それはリョータにとっても同じように心地いいものなのだろうか?少しだけそんな事に思いを馳せながらも、眠りに落ちるまで時間はかからなかった。





 先ほどと比較すると随分と目覚めが悪い。シエスタは健康にいいとされているが、それには限度もあるしタイミングもある。横文字で言うと格式高いように聞こえるが直訳するとただの昼寝だ。そして私がしていたのは昼寝ではなく二度寝でしかないのでまた種類の違う話だ。ナメック星人かサイヤ人くらいの差があるし、もっと言えばサイヤ人かスーパーサイヤ人くらいの差があるが、私如きの昼寝や二度寝をそんな壮大で荘厳にしてはならないので、サイヤ人ごと忘れて欲しい。
「どう、ちゃんと目覚めた?」
「う〜ん、お腹すいた。」
「……なに食いたいの。」
「なんか美味しいもの。」
 ソファーに座ってぼうっとしながらも、ちゃっかりと空腹を訴えている私は自他共に認めるワガママでロクデナシだ。自覚しかない。けれど、リョータと知り合った高校時代からずっと私は私のままだ。
「すじこのオニギリ食べる?」
「食べる!」
 私は私のままだし、そんな私をリョータはずっと知っている。だから私がオニギリでなんの具が一番好きかを知ってもいる訳だ。すじこのオニギリなんてどこにでも売っているものではないので、きっと何軒か回って買ってきてくれたのだろうと思う。
 今気づいたが、食べ物を買ってきている時点で私が寝坊するであろう事を予測していたという事なのかもしれない。というか絶対にそうでしかないだろう。だとすれば──、
「……もしかして今日寝坊するの見透かされてましたか?」
「何年の付き合いだと思ってんだよ。」
「そういう問題?」
「耐性つけないとこっちの身が持たねえの!」
 それはそうなのかもしれない。痛いほどの正論だと、言われて私もそう思う。そして同時に思うのだ。リョータにとって私と付き合うメリットは一体何なのだろうか。普通、二つや三つはあるのだろうが、私には一つもそれが思い当たらない。
 例えるならば、大学の駅伝選手を世話する寮母さん程の母性と優しさと、その適性がなければ私と付き合うメリットなんて見つける事は出来ないはずだ。張本人である私が言っているのだから間違いない。
「……取り敢えず歯磨いてきなよ。」
「面倒くさいからあとで磨く。」
「は?いいから磨いてきてって!」
 私はリョータと付き合ってからも多分今までと変わっていないだろうし、リョータも変わらないと思っていた。事実面倒見がいい部分に関しては相変わらずだし、寧ろ増強されているような気さえもするが今回ばかりは少しだけ口調と語尾が強めだ。
「え、ごめん臭い?」
 なんだかんだ言いながら私のペースに合わせてくれるリョータが付き合ってからのこの二ヶ月で変わったと唯一感じること。そして同時に関係性がただの仲の良い友人ではなくなったのだと毎度思い知らされる羽目になる。
「……察してよ。」
「臭いことを?」
「じゃなくて!……じゃあこのままキスしてもいいの?」
「は、はあ…!?」
「……俺は全然良いんだけど絶対嫌がるじゃん。」
「それはそうだね?」
 付き合ってからはまだ数ヶ月しか経っていなくても元々の付き合いが長い分、やっぱりリョータは私の事をよく分かっている。リョータがよくても、歯を磨いていない状態でキスをするのは正直無理だし、絶対に彼を拒絶してしまう自信がある。
「歯磨いた方がいい理由できた?」
「……ハイ。」
 ぬくぬくしている羽毛布団から足を出すとピンと背筋が伸びたように体全身が強張る。冬場は毎日経験する日常ではあるものの、それでも免疫がつく事はなくていつだってやっぱり心臓に負荷がかかっているような気がする。
 もこもこの冬用ソックスを履きながら洗面台へと向かって、ピンク色をした歯ブラシを手に取る。並ぶようにして刺さっているエメララルドグリーンに透き通った歯ブラシは先月リョータが置いていったものだ。付き合う前にも何度となく泊まった事はあったが、自分を誇示するようにその物体を残していくようになったのは付き合った後の事だった。
「ゲッ!」
「え、なに?」
 これでも他人よりもアンラッキーやイレギュラーには慣れているつもりだ。自分が鈍臭い事だって自覚はしている。自覚していたところで回避できなければ意味はないと思われるかもしれないが、自覚していないよりは僅かにマシな印象を与えるだろう。
「……苦、」
「歯磨き粉じゃなくて洗顔つけたでしょ?」
「確証はないけど恐らくは……」
 本当に確証はないものの、多分間違いなく選択肢はそれくらいしかないだろう。口の中に広がる苦味に悶えている私に変わり、リョータは私から歯ブラシを奪い取って親指を使ってゴシゴシとブラシ部分を洗浄する。
