平和の象徴が鳩ならば、私とリョータにとっての平和の象徴は安田くんだ。これは紛れもない事実であり、確定事項である。 どちらかと言えば多分リョータの方が仲がいいと思う。けれど私も中高と合わせて奇跡的に六年間同じクラスメイトでもある仲だ。もちろん安田くんの話をしている。リョータも私も安田くんが好きなので、私たちが同棲してからは度々足を運んでもらっている。 「本当にどっちも美味しいから……」 困らせているのは百も承知だ。 私もリョータも自己肯定力が低い分、自分のパーソナルスペースに入れた人間に対しての承認欲求がとても強いのだろうと思う。安田くんにとってはいい迷惑だろうし、事実今困惑している安田くんが目の前にいる。 「俺の方がヤスの好み知ってるし。」 「私安田くんと六年クラスメイトで一緒の時間長いし。」 「お前は部活いなかっただろ。」 「じゃあどっこいじゃない?」 平和の象徴がいるのに、何故か状況はデッドヒートしている。 事の経緯を説明しようと思う。リョータと同棲を始めて三ヶ月、初月はたこ焼き、次月はお好み焼きと月一回のペースで私たちは安田くんを自宅に招く。ちなみに直近二ヶ月の二回は、全て失敗に終わっている。会自体が失敗という訳ではなく、主役が丸焦げになったという話だ。 今回火を使わないもてなしをしたのは、そんな意図がある。本日の主役は、この日の為に新調した寿司桶がドーンと並ぶ食卓だ。これならまず失敗する事はない。 「アボカドとサーモンにマヨネーズが一番!」 「い〜や、枝豆にチーズと厚焼き卵が一番だろ!」 「その厚焼き卵だって私が作ったやつじゃん。」 「今その話してね〜し。」 第一回目、第二回目と失敗してきた経験も加算されていたのかもしれない。多分私もリョータも今回こそは安田くんをきちんともてなすと意気込んでいる。多分というのは、もう既に結構なアルコールが入っているからだ。 会をスタートした頃はとても穏やかな雰囲気で、それぞれ海苔をとって好みの分量の酢飯をよそって、思い思いの具材を好きに並べていく。それが本来の手巻き寿司(パーティー)の定義だ。 「どっちも美味しいんだから勝負しなくてもいいだろ?」 そんなことを言っている安田くんの一言が、私たちを焚き付けたのを彼は知らないのだろうか。 私が何気なく装ったサーモン、アボカド、マヨネーズの組み合わせがとてもとても美味しくて、今までの過去二回の丸焦げを挽回する意味も込めて安田くんに確実に美味しいものを食べてもらおうと思ったのがきっかけだ。 私の渡した手巻き寿司に一度醤油をつけた安田くんは、パクリと口をつけてすぐに「美味しい!」とそう言った。商品開発部の社員のような気持ちになったのは言うまでもない。 その時点で既に三本以上ビールを開けていたリョータは、自分が作ったものの方が美味いと豪語する。酔っているからか随分と強気だ。海苔にスライスチーズを敷いて、その上に枝豆を乗せると私が焼いた厚焼き卵を乗せて完成だ。 「ヤス、世の中には勝負しないといけない事もある。」 「私の手巻きが美味しいからって嫉妬しないでよ?」 「嫉妬じゃねえし、普通に俺の方が美味いから言ってる。」 とにかく今分かるのは、安田くんは酷く困っているという事。これがシラフならきっとどうって事はなかっただろう。けれど、私たちは結構なアルコールを摂取してしまっている。それが全てで、答えだ。 「アボカドとサーモンとか油に油だろ。」 「みんな油好きじゃん?油が心の健康を担ってる。」 「どう考えても俺のやつの方がヤス長生きする。」 「好きなもの食べて早く死んだ方が幸せじゃない?」 「……二人とも僕の寿命のことで争わないでくれる?」 同棲をして三ヶ月。この家に一番来ているのは安田くんだ。