「……ほんとさ、しっかりしてよ。」
 そう呆れながら言い放って、綺麗になった歯ブラシに歯磨き粉が塗られて差し出されている。呆れている顔をしながらも、手のかかる子供の対応をしているような、そんなように見えた。
 彼の言葉は全て正しい。私はしっかりしていないし、そして今の十分の一程度であってもしっかりできるように改善を求められる立場である事も自覚はしている。
「……うん、ごめん。」
 リョータがこうして図式化されたようにダメな人間である私に提言するのであれば、確かに疑問はない。けれど、そんな私にも彼は常に優しい。態度や口調こそは分かりづらい部分を含むかもしれないが、それでも誰の目から見ても彼の私への言動は優しすぎる。
 だからこそ思ってしまうのだ。
 あれだけ恋焦がれた彩子という存在がありながら、何故私を好きになるというそんな選択肢があったのだろうかと。それだけの魅力が、私は私自身見つけることが出来ない。そう言えば怒られるだろうから、言ったことはないけれど。
「ハイ、これでちゃんと歯磨いて。」
「う、うん。」
 歯を磨きながら考える。
 何故リョータは私の事を好きになってくれたのだろうか。付き合ってはいるものの、結局私はその理由を回収しないままでいる。好きだという事実は告げられている中で、その詳細を尋ねるのも欲深い気がして憚れたのかもしれない。
 しかしながら本当のところ、リョータは私のどこを好きになってくれたのだろうか。彩子に勝る点が何かあるだろうかと考えて、なに一つ思い付かなかったことはやはり公言すべきではないのだろうと思う。
 リョータが彩子を好きだったという変えられない事実は、私がどうこう思っている以上にリョータが気にしている事らしい。彩子にどうしようもなく一途なリョータを見てきたからこそ好感を得たという事実は心の内に留めるようにしている。
「なんかさ、」
「ん?」
「リョータって保育士さんとか向いてるんじゃない?」
「なんで?」
「めちゃくちゃ面倒見がいいじゃん。」
 しゃこしゃこと私が歯ブラシを縦に横に揺らしながら話している間に、リョータは知り尽くした我が家の洗面台から器用にフェイスタオルをひょいと取り出して私に手渡しをする。
「……まだ自分が特別って自覚ないの?」
 完全に不服そうな顔が鏡越しに見えて、今日何度目かわからないヒヤっとした目の覚める感じを覚える。そんなことはない!という否定と、私がリョータのとっての特別だというむず痒く恥ずかしい事実に。
 呆れられる要素やエピソードならあれよあれよと出てくるのに、自分が好かれる要素は長考した所で一つも出てきやしない。少なくとも私がしゃこしゃこと歯磨きを終える間には出てこなかった。
「返事は?」
「ん〜?うん、まあ……なんというか……そのうちね?」
 真っ直ぐに私へと伸びているその言動が心地いいようで、やっぱりちょっと恥ずかしくもある。いつになれば彼氏と彼女のようになれるのだろうか。そもそもなれるのかどうかも分からないけれど。
はさ、」
「ん?」
「……俺の事好きじゃないの?」
「え、そんな事今聞く?」
「ずっとこんな感じじゃ聞きたくもなるだろ!」
 一度考えてみる。考えるまでもないが、言われたので考える。そもそも即答していない時点でリョータの欲しい回答ではないようだけれど。
「普通に好きだけど?」
「それって人としてじゃなくて男としてのやつ?」
 けして得意ではない料理を頑張って作った事を思い出す。リョータはスーパーで惣菜を買ってもいいよ?と言ってくれたのにわざわざそれを断った形になる。恐らく今までの、リョータと付き合うまでの私なら選ばなかったであろう選択肢だ。
 最後の仕上げに水溶き片栗粉でとろみを付けようとして三分経っても変わらない鍋の中身に追加で粉を入れてみたが、それが片栗粉ではなく小麦粉であった事は五分後に気がついた。結果はやや失敗よりの成功(?)となったが、私が作った料理というものに大層喜んでいたリョータを見て思ったことがあった。私が今まで選ばなかった選択肢を選んだ、その理由がそこにはあったのだろうと思う。
「……当然のこと聞かないでくれる?」
 何が正しくて、どう伝えるのが最良なのかを私は知らない。友達としてのリョータはよく知っている私だけど、恋人としてのリョータの事はまだよく知らない私だから。これから緩やかに知って行ければいいなと、そう思える唯一無二のひと。
「磨き終わった?」
「ん?うん、終わった。」
「……そう、」
 少なくとも私の返事は正解でなかったにしても、どうやら不正解という訳でもなさそうだ。リョータとするキスは、ファーストキスの時よりも違和感があって妙な気持ちになる。まだ慣れていないのだから仕方がないと理由をつけて、自ら耐性をつけにゆく。