私たちが定期的に呼んでいるからだ。けれど彼が来ると、悉く上手くいかない節がある。本人は楽しいからそれでいいと言うけど、正直私とリョータは納得していない。 安田くん以外の訪問者でいうと、三井さんが唯一挙げられる。 正式に呼んだ事は一度もないのに、何故か我が家に二回来ている不思議な人だ。どこに引っ越すのか聞かれたリョータが「この家」と不動産の間取りをそのまま見せたらしく、それを頼りに三井さんは我が家を訪れる。 安田くんのように必ずしも歓迎されている訳ではない。歓迎している訳でもないのに、何故だか三井さんのいる時は鉄板料理が上手くいく。本番に弱いってこういう事だろうか?三井さんには悪いけど。 「だって安田くんに嫌われたくないし。」 「お前はな〜。」 「なにそれ?」 「俺はそんな心配ね〜もん。」 酔っ払っているとなんでもありだ。自分の感情のままに言葉が出てくる。それは心を許しているリョータがいるからで、その隣にいるのが安田くんだからなのだろう。限りなく自分を出せるそんな環境だ。 「リョータ、ストップ!」 いつかに聞いた事のある言葉だ。 リョータはあの時と同じように、ピタっと動きを止める。安田くんは二人の猛犬(アルコール含む)を手懐けるように手綱を握る。ヒートアップしている私とリョータをいつだって上手にコントロールするのは安田くんだ。 「僕はさんの事も好きだよ?」 「え……」 「当然だろ?六年一緒にいたし、リョータの彼女だ。」 殺伐とした空気の中で、安田くんの言葉はこうして天から授かった言葉のように降りてくる。平和にならざるを得ない。結局のところ、ムードメーカーは安田くんなんだろう。 「僕お腹一杯だからリョータ食べてよ。」 「…ふご、」 安田くんにしては随分と豪快に、海苔巻きをリョータの口に突っ込んだ。そんな状況を想像していなかったリョータは少し涙目になりながらも、けれど冷静になってもぐもぐと何度か咀嚼して、言葉を放った。 「……めちゃ美味い。」 「だろ?さんに謝って?」 やっぱり安田くんは我が家においての鳩だ。全ての事象を解決してくれる。安田くんが帰った後、私たちが気まずくならないように。そんな事まで考えてくれているに違いない。 「……ごめん。」 「ううん、リョータのも食べてみたい。」 「そう?」 「うん。」 結局安田くんはいつも私たちの仲を取り持ってくれる。このままの状況だと私とリョータがギスギスするんじゃないだろうかとちゃんと気にしてくれて。 酔っ払っている私たちにとって寝れば忘れるくらいの事なのに、安田くんはきちんと仲をとり持って帰っていく。だからそろそろ彼は帰ろうとしているのかもしれない。 「新婚じゃないけど、同棲してばっかりの二人に悪いから僕はそろそろ帰るよ。」 安田くん以上に空気が読める男がいるだろうか。少なくとも私は近しい人間を知らない。なんて出来た人なんだろう、毎回彼が遊びに来る度にそう思う。 「じゃあ次はそれ相応の祝い持ってこいよ?」 リョータのその言葉に少しだけ目が覚めて、安田くんは妙な笑いを残してドアを開けて去って行った。どういう意味だったのか、その真実は当人しか知らない事だけど、今はそれを考えるよりもやるべきことがある。 リョータが私のシャツの裾を引っ張る。 何かと思ってみてみると、物凄く焦ったい彼の顔がそこにある。冗談っぽく口を尖らせてみると、すぐに返事があった。結局どれだけ対抗意識を燃やしたところで、私はリョータには敵わない。敵わないとういうよりは、私が我慢ならない。好きだからしょうがない。 「……好き。」 リョータのその言葉に、声にならない「私の方が好き」を紡ぎ出す。幸せはとても近くにあって、そして日常にこそ幸せは隠れているのかもしれない。